メタメタの日

パンセ

『受験算数 難問の四千年をたどる』 岩波科学ライブラリー 2012年
『かけ算には順序があるのか』 岩波科学ライブリー 2011年
『和算で数に強くなる!』 ちくま新書 2009年

テーマ:

 直前の発言で,かけ算の式を「被乗数×乗数」の順序で定義しても,「乗数×被乗数」の順序は証明できるのではないかと証明を試みたが,コメント欄で,紙つぶてさんから「被乗数×乗数=乗数×被乗数ナド(左辺から出発して)数学的に証明出来る筈がないではないか」と一笑された。また,「何が証明されたのかわからない」というコメントもあった。

 

 それらも踏まえて考え直した結果,私としては,次のようなところに落ち着いた。

 

 前発言でも紹介したが,ペアノの公理に基づく数体系での積の交換法則の証明は次の通りです。(遠山啓『代数的構造』(新版1996年,日本評論社)109頁以下)

========(引用開始)==================

和 Nの任意の2要素x,yに対して,

(1)  x+をx+1と定義する。

(2)  (x+y)+ をx+y+ と定める。  

【x+ は,xの後続者。中略。】

積 x・y(xyとも書く)をつぎのように定義する。

 x・1=x,

x・y+=xy+x. 

【中略。分配法則(x+y)z=xz+yzの証明】

交換法則:xy=yx.

まず y=1 に対してx・1=1・x を証明しよう。

x=1のときは 1・1=1・1 で正しい。

xに対して正しいとすれば,x+ については,

1・x+=1・x+1=x・1+1=x+1=x+=x+・1 

したがって,すべてのxに対して1・x=x・1が成立する。

 yに対してx・y=y・xが成り立つと仮定しよう。

 y+x=(y+1)x    (分配法則によって)

=y・x+x=x・y+x=xy+

したがって,すべてのyに対して成り立つ。 

========(引用終り)==================

 

 ペアの公理系の構成は,和から積に進んでいて,積の定義は同数累加です。つまり,同数累加の同数xを積の被乗数xとし,累加数yを積の乗数yとし,積の式は「被乗数x・乗数y」の順で書き,xyは「xのy倍」の意味になります。

 交換法則は,

     被乗数x・乗数y=被乗数y・乗数x

となります。(上の引用で遠山は,同数,累加数,被乗数,乗数などの用語を使っていませんが)

 以上の理解は,西洋から数学を学んだ日本で,明治の算術から戦後の算数まで,かけ算を同数累加の簡便形として導入してきたものと同じです。(1950年代後半から,数教協が「量の理論」で算数教育を革新しようとして一部成功した内容には触れない。)

つまり,

  7+7+7+7+7=7×5 の式では,左辺の同数累加の同数7が右辺の被乗数7であり,左辺の累加数5が右辺の乗数5であり,積は「被乗数×乗数」の順で書く。

 

 私の前記事の証明は,7+7+7+7+7の式を,かけ算の式の定義より,被乗数7×乗数5と書いても,7×5の式が,5+5+5+5+5+5+5の式と等しいことが証明されたら,つまり,

      7×5=5+5+5+5+5+5+5 

が成立したら,5が同数(被乗数),7が累加数(乗数)となる。

だから,

    5+5+5+5+5+5+5=5×7

    7×5=5+5+5+5+5+5+5  より,

        5×7=7×5   

  被乗数×乗数=乗数×被乗数

が証明されたのではないか,という論理構成だったのだが,定義より,

    5+5+5+5+5+5+5=5×7  

だから,けっきょく,

   7+7+7+7+7=7×5=5+5+5+5+5+5+5=5×7

が証明されたのであり,これこそが,交換法則(被乗数7×乗数5=被乗数5×乗数7)だと批判されたのでした。

 

 実際,遠山の引用の後半4行に具体的な数値を入れてみると,

=====(はじめ)========================

6×5=5×6が成り立つと仮定しよう。

 7×5=(6+1)×5    

=6×5+5=5×6+5=5×(6+1)=5×7

したがって,7に対して成り立つ。 

=====(おわり)========================

途中で,

   7×5=(中略)=5×6+5   ‥‥(イ) 

5×6は,定義より,5の6倍だから,

   7×5=5+5+5+5+5+5+5  ‥‥(ロ)

が成立している。

 (ロ)の式を見れば,5は,右辺の同数累加の同数だから,左辺の積の被乗数であり,7は右辺の累加数だから,左辺の積の乗数になっている。ここで話を止めれば,7×5は「乗数×被乗数」となるところだが,そもそも,乗数,被乗数という用語を用いていない。

 

 また,前発言で思い出したかつてのSparrowhawk氏の発言によれば,

 3×4の式は, 

     3×4=3×(1+1+1+1)=3+3+3+3 と書けば,被乗数×乗数だし,

        3×4=(1+1+1)×4=4+4+4 と書けば,乗数×被乗数である。

 

 かけ算の式を「被乗数(同数)×乗数(累加数)」で定義しても,

    3+3+3+3=3×4=(1+1+1)×4=4+4+4

と式変形すれば,「乗数(累加数)×被乗数(同数)」の式になるのではないか。

 ×の前が被乗数,後が乗数と定義することにどれほどの意味があるのだろうかという話になる。

 ということは,7×5=5×7 を,

     被乗数7×乗数5=乗数5×被乗数7

と捉えて,それを交換法則の適用とするのがおかしいというなら,

     被乗数7×乗数5=被乗数5×乗数7

を,交換法則の適用と捉えるのもおかしいのではないか。

 

