朝11時、宿に迎えに来てくれたディディエの車に乗って、いろいろ経由ボルドーへ出発。
ディディエの車はたいそう古く、運転席のハンドル周辺や天井が剥き出しだ。
彼は自分で修理をしながら、この車に乗っているらしい。
これでも一応車検はパスしているのだということ。
「来年はさすがに廃車にしないとなあ…」と寂しそうなディディエ。
彼は自分で修理をしながら、この車に乗っているらしい。
これでも一応車検はパスしているのだということ。
「来年はさすがに廃車にしないとなあ…」と寂しそうなディディエ。
ペリグーから一時間ほど走ったところにある、古代遺跡が有名らしい村に到着。
道には土産物屋が立ち並び、さながら軽井沢のような雰囲気。
写真の岩壁にあいている穴が古代の住宅だそうで、左側に小さく写っているのがクロマニョン人の彫刻。
土産物屋にはこのクロマニョン人やマンモス、果てはフォアグラにまつわってであろうガチョウの入ったスノーボールがたくさん売られていた。
道には土産物屋が立ち並び、さながら軽井沢のような雰囲気。
写真の岩壁にあいている穴が古代の住宅だそうで、左側に小さく写っているのがクロマニョン人の彫刻。
土産物屋にはこのクロマニョン人やマンモス、果てはフォアグラにまつわってであろうガチョウの入ったスノーボールがたくさん売られていた。
ディディエはフォアグラを食べたいという私たちのために、わざわざここまで車を走らせてくれた。
彼が連れて行ってくれたのは気取らない雰囲気のカフェレストラン。
「こんな観光地で他の店に入ったらもっと高い値段を払ってひどいものしか出てこないけれども、ここは違う」とのこと。
どうしても飲んでみたかったので、めったに頼まない食前酒にこの地方名産だというくるみのワインを。
なぜだか梅酒を彷彿とさせる、さっぱりしているけれども青味のある味わいだった。
私たちの今日の目的はなんと言おうとフォアグラとセップ茸だったので、フォアグラ・ミキュイ、フォアグラのテリーヌ、セップ茸のオムレツを頂く。
本当はフォアグラのソテーが食べたかったので残念だったけれど、フォアグラのテリーヌがなかなかに美味。
それでも個人的にはディディエが食べていて味見させてくれたカスレが一番美味しかったので、フォアグラに固執せず鴨のコンフィとかの郷土料理を食べればよかったなあといまだに後悔している。
彼が連れて行ってくれたのは気取らない雰囲気のカフェレストラン。
「こんな観光地で他の店に入ったらもっと高い値段を払ってひどいものしか出てこないけれども、ここは違う」とのこと。
どうしても飲んでみたかったので、めったに頼まない食前酒にこの地方名産だというくるみのワインを。
なぜだか梅酒を彷彿とさせる、さっぱりしているけれども青味のある味わいだった。
私たちの今日の目的はなんと言おうとフォアグラとセップ茸だったので、フォアグラ・ミキュイ、フォアグラのテリーヌ、セップ茸のオムレツを頂く。
本当はフォアグラのソテーが食べたかったので残念だったけれど、フォアグラのテリーヌがなかなかに美味。
それでも個人的にはディディエが食べていて味見させてくれたカスレが一番美味しかったので、フォアグラに固執せず鴨のコンフィとかの郷土料理を食べればよかったなあといまだに後悔している。
土産物屋さんで売っていたくるみのワイン。
ほかにもトリュフの食前酒や、様々なナッツの食前酒が。
ディディエは友達の多い人らしく、どこの街に立ち寄っても「ちょっとこっちの店で友達が働いてるから挨拶してくる」となる。
この街の土産物屋さんや本屋さんにも数人の友人が。
私たちが大量の投げ銭(小銭)を持っていて、しかし両替が追いつかずに困っていると知っていた彼は、友人に両替の交渉をしてくれた。
何軒かお願いしているうちに噂を聞きつけた別のお店の人もやって来て、「うちにも寄って行ってちょうだいな!」と言われる。
