メタメタの日

パンセ

『受験算数 難問の四千年をたどる』 岩波科学ライブラリー 2012年
『かけ算には順序があるのか』 岩波科学ライブリー 2011年
『和算で数に強くなる!』 ちくま新書 2009年

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 文字の併置が、四則演算の式において、「ひとまとまりの積」として扱われる理由の一つに、ヨーロッパで、+、-、×、÷の記号を使って演算が記述されるようになる17世紀以前から併置積(※)の表記があった、という歴史的事実が挙げられるでしょう。
 つまり、教育過程においては、小学校のかけ算で×記号を教わってから、中学校の文字式で、乗法で×を省略する併置積の書き方を習うという順序になるが、歴史的にはアルファベット文字やインド・アラビア数字の併置による積の表記が先にあって、次に、×記号が生まれて併置積と併置積の間に×記号を書いて併置積同士の乗法を表し、そして最後に、併置積の文字(数字)と文字の間には×記号が省略されているのだ、と考えるようになったという流れでしょう。

 数学の表記法の歴史については、フローリアン・カジョリの以下の書が古典とされている。
 https://archive.org/details/historyofmathema031756mbp 
 同書で併置(juxtaposition)について何か所かで触れられている。(全部は読んでいない。苦笑)
 上記とは別の小倉金之助の補訳が詳しい、カジョリ『初等数学史』(復刻版1997年、共立出版株式会社)にも記数法は触れられている。
 日本の文献では、片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』(2003年、裳華房)がある。
 数字の併置については、上記カジョリの2書にもあるが、ジョルジュ・イフラー『数字の歴史』(1988年、平凡社)が詳しい。

 上記を参照するまでもなく常識の範疇になると思うが、ローマ数字では、数字の併置は和で表された数を表わしている。(「ⅩⅩⅠⅠⅠ」は23。)
 漢数字では、「十三」(ただし縦の併置)は和で13を表し、「三十」は積で30を表わす。
 インドで生まれ、アラビアを経てヨーロッパに伝わり、全世界のグローバル・スタンダードとなった算用数字では、数字の併置は、位取り表記の数を表わす。
 算用数字の縦の併置は分数を表わす。(インドで生まれたときは横線がなく、アラビアで横線を書くようになる。)帯分数は、整数と分数の併置和で示された一つの数である。

 以上の、数字の併置による数の表記に、文字と数字、あるいは文字同士の併置表現が加わる。近世ヨーロッパの文献で確認出来るのは、+、-、×、÷の記号が次々と誕生した17世紀の前100年ぐらいの間のようだが、紀元3世紀のディオファントスの文献は既に、文字・数字の順の併置で積を表記している。(併置積の並列で加法を表わしてもいる。カジョリ『初等数学史』55頁。)
 文字(数字)と文字の併置は、積形式で数量を表しているが、それは、名数の表記法(3mは1mの3つ分(3倍)、8gは1gの8つ分(8倍)を表わす)と関連しているように思えるが、これは私の仮説の域は出ていない。
 
 数字の併置和や文字の併置積は「一つの数量」を表す。(数字の場合は確定した数を、文字の場合は、数で置き換わるまでは未確定の数量を表わすという違いがあるが。)これらの数量を対象とする演算の記述は、17世紀後半以降は四則演算記号を使った式で表わされる「記号代数」になった。それ以前は、文で記述する「言葉代数」、繰り返される言葉を略語とした「略語代数」であった、とカジョリ『初等数学史』150~152頁にある。
 略語代数に属するのは、「ディオファントス、西方アラビア、およびヨーロッパでも17世紀中ごろまで(ヴィエタを除く)」とある。(同上書151頁)したがって、文字の併置積は、略語代数の段階からあったことになる。(西方アラビアについては未確認。)

 つまり、ヨーロッパでの併置積の歴史は「×」や「÷」より古いわけで、「×」や「÷」が生まれたとき、併置積がその対象となる「一つの数量」であることは説明するまでもなく自明だった。だから、1840年にピーコックが『代数』“A Treaties on Algebra”を書いたときには、「÷併置積」の計算法は、例を示せば十分だった。
https://archive.org/stream/atreatiseonalge02peacgoog#page/n84/mode/2up
 しかし、併置積は×の省略されたものという考えから、併置積の扱いについて疑問に思う人も出てきて、19世紀後半には、併置積は括弧で括った「ひとまとまり」と同じなのだと注記する必要も出てきた(“Thus a÷b÷c=a÷(bc),which is usually written a÷bc.”Charles Smith:A Treaties on Algebra,1888)という流れでしょう。
https://archive.org/stream/atreatiseonalge00smitgoog#page/n41/mode/2up
 
 現在は、高校以降では、使い勝手の悪い(交換法則、結合法則が成り立たない)÷の使用頻度が減ったことや、パソコンなどで「/」(スラッシュ)記号が使われることが増えたが「/」の後の併置積のルールが徹底していないことなどから、中学で「÷併置積」のルールを教わったのに忘れて混乱する人が増えているということでしょうか。


(※)「併置積」という用語は、2年前のMさんの発案によります。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/thread/detail/thread_id/38/thread_num/291

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 中学で、2a÷2a=1と教えているのはけしからん、2a÷2×a=a^2(aの2乗)と解釈もできるし、大学で数学を学ぶとこっちの方が当然と思える、というネットの議論に、もう5年近く付き合って、中学の教え方を防衛してきた。なんで理系でもない私が、全国1万余の中学や塾で文字式を教えている先生の身代わりのようになって奮闘しているのかと思わないこともない。

 演算のルールは慣習で決まるものが多い。
 ヨーロッパで、+、-、×、÷の四則演算記号が出そろうのは17世紀で、乗除先行ルールが確立するのは19世紀後半だったようだが、横線の上下に数字を書いて分数を表すことや、文字と文字、文字と数字を横に併置して積を表すことは、+、-、×、÷が作られ使用される前からなされていたようです。(細かなことを言えば、×の代わりに「・」、÷の代わりに「:」を使うなど、慣習の違いが残ることはある。)
 それらの表記や乗除先行ルールが決まったのは、実用算術でも数学でもその方が使い勝手が良く都合が良かったからだが、都合の良さ自体に数学的論理的な根拠があるかといえば、それはない。
 
 文字式での分数商と併置積の扱いをどうするか(特に、÷記号直後のそれらを「ひとまとまりのもの」として扱うか扱わないか)にも数学的論理的根拠はないでしょう。ただ、何世紀もの間ずっと現状のように「ひとまとまりのもの」として扱ってきたのは、その方が、算術との連続性からも、分数商と併置積の対応関係からも、都合が良かったからで、そのルールを今変える必要性も必然性も感じません。(変えることによる不都合は多すぎる。)
 数の計算で使っていた÷を、文字式に入った途端に追放することは無理で、文字式での÷記号の現在のルールを確認する必要は当然あるのです。
 ただし、「÷併置積ルール」を実際にどこまで使用するか(戦前のように、単項式と多項式の併置積の問題も出すか、高校入試に出すか、など)、括弧をどのように使うかなどは別論としてあるでしょう。

 以上のことについては、多分中学や塾で文字式を教えている多くの先生の意見と大きく異なることはないと思う。
 大学の理系では÷記号など使わないから文字式での÷記号の使い方を忘れてしまった方は、理系の自分が忘れたことを中学で教えているのはけしからんなどと言うのではなく、自分もそのルールで教わったこと、算数から代数に移行したときのルールとして支障があったかどうかを思い出していただきたい。(私が、この議論に参加してから支障として思っているのは、ある時期から教科書が、÷併置積のルールを中1の初心時ではなく、中2で教えるようになったことですが。)

 現状のルールを認める人の間でも意見の違いが生じるのは、中学生に教える時の説明の仕方でしょう。小学校の算数で、位取り記数の整数・小数・分数、そして単位の付いた「名数」等の、+、-、×、÷を使った加減乗除の四則演算と、その四則演算の結果としての和差積商という用語等を教わる。この算数(数の計算)を土台にして数学(文字の計算)を教わることになる。中学の文字式の単元では、「乗法の積の表し方」「除法の商の表し方」というように教えています。
「乗法の結果としての積だから「ひとまとまりのもの」として扱う」という説明をすると、高校以降の立場からは問題があるでしょうが、「「ひとまとまりのもの」として扱うのだから、乗法の結果としての積と見ることもできる」という説明なら、算数から代数に入ったばかりの段階では、ありうると思う。ただ、両者の説明の違いを(文字式をこれから学ぶ)中学生に解説するのは下策だと思うが。