 戦前の算術の教科書は(高木貞治の教科書も含めて),交換法則は,

     因数7×因数5=因数5×因数7

と捉えていた。

 つまり,交換法則では,被乗数,乗数という区別をせず,共に因数と名付けている。

元の式の被乗数が名数であるときは,名数の単位(助数詞)を取り除いて,不名数としてから交換法則を適用していた。

 1時間に12里走る汽車の4時間で進む距離12里×4の式に交換方式を適用するときは,里の単位を取り除いてから,

    12×4=4×12

とする。つまり,

    12里×4=4里×12  とも,

    12里×4=4×12里  とも書かなかった。

 なぜなら,上の式では,左右両辺が表す状況が異なること,下の式では,被乗数×乗数の順序からすると,不名数であるべき乗数が名数になることを嫌ったのだろう。

 つまり,かけ算を,被乗数×乗数で導入しても,交換法則の適用では,因数×因数と捉える。数学的にはこれが正解ではないのか。

 

 前の記事で交換法則の理解に4通りあることを挙げた。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-12297150391.html

 3×5=5×3 の式については,

   (甲)3の5倍=5の3倍

   (乙)3の5倍=5倍の3

   (丙)3倍の5=5倍の3

   (丁)因数3×因数5=因数5×因数3

 

  数学的には,(丁)が正しいということだろう。

 (甲)(乙)(丙)は,日本や世界の実社会で利用され,(甲)または(丙)が義務教育で教えられてもいるが(日本では(甲)),それらを交換法則と呼ぶのは,数学的には問題があるだろう。

 ネットでも,(乙)は交換法則ではないと発言してきた人はいたし,銀林浩さんの「数については交換法則が成り立つが,量については交換法則が成り立たない」という,私が吃驚し当惑もした発言の底にはこういう問題意識があったのだ,ということがあらためてわかった。

 

 数学的当否が如上であっても,教育的にはどう教えるべきだろうか。

 社会生活では,1個5円の商品を8個買う場合のレシートは,店によって

     単価5円×個数8   か

     個数8×単価5円   のどちらかが使われている。

 総額を求める式はどちらでもよいことを確認する(教える)べきだと思う。時期は,小2のかけ算の単元のまとめのところで。

 かけ算が使えるようになって,実生活で戸惑うことがあるのは,絶対にまずい。

 単価×個数=個数×単価 を確認するということは,

     1つ分×いくつ分=いくつ分×1つ分

     被乗数×乗数=乗数×被乗数

を確認することになる。

 つまり「交換法則の理解(乙)」を確認することになる。

 

 小学2年の子供は,ここに至るまでに,九九を各段ごとに暗唱する途中で,アレイ図を使って,被乗数と乗数を入れ替えても,全体の数は変らないこと(甲)を確認してきている。

 そして(乙)を確認したわけだから,かけ算を使う場面だ(同じ数量の集まりがいくつかある)とわかったら,どちらの数を×の先に書くかは気にしなくてよいと気が付くことになる。それが,小2のかけ算の学習の仕上げの一つとなるだろう。

 それは全然問題ないどころか,むしろ目指すべきことだろうし,どちらが先かを気にするよりずっとやさしい(少なくとも私はそう思うし,子どもの私もそう思っただろう)と思うのだが,今まで発言してくれた小学校の先生の発言を振り返ると,多分違う意見でしょうね。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 かけ算の交換法則の理解と誤解

   (1)算数の常識は社会の非常識

   (2)「社会の常識」(乙)は数学的に証明できるのか。(今回)

(2)「社会の常識」(乙)は数学的に証明できるのか。

 かけ算の式の交換法則をめぐる「算数の常識」と「社会の常識」の対立について,数学ではどういうことになるのか。

 定義と公理で構築される現代数学で,数論のスタンダードの体系は,ペアノの公理系でしょう。ペアノの公理系を,遠山啓『代数的構造』(新版1996年,日本評論社)は次のように説明しています。(109頁以下)

「 和 Nの任意の2要素x,yに対して,

(1)  x+をx+1と定義する。

(2)  (x+y)+ をx+y+ と定める。 」

 

  x+ は,xの後続者(後者ともいう)とあります。「+」は右肩添字で,加法の「+」とは大きさ,位置が違いますが,ワープロでは分かりにくいが,原文を尊重してママです。

 遠山は,和の結合法則,交換法則を証明した後で,積に入ります。

 

「積 x・y(xyとも書く)をつぎのように定義する。

 x・1=x,

x・y+=xy+x. 」 

 

 定義より,3・1=3であって,3・1=1+1+1ではない。また,2・1=2,2・2=2・1+=2(1+1)=2・1+2=2+2,2・3=2・2+=2(2+1)=2・2+2=2+2+2,したがって,2・3は,2の3倍で,2倍の3ではない。つまり,x・1はxの1倍であって,1のx倍(x倍の1)ではなく,x・yは,xのy倍であって,x倍のyではない。積は「被乗数×乗数」の順で定義されています。

 そして,分配法則(x+y)z=xz+yzを証明した後,交換法則を次のように証明しています。

 