ちょっとしたわらしべ長者状態。
ほかにもトリュフの食前酒や、様々なナッツの食前酒が。
ディディエは友達の多い人らしく、どこの街に立ち寄っても「ちょっとこっちの店で友達が働いてるから挨拶してくる」となる。
この街の土産物屋さんや本屋さんにも数人の友人が。
私たちが大量の投げ銭(小銭)を持っていて、しかし両替が追いつかずに困っていると知っていた彼は、友人に両替の交渉をしてくれた。
何軒かお願いしているうちに噂を聞きつけた別のお店の人もやって来て、「うちにも寄って行ってちょうだいな!」と言われる。
ちょっとしたわらしべ長者状態。
フォアグラ屋さんで両替をしてもらう村田さん。
この日は日曜日だし、土産物屋さんに来る観光客は大きなお札で買い物をすることが多いらしく、どこのお店の人も喜んで替えてくれる。
「あと一日ここにいてちょうだい!そしたら全部両替できるのに!」とフォアグラ屋さん。
これまでは「どうか両替して頂けませんでしょうか…?」とお願いしながら重い小銭を持って何軒も回るのが常だったので、こんなに喜んでもらえるなんて夢のよう。
この日は日曜日だし、土産物屋さんに来る観光客は大きなお札で買い物をすることが多いらしく、どこのお店の人も喜んで替えてくれる。
「あと一日ここにいてちょうだい!そしたら全部両替できるのに!」とフォアグラ屋さん。
これまでは「どうか両替して頂けませんでしょうか…?」とお願いしながら重い小銭を持って何軒も回るのが常だったので、こんなに喜んでもらえるなんて夢のよう。
ぜひともお言葉に乗りたいところだがそうもいかず、名残惜しく土産物屋さん村を後にする。
道の途中で出会ったフォアグラくん(ガチョウ)たち。
囲いの中をガチョウが走り回り、その横でフォアグラ屋を営んでいるあたりはさすがフランス。
伊達にスーパーで丸剥きにしたウサギを売ってはいない。
食事の後、雨がちらつく中ボルドーと逆方向へ一時間ほど車を走らせてラスコー洞窟へ。
しかし当然と言えば当然、ラスコーの受付には長蛇の列。
雨だし夕方に差し掛かっていたし、せっかく連れてきてもらったが諦めることに。
こんな機会がなければ二度と来ることがないだろうなあラスコー。
車は再びボルドーへ向かう。
囲いの中をガチョウが走り回り、その横でフォアグラ屋を営んでいるあたりはさすがフランス。
伊達にスーパーで丸剥きにしたウサギを売ってはいない。
食事の後、雨がちらつく中ボルドーと逆方向へ一時間ほど車を走らせてラスコー洞窟へ。
しかし当然と言えば当然、ラスコーの受付には長蛇の列。
雨だし夕方に差し掛かっていたし、せっかく連れてきてもらったが諦めることに。
こんな機会がなければ二度と来ることがないだろうなあラスコー。
車は再びボルドーへ向かう。
見渡す限りの葡萄畑の中に、いろいろな形のシャトーがぽつぽつと点在する。
ボルドーのワインはこのシャトーで作られる。
ぜひとも訪問してみたいところだったが、この日はあいにく日曜日でどこも閉まっていた。
ボルドーのワインはこのシャトーで作られる。
ぜひとも訪問してみたいところだったが、この日はあいにく日曜日でどこも閉まっていた。
遠くに見えるのはシャトーではなく鳩の住処。
今は使われていないらしいが、かつては食用の鳩をここで育てていたそうだ。
今は使われていないらしいが、かつては食用の鳩をここで育てていたそうだ。
葡萄畑の中にある、一軒の農家。
貧しい人やアーティストのために開放されている場所らしく、家の鍵はいつでも開いている。
この家でライヴなどのイベントが行われることもあるらしい。
ディディエはここのオーナーと友人で、家を修理したり泊まったりすることがよくあると言う。
貧しい人やアーティストのために開放されている場所らしく、家の鍵はいつでも開いている。
この家でライヴなどのイベントが行われることもあるらしい。