 中学の文字式のルールという歴史的に形成された慣習を、現代数学の観点から批判的に見るか、小学校の算数からの教育過程として肯定的に見るかという違いのような気もしている。
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 5×3 は「5かける3」と読む,と小学2年の教科書にあります。
 「5かける3」とは,「5を3にかけること」なのか「5に3をかけること」なのか。
 そもそもこの2つの意味はどう違うのか。
 日本人が,5+5+5を5×3 と書くのは明治時代に小学校で教わったからです。このとき,掛け算(乗法)とは「同数累加」の簡略算であること,同数を「被乗数」とし,累加の度数を「乗数」とし,乗法の式は「被乗数×乗数」の順で書くことも教わりました。
 5×3の式なら「×」の左にある5が被乗数,右にある3が乗数で,5×3(5かける3)は「5を3にかけること」ではなく「5に3をかけること」だとも教わりました。(今は,小学校の教え方は少し変わってきましたが,今でも,掛算をそのように理解している大人も子供もいます。)
 しかし,日本人は「×」記号を知る前,おそらく千年以上掛け算をやってきたはずです。
 そのときは,×記号を使わず,「( )【に】( )【を】掛ける」あるいは,「( )【を】( )【に】掛ける」と言葉で表現しました。(「掛ける」という言葉を使うようになったのは,直前アーティクルで考察したようにこの四,五百年のことかもしれませんが。)
 明治の算術の教科書では,「( )に( )をかける」ことは,「(被乗数)に(乗数)をかける」ことでした。そして,被乗数とは×の左にある数,乗数とは×の右にある数のことでしたから,「(左)【に】(右)【を】かける」ことになります。
 江戸時代にも「( )に( )をかける」という表現はありました。
ところが,ソロバンを使って掛算をしていた江戸時代では,ソロバンの左側に置いた数【を】,右側に置いた数【に】掛ける,と言いました。つまり,「(左)【を】(右)【に】かける」のです。明治時代とは左右が逆です。
 しかし,筆算の式の書き方と珠算の珠の置き方の違いということだけで,「(被乗数)【に】(乗数)【を】かける」という理解は,明治でも江戸でも変わっていないと言えるのでしょうか。つまり,ソロバンの右に置く数は(被乗数),左に置く数は(乗数)と言えるのでしょうか。
 江戸時代初めに刊行され,江戸二百数十年間を通してソロバンの教科書・独学書として大ベストセラーで超長ロングセラーとなった『塵劫記』(吉田光由著)を見てみましょう。
 『塵劫記』の初版は寛永4年(1627年)ですが,岩波文庫の底本は寛永20年(1643年)版です。この版が以後の流布本の祖本になったからと大矢真一さんの凡例にあります。(大矢真一さんの校注にはお世話になりました。校注がなければ理解できない箇所が何か所もありました。)
 『塵劫記』の本文中の掛け算で,「左に○を置き,右の○にかける」などと,左右が明記されている主なものを抜き出して一覧表にすると,以下のようになります。(見やすさを考慮して,本文の漢数字を途中からインド・アラビア数字表記に変えています。)
 算盤の見本がある①「左の十六を右の六匁二分五厘に掛ける」の岩波文庫の影印は,前アーティクルで掲載してあります。



 表の見方と表から判明することは以下の通りです。

(1)「積と同名」では,積と同じ単位(同種量)になる方に「○」を付した。
積が右の数と同名になるのは,左の数が割合(①の個数,⑧⑪などの歩合,③⑨などの実質割合表示を含む)の場合です。割合を単位の無い無名数(抽象数)と考えれば,右の名数の単位がそのまま積の名数の単位になるわけで,当然といえば当然です。
 積が左と同名になるのは,左が「1つ分の数量」(④1俵の容積,⑯1反当たりの収穫量など)の場合で,左の名数の単位が積の名数の単位になって右に表示されます。積と異名だった右の名数(④では俵の個数,⑯では田の面積)が掛け算で左の名数に変わるわけで,⑯では,田の数値が米の容積の数値になるのですが,やや異な感が(私には)あります。左の名数を右に置いて,名数(単位)はそのままで数値が掛け算で変わればいいのではないか,なぜそのように右左の数値を置かないのか,という不審感です。

(2)『塵劫記』の掛算の表現は,「左【を】右【に】掛ける」あるいは「右【に】左【を】掛ける」のどちらかです(左右の指定の片方を欠く場合も,「左を右に」か「右に左を」と解せます)。前者の表現が多く,後者は少ないだろうと思って,後者の場合に「右欄」に「※」を付けたのですが,左右が同じ数値の⑮を除くと,全16例の内,前者・後者は8例ずつ半々という結果になった。
 よくよく見ると,左,右の指定がない「( )【を】( )【に】掛ける」「( )【に】( )【を】掛ける」の比較では,後者の方が多そうですが,この場合も,( )【を】の( )を左,( )【に】の( )を右に置くことを指定しているはずです。つまり,「左【を】右【に】」,「右【に】左【を】」,です。

(3)備考欄には,明治から戦前の算術の式の書き方で掛算を示しました。
 「○×△」の式で,○が被乗数(同数累加の同数。名数),△が乗数(累加の度数,倍数。無名数)ですから,左右の数をそのように解釈して,式にしました。
 明治時代と違って,現代の小学校のかけ算の式の書き方は,最初に「(1つ分の数)×(いくつ分)」と教え,次に(1つ分の数)を(かけられる数),(いくつ分)を(かける数)とも言うことを教え,「(かけられる数)×(かける数)」の式も教えます。「(かけられる数)×(かける数)」は,「(かけられる数,被乗数)に(かける数,乗数)を掛ける」ことですから,「(1つ分の数)に(いくつ分)を掛ける」ということになります。
 明治時代から戦前は,被乗数が名数の場合は,その単位・助数詞を必ず付記し(付記しなければ無名数とみなされる),同じ単位・助数詞が積にも付記されました。現代では,算数の式では,単位・助数詞は付記しないが,頭の中で考えさせられていて,×の左の数の単位と積の単位が同じということになっています。つまり,×の左,式の最初の数(被乗数)の単位と式の最後の数,積の単位が同じになるようにかけ算の式を書くわけで,現代ではこれを「サンドイッチ方式」と呼ぶ教員もいます。すると,2匹の蛸の足の本数を求める掛算の式は,戦前は,8本×2=16本,8×2=16,2×8=16のいずれでも良く(無名数の掛算では交換法則が成り立つ。答に「16本」と書けば,答も正解),8本×2匹=16本,2×8本=16本の式は不正解(乗数は無名数であることに反するため)だったらしい。(高木貞治『広算術教科書』上,明治42年,1909年,にもそうあります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/30 )ところが,現代は,8×2=16は正解だが,2×8=16は不正解とされることが少なくないらしい。その理由は,この式は,2匹×8=16匹と解されるというのです。

(4)『塵劫記』の一覧表の検討にもどります。
 『塵劫記』の掛算でソロバンの左右に置く数にはどのような規則性が,自覚的にしろ無自覚にしろあるのか,という問題です。(続く予定)
 なお,Limg凌宮「掛け算の言い方/塵劫記」でも『塵劫記』の一覧表の検討が進行していて,参考になります。
http://limg.sakura.ne.jp/LimgMath/index.php?%B3%DD%A4%B1%BB%BB%A4%CE%B8%C0%A4%A4%CA%FD%2F%BF%D0%B9%E5%B5%AD

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 この数年間,掛け算の「掛ける」とはどういうことなのか,また「5を3にかける」が何故「5+5+5」ではなくて「3+3+3+3+3」なのか,つまり「〇に△を掛ける(=△を〇に掛ける)」で何故○が「かけられる数(被乗数)」で,△が「かける数(乗数)」なのか,日本語の語感からは違和感があるなぁ,とずっと疑問になっていたのですが,この数日間,twitterで,天むす(Temmus)さんやLimgさんの発言や質疑から大いに啓発されるところがありました。
 twitterのやり取りの始まりは以下あたりですが,枝分かれがあって,私が見落としている発言があるかもしれません。
 https://twitter.com/metameta007/status/700360009553588225
 Limgさんによる中間まとめは,以下の「掛け算の言い方」にあります。
http://limg.sakura.ne.jp/LimgMath/index.php?%B3%DD%A4%B1%BB%BB%A4%CE%B8%C0%A4%A4%CA%FD

 これらの経緯を踏まえて,拙考が前進したことは次のようになります。

(1) なぜ「掛ける」と言うのか。
 乗算で「掛ける」という言葉が使われるようになったのは,ソロバンを使用するようになってから(室町時代後半以降)で,ソロバンの乗算の操作には「掛ける」という語がふさわしいと思われたのだろう。
 掛算の意味での「かける」の語の使用について,文書で確認できる初出は,16世紀末に日本に来たポルトガルの宣教師ロドリゲスが著した『日本文典』(1604~08年,勉誠社版1976年)の「いくつにかくる? 四つにかくる」というやり取りを記録した「caquru」のようです(勉青社版770頁)。『日葡字書』(1603年,岩波書店版1980年)にも「九々をかくる」とあります。
 掛算の意味での「かける」の使用例としては,『日本文典』や『日葡字書』以前のものを見たことがなく謎だったのですが,使用例がないのは,使用されていなかったからだと考えればいいのだと,やっと気が付きました(←遅すぎ)。
 文字記録が存在しない弥生時代やその後の古墳時代に日本人が掛算をしていたかどうかは不明ですが,8世紀に平城京に設置された大学寮では,中国の数学書『九章算術』などを教科書として数学が学ばれていた。そこでは掛算の「かける」には「乘」の字が宛てられていたから,「かける」ことは「乗(じょう)ずる」とか呼ばれていたのでしょう。この「乘」の語の由来は,掛算の計算をするときに,算木を算盤(さんばん)に次々に乗せていった操作からだろうと言われています。
 では「掛ける」はどういう操作に由来するのか。
 掛算の「かける」の語の使用が16世紀後半からということは,中国からの算盤(そろばん)の伝来と同じ頃です。
 ソロバンで6.25×16の掛算をするときは次のようになります。(『塵劫記』寛永20年(1643年)岩波文庫版の43,44頁)























 ソロバンの右に6.25,左に16と珠を置きます。右の下位の5に左の下位の6を掛けて(ここで「掛ける」の語を使ってしまいましたが)「五六,三十」の30を右の5の2桁下に置きます。次に右の5に左の1を掛けて「一五の五」の5を右に置きます。(先の30の3と5を加えて8になります。)ここで,右の5の珠を払い,次に右の2に左の6を掛けて,「二六,十二」の12を置きます。(先の8に加えて20となります。)次に右の2と左の1を掛けて「一二の二」の2と20の2を加えて4と成り,ここで,右の2の珠を払い,次に右の6に左の6を掛けて「六六,三十六」の36と4を加えて40。左の1を右の6に掛けて「一六の六」の6と4で10。位を読んで,答は100。
 つまり,右に置いた6.25に左の16を作用させて,6.25が答の100に変わっていきます。これらの操作が,芽に水を掛けると花が咲くのを連想させたのか,「掛ける」「掛け算」と呼ぶようになったのではないかと推測されます。
 『角川古語大辞典』では,「か・く」【掛・懸・賭】の語義の5番目に「対象物を目的物に作用させる。」をあげ,その6番目に「ある数に,ある数を乗ずる。掛け算をする。」を示しています。『日本国語大辞典』(小学館)でも,「か・ける」【掛・懸・賭・架】の語義の4番目に「相手を作用の目標にする。また,その相手に影響力の大きい作用を及ぼす」をあげ,その10番目に「掛け算をする。」を示しています。
 「ある数に,ある数を乗じて」ソロバンの珠の布置を変えていく操作が「掛ける」という語の語義の一つに合致しているということでしょう。
 ソロバンの右側に置いた「ある数」に,左側に置いた「ある数」が乗じられて,右側の「ある数」が答の数に変身するのですから,右の数と左の数は非対称で役割が違います。どういう数量を右に置き,左に置くのか,が次の問題になります。

(2)「〇に△を掛ける」,なぜ○が被乗数で,△が乗数なのか?