「交換法則:xy=yx.」

 

 xy=yxは,定義より,「xのy倍=yのx倍」であり,これを数学的帰納法で証明しようというのです。

 

「まず y=1 に対してx・1=1・x を証明しよう。

x=1のときは 1・1=1・1 で正しい。

xに対して正しいとすれば,x+ については,

1・x+=1・x+1=x・1+1=x+1=x+=x+・1 

したがって,すべてのxに対して1・x=x・1が成立する。」

 

 つまり,「1のx倍=xの1倍」が証明されたわけです。

 次に,

 

「 yに対してx・y=y・xが成り立つと仮定しよう。

 y+x=(y+1)x    (分配法則によって)

=y・x+x=x・y+x=xy+

したがって,すべてのyに対して成り立つ。 」

 

 つまり,xy(xのy倍)=yx(yのx倍)が証明された。

 この証明のどの段階でも,積については,定義(被乗数×乗数),つまり,xyはxのy倍であることしか使っていません。

 続いて,結合法則:(xy)z=x(yz) を証明しています。

 

 以上です。

 

 私は,xy=yx を「xのy倍=y倍のx」と解することができるのは,「xyは,xのy倍,または,x倍のyを表す」という定義(約束)があるからだと思っていて,社会ではこういう約束があるのだから,小学校でもきちんと教えるべきだと思っていたのです。

 ところが今回,ねまきねこさんのコメントに触発されて,「xyは,xのy倍」の定義から出発しても,和の交換法則,結合法則,積の交換法則,結合法則,そして分配法則を使えば,「xyは,x倍のy」を証明できるのではないかと気が付いたのです。

 もちろん,3×4=3+3+3+3=12,4×3=4+4+4=12,したがって,3×4=12=4+4+4ですから,積の値を経由すれば,被乗数×乗数=乗数×被乗数は「証明」できますが,積の値を経由せず(もちろん,途中で,証明したいこと「被乗数×乗数=乗数×被乗数」を使わず),xのy倍として定義されたxyをyのx倍と解すること(被乗数×乗数=乗数×被乗数)が証明できるのではないかということです。

 

 ただ,もしも,この証明に瑕疵があって失敗していたら,「xyは,xのy倍,あるいは,yのx倍を表す」あるいは「被乗数×乗数=乗数×被乗数」という定義を追加すればよい,というより追加して,社会で使われているかけ算を「数学的にも」正当化すべきだと思っています。 

 保険を掛けた言い訳はこのぐらいにして,証明は以下です。

 

(x+1)(y+1)=(x+1)y+(x+1)1=(x+1)+(x+1)+・・・+(x+1)

これは,被乗数(x+1)×乗数(y+1)を表している。

また,

(x+1)(y+1)=x(y+1)+1(y+1)=(y+1)x+(y+1)1=(y+1)+(y+1)+・・・+(y+1)

 これは,乗数(x+1)×被乗数(y+1) を表している。

したがって,被乗数×乗数=乗数×被乗数。Q.E.D.

 

 この証明を考えてから思い出したのですが,確か昔mixiでSparrowhawk氏が,こういう変形をしていました。

    3×4=3×(1+1+1+1)=3+3+3+3,

      3×4=(1+1+1)×4=4+4+4,

前者が,被乗数×乗数,後者が,乗数×被乗数ですね。

 したがって,かけ算の式は,「被乗数×乗数」にも,「乗数×被乗数」にも解釈可能だから,

    3×4=4×3

は,被乗数×乗数=乗数×被乗数 を表していると解することもできる。

 

 以上のように考えたわけですが,被乗数,乗数も,いわゆる不名数(抽象数)でした。

 2g+2g+2g=2g×3 のような単位(助数詞)の付いた名数(具体数)について,2g×3=3×2g,4㎞/h×3h=3h×4㎞/h という「交換法則」を「数学」でどう考えるのかまでは踏み込んでいません。

 数学では,交換法則は不名数についての法則という理解が戦前からあります。しかも,乗数は不名数でなければならなかった。そのため,乗数×被乗数の順序を認めなかった戦前では,蛸の足の式「2×8本」はありえなかったのです。

AD
いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)

テーマ:

  (1)算数の常識は社会の非常識

  (2)「社会の常識」は数学的に証明できるのか

 

(1)  算数の常識は社会の非常識

 

 かけ算の交換法則を具体的な数に適用すれば,

   3×5=5×3

です。小2でかけ算を習ったときに,交換法則も習い,それからずっと当たり前のことになっています。

  しかし,交換法則の理解は2通りあります。

(甲)3の5倍=5の3倍

   左辺は,3が被乗数(小学校では「かけられる数」。最初は「1つ分の数」と教わる),5が乗数(「か

   ける数」。「いくつ分」と教わる)。

   右辺は,5が被乗数,3が乗数。

    つまり,左辺も右辺も,被乗数×乗数(1つ分の数×いくつ分)の順序であり,数5と数3は交換さ

   れても,被乗数,乗数(1つ分の数,いくつ分)の順序は交換されない。

 

(乙)3の5倍=5倍の3

   交換法則とは,被乗数×乗数(1つ分の数×いくつ分)を,乗数×被乗数(いくつ分×1つ分の数)と

   書いてよい,両辺は順序は違っても同じことだ,意味は同じで「順不同」だという理解です。

 