ディディエはここのオーナーと友人で、家を修理したり泊まったりすることがよくあると言う。
車を降りると勢いよく歓迎してくれた二匹のお友達。
茶色い方が特に力加減を知らず、吹っ飛ぶほどの体当たりを繰り返してくる。
茶色い方が特に力加減を知らず、吹っ飛ぶほどの体当たりを繰り返してくる。
庭にはテントが二つ建てられていて、小さな子供ふたりとお母さんが宿泊していた。
もの珍しい訪問者に女の子は興味深々の様子で、視界の端をちょこちょこと歩き回っている。
もの珍しい訪問者に女の子は興味深々の様子で、視界の端をちょこちょこと歩き回っている。
主ですかってくらい大きな鶏。
「僕が知っている限りでは、日本人の訪問者は君たちが初めてだよ」と得意げなディディエは、家の中を見せて回ってくれる。
いろいろなアーティストの香りが至るところに残る場所。
私たちが昨年宿泊させてもらったパリ近郊のレジデンス施設・ラバラクトも、形式は違えど同じように沢山の人の気配が残る場所だった。
フランスには、様々な滞在型の施設があるのだなと思う。
お茶を淹れて一杯だけ飲み、車はまた走り出す。
「僕が知っている限りでは、日本人の訪問者は君たちが初めてだよ」と得意げなディディエは、家の中を見せて回ってくれる。
いろいろなアーティストの香りが至るところに残る場所。
私たちが昨年宿泊させてもらったパリ近郊のレジデンス施設・ラバラクトも、形式は違えど同じように沢山の人の気配が残る場所だった。
フランスには、様々な滞在型の施設があるのだなと思う。
お茶を淹れて一杯だけ飲み、車はまた走り出す。
ディディエの弟夫婦が住んでいるという村を通り抜ける。
ルネサンス時代の門が残る村は、沈みかけた夕日に照らされて悲しくなるくらいに綺麗だった。
ルネサンス時代の門が残る村は、沈みかけた夕日に照らされて悲しくなるくらいに綺麗だった。
助手席に座っていたこともあり、道中私はずっとディディエと喋っている。
初めて会った時に彼は船乗りだと言ったけれども、それは趣味の話らしい。
何でも、かつては12歳以下の子供の教師だったが恐らく教育委員会的なものともめて教壇を去り、それからは金属やプラスティックの特殊な加工技術を学んでそれを生業としているようだ。
彼と話していると、あそこの街のレストランの柵は僕が作った、あそこの家の柱を取り除いて鉄で補強工事をした、という話がたくさん出てくる。
そして来年の末からは、自宅を引き払い自分で作り上げたボートで世界一周の旅に出かけるのだと言う。
「知ってるかい?
ほんのわずかなスペースしかない住処を維持するために、膨大なお金を払い続けて一生を終える人がフランスには沢山いる。
僕はそんなのはまっぴらだ。
住居の代わりに車だけを持って、ヨーロッパを転々としながら季節ごとの仕事でお金を稼いで暮らす若者も最近は増えている。
僕は車の代わりに自分で作った船で旅をしながら、人生の残りを過ごすことに決めたんだ。」
と彼は言う。
今でも、家の修理やなんやと引き換えに友人宅に泊めてもらいながら、各地を行き来して暮らしているそうだ。
「人生で大切なのはお金じゃなくて、人と人との間の知識や経験の交換だと僕は思う。
だから今回君たちがショウによって与えてくれた感動を、僕はこういう形でお返ししたいと思っているんだよ。」とも。
初めて会った時に彼は船乗りだと言ったけれども、それは趣味の話らしい。
何でも、かつては12歳以下の子供の教師だったが恐らく教育委員会的なものともめて教壇を去り、それからは金属やプラスティックの特殊な加工技術を学んでそれを生業としているようだ。
彼と話していると、あそこの街のレストランの柵は僕が作った、あそこの家の柱を取り除いて鉄で補強工事をした、という話がたくさん出てくる。
そして来年の末からは、自宅を引き払い自分で作り上げたボートで世界一周の旅に出かけるのだと言う。
「知ってるかい?