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 文部省は明治6年に『小学算術書』全5巻を刊行します。師範学校(明治5年創設)の編輯となっています。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827176/1
 前年に発布された「学制」で,小学校の設置と洋算の採用(和算ではなく)が決まったのを受けたもので,当時,教科書には国定制度も検定制度もなかった(文部省が推薦する図書はあった)が,『小学算術書』の普及率は抜群だったようです。(講談社『日本教科書大系第10巻』660頁下段)
 巻1が数字(「日本数字」と「算用数字」)の書き方・読み方と加算,巻2が減算,巻3が乗算,巻4が除算と度量衡の四則,巻5(明治9年刊)が分数の四則です。
 この巻3の乗算の記述が謎です。「第1節」(1の段)から「第9節」(9の段)まで同じパターンですが,たとえば「第4節」を見ると,①「四の段」の九九,②算用数字による縦書きの式,③口頭の発問,④文章題という4パターンで展開されています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827178/11 

(講談社『日本教科書大系第10巻』45頁)
 この4パターンの関係が謎なのです。少なくとも私にはその意図がわかりません。
 ①「九九の口誦」は「四四,十六」から「四十が四十」までの半九九(片九九)ですが,当時は半九九が主だった。同じ明治6年にやはり師範学校が全国の小学校の教室に掲示する掛図の見本を刊行していますが,その中にある「乗算九九図」も半九九です。

















(『師範学校小学教授法〔正〕』)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/810199/9
 九九が半九九であったのは,中国で九九のできた古代から交換法則が成り立つことがわかっていて,九九を暗記する手間を省くためだったことは容易に推測できます。(漢数字の命数法が暗誦に適していたということが土台にあります。)だから,4を6倍する場合も,6を4倍する場合も,「四六,二十四」の口誦で答を求めていた。
 『小学算術書』の半九九の各段は,前の数を四で揃える日本型(『塵劫記』型。江戸時代以来庶民はこれで習った)で,後の数を四で揃える伝統中国型(例えば『算法統宗』。「一四如四,二四如八,三四一十二,四四一十六」
http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=33562&page=59 日本でもプロの和算家達はこちらを採用した)を採用していません。
 次の,②「算用数字による縦書きの式」は,半九九にある口誦に該当する式だけで,しかも「四五,二十」を「5×4」と逆に書き,そのため「○×4」の(○≧4)のものだけを載せている。なぜ九九の口誦と逆に書くのか,なぜ縦書きで書くのか,なぜ「〇×△」で(○<△)の式が出てこないのか(例えば3×4の式は出てこないで,4×3の式が「3の段」に出てくる),などと疑問が湧いてきます。
 西洋でも九九はあるが発音上暗誦が難しいので九九表を見ながら計算し,九九表は答を見つけやすいように総九九が主だったといいます。だから『小学算術書』が参考にした西洋の原本では「〇×△」(○<△)の式も当然載せているはずだと推測されます。
 『小学算術書』の原本については諸説があります。上垣渉さんは,「『小学算術書』の種本に関する再考証」(日本数学教育学会誌. 臨時増刊, 数学教育学論究)http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/10429/1/20A12166.pdf で,以下の(1)説を否定し,(5)を主なる種本として(2)(3)(4)も種本として編集されたと結論付けています。
 それぞれの書の乗算の頁にリンクを貼ります。(出版年が合致しない版もあります。ただし上垣さんは乗算については全く触れていません。)
(1)Warren Colburn, Intellectual Arithmetic upon the Inductive Method of Instruction, 1863
https://archive.org/stream/16467535.3775.emory.edu/16467535_3775#page/n29/mode/2up
(2)Horatio Nelson Robinson, The Progressive Primary Arithmetic for Primary Class in Public and Private Schools, 1862
https://archive.org/stream/progressiveprima00robirich#page/40/mode/2up
(3)Horatio Nelson Robinson, First lessons in Mental and Written Arithmetic, 1871
https://archive.org/stream/firstlessonsinme00robirich#page/88/mode/2up/search/multiplication
(4)Charles Davies, Primary Arithmetic, 1862
https://archive.org/stream/primaryarithmeti00davi#page/52/mode/2up/search/multiplication
(5)Charles Davies, Intellectual Arithmetic, 1858
https://archive.org/stream/intellectualari00davigoog#page/n32/mode/2up

 これらの種本候補を見ると,予想通り,○と△の大小に関係なく,一桁同士の乗法の全パターンが載っていますが,「×」記号を使った「〇×△」の式表示は(3)だけで,残りは「○ times △ are □」の九九表示です。
 かけ算の式の縦書きが(4)にあるので,『小学算術書』の縦書きはこれに倣ったのだろうと推測できますが,これにも「×」記号はありません。(Charles Davies, Primary Arithmetic, 105頁,1862)


 https://archive.org/stream/primaryarithmeti00davi#page/105/mode/1up

 次に,『小学算術書』巻3各節の③「口頭の発問」をみると,「六に,四を乗ずれば,幾個となるや」となっています。
 ところが,この「○に△をかける」という言い方は,現行の算数教科書では,かけ算の導入段階には出てきません。
 2桁以上の整数のかけ算や,小数・分数のかけ算にまで進むと,「○に△をかける」という表現も出てきますが,少なくともかけ算の意味を学び,九九の暗唱を練習している最初の段階では,この表現を避けているようです。戦前から戦後の算数教育の歴史のどこかで,「意図的に」か「自然に」か,そういう教え方になったようです。
 「自然に」と思うのは,かけ算教育の最初では,1桁同士のかけ算しか出てこないから,「4に9を掛けると36になる」などとまどろっこしい言い方をせず,「四九36」と九九で言う方が「自然」だと思うからです。
 「意図的に」と思うのは,次のように考えるからです。――日本語としては,「○に△をかける」という言い方と,順番を逆にした「△を○にかける」という言い方はまったく同じ意味を表しているが,かけ算の式としては,「○×△」なのか,「△×○」なのか,どちらも同じでよいのか,違うのか。また,「○に」と「△を」のどちらが被乗数(かけられる数)で,どちらが乗数(かける数)なのか。……これらの区別は大人にとってもとても分かりにくいが,ましてや初めてかけ算を習う子供に「○に△をかける」と「△に○をかける」の区別を言っても混乱するだけ……と考えて,教育的に,つまり「意図的に」導入段階ではこの言い方を避けることを決めた,と推測したのです。
「○に△をかける」の解釈は,明治時代には,例えば高木貞治『新式算術教科書』20~22頁,28頁(明治44年)を見ても分かるように,「○に△をかける」は「○×△」と書き,○が被乗数,△が乗数(つまり,被乗数「に」乗数「を」かける)とはっきりしていました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/20
 この解釈自体は現在も引き継がれていますが,よく考えると疑問が湧いてきます。
 この解釈によれば,5+5+5=5×3 であり,「5を3度加える」ことが「5に3をかける」ことになります。
 しかし,5は「加える(乗ずる)物の数(個数)」であって,「掛ける(乗ずる)事の数(度数)」ではありません。ここで古代中国から「乗」の漢字が使われてきたのは,算木を算盤の桝目に乗せるからで,積み重なった結果には「積」の漢字が使われてきた。
 だから,「5を3度乗ずる」のだから,「5に3をかける」=「3を5にかける」のではなく,「3度5を乗ずる」「3度5をかける」。つまり,「3をかける」のではなく「5をかける」のではないか,という疑問が生じます。
 この疑問には文献上の根拠があります。16世紀末の日本に来たポルトガルの宣教師ロドリゲスは,『日本文典』の中で日本の四則計算を説明していますが,そこに次の一節があります。「Caquru(掛くる)は数を掛けること。例へば,Icutḉuni caquru? (いくつに掛くる)。Yotḉuni caquru(四つに掛くる),など。」(『日本文典』770頁,勉誠社,1976)
 「四つに掛くる」とは「被乗数を四か所に掛ける」,つまり,被乗数を4倍するという意味で,「四つに」の「4」は乗数ではないのか,という推測は理にかなっていると思うのですが,それ以上裏付ける資料が見つけられていません。
 「被乗数に乗数をかける」のではなく,「乗数に被乗数をかける」のではないかという疑問は合理的だと思うのですが,明治時代から現在まで,「○に△を掛ける」の解釈は,○が被乗数,△が乗数です。
 したがって,『小学算術書』の以下の「四」は乗数になります。
「六に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 四に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 八に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 七に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 五に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 九に,四を乗ずれば,幾個となるや,
 十に,四を乗ずれば,幾個となるや,」

 ここで被乗数に4以上の数しか出てこないのは,半九九にあるものだけを口頭発問の文にしたらですが,発問形式自体は,種本の(5)Charles Davies, Intellectual Arithmetic,32頁に倣ったのでしょう。
「 4 times 1 are how many ?
4 times 2 are how many ?
4 times 3 are how many ?
4 times 4 are how many ?
4 times 5 are how many ?
4 times 6 are how many ?
4 times 7 are how many ?
4 times 8 are how many ?
4 times 9 are how many ?
4 times 10 are how many ?
4 times 11 are how many ?
4 times 12 are how many ? 」