 (乙)のように(または甲乙両方で)理解している人は多いと思う。私も,かけ算の順序問題に首を突っ込むまで,数十年そう思っていた。

 ところが,小学校の教科書は(甲)しか記していない。(乙)のように理解しては間違いとされる。

つまり,小学校では,2匹の蛸の足の数を求めよという問題で,2×8という式を書くと,2の8倍,つまり,2匹×8=16匹の意味になるから間違いで×(バツ)にされる。

 8×2の式が,8本×2=16本の意味になるから正解で〇になる。

 そんなバカなと思う親が,×の付いた子供の答案用紙をネットに曝し,喧々諤々の議論が十年続いています。世に言う「かけ算の順序問題」です。

 親(大人)達は,2×8を,2×(8本),2倍の8本だと,(乙)で理解しているわけです。

 (注記すると,2×8を,2本の8倍と理解することもできます。なぜなら,仮に蛸の足が1本とすると,2匹なら2本です。しかし蛸の足は8本だから,1本の場合の8倍で,2本×8と解せます。

 さらに注記すると,3×5=5×3 の理解の仕方には,もう1通りあって,

 

(丙)3倍の5=5倍の3

   欧米などの最近の小学校教科書は,この方式が多い。19世紀まで,つまり,明治に日本が洋算を

   移入したときは,欧米も(甲)が主流だったのだが。

 

 さらにさらに言えば,被乗数,乗数の区別をしないで,因数と理解する方式もあります。

 

(丁)因数3×因数5=因数5×因数3

   しかし,これは,人類がかけ算を生み出した歴史的経緯をスルーするわけで,教育的には最初に教

   えるものではないでしょう。)

 

 閑話休題。小学校では(甲)でしか教わらなかった交換法則を,(乙)のように理解(誤解?)している大人がいるのは,そういう理解で,中学,高校,実社会で,何の支障もなかっただけでなく,単価×個数(1つ分×いくつ分)という式だけでなく,個数×単価(いくつ分×1つ分)という式も,実社会では使われているからです。

 つまり,算数(数学)は,学校で学ぶだけでなく社会でも学ぶ。「単価×個数=個数×単価 は交換法則の応用だ」と,社会や実生活で学んだのでしょう。ところが,この社会の常識が,小学校(算数)では間違いとされるわけです。社会の側から見れば,算数の常識は社会の非常識と見做されます。既に古典と化した実例は,2004年のYOMIURI ONLINE「発言小町」算数の掛け算 http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

  (1)文科省は順序固執派になったのか

  (2)アレイ図は、導入段階では不可

  (3)私案・かけ算教育の「守破離」(今回)

 

   (3)私案・かけ算教育の「守破離」

 

 私が考えるかけ算教育の「守破離」は以下のようになる。

 

 「守」の段階:導入段階。

同数量の集まりが複数ある図を示し、その2数から総数量を求める計算がかけ算であり、式は、1つ分の数×いくつ分=総数量 と書くと教える。

 長さ5cmのテープを3枚並べるように、1つ分が個数でなく連続量の場合の図も示す。

 いくつ分を「倍」と言うことも示す。

 式と対応させて各段の九九を暗唱することになるが、例えば3の段の九九、

  3×1=3  三一が3

  3×2=6  三二が6

  3×3=9  三三が9

       :

  3×8=24  三八24

  3×9=27  三九27

の式の意味は、×の前(左)が被乗数(1つ分の数)、後(右)が乗数(いくつ分の数)であることを、図で確認する。(被乗数が個物で、乗数が1ずつ増えていく図は、アレイ図っぽくなる。)

 九九と式は、5の段、2の段、3の段、4の段の順序で進める。(5と2の段は逆も可)

 

 「破」の段階:交換法則の確認

アレイ図はここで登場する。

九九の暗唱が4の段に進んだところで、4×3のアレイ図を示し、この図は3×4と解することもできることを確認する。つまり、交換法則4×3=3×4「かけ算では被乗数と乗数を逆にしても答は同じになる」ことを確認する。

 十数年前ぐらいまでは、交換法則を教わった(あるいは自分で気が付いた)子供は、「かけ算では式の順序は気にしなくてもいいんだ」と理解していたと思うが、最近の教科書は、「4×3=3×4の左辺も右辺も「被乗数×乗数」の順序なんだよ、かけ算の式には順序があるんだよ」と順序を強調する教え方になっている。「数学的」には、それが本来の交換法則の理解のようである。

 「破」の段階では、まだ「1つ分×いくつ分」の束縛は解けていないが、いわゆる引っかけ問題(問題文の中で「いくつ分の数」を先に出すとか、2個ずつ3枚の皿の図と3個ずつ2枚の皿の図のどちらが3×2の式か、とか)は出す必要がない。出さない方が良いのではなく出すべきではないと思う。1つ分といくつ分の解釈が交換可能なことがあるし、かけ算の理解の最終到達点はそこではないのだから。

また、テープの長さのように連続量が被乗数の場合は、アレイ図にはならないが、こういう場合(4cm×3枚と3cm×4枚では状況が違うこと)を教える必要もないだろう。

九九の暗唱は、6の段、7の段、8の段、9の段、1の段の順序で進める。

 