ほんのわずかなスペースしかない住処を維持するために、膨大なお金を払い続けて一生を終える人がフランスには沢山いる。
僕はそんなのはまっぴらだ。
住居の代わりに車だけを持って、ヨーロッパを転々としながら季節ごとの仕事でお金を稼いで暮らす若者も最近は増えている。
僕は車の代わりに自分で作った船で旅をしながら、人生の残りを過ごすことに決めたんだ。」
と彼は言う。
今でも、家の修理やなんやと引き換えに友人宅に泊めてもらいながら、各地を行き来して暮らしているそうだ。
「人生で大切なのはお金じゃなくて、人と人との間の知識や経験の交換だと僕は思う。
だから今回君たちがショウによって与えてくれた感動を、僕はこういう形でお返ししたいと思っているんだよ。」とも。
ボルドーに着いたのはすっかり日が落ちる頃。
暗くなってもディディエは熱心にボルドーの学生街などを案内してくれてから、ようやく宿泊させてもらうアパートに辿り着く。
大型団地にあるその一室は、立派なキッチンと二つの寝室、リビングのある広い部屋で、アジア風の雑貨が部屋中に飾られていた。
部屋の主だという女性の描いた絵や、画集写真集もたくさん並んでいる。
眠らせてもらったベッドの脇には、なぜか沖縄料理の本が置かれていた。
次のリブルヌのフェスまでの間、私たちがボルドーに滞在するのは二日間。
「ボルドーの中心部を見たいかい?アーカッションの海辺にピクニックに行くのもいいね!」とディディエはいろいろ計画を練ってくれていたが、さや香さんが仕事のために持ってきていたwifiのルーターが壊れて毎日電話ショップに行かなくてはならなかったり、私はブログ更新が溜まりすぎていてどうにかしなければならなかったりで、結局何もすることが出来ず。
ディディエは明らかにつまらなそうにしていて、仕方がないけれども申し訳ないなと思う。
ただし一日二回の食事は共にして、私たちが作ったアジア食をいつもきちんと食べてくれていた。
暗くなってもディディエは熱心にボルドーの学生街などを案内してくれてから、ようやく宿泊させてもらうアパートに辿り着く。
大型団地にあるその一室は、立派なキッチンと二つの寝室、リビングのある広い部屋で、アジア風の雑貨が部屋中に飾られていた。
部屋の主だという女性の描いた絵や、画集写真集もたくさん並んでいる。
眠らせてもらったベッドの脇には、なぜか沖縄料理の本が置かれていた。
次のリブルヌのフェスまでの間、私たちがボルドーに滞在するのは二日間。
「ボルドーの中心部を見たいかい?アーカッションの海辺にピクニックに行くのもいいね!」とディディエはいろいろ計画を練ってくれていたが、さや香さんが仕事のために持ってきていたwifiのルーターが壊れて毎日電話ショップに行かなくてはならなかったり、私はブログ更新が溜まりすぎていてどうにかしなければならなかったりで、結局何もすることが出来ず。
ディディエは明らかにつまらなそうにしていて、仕方がないけれども申し訳ないなと思う。
ただし一日二回の食事は共にして、私たちが作ったアジア食をいつもきちんと食べてくれていた。
リヨンで買って大事に取っておいたルーでカレーを作ったまではいいが、米が足りないことに気づき急遽うどんを打って仕上げたカレーうどん。
美味しかったけれどもディディエにとってはかなり素っ頓狂だったことだろう。
美味しかったけれどもディディエにとってはかなり素っ頓狂だったことだろう。
ボルドーのアジアマーケットで買ってきた納豆を試してみるディディエ。
すっごい変わってるよ!きっと無理だよ!と言い聞かせるも、とりあえず試してみたい。
すっごい変わってるよ!きっと無理だよ!と言い聞かせるも、とりあえず試してみたい。