 上の文の‘how many’のところに答の数を入れれば英語の九九です。‘4 times 6 are 24’。あるいは ‘four sixes are 24’とも言うようです。この九九では,種本(5)の同頁に説明があるように,‘4’あるいは‘four’はmultiplier(乗数)です。当然,これに倣った『小学算術書』の「四」も乗数になっています。
 口誦の九九と記述されたかけ算の式の関係については,英語の九九 でも日本語の九九でも次のような問題が生じました。‘4 times 6’の4は乗数ですが,「4×6」と書いた式の4は被乗数(multiplicand)です(少なくとも19世紀まではその解釈が主流でした)。したがって,「4×6」の読み方は,‘4 multiplied by 6’,あるいは‘4 into 6’,あるいは‘6 times 4’でした。つまり「4×6」の式を‘6 times 4’と読み(‘times’を使うなら),「6×4」の式を‘4 times 6’と読むように指導している教科書があります。



William James Milne, Standard Arithmetic, 1892
https://archive.org/stream/standardarithme00milngoog#page/n55/mode/2up
 これは日本にとっても他人ごとではなく,国定教科書が大正14年度から「半九九」から「総九九」に切り替わったとき,「4×6=24」を「六四24」と唱え,「6×4=24」を「四六24」と唱えることを決めています。掛け算の式で先に書くのは被乗数,九九で先唱するのは乗数,と解釈することを決めたためです。
 閑話休題でした。
 英語の種本(5)の次頁の文章題では,4が乗数であることは守られています。
 例えば,“What will be the cost of 4 tops at 12 cents apiece ?”
ところが,『小学算術書』の「④文章題」は12問が並んでいますが,そこに出てくる「4」はすべて被乗数(1あたりの数)です。(被乗数・乗数ともに「4」の文章題が2問ある。)
 例えば,「獣類は,足四本宛あるものなり,今五匹の,獣類の足は,幾本ありや,」

 まとめるとこういうことになります。『小学算術書』の巻3「乗算」は,かけ算を4つのパターン,①九九,②算用数字の式,③口頭の発問,④文章題,で教えている。つまり,1つのかけ算が4つのパターンで出てくる。例えば,
①  四六,廿四
②  6
  × 4
③ 六に,四を乗ずれば,幾個となるや,
④ 菜の花一輪には,四弁あり,今六輪の菜の花は,総て,幾弁ありや,

 この4パターンの関係が謎なのです。関係は考えないのか。
関係があると考えると,菜の花の問題では,4は1あたりの数(被乗数)で,6はいくつ分の数(乗数)です。この答を求めるのに,「六に,四を乗ず」と考えると,6は被乗数で,4は乗数です。これを式で書くと「6×4」で,答を求める九九は(半九九しか教えていないから)「四六,廿四」ということでしょうか。
 現在の算数の考え方とは相当違っていますが,時代が違うから,現在の教え方を基準として昔の教え方を裁断するというのは考えものですが,当時の教え方としても混乱しているとしか思えません。かけ算には交換法則が成り立つから,被乗数・乗数の区別を教えても意味がないという考え方で編集されているとも思えない。この教科書を使ってどう教えたら生徒に納得してもらえるのか……。

 明治5年という年は,和算から洋算への切り替え時でした。文部省は当初,学校の数学は和算という方針で,和算家の高久守静に小学校の教科書『数学書』を作らせました。ところが,4か月ほどで出来上がった『数学書』を使うか使わないうちに,「学制」が発布され,洋算専用・和算全廃となります。この話を知ったときは,高久は,世の中の転変に翻弄された悲劇の人という感じがしたのですが,今回彼が書いたという『数学書』(第1巻~第5巻)を見てみたら,雑すぎて(4か月では無理はないが)使いものにならないと失望した。
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/829296/3
 和算でも幕末には『算法新書』という気合の入った独習書が刊行され,明治になっても版を重ねていたのと比べようもない。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/829145/11
 気の抜けた和算の教科書が採用されなかったのは幸いだったと思う。こういう過渡期に師範学校が明治6年に急遽作成したのが『小学算術書』なのだろうが,少なくとも乗算の巻を見る限り,当時の日本庶民の算数と欧米の種本から要点を取り出したら4つのパターンになったので並べてみました,という印象になる。当然相互に齟齬する箇所が出てくるが,それを止揚しようとした形跡はみられない。でもここから日本の算数教育は始まったし,こういうところからしか始まらないものなのだろう。 


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(ちょうど2年前の1月に書いた2つのアーティクルの改訂版です。5400字超)
 昨年秋,世情穏やかならざる時,宮崎あおいと少女たちが草原に立ち,Nobody is right と歌うテレビCMが話題になった。「争う人は正しさを説く 正しさ故の争いを説く その正しさは気分がいいか」,「寒いだろうね その一生は 軽蔑しか抱けない」と歌詞は続く。
 中島みゆきの2007年の作品です。http://miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba464.shtml
 画面を見ながら,2年前,Nobodyについて考えたことを思い出したが,一昨日の日本数学協会の新春特別講義の後,月例読書会のメンバーに私の疑問を聞いてもらった。

  *

 発端は,野矢茂樹『論理学』(1994年,東京大学出版会)です。
 述語論理の論理的虚偽の例として,次の論理式が挙げられていました。(101頁)
   Fa∧¬∃xFx
 「「∧」と「¬」と「∃」の意味によって,そして「a」や「F」の意味を特定することなく,偽となる」とあります。
 「或る個体aが条件Fを満たすこと」と「条件Fを満たす個体が存在しないこと」とを同時に主張する命題が論理的に虚偽であることは納得できたのですが,では,「a」を‘nothing’とした場合はどうなのだろうと考えてしまったのです。
 中学の英語で,There is nothing in the room. という文を目にしたとき,へぇー,英語って,何も無いことを,「何も無い」がある,と言うんだと感心したことを思い出し,英語でこういう表現があるのなら,記号論理では‘nothing’の概念をどう扱うのか,ということが気になったのです。
‘nothing’(非在の物)について考えることはnothing(無意味)という結論になるにしろ,得るものはnothingではないというか,そういうことを考えてしまう業なわけです。
 西洋の昔話にnobodyが傷つけたという挿話があったことを思い出し,調べたら,ホメロスの『オデュッセイア』でした。
 トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは,部下と共に帰国の海路につきます。しかし,ある島で一つ目の巨人ポリュペモスの洞窟に囚われます。オデュッセウスは,自分の名前は「ウーテイス」(nobody,誰もおらぬ)だと名乗り,姦計でポリュペモスの目を潰します。ポリュペモスの悲鳴を聞いて駆け付けた仲間の巨人たちにポリュペモスが洞窟の中から答えます。『ああ皆の衆,暴力ではなく,企みで俺を殺そうとしている奴はなあ,「誰もおらぬ」(の)だ。』(松平千秋訳,岩波文庫)
 それを聞いて仲間の巨人たちは,『独り住いのお前に暴力をふるった者が誰もおらぬとすれば,大神ゼウスが降す病いは避ける術がない,せいぜい父神ポセイダオンに祈るがよかろう。』と言って去ってしまいます。
 「俺を殺そうとしている奴は誰もおらぬ」の部分は,ある英訳本では次のようになっていました。‘Noman is killing me.’
 「ウーテイス」を‘Nobody’,‘No-one’と訳している本もありました。
 オデュッセウスは「ウーテイス(無人)が私を殺そうとしている」という文が,「誰も私を殺そうとしていない」という意味になる語法をトリックとして利用したわけですが,「名前のトリック」と「巨人(鬼)の眼つぶし」の民話は,ユーラシアから北アフリカに広く分布しているが,名前のトリックでは,名前を「自分自身」とするものが多く,「無人」とするものは,『オデュッセイア』の他には一,二の例しかなく,ホメロスの創案の可能性が高いという説もあります。(楜沢厚生『<無人>の誕生』1989年影書房。ホメロス創案説は,中務哲郎「『オデュッセイア』におけるポリュペモス譚について」西洋古典論集Ⅶ,1990年京都大学西洋古典研究会)ソフィスト(詭弁家)を生むようなギリシア人の論理癖が無人のトリックを生んだというのは納得できる話です。

 「F(x):xが私を殺そうとしている。」という関数は,「私」を巨人ポリュペモスとし,xにオデュッセウスを代入すれば,「F(オデュッセウス):オデュッセウスが私(ポリュペモス)を殺そうとしている。」という命題となり,この命題は「真」です。
オデュッセウスがウーテイス(Nobody)と名乗っても,Nobodyがオデュッセウスという,ある(在る,或る)人物(存在する特定の人物)を指すことが了解されているのなら,
 「F(Nobody): Nobodyが私を殺そうとしている。」という命題も真です。
 しかし,F(Nobody)を,「¬∃xF(x)」の意味で解釈する場合は,F(Nobody)という命題は,起きている事態に対しては虚偽になります。しかし,洞窟に駆け付けた巨人たちは,「Nobodyが私を殺そうとしている」を「誰も私を殺そうとしていない」と解釈したわけです。巨人たちの解釈は,Nobodyの日常言語の使い方としては間違っていない。
 つまり,Fa∧¬∃xFx のaをNobodyとした,F(Nobody)∧¬∃xFx の論理式において,“∧”の左と右は同じ意味になるから矛盾しない,と言いたくなります。
 しかし, Fa∧¬∃xFx という論理式が「論理的虚偽」であることも否定できない。ということは,「a」を‘Nobody’と置き換えてはいけない,つまり,‘Nobody’は「定項a」となる「個体」あるいは「事物」ではない,ということになります。
 検討していただいた結論はそうなりましたし,2年前に私もそう考えもしたのですが,まだ釈然としないものが残るのです。
‘Nobody’は「個体」あるいは「事物」ではない,としたら,‘Nobody’とは何か? 「個体」「事物」とは何か?