 「離」の段階:被乗数×乗数=乗数×被乗数の確認

 1の段から9の段までの九九の表全体から、かけ算のきまりをいろいろ見つける。

 実社会では、個数×単価(いくつ分×1つ分)で総額を求めることがあること、世界には、乗数×被乗数で式を書く国があることなどを確認し、被乗数(1つ分)と乗数(いくつ分)の順序にはこだわらなくてよいことを確認する。 

 被乗数(1つ分)と乗数(いくつ分)の考え方(概念)そのものも意味がなくなる数学の世界があることまで「離」を進める必要は小学生にはない。少なくともかけ算を初めて教わる小学2年生には全くよけいな話である。

 

 

 以上が、私の考えるかけ算教育の「守破離」だが、私は塾で小4以上に算数を教えた経験はあるが、それ以下の生徒に、ましてかけ算を最初から教えたことなどないので(小学入学前から小6までの学年別計算ドリル本を作ったことはあるが)、小学校の先生からのご意見・ご批判をいただければ、とてもうれしい。

上の「私案」が小学校で実際に教えられていることと大きく違うのは、「離」の段階で、被乗数(1つ分)と乗数(いくつ分)の順序にはこだわらなくてよいことをはっきりと教科書に明示して教えることと、したがって、その前の段階でも「引っかけ問題」を出してかけ算の順序にこだわることをやめることである。

被乗数と乗数の順序を気にしないことは、大人は当たり前のことと思っているが(だから、小学校での「順序こだわり教育」を知るとびっくりするのだが)、それは、学校で明示的に教わらなくても、小学校高学年、中学、高校、社会と進む中で、誰も(学校の先生も)かけ算の順序など気にしなくなるし、かけ算の交換法則とはそういうことだと思うからだろう。私もそうだった。だから、かけ算の交換法則とは、被乗数×乗数の数字を交換することであって、被乗数×乗数の順序は変らないのだと知ったときは驚いた。確かに小学校の教科書には昔からそう書いてあった(文言は「かけられる数×かける数」。決して「かける数×かけられる数」とは、どこにもない!)から、私も最初はそう教わったのだろうが。

 

 「離」の中身が現行とは異なるし、引っかけ問題で×を付けることも、引っかけ問題を出すこと自体に反対なのだが、現行のかけ算の教え方の大枠には反対ではない。

現在は小学2年の2学期に学習することになっている。例えば東京書籍の教科書での年間指導計画案では、10月中旬から12月中旬の2ヶ月がかけ算に与えられている。

https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/dlf76/emcz2562.pdf

 わずか2ヶ月の間に、初めてかけ算を知った上に九九を言えるようになるのだから、大変と言えば大変だし、「私案」では、初め「1つ分×いくつ分」と書くことを教わっても、2か月後には、こだわらなくてもよいと、正に「守」から「離」に進むことになるのだけど、それができる子どもという人間の可能性にこれからも期待していくことになるのだろう。

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

  (1)文科省は順序固執派になったのか

  (2)アレイ図は、導入段階では不可(今回)

  (3)私案・かけ算教育の「守破離」

 

  (2)アレイ図は、導入段階では不可

 

かけ算の導入では、言葉・文字(音声や数字・記号)だけでなく、具体物や絵図を使って説明するのは当然だろう。では、かけ算を使う場面として見せる図はどのようなものが相応しいのだろうか。

最近の教科書で、かけ算の単元の最初に出てくる絵は、遊園地で子供が同じ人数ずつ乗った乗物の絵や、同じ個数の果物が載ったお皿の絵などになっている。(そのカラフルさに感心するが、あるタイプの子には、気が散って集中できないという問題が指摘されている。そういう問題もあろうが、)導入時の図としては、このように1つ分がはっきり分かれている図が良いと思う。子供に最初に見せる図として適当でないのはアレイ図である。(私は、今回ようやくこの結論にたどり着いたのだが)

算数教育界でアレイ図というのは、具体物(果物など)や半具体物(タイルや点)を、縦横碁盤の目に並べた図のことで、かけ算の交換法則を目で見て納得するものとして多くの教科書で利用されている。「縦1列の個数が1つ分、列数がいくつ分」と解釈することも「横1行の個数が1つ分、行数がいくつ分」と解釈することも可能だから。

私のかけ算の原風景は、教室の高い壁に貼られた、リンゴを縦4・横6に並べたアレイ図で、左1列4個と下1行6個のリンゴが楕円で囲まれていた。つまり左下のリンゴは二つの楕円で囲まれていて、このリンゴを2回数えていいのかと、私はずっと不審だった。

 

 アレイ図は、交換法則を説明する時に出てくるのが普通なのだが、かけ算の導入時に使う教科書がある。私が知っているのは、最近20年間の中国の複数の教科書と、日本の数研出版の『学ぼう!算数』の「低学年用下」(2005年)だ。後者は『分数ができない大学生』の執筆陣を中心に作られた「非検定算数教科書」とも言うべき全6冊のシリーズの「推奨学年2年」のものである。

この2種類に加えて、今回kistenkasutenさんの発言から、1960年代にアメリカの算数現代化NewMath運動を主導したSMSG(School Mathematics Study Group)が作った教科書がアレイ図でかけ算を導入していたことを知った。

https://twitter.com/flute23432/status/712625553287680001

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015035859894;view=1up;seq=301

 