とってもびっくりしたディディエ。
聞いたところによると、フランスには乳製品以外での発酵食品がほとんどないと言う。
ペリグーから車で送ってもらう最中に梅干をあげた時も、そう言えば大層びっくりしていた。
聞いたところによると、フランスには乳製品以外での発酵食品がほとんどないと言う。
ペリグーから車で送ってもらう最中に梅干をあげた時も、そう言えば大層びっくりしていた。
たまには彼にも食べやすいものをと思いクレープを作ろうとしていたら、手出しせずにはいられなかったディディエ。
置き換えて考えてみたら、外国の人がお好み焼きを焼いてくれるみたいなものかしら。
それは黙って見ていられないだろうなあ。
ディディエはクレープを焼くのがとても上手だった。
さすがはフランス人男性。
夕食を食べたあとの時間、ワインを飲みながらいろいろな話をする。
旅の話、ボルドーのワインの話、フランスの保険制度、各地のフェスティバルについて、ディディエの友人の中国人アーティストについて、友人のイタリア人写真家について、彼の家族にまつわるいくつかの話、原発のこと、資本主義のこと。
お互いに不自由な英語で会話をしているせいもあり、折り合わないことは多々ある。
それでも根気強く自分が伝えたい言葉を探し、同じくらいに相手が言おうとしている言葉を探していくこと。
置き換えて考えてみたら、外国の人がお好み焼きを焼いてくれるみたいなものかしら。
それは黙って見ていられないだろうなあ。
ディディエはクレープを焼くのがとても上手だった。
さすがはフランス人男性。
夕食を食べたあとの時間、ワインを飲みながらいろいろな話をする。
旅の話、ボルドーのワインの話、フランスの保険制度、各地のフェスティバルについて、ディディエの友人の中国人アーティストについて、友人のイタリア人写真家について、彼の家族にまつわるいくつかの話、原発のこと、資本主義のこと。
お互いに不自由な英語で会話をしているせいもあり、折り合わないことは多々ある。
それでも根気強く自分が伝えたい言葉を探し、同じくらいに相手が言おうとしている言葉を探していくこと。
それを諦めてしまった時、言葉はどちらかに刺さったままで終わってしまう。
これは決して達者ではない外国語で会話をする上で、この三年間に私が学び取った唯一のルール。
ディディエとは、たくさんたくさん話ができたと思う。
今ある自分の能力の中では、十分に話ができたと思う。
どんな出会いに関してもそうだが、彼が見せてくれたり共有してくれた景色や経験は、あの時ディディエと過ごさなかったら決して手に入らなかったものだ。
彼が繰り返し大切だと言っていたexchangeを、私が感じたように彼もまた感じてくれているといいなと思う。
そして、これから彼が出る旅の先に数え切れないほどあるだろうexchangeが、彼の人生を色とりどりに輝かせますように。
ありがとう、ディディエ。
これは決して達者ではない外国語で会話をする上で、この三年間に私が学び取った唯一のルール。
ディディエとは、たくさんたくさん話ができたと思う。
今ある自分の能力の中では、十分に話ができたと思う。
どんな出会いに関してもそうだが、彼が見せてくれたり共有してくれた景色や経験は、あの時ディディエと過ごさなかったら決して手に入らなかったものだ。
彼が繰り返し大切だと言っていたexchangeを、私が感じたように彼もまた感じてくれているといいなと思う。
そして、これから彼が出る旅の先に数え切れないほどあるだろうexchangeが、彼の人生を色とりどりに輝かせますように。
ありがとう、ディディエ。