  **

 デデキントは,『数とは何か,そして何であるべきか』(初版1888年)の冒頭で,
「事物とは我々の思考の対象と成る全てのものの事とする。事物について話しやすくするために,それらを,記号,たとえばアルファベットで表す事にして,手短に,事物a,あるいは単にaについて述べる事にする。」(渕野昌訳,ちくま学芸文庫)と述べています。
 本文はドイツ語ですから,「事物」の原語は‘Ding’です。英語なら‘thing’でしょうが,どちらにしろ,日本語のように「こと」と「もの」を弁別する語ではないようで,廣松渉を読んで『「物(もの)的世界像」から「事(こと)的世界観」へ』に納得してきた者としては戸惑い(正直に言うと粗雑感)を感じるところです。
 しかし,目下の問題は‘thing’ではなく‘Nobody’の方です。
 自然言語で事物について語るときは,その「事物」は名辞として語られるでしょう。だから,‘Nobody’を「事物」とみなさないということは,‘Nobody’は名辞ではなく否定辞扱いなのでしょう。
 英語では否定表現をするときは,動詞を否定する場合と名詞に否定語を付ける場合とがあるとあります。(『ライトハウス和英辞典』1179頁,研究社1984年)
 漢字では,否定語「不」「非」「無」を付けた語(不良,非才,無人,無責任…)は,物や事を表しているはずですから,英語でも,否定語(no)を付けた語は,事物を表わしていると思ってしまいます。しかし,英語を母語として育った人は,noを付けた語を事物とみることに違和感があるようです。
 ウィトゲンシュタインは,『青色本』の中で次のようにコメントしています。
「『その部屋には誰もいなかった』の代りに,『その部屋には,無人氏がいた』と言う言語を想像してほしい。そのような規約から生じうる哲学的問題を想像してほしい。この言語で育ってきた哲学者の中には,恐らく「無人氏」と「スミス氏」という表現の間の類似性が気にくわぬと感じる人もいよう。」(大森荘蔵訳,『ウィトゲンシュタイン全集6』123頁,大修館書店)
『その部屋には誰もいなかった』の原文は,‘I found nobody in the room.’(1)
『その部屋には,無人氏がいた』の原文は,‘I found Mr Nobody in the room.’(2)
 ウィトゲンシュタインは,(1)の意味で(2)のような表現をする言語を想像し,その中で育った哲学者の抱く,‘Mr Nobody’と‘Mr Smith’の表現の間の類似性への違和感について述べているわけですが,日本語で育った者からみると,‘I didn’t find anybody in the room.’ の意味で(1)の表現をする言語で育ったウィトゲンシュタインに,‘nobody’と‘Mr Smith’の表現の間の類似性に対しては違和感がないのだろうかと,そのことの方に違和感があります。
 しかし,名詞に否定語を付けて否定表現をする英語では,否定語を付けた名詞は,もはや「事物」を表さず,したがって「名辞」ではなく,「否定辞」とされるようです。したがって,否定辞noを付けたnobodyは,命題関数Fxにおいて,「(個体)変項」xの値となる「(個体)定項」ではないことになります。

 ここまでをまとめると,・・・
 論理式「Fa∧¬∃xFx」は,「或る個体aが条件Fを満たすこと」と「条件Fを満たす個体が存在しないこと」とを同時に主張する命題であり,論理的に虚偽である。(野矢茂樹『論理学』101頁参照)
 この論理式の個体定項aをnothingで置き換えることはできない。なぜなら,nothingという語は「否定辞」であり,個体定項になる事物を表す「名辞」ではないからです。しかし,形式上は,nothingは名辞の位置に置かれるから,nothingを,「thingがない事」,「thingでない物」という「事物」(thing)として理解(誤解)する可能性は皆無ではない。
・・・となります。

   ***

 英語版Wikipediaで‘Empty set’を検索したら,最後の「哲学的な論点」Philosophical issuesの項で,nothingの両義性を利用した「人気の三段論法」が紹介されていた。https://www.wikiwand.com/en/Empty_set

 Nothing is better than eternal happiness;
 a ham sandwich is better than nothing;
 therefore, a ham sandwich is better than eternal happiness.

 「永遠の幸福より善きものは皆無である。
  皆無よりハムサンド1個は善きものである。
  ゆえに,永遠の幸福よりハムサンド1個は善きものである。」

 しかし,数分で食べ終わる1個のハムサンドイッチが,永遠に続く幸福より善きものであるわけはないから,この三段論法の結論は誤っている。
 どこで誤りが生じたのか。

 大前提:Nothing is better than eternal happiness. も,
 小前提:A ham sandwich is better than nothing. も,
単独の命題としては正しい。
 誤りが生じた原因は,大前提にあるNothingと小前提にあるnothingを等しいものとして,推移律を適用して結論を導いたことである。
 大前提のNothingは「何も無い」という否定辞であり,事物ではない。
 しかし,小前提のnothingは「何も無いこと」という事物(名辞)である。
 したがって,
N >‘eternal happiness’
‘A ham sandwich’> n,
 しこうして,N≠nなのだから,推移律を適用して,‘A ham sandwich’>‘eternal happiness’を導くのは誤りである。このように,英語の語法からも,「人気の三段論法」の欺瞞を剔抉できるはずである。
 ところが,Wikipediaは,nothingの概念と空集合との関係から,「人気の三段論法」の誤りを解明しようとする。
 大前提は次と同義であるという。
「永遠の幸福より良いすべての事物の集合には要素はない(空集合である)。」
"The set of all things that are better than eternal happiness is Ø."
 小前提は,次と同義であるという。
「ハムサンドイッチの集合は,空集合より良い」
"The set {ham sandwich} is better than the set Ø."

 Wikipediaは,「人気の三段論法」の直前に,空集合はnothingではなく,nothingを要素とする集合であり,集合というものはsomethingである,と述べている。
The empty set is not the same thing as nothing; rather, it is a set with nothing inside it and a set is always something.
 つまり,空集合について次のことを述べているようだ。
(ア) Ø ∋ nothing
(イ) Ø ={nothing}
 日本語で解釈すれば,(ア)は,「空集合の要素は無い」「空集合の要素は無である」ということであり,(イ)は,「空集合は要素が無い集合である」「空集合は要素が無の集合である」となるだろう。
 そして,Wikipediaは「人気の三段論法」の項の最後に次のように述べている。
「大前提は,集合の要素を比べているのであり,小前提は集合自体を比べているのである。」
 つまり,こういうことのようだ。
 大前提:{x|x is better than eternal happiness.} is {nothing}.
      x is nothing.
 小前提:{ham sandwich} is better than {nothing}.

 「人気の三段論法」の欺瞞を英語の語法から剔抉したとき,大前提の主語の位置にあるNothingは「無い」という否定辞だと述べたことは,集合論の観点からは,集合の要素がnothing(無い)ということであり,小前提のnothingは「無いこと」という事物(名辞)だと述べたことは,集合論では,{nothing}という集合(空集合)になるようだ。

 三浦俊彦さんの『論理サバイバル』(2003年,二見書房)にも「NOBODYのパラドクス」(85-87頁)があり,別ヴァージョンの「三段論法」が取り上げられ,上と同趣旨の解説があった。ただし,「否定辞」ではなく「文の否定を作る副詞」,「名辞」ではなく「独立した名詞」という用語が採用されている。
 末尾には『不思議の国のアリス』(作者は周知のようにオックスフォード大学の数学講師)の次の一節が紹介されていた。
Alice: I see nobody on the road.
King : I only wish I had such eyes, to be able to see nobody!

  ****

 以上を踏まえると,冒頭の「“Nobody is right”は真偽が判定できる命題か?」の答えは次のようになるだろう。
 述語論理としては,Nobodyを定項とすると述語論理の体系が矛盾するので,「F(x):X is right.」の「x」に「Nobody」を代入した式は無意味である。(検討いただいた意見をこう理解しました。)
 しかし日常言語としては,“Nobody is right”の一文には意味がある(その場合は,F(Nobody)を「¬∃x F(x)」と解釈するわけです)が,その一文が真偽が判定できる命題か否かは「right」の定義によるだろうし,また真偽が判定できる命題だとしても“Nobody is right”が真か偽かの判断は分かれるでしょう。しかし,以下の聖書の記述からも,“Nobody is right”は真の命題としたい。
 ヨハネ福音書8章によると,姦淫した女性を石打ちの刑に処することを民衆がイエスに迫る。イエスは言う。「汝らの内,罪なき者,先ず石もて女を打て」“Whichever one of you has committed no sin may throw the first stone at her.”イエスが膝まづいて地面になにかを書いている内に民衆はいなくなり,女とイエスが取り残される。イエスが女に問う。“Where are they? Is there no one left to condemn you?”女が答える。“No one,sir.”イエスは自分もまた女を刑に処さないと言う。
 つまり,“There is nobody who has committed no sin.”は真の命題ということになり,“Nobody is right”も真となるでしょう。
 それを受けて中島みゆきは謳う,「正しさは 道具じゃない」。ここで論理が倫理と結びつく。
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 日本で名数・不名数の区別が廃れたように,欧米でもconcrete number,abstract numberの区別は廃れた。(もちろん,今でもこの区別が有効な場合はあるだろうし,それに触れている辞書や本はある。)
 西洋の初等数学教育でこの区別が盛んだった19世紀後半に西洋から数学を輸入した日本では,算術教育はもろにその影響下にあり,高木貞治も教科書に「乗数ハ必ズ不名数ナリ。積ハ被乗数ガ名数ナルトキハ,亦必ズ同種ノ名数ナリ。」と記した。
 もちろん,高木貞治の師の藤沢利喜太郎が『算術条目及教授法』(明治28年)で,数学と算術を区別し,「名数ということは,方便としては,最も適当にして最も簡便なるものなり。故に著者は本邦算術においては断然名数ということを採用し」(156頁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811540/85 )と主張したように,高木自身も便宜的なものとして名数・不名数の区別を採用したのだろう。
『算術条目及教授法』によれば,数学の世界では19世紀後半に,「でできんど,かんとる,わいあしとらす,くろをねつける等諸氏の尽力」で,「量」というような「外物的観念」の補助を借りずに実数の概念が確立し(同書137頁),高木貞治も,「名数に関する計算は不名数の計算に帰着するが故に数学にては不名数のみを取扱うなり」(『数学教科書 師範教育(算術及び代数)』1911年(明治44),8頁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/9
)と述べているように,20世紀の数学は不名数だけの世界となり,度量衡・貨幣・時間などの名数は算術に属すことになった。
 名数・不名数の区別は現実世界では役に立ったが,便宜的なものだからいろいろ疑問が生じてくる。
 たとえば,名数は,数(不名数)に単位が付いたものと定義されるが,林檎や人という個物(分離量)に付く「単位」としては日本語には助数詞があるが,英語には無い。日本語では「りんご5個」とか「2人」と言えば名数になるのだろうが,英語ではどうやって名数にするのだろうと思ったら,“five apples”とか“two men”と言えば名数になるのであった。
 一方,ある種の「単位」は,数に付いてもその数を名数にしないで不名数のままにするものがある。“time”,“unit”などがそれで,日本語では「回,倍,度」,「箇,個,つ」にあたるものだろう。
 上の2点を以下に考察する。
 