アレイ図をかけ算の導入で使うとどうなるのか。

中国の教科書は、かけ算を、アレイ図で被乗数・乗数の区別をせず、因数×因数=積として教えている。その結果、「数計算では大きな差支えがないかもしれないが、量の扱いで不具合があって、教師たちの丁寧な対応によって乗り越えている」という報告がある。http://www.nier.go.jp/seika_kaihatsu_2/risu-2-310_s-china.pdf 181頁

 数研出版の「非検定版」は、家庭や個人で使われていることはあっても、学校の教室で使われていることはないようで、作成に関わった小学校の先生に、アレイ図での導入について反応はどうだったのかと尋ねたことがあったが、読者からの感想は特になかったということだった。

 中国版のアレイ図も、数研版のアレイ図も、「行数、列数のどちらを乗数と見ることも可」という考え方だから、被乗数×乗数の母斑を残していると言える。つまり、1つのアレイ図から、2通りの被乗数×乗数を立式できるということだから、かけ算は「1つ分の数×いくつ分」と理解することが第一段階としてあって、次の段階として、どちらを1つ分、いくつ分としても可という交換法則を理解することになる。中国版は、さらにその次の「だから被乗数・乗数の区別も無意味」というところまで進む。この二つ(三つ)の階梯(守・破・離!)を1つのアレイ図で最初にいっぺんに理解せよということだから、そりゃ、「教師たちの丁寧な対応」が必要になると思う。それなら、アレイ図の前の図(乗り物に子供が乗った図や、果物が載ったお皿の図など)を最初に示して、1つ分×いくつ分を理解させてから、子供や果物を取って縦横に並べたアレイ図を示した方がわかりやすいと思う(日本の教科書はそうしている)。

 

 SMSGのアレイ図の教え方には、中国版や数研版のような不徹底さはない。

アレイ図から示されるかけ算の式は、「行数(rows)×列数(columns)=総数(elements)」なのだ。

 アレイ図から、3×4という式を書く時、3や4は、1行や1列に並んでいる個数(elements)を数えるのが「普通」だと思っていた。(私の小学校の壁に貼ってあったアレイ図が、縦のリンゴの数、横のリンゴの数を数えたように。)ところが、SMSGのアレイ図では、3や4は、1行や1列に並んでいる物の個数(elements)ではなく、行の数(rows)、列の数(columns)となる(行の数は、列に並んだ物の数と等しいわけだが)。行と列の交点(交差する所にある物)が元(elements)で、交点(元)の総数を求めることがかけ算である、と導入段階で教えることになる。

かけ算の歴史的母斑(被乗数、乗数)など見事に払拭したNewMathだが、ほとんどの子供には理解が難しかっただろう。それもあって、数学教育の現代化は、アメリカでも、追随した日本でも、世界の他の国々でも失敗する。(この総括をきちんとする必要はあるが。)

 かけ算の順序自由化論者は、知らずしてNewMathの失敗を繰り返そうとしているのではないかという批判があった。歴史に無知なる者は歴史の失敗を繰り返すということはある。

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

かけ算教育の「守破離」

 

  (1)文科省は順序固執派になったのか(今回)

  (2)アレイ図は、導入段階では不可

  (3)私案・かけ算教育の「守破離」

 

 

  (1)文科省は順序固執派になったのか

 

 芸道や武道の修業には「守破離」ということが言われる。いわば「正反合」の弁証法だろう。弁証法は人気がなくなっているけれど、変化発展や成長衰退の論理を捉えようとするなら、矛盾の存在を変化の契機と捉える弁証法は無視できないだろう。

数学は矛盾する命題の共存を認めないから、弁証法とは無縁だろうが、数学全体の歴史発展(無理数を「反」として、実数という「合」に発展したとか、ユークリッド第5公準の否定が非ユークリッド幾何学を成立させたとか)や個人の数学の認識発展は弁証法的に進むものだろう。

 かけ算をめぐっては、式の順序固執派と順序自由派の対立があるが、弁証法的に、守破離の観点から見ると、どうなるのか。

 

 小学校の算数の教科書は、固執派の観点から作られていて、小学校卒業までは、かけ算の式は「1つ分の数×いくつ分」の順序を守ることが要求されている。「守」から、順序の「破」「離」に進むのは中学以降ということらしいが、「守」の期間が長過ぎるから、交換法則を知っても、それは計算をする際の便宜であって、立式には順序があると信じている大人もいる。

 他方、自由派であっても、子供にかけ算を教える最初に式の書き方を教える必要はないと主張する人は稀れ(皆無ではない)で、掛け合わす2つの数には、「1つ分の数(被乗数)」と「いくつ分の数(乗数)」という違いがあり、「被乗数×乗数」の順に書くのが良いと思っている。つまり、初めから、どちらの書き順でも構わないと、「反」や「離」の立場から教えるのは、教育的には下策だと思っている(私もそう)。

 

 だから、今回、東京新聞(7月10日)、中日新聞(7月13日)の「2020年度の新指導要領きっかけ 掛け算の順序論争再燃」の記事は、とてもよくまとめられていると思うが、<肯定派「指導初期に必要」×否定派「面白さ学べない」>と図式化したのはミスリーディングで、「指導初期に必要」が肯定派なら、自由派も肯定派に分類される。しかし、自由派の中には議論している内に、指導初期から順序は不要みたいな論調になる人が少なくないのも事実だが。

 では、文科省の立場はどうか。

文科省の検定をパスする教科書は「かけ算の式の順序固執派」のものばかりだから、文科省も固執派なのか。しかし、「順序自由派」の教科書が検定に提出されて文科省が否認したことがあったとは聞いたことがない。自由派の教科書はそもそも作られたことがないのだ。

戦前の国定教科書・尋常小学算術書から、かけ算の式は「被乗数×乗数」の順序だった。戦後も文部省がそれを唱道した時代があったが、やがて、文部省の指導書(現在の学習指導要領解説)は、この問題に触れなくなった。つまり、かけ算の式の順序について文科省は何も指示してはいなかったのだ。

 2020年度施行予定の新しい学習指導要領の解説で、文科省が順序固執派の考えに歩み寄ったという批判が、自由派内にある(多い)けれど、私は必ずしもそうは思わないし、文科省の担当者も、上記の東京新聞の取材に答えて、「掛け算の順序を固定化するような指導を求めているわけではない」と強調している。

かけ算について記述している「小学校学習指導要領解説 算数編」(平成29年6月)112~117頁は、小学2年生に初めてかけ算を教える時の注意を書いていると理解すべきだろう。従来より踏み込んだ記述であるのは確かだけれど、この十年間ぐらいのネットを中心とした順序論争を無視しないでレスポンスした文科省の姿勢や、示された見解も導入段階の指針としては評価できる。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/27/1387017_4_2_1.pdf

 

 かけ算を初めて教わる時の子供の算数の知識は、整数(0から3桁まで)とそのたし算、ひき算、長さ(m,cm,mm)、液体の量(かさ、L,dL)とそのたし算、ひき算、分数は1/2、1/4、1/8ぐらいだ。このような子供にかけ算をどう教えたらよいのか。

かけ算を導入する時、同じ数量(a)のものが複数(b)ある時、全体の数量をaとbを使って求める計算だと教えることは、きわめて真っ当だろうし、人類の歴史においてもかけ算はそのように生まれたし、算数の歴史を見てもそのように教えられてきた。(ただし、それを、「同数累加」つまり加法の発展形として教えるか、1あたり量のいくら分という量の観点から教えるかという相違はあるが。)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 東京新聞7月10日朝刊21-22頁6段見開きで「掛け算の順序論争」の記事が出た。
 私も5日に電話取材を受けていた。 記事は良いまとめ方だと思う。 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017071002000116.html

 

 小学校の学習指導要領は10年ごとに改訂され、算数も2020年度からの新しい学習指導要領に沿った「解説」が公開された。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/21/1387017_4_1.pdf

 

 これに対して、ネットでは、文科省がかけ算の順序強化に踏み込んだという批判が多いが、私が受けた印象は違った。文科省の担当者(多分中堅か若手)が、この10年近くのネット等での論議に反応して、見解を示してくれた、その反応は良識的なものだと思った。


 小2の掛け算の最初の導入段階で、式を「1つ分×いくつ分」で書く事については、順序自由派でも反対している人は稀で(私も導入段階はその方が良いと思う)、今度の文科省の「解説」も小2の導入段階の話と読める。

 東京新聞の記事にも文科省の担当者の言として「掛け算の順序を固定化するような指導を求めているわけではない」とあり、私の、「文科省には掛け算の順序を勧める意図はないと思う」という推測を裏付けてくれる形となった。 しかし、そうは取らない教科書出版社やネットクレーマーは少くないだろうし、導入段階の「順序」の拘束をいつ明示的に解くのかの記述がない、という問題は残るだろう。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 Twitterで次のようなアンケートがあった。

「8分の24を24/8と書く。等式24/8=3の右辺の3は整数です。左辺の24/8も整数だと思いますか? 」

 アンケートを立てたのは某国立大学数学科助教のGさん。回答は,「はい/いいえ」の二択で,504票の投票結果は,はい65%,いいえ35%だったという。

 参加している数学の勉強会でこのアンケートをしたところ,はい5人,いいえ8人だった。(私も,「いいえ」の1人)

 その後でいろいろ議論していただいて,私の中では次のように整理できました。

 

 Gさんは,アンケート後のTwitterの解説で,3人に1人が「いいえ」と答えたことについて,「左辺の24/8は分数なので整数ではないと思った人が結構いたのでしょうか? 等号=をいつものように「等しい」(左辺と右辺は完全に同じものである)の意味だと解釈するなら,等式A=Bが成立するとき,Aが〇〇であることとBが○○であることは同値になります(当たり前)。だから,等号=をいつものように「等しい」の意味だと解釈するなら,3は整数なので,24/8=3の左辺の24/8=3も整数でなければいけません。」と書いていました。

 

 ここで私が思った疑問は,この論法(「等式A=Bが成立するとき,Aが〇〇であるならばBも○○である。Bが〇〇であるならばAも○○である」)が成り立つなら,「等式1/2=0.5 で,右辺0.5は小数だから,左辺1/2も小数である」ということも言えるのではないかということでしたが,昨日の議論では,小数,分数というのは表記であって,0.5という小数で表記される有理数と1/2という分数で表記される有理数が等しいという意味だと教えられました。

 しかし,それなら,24/8=3という等式は,24/8という分数で表記される数値と,3という整数で表記される数値が等しいという意味ではないか,と反論したのですが,小数,分数というのは表記だが,整数は表記ではない,と反論されました。