 1824年の“Iron”という工業・工学関係の年鑑誌のような本に,2つの名数は同種同単位でなければ加法・減法ができない,という記述があり,例として,“4 apples and 3 plums would neither make 7 apples nor 7 slums, nor 7 units of any assignable kind whatever.”とあった。
(“Iron:An Illustrated Weekly Journal for Iron and Steel Manufacturers, Metallurgists, Mine Proprietors, Engineers, Shipbuilders, Scientists, Capitalists ..., 第 2 巻”118頁)

 4リンゴ+3スモモが,7リンゴにも7スモモにもならないことは分かるが,どんな種類の7個にもならないというのは如何なものか。「リンゴ4個+スモモ3個=果物7個」という式が数学や算数としてはまずいのなら,「リンゴ4個とスモモ3個合わせて果物7個」という言い方は許されるのではないかと思ったら,1895年のCharles Smith“Arithmetic for Schools”の「たし算」の「名数」の項に,「名数は単位が同じときにだけ足すことができる。例えば,3馬(3 horses)と4牛(4 cows)は,7馬(7 horses)にも7牛(7 cows)にもならない。しかし,7動物(7 animals)にはなる。なぜなら,動物とみなすなら単位が同じになるから。」とあって,納得した。
https://archive.org/stream/forscharithmetic00smitrich#page/20/mode/1up
 とはいえ,3 horses+4 cows=7 animals という式はさすがに書いていない。
 3 animals+4 animals=7 animals という式なら許されるということだろう。これは名数の式であり,animalは名数の単位となる。
 一方日本語なら,助数詞「頭」を使い,
  馬3頭+牛4頭=家畜7頭 という式は算術として許されるのだろうか。
 3頭+4頭=7頭 はまったく問題はないが。
 なお,Charles Smithは,明治初めに原本や訳本が日本で教科書に使われたイギリス人だが,藤沢利喜太郎はスミスの代数学の本を訳しておきながら,「彼は数学者ではない。一つの数学上の論文もない。本を書く人だが数学を知らぬ人だ。しかし,善い本から集めたものだから事柄には善いこともある」とクソミソである。(『数学教授法講義筆記 明治32年夏期講習会』1899年,248頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811596/135

 次に,1889年の“A Grammar school arithmetic”(George Albert Wentworth)という本の2頁目に次の一節を見つけた。
concrete


https://archive.org/stream/agrammarschoola10wentgoog#page/n16/mode/1up
「不名数. 4,7,13のように何も付いていない数は,4 units,7 units,13unitsの意味であって,数えられる物の種類や測られる量の単位の種類を特定していないから「不名数」と呼ばれる。不名数は,単位の反復する回数を示しているだけである。」(私訳)
 つまり,ただの数(不名数)はunitの数(個数)を表わしている,と理解していいのだろう。
 ただの数に,その数がどんな物(個物,分離量)やどんな量(度量衡,連続量)のどれだけの大きさであるかを表示する「単位,助数詞」が付いてはじめて,ただの数が名数になるわけだから,「個」や「箇」や「つ」(ひとつ,ふたつ,…)というような一般的に数える助数詞がついただけでは,名数を表わしているとは言えないという理屈なのだろう。
 5apples+2apples=7apples という式は,名数(リンゴの数)のたし算以外の何者でもない。しかし,5units+2units=7units では,5や2や7が何の個数を表わしているかわからないから,不名数のたし算ということになろう。
 だから,日本語の りんご5個+りんご2個=りんご7個 は,名数(リンゴの数)のたし算の式であっても,
 5個+2個=7個 では,何の個数を表わしているかわからないから,不名数のたし算の式ということになるのだろう。この30年間,名数のたし算だとばかりと思っていたが。

“time”については,フランスの教科書を基にして1824年にアメリカで出版された“Elements of Arithmetic”に,次の1節があった。
“A number expressed without designating the kind of units, as when we say three or four, three times, four times,&c., is called an abstract number.”
 つまり,three,fourだけでなく,three times,four timesのように単位の種類を明示しない数は「不名数」と呼ぶ,とある。(Nathaniel Haynes“Elements of Arithmetic, translated from the French of M.Bezout” 2頁
https://archive.org/stream/elementsarithme00hayngoog#page/n14/mode/1up 

 “time”は,単位を数えたり,単位で測る回数を示すだけであり,単位の種類を示さない。また3×4を“three times four”(3倍の4,4の3倍)と読むときには,乗数は3で,乗数は必ず不名数だから,three times(3倍)は名数ではなく不名数である。
 このように,“time”も“unit”も数える物や測る量の種類を特定するものではないから,それが付いた数を名数にしない。

 明治38年から使用された尋常小学校の国定教科書教師用には,本文に載せた不名数の計算問題を名数の問題に変えるために,各頁の欄外に,単位(助数詞)が数個ずつ例示されている。出てきた順で示すと,枚,本,匹,羽,冊,字,人,把,俵,軒,艘,籠,箱,袋,日,銭,度,行,組,列,所,厘,円,時,週,尺,寸,丈,間,坪,斗,升,合,匁,石,年,貫,町,段,畝,となる。
 個物の助数詞から始まり,貨幣単位,時の単位,長さ・面積・容積・重さの度量衡の単位が続いているが,確かに「回」「倍」や「箇」「個」は出てこない。しかし,「個」と同じ意味の「つ」を使った問題が本文中に出てくる。
 「2倍,3倍すること」の頁に,「果10ずつ(原文は「ヅツ」)入りたる籠2にある果は合せて幾つか。」(※)――式も答も書いていないが,式は10×2となり,不名数(被乗数)×不名数(乗数)となるはずだが(それとも,10こ×2 だろうか),答は,「20こ」と答えるのか,「20」と答えるのか? この場合,名数・不名数をどのように考えていたのだろうか? 「籠2」は,「2籠」とあれば名数であることがはっきりするが,かけ算の式は,10×2(あるいは,10こ×2)であって,「×2籠」としない。乗数は必ず不名数だから,乗数に単位が付く名数がくることはないのである。(※『日本教科書大系第13巻』「第一期国定算数教科書 尋常小学算術書(教師用)第一学年」,講談社,13頁)
「度」は「回」と同じ意味で使われることが多いが,「回」はないのに,「度」が頁の欄外に例示されている。例題としては,第一学年の「等分すること」に出てくる「8銭を4度に使うには一度に幾銭ずつ使うべきか。」という問題(※)で,この4度は不名数である。なぜなら,逆算のかけ算にすると,2銭×4度であるから,4度は乗数であり,乗数は必ず不名数だからである。しかし,名数の単位を欄外に掲げていた国定教科書は,度が名数の単位となる場合を考えていたのだろうか?(※同前,14頁)

 明治20年代は,フランス流の「理論流儀算術」が中学校を中心に一世を風靡した。前に挙げた藤沢利喜太郎の『算術条目及教授法』(明治28年)は,理論流儀算術を批判する目的で書かれ,以降,藤沢が時代を制し,明治38年(1905年)からの小学校の国定教科書は藤沢の方針で編纂される。
 理論流儀算術が全盛だった時代の中学校の入学試験や小学校教員検定試験等では次のような問題が出題された。(山田万太郎,松岡文太郎『不名数及名数算術答解軌範(応試及自修用)』明治27年)
「量と数との区別如何。」(茨城県小学校教員検定試験,山口県小学校教員検定試験)
「名数と不名数との区別を記し,且つその例を記せよ。」(東京郵便電信学校入学試験)
「数を論ずるは何故に無名数を便とするや」(山形県小学校教員講習会卒業試験)
「一適例を挙げて量と名数との区別を明かにせよ。」(高等女子師範学校入学試験)
 ちなみに最後の問題のこの本の模範解答は以下のようになる。
「名数は,一量を之と同種の単位と数とを以って顕したるものなり。例えば茲に一條の糸あれば,其の長さは量なり。然るとき若し其の長さを一尺にて割り五つありたりとせば,之を五尺と云う。五尺は名数なり。」http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827805/10

 過去の文献を漁っていると,時代によって算数が変わってきたのがわかり,算数も数学も1つではない,という思いが強くなる。過去はばらばらだった算数も数学も未来の「統一」を目指しているのかもしれないが,数学が一人一人の「情緒」の中にあるのだとしたら,仮に客観的に一つになったとしても,それを解釈する一人一人の中の像は一つになることはないだろうし,その違いが存在することこそが数学という気もする。



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 日本語の文献だけでなく,欧米の文献もインターネットで検索できる便利な時代になったけれど,その数はあまりにも膨大であり,また私は,英語の文献はなんとか読めたとしても,他の言語は無理な上に,見つけた文献の意味や価値を歴史全体の流れの中で確定することは(日本のものなら多少は分かるけれど)雲をつかむような話になる。という次第で,以下は暗中模索の獺祭です。