 

 私が言わんとしたところは,既にGさんがTwitter解説で触れていて,「式を表す文字列Aの計算結果(評価値)をeval(A)と表すとき,等号=を「左辺の計算結果と右辺の計算結果が等しい」と解釈する人はA=Bを「eval(A)と eval(B)は等しい」と解釈していることになります。これはこれで一貫しているので,数学的には誤りではないです。」と書かれています。

 

 私(とアンケートに「いいえ」と答えた人の多く)は 等式24/8=3 を,左辺の分数の表す「値」と右辺の整数の表す「値」が等しいという意味だと理解していた(いる)わけです。つまり,整数も「値」の表記方法の一つだと思っていた(いる)ので,整数は表記法ではないという指摘は青天の霹靂でした。

 

 議論を経て,以下のように整理できると考えました。(私の整理であって,昨日の議論がこのように整理できるということではありません。為念。)

 

 数の体系の発展には,教育(発達)的発展,歴史的発展,論理的発展の3つがあります。

日本の小学校では,整数,小数,分数を,この順で習います。(教育的発展)

歴史的には(東も西も),整数,分数,小数の順で,数は生まれてきました。(歴史的発展)

高校・大学では,数の体系は,「整数,有理数,実数」と説明されます(複素数などは除くと)。(論理的発展)

 

 そして,「数の分類」は次のようになる。

「実体」としての数は,整数,有理数,実数であって,「整数⊂有理数⊂実数」という包含関係にある。(有理数でない実数を無理数という。)

 

「数の実体」      「数の表記」

  整数        整数(-2,6,六,Ⅵ),分数(24/8,4/1),小数(1.0,2.999…)

 

  有理数       分数(2/3,4/8,7/5),小数(有限小数,循環小数)

 

    実数        無限小数,(分数(無限連分数,π/2))

 

 つまり,「実体としての整数」の表記には,整数表記,分数表記,小数表記がある。

上記には示さなかったが,演算記号を使った式表記も数の表記である。(√2,log5,

3+2,3÷8)また,等式 2×3=11-5 において,左辺は,乗法あるいは積の式で表記された数であり,右辺は,減法(または,11+(-5) の加法)あるいは差(または和)の式で表記された数であり,右辺の数の大きさ(右辺の値)と左辺の数の大きさ(左辺の値)が等しいから,等式が成り立つ。

 

 ただ,この方向に議論を突っ込んでいくと定義(言葉使い)の些細な差異に揚げ足を掬われそうなので,最初のアンケートにyesと答えた人とnoと答えた人の数観の違いに目を転じると,「数は,量(大きさ)が数値化されたもの」と見ているか(noと答えた人),「数は量(大きさ)とは関係のないもの」と見ているか(yesと答えた人)の違いがあるように思える。

 つまり,「実体としての数」といっても,それは量の表記でしかないと考える人,つまり,量が実体であって,数は量の表し方と見る人か,「実体としての数」は量と関係なく定義し論議できる,否そうしなくては厳密な数学にならないと考える人(この範疇に入る人の中には,数の存在をプラトニックに直感する人もいるらしい。神の創り給ふたのは自然数だけで,その他は人間の所産と言ったクロネッカーもそういう人だったのだろう)との違いのように思える。

 

 わたし自身は,30代で塾で算数・数学を教えるようになってから,遠山啓の「量の体系」に出会い,子供の頃から漠然と感じていた算数・数学への違和感が解消したということがあります。

 遠山が,その数学教育思想を批判した藤沢利喜太郎(尋常小学算術国定教科書の主導者であり,クロネッカーの弟子)は,明治28年(1895年)の『算術條目及教授法』で,「数は数なり。数の観念は外界を離れて存在するものなり。(略)量と云ふ様なる外物的観念は数学中より放逐すること(方便として存するは勿論別事なり)は数学者,教育家の多年希望せるところなりき。而して此の希望は今日最早満足せられたるものなり」(139~140頁)と宣言しました。その後,数学は(数学教育も含めて),この方向に進んだのでしょうか。

 大勢はそうだったのかもしれないが,その方向と親和性を持っていた,日本を含む全世界で行われた「数学教育の現代化」(1960~70年代)が失敗したことも見ても,それが進むべき唯一の方向だとは思えない。

 加藤文元さんも『数学する精神』(2007年,中公新書)の第1章「計算できる記号」の中で,「数には「量」を表す「アナログ的」側面と同時に,抽象的な「記号」であるという「デジタル的」側面がある」(5頁)と書いています。つまり,数の概念から量を放逐することはできないし,するべきではないと言っていると読みました。

 

※  昨日,アンケートに挙手で答えて下さった方々,その後の議論でいろいろ教えて下さった方々に感謝です。

 

 

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)

テーマ:

 twitterを見ていたら、見慣れた顔があって、あれっと思ったら、次のとおりでした。
 しかし、収録が終わってからの放送までが長すぎる!

岩波書店 ‏@Iwanamishoten  11 分11 分前

松尾貴史さんがパーソナリティー,加藤シルビアさんがアシスタントのTBSラジオ「夢★夢Engine!」( @yumeyume_tbsr )に,『巨大数』( http://iwnm.jp/029653 )の著者・鈴木真治さんがご登場! 12/24の放送予定です.お楽しみに. pic.twitter.com/F0Uye3aac0

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。