 David Eugene Smith“History of Mathematics”1925,11頁によると,“concrete number”(以下「名数」),“abstract number”(以下「不名数」)の区別は古代にさかのぼるものではなく,“modern”だとある。
 数学の記法や用語の歴史では,フローリアン・カジョリ(1859-1930)が有名で,『初等数学史』(小倉金之助補訳)等はたびたび参照してきたが,デイビィド・E・スミス(1860-1944)の名は初めて知った。数学史関係の著作の量ではカジョリに負けていないようだ。三上義夫の“A History of Japanese Mathematics”1914の共著者であることも知った。『文化史上より見たる日本の数学』(三上義夫,岩波文庫)の巻末の佐々木力さんの解説によると,「D・E・スミスは米国コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで数学教育の教授を務めた人で,彼の数学史に関する著書も数学教育への関心によって規定されている側面が強い」とある。(298頁)
 そのD・E・スミスが上記書で不名数と名数について次のように述べている。(以下,私訳。誤訳は,小林秀雄『地獄の季節』に倣えば,「水の中に水素があるようにある」かもしれない)――ギリシアでは数学者は「不名数」にのみ関心があり,論理学者は当然にも名数と不名数の区別に関心は払わなかった。近代の初等算数になってこの区別が形成され,小学校においてのみその価値が見出された。「不名数」と「名数」という用語は次第に成長していったが,数学者はその区別を必要とせず,小学校教師にはその区別を標準的なものとするだけの権威が不足していた。16世紀に教科書の執筆者が「純粋な数」と「名称の付いた数」の区別を始め,たとえばTrenchantは1566年に不名数と名数について述べ,名数には「3フィート」(3 feet)だけでなく,「4分の3」(3 fourths)も含めた。それ以来,不名数と名数の区別は初等教育で重要視されていった。積は被乗数と同じ名数である,というような細則は,19世紀の学校が産み出した物である。かくして,1672年にHodderは,「ポンドに20を掛けるとシリングになる」(引用者註:1ポンドは20シリング)と言い,今日では,ほとんどの科学者が「20ポンド×10フィート=200フット・ポンド」という式を認めている。
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n25/mode/2up
 かけ算については,次のように述べている。再び私訳。
「小学校の先生は普通,2フィート×3フィート=6平方フィート のような式に異議を唱える。異議は教育学的には根拠はあるが(引用者注:乗数が不名数でないからか? 1平方フィート×2×3=2平方フィート×3=6平方フィート を正しい式とするようだ。),論理的あるいは歴史的には根拠はない。論理的には,かけ算をいかに定義するかの問題であり,歴史的には,過去から現在に至る厖大な著作の中でこの式は認められてきた。たとえば1120年のSavasordaと1116年のPlato of Tivoliは「線分の長さ」を乗数として認めるように定義を拡張したし,1568年にはBakerが「個数にシリングとペンスを掛ける」と言い,今日こども達の普通の言い方になっている(引用者注:個数×単価 のことか?)。現在の物理学者で,6フィート×10ポンド=60フット・ポンドのような式表現に批判的な者はほとんどいないし,この式はそのうち小学校の算数でも認められるだろう。」
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n118/mode/1up
 わり算の二重性については,次のように述べている。再度私訳。
「(わり算の)上記の定義は,6フィート÷3フィート=2 のケースと,6フィート÷2=3フィートのケースによって説明されるわり算の2つの考え方を区別していない。この区別を最初に完璧になしたのは1526年のRudolffだろう。1545年にStiefelが続き,1556年のTaragliaも説明を与え,それ以降,16世紀と17世紀に多くの書き手達によって,この区別は言及されるようになった。」
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n145/mode/1up

 しかし,デイビィド・E・スミスは,1915年のG・B・Wentworthとの共著“Essentials of Arithmetic”で,19世紀の小学校で盛んになった不名数と名数の区別は,最近は見られないと言う。
「なぜならすべての数は本質的に不名数(abstract)だからです。私たちが名数を,フィート,ヤード,りんご等の単位で表しても,数はやはり不名数です。問題を解くときに単位を明示する習慣は消え去る傾向にあり,生徒は頭の中で単位を考えているだけです。ちょうど事務員が仕事で課題を解決するときにそうしているようにです。例を挙げれば,以下のようになります。(略)オレンジ1個の値段が5¢なら4個のオレンジの値段は4×5で表され,すなわち20¢。オレンジ1個の値段が5¢なら20¢で買えるオレンジの個数は20÷5で表され,すなわちオレンジ4個。(略)学校では,解き方をはっきりさせるため,重要な数に単位を付けます。本書でもその解き方に従います。たとえば,3×325㌦=975㌦ のように,被乗数と積に同じ単位を付けます。」(
https://archive.org/stream/essentialsarith01smitgoog#page/n28/mode/2up 私訳。なお「個」については,後に述べる問題がある。)


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 戦前の「算術」の教科書を見ていると,今とはずいぶん違うことに驚く。たとえば「名数」「不名数」という言葉が出てくる。
 「名数」という言葉を私が初めて聞いたのは,30年近く前,塾で受験算数を教えていた時だった。一人の生徒が解き方の式を書いたノートを持って質問に来た。答の数値は合っているのだが,途中の式が正しいかどうか確かめるために数に単位を付けてみることにした。
「メイスウにするんですね。お父さんが言ってました。」
単位の名が付いた数のことを名数というのかと初めて知った。その子はD大附属中からD大医学部進学が希望だったので(中学には合格した),父親は多分私よりいくらか上の世代の医者で,「名数」という言葉を知っていたのだろう。
 けれどその後,名数という言葉を目にすることはまずなかった。
今回,明治時代からのかけ算・わり算について調べてみて,昔は名数・不名数の区別にうるさかったことを知った。次の文章を見つけた時は,ああ自分は無意識にこういうことをしたのかとわかった。
「もちろん名数に添えた名前は単位を間違えないために,または演算の際意味のない計算を行わないようにするための注意に外ならない」(木村教雄『小学算術教材ノ基礎的研究』昭和11年(1936),121頁)(原文はカタカナ。以下の引用文も同。)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268105/70
 上の文章は次のように続く。「…注意に外ならないのであって,数としての性質に於いては名数も不名数も異なるところはない。」
 この文章からも推測できるように,時代が下ると,名数・不名数の区別はあまりうるさくなくなり,現在ではほぼ死語扱いになっている。しかし,明治時代は以下のようにうるさかったのだ。
    *
 戦前「算術」は,尋常小学校(義務教育。初めは4年制,途中から6年制)だけでなく高等小学校,中学校でも教えられていた。尋常小と高等小の教科書は明治38年(1905)から国定制になったが,中学校の教科書は検定制のままで,大学の有名な先生が執筆をした。東京帝大の教授も,菊池大麓が,寺尾寿が,藤沢利喜太郎が,そして高木貞治が中学校の教科書を書いた。日本の数学教育の基礎をつくる「坂の上の雲」の時代だった。
(司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公の一人秋山好古(陸軍大将)は,晩年故郷松山で私立中の校長となり郷土教育に身を捧げる。このとき幼馴染の数学教師が老年で退職しようとするのを,「この年で俺がやるのだから頼む」と引き留めた(※1)。この教師が渡部政和で,明治23年文部省が全国の中学校の数学教員40名を集めて,菊池大麓が講義を行った際,その優秀さで「数学五天王」と呼ばれた一人だった。生涯菊池への尊敬の念を失わなかったという。夏目漱石が愛媛県尋常中(後,松山中学校)に英語教師として赴任したときの数学教師で『坊っちゃん』の「山嵐」のモデルとなったことが有名です。写真の風貌を見ると,確かに山嵐である。
渡部政和


(※2) 
(根生誠「幕末期生まれの数学教師について 数学五天王の場合」『数学教育研究史』第6号所収 http://jshsme.edu.mie-u.ac.jp/900gakkaishi/backNo/No06.pdf
(※1)『政和先生追想録』1935年,467頁 (※2)同前 写真頁)

さて,高木貞治は『新式算術教科書』(明治44年)で「名数,不名数」について次のように書いている。(他の人の教科書も大同小異なので,今も権威がある高木先生の本を引用した。)
「数と単位とにて,物の多き少きを表せるを名数といい,これに対して,ただの数を不名数ともいう。五冊,四十人,三尺,八升などは名数にて,五,四十,三,八などは不名数なり。」(2頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/7
 「名数,不名数」の区別は,かけ算・わり算で生きてくる。
高木は言う,「乗数は必ず不名数なり。積は被乗数が名数なるときは,また必ず同種の名数なり。」(同上,21頁)「一時間に十二里ずつ行く汽車は,四時間に幾里を行くべきか。」という問題では,「十二里(被乗数)に四(乗数)を掛け,積として四十八里を得たるなり(之を十二里に四時間を掛けたりとは言うべからず)。」(同上同頁)。その理由は,「乗数は必ず不名数」だから,「12里×4」とするのは良いが,「12里×4時間」と「名数4時間」を乗数にしてはいけないということだろう。当時の通則では,かけ算の式は「被乗数×乗数」の順序であった。
 わり算については,高木は次のように書いている。
「掛け算にて 6円×4=24円 なることを知れり。これを逆に考えて,
(1)24円の中には6円が幾つ含まるるか。 答 4  (略)
(2)24円を四つに分つときは,幾円ずつとなるか。 答 6円  (略)
(1)にては,実24円を法6円にて割り,商4を得,
(2)にては,実24円を法4にて割り,商6円を得たるなり。
法が不名数なるときは,商は実と同名なる数(または実も商も共に不名数)なり。
実が名数にて,法が是と同名なる数なるときは,商は不名数なり。」(同上31-32頁)
 わり算の意味をこのように2通りに区別することは,高木だけでなく,この時代の通則であり,教育学者・教師の間では,
 (1)名数÷名数=不名数(24円÷6円=4)のタイプは,「包含除」,
 (2)名数÷不名数=名数(24円÷6=4円)のタイプは,「等分除」
と呼ばれるようになり,「包含除,等分除」の用語は,現在の算数教育界にも引き継がれている。しかし,この用語は日本独特らしい。銀林浩さんによれば,「包含除,等分除」に対応する用語は,ドイツ語にはあるが,英語やフランス語にはないらしい。
「 包含除――Enthaltensein
      ――division by inclusion
  等分除――Das direkte Teilen
       ――division into equal parts 」
 ( 銀林浩『ここが問題 いまの算数教育』1992年,国土社,59頁 )
    *
 名数,不名数の区別も,わり算の2つの意味も,日本では明治になってから西洋から学んだものであった。(江戸時代の和算にはなかったと思う。和算では,被除数のことを「実」,除数を「法」と言ったから,content(実),operator(法)という考え方はあったかもしれないが,その「実,法」という言葉も奈良時代に中国から学んだものだった。)
 「名数」の原語は,“concrete number”(具体数),「不名数」(または無名数)の原語は“abstract number”(抽象数)である。というより,山田昌邦纂訳『英和数学辞書』(1878年)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826187/6 も,藤沢利喜太郎『数学に用いる辞の英和対訳字書』(1889年)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826493/4 も原語にそのような訳語をあてているわけである。
 「名数,不名数」という言葉の初出は,塚本明毅『筆算訓蒙』明治2年(1869)らしい。『筆算訓蒙』は,小倉金之助が,「数学教育上の傑作」で,「明治維新を記念すべき名教科書として第一に推薦したい」と絶賛した本。(小倉金之助『数学教育史』1932年,292頁 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1841456/161 )
「その実数(被乗数:引用者註)は必ず名数にして,法数(乗数:同前)は姑(しばら)くこれを不名数と見て可なり。(その理は比例式に於いて詳らかにすべし,)その得数(積:同前)は必ず実数と類を同じくして即ちその同名数なり。」(『筆算訓蒙』巻一,20丁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827631/25 )
「乗数はしばらく不名数と見て,詳細は比例式で述べる」と言っているのは,『筆算訓蒙』巻三の「正比例」で,「米三十五石にして,その価金二百八十両なる時は,米百五十石の価い幾何なるや」という問題を解くときに,(150×280)÷35という式を立てるから,150石という名数に280両という名数を掛ける場合があることを指している。(参照:須田勝彦「明治初期算術教科書の自然数指導:塚本明毅『筆算訓蒙』を中心にして」14頁 http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13603/1/15_p1-19.pdf )
「名数,不名数」という用語の初出だけでなく,「乗数は不名数なり」「被乗数と積は同名数なり」という命題の本邦初出も,この『筆算訓蒙』と言って良いと思う。
では,塚本明毅に始まり,明治から戦前の日本の算術において重要概念であった「名数/不名数」の,その発祥の地・西洋での在り様はどうであったのか。

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 明治から戦前の小学校・中学校では,かけ算は次のように教えられていました。(用語は必ずしもこの通りではありませんが。)
(1) かけ算の式は,被乗数×乗数=積 と書く。
(2) 被乗数は名数の場合も不名数の場合もあるが,乗数は必ず不名数である。
なぜなら,乗数は被乗数を加え合わす度数(回数)だから。
(不名数とは数字だけの数,名数とは数字に単位を付けた数。)
(3) かけ算の交換法則は不名数同士についてだけ成り立つ。

 したがって,例えば「五銭白銅貨八枚はいく銭か」の答を求める式は,
(ア) 5銭×8=40銭   となります。
 以下の式は間違いとなります。
  (イ) 5銭×8枚=40銭
  (ウ) 8×5銭=40銭
  (エ) 8銭×5=40銭
 その理由は,(イ)(ウ)は,乗数が不名数でないからであり,(エ)は題意にあっていないからです。
 一方,(ア)を不名数の式に変えた次の式は正しい。
  (オ) 5×8=40
  (カ) 8×5=40
 不名数については交換法則が成り立つから,(カ)を間違いとする理由はありません。

 しかし,戦前の教科書や解説書には,上記の「以下の式は間違いとなります。」以下のような記述は見当たりません(少なくとも私は見つけられていません)。印刷物では見当たらないのですが,そのようなやり取りが教室であったか,教師や生徒達がそのように理解していただろうことは,佐藤武『算術新教授法の原理及実際』(大正8年,1919年)355頁~357頁からの次の抜粋からも類推できます。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937844/188
「三.加減乗混合の式の作り方及び計算
例(1)五銭白銅貨を八枚と二十銭銀貨を一枚もっていて,そのうちから五十銭の本をかえばのこりはいく銭か。
   式  5銭×8+20銭-50銭=10銭
 (他の例を省略)
五.更に以上の式をそのまま無名数の式にかえて計算せしむ。
     5×8+20-50=                 
 (後略)    」

 このように名数の式と無名数(不名数)の式の両方を認めています。(明治38年から使用された算術の国定教科書(児童用はなく教師用だけですが)の尋常小学2年21頁~24頁を前アーティクルで紹介しました。)
 明治時代に欧米(19世紀当時)から,かけ算の式は「被乗数×乗数」の順序で書くと教わったとき,日本語の語順(5銭の8枚分,5銭の8倍)から納得しただろうし,被乗数・乗数は交換したって答は同じじゃないかという疑問も,不名数の式については因数をどちらの順序で書いても構わないということで納得したのでしょう。
 少なくとも,現代の小学校のように,8×5=40 と書くと,この世に存在しない8銭銅貨が5枚のことになるから間違いだ,などという難癖は,戦前の学校では付かなかったはずです。

 以上のことを,高木貞治が書いた中学校の算術の教科書で再確認しましょう。
 「一時間に十二里ずつ行く汽車は,四時間に幾里を行くべきか。」という問題を1909年(明治42年)の『広算術教科書』(51,52頁)でも,1911年(明治44年)の『新式算術教科書』(20,21頁)でも,高木は「掛ケ算」の章の最初に載せています。
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/29
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16
 そして次のように解説します。
「12里を四度加え合わせて,48里を得る。(略)
 十二里(被乗数)に四(乗数)を掛け,積として四十八里を得たるなり。(之を十二里に四時間を掛けたりとは言うべからず)
 乗数は必ず不名数なり。積は被乗数が名数なるときは,また必ず同種の名数なり。
(略)12に4を掛けて48となるということを,次の如く書く。
      12×4=48            」『新式算術教科書』(20,21頁)
    
 つまり,正しいかけ算の式は次の(ア)(イ)(ウ)です。
(ア)12里×4=48里
(イ)12×4=48
(ウ)4×12=48   
(不名数について交換法則が成り立つことは,別の箇所で述べています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/33 『広算術教科書』59頁の※註など。)
そして,以下の式は間違いとなります。
  (エ)4×12里=48里
  (オ)12里×4時間=48里
  (カ)4里×12=48里
間違いの理由は,(エ)と(オ)は「乗数は必ず不名数」に違反しているからであり,(カ)は,題意にあっていないからです。

 このように,高木貞治が,乗数は不名数であり「被乗数×乗数」をかけ算の順序としていることには,現在から見ると,不満があります。(欧米では19世紀から20世紀にかけてかけ算の表式の主流は「被乗数×乗数」から「乗数×被乗数」に移っていくわけですが、これについて高木は注視していただろうと思いますが、未詳。12月20日追補)
 また高木は,「割り算の意味を二通りに区別する必要」(いわゆる包含除と等分除)にも触れていますが,それは「被除数が名数なる場合に限る」と記しています。(『広算術教科書』83頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/45
 高木の文中にもある「名数/不名数」(concrete number/abstract number)という概念は,19世紀※西洋の初等数学教育に突然生まれたもののようです。(※初等教育の教科書で一般化したのは19世紀でも,概念自体は16世紀の教科書には生れていて,初等教育で教えられていたということです。:12月21日訂正。)(David Eugene Smith“History of Mathematics”1925,11頁)
https://archive.org/stream/historyofmathema031897mbp#page/n25/mode/2up
 19世紀後半に西洋から数学を輸入した日本は,当然にも当時の西洋のやり方に倣い,高木もそれを採用したのでしょうが,『数学教科書・師範教育(算術及代数)』(1911年,8頁)では,次のように書いています。
「名数に関する計算は不名数の計算に帰着するが故に数学にては不名数のみを取扱うなり。本書にて向後単に数というときには,特別に名数なることを明言せざる限り必ず不名数を指せるものと知るべし。」http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/9
数学では名数は取扱わない,と高木は言っています。では,名数を扱うのはどこなのか。「算術」だという含みがあるのでしょう。
 「算術」とは古風な名前ですが,その内容は江戸時代の和算由来のものではなく,基本は西洋のarithmeticであり,arithmeticの訳語として「算術」が明治15年(1882年)に採用されました。(訳語の決定に至る経緯とその問題点については,佐藤英二『近代日本の数学教育』2006年,東京大学出版会,「第一章「算数学」と「算術」――論争とその帰結」) http://hdl.handle.net/2261/710
 戦前の小学校では算術だけが数学として教えられ,中学校では,算術,代数,幾何,三角法の4科が数学として教えられました。
 小学校の算術の中身は,明治24年の「小学校教則大綱」によれば,
「第五条 算術は日常の計算に習熟せしめ兼ねて思想を精密にし傍ら生業上有益なる知識を与ふるを以って要旨とす。(中略)
 初年より漸く度量衡貨幣及時刻の制を授け之を日常の事物に応用して其の計算に習熟せせしむべし。(後略)」
でした。
 中学校の算術については,明治35年の「中学校教授要旨」に「教授上の注意」として,
「(略)四 算術の例題は成るべく生業上適切なるものを選び歩合算その他日用諸算に関する例題を課するには特に注意してその事項を説明すべし
 五 算術を授くる際法則の理由を充分に理会せしめ難き場合に於いては単にその一端を指摘するに止め直ちに法則その物に移りその厳格なる理由の説明は之を代数に譲るべし
(後略)」
とあります。
 このような小学校・中学校の算術の方向を定めたのは,高木貞治の師の藤沢利喜太郎であり,その言によれば「算術に理論なし」でした。(『算術条目及教授法』明治28年,85頁)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811540/49
(藤沢の主張の意味については,佐藤英二・同上「第三章 藤沢利喜太郎の教育理論の再検討――「算術」と「代数」」http://doi.org/10.11555/kyoiku1932.62.4_348 )
 しかし,このように言いながら藤沢が算術と数学(代数)は全く別のものとは考えていなかったように,弟子の高木もそうは考えていなかったでしょう。同時に,不名数のみを取扱う純粋数学と,数に単位の付いた度量衡貨幣及時刻などの名数を取扱う実用算術との違いも自覚していたでしょう。

 戦前かけ算の順序が問題にならなかったのは,「被乗数×乗数」の順序は算術の話であって,数学の話はまた別だと,学者も世間も思っていたということがあるのでしょう。

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