幽体離脱が切り開く素晴らしい世界、そしてマンガ体脱という蛇道 Ⅰ、幽体離脱ガイダンスNO2  | ヘミシンクピンポンパン

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ヘミシンクと幽体離脱体験記

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ガイド、つまり高次存在としての我々は幽体離脱を通じてこの事を教えようとしているのです。「そこは夢の世界だよ!」と。だからと言ってこの夢の世界を自由自在に動かせるとか、あるいは逆に夢なんだからと疎かにできるわけではありません。 この世界にもルールがあるからです。しかし一度、体脱によって無数の並行世界が存在するという真にリアルな世界を知ったものは次第に人生を大きく劇的に変えてゆきます。たとえカルマというルールに支配されていようとも挑戦を始めるのです。
(続く)






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Ⅰ、幽体離脱ガイダンス NO2 
《幽体離脱が切り開く素晴らしい世界、そしてマンガ体脱という蛇道
》  

目的と使命を持たない人生は無意味で哀れで儚く悲しいとあなたは言い聞かされてこなかっただろうか。そのためか半ば本能的にそれを求め、人が生きていくための目的と使命と意味を考えてしまう。目的を持たない人生は人に非ずといった言い方までされるのだ。こうした言葉のほうがよほど非人間的な言葉として私には聞こえるが、生きる目的や意味を持つ事を強請させる哲学や思想は人間の影の支配者達によって植え込まれたものにちがいない。

釈尊は射手が弓を引く動作に例えて狙うべき的ではなく、引いている弓矢にこそ全霊を注ぐようにと諭した。人が人に対して目的意識を植え付けるのはトカゲ蛇族の支配の仕組みであり、目的意識の次にはノルマが生まれ、ノルマの次は競争が生まれ、競争はマネージメントを生み、そしてマネージメントは支配そのものだ。

我々が〈社会〉や〈学校〉で経験することがこれだ。日夜、寝ても覚めてもこのシステムの中で生かされ、そしてなんと!!まだこの上に感謝する事を要求されたり、尊敬する事を強要されたりさえする。 それもいたるところで。 それどころか我々は競ってそのシステム、感謝と尊敬を強請、強制、矯正される社会に飛び込んでいきさえする。

これが人が人を支配、管理する社会システム、イルミナであり、レプティリアンたちによるコントロールなのだ。スピリチュアルと呼ばれる世界でも同じことがより純粋で元型的な形で行われる。覚醒と愛をときながら感謝と尊敬とポジティブ、時にはマスターに対する服従と帰依を求められ、金と身体を求められ、右の頬を打たれれば左の頬も出せ、尻を出せ、息子を殺されれば娘も出せと躾けられ洗脳され、最後には魂も奪われる。イヤあなたは進んで自らを捧げる。

社会的義務まで否定はできないかもしれない。 夢の中にさえルールがあり夢のなかでも義務を果たし自由を奪われているのだから。しかしこの世界が人の思いでつくられた夢の中だということに多くの人が気がつけばカルマという思い込みの壁はもう必要ないのだ。幽体離脱は我々が生きるこの世界が夢の中、マトリックスの一つである事を教えてくれる。

仕事に人間関係に行き詰まり、どうにもならなくなったとき、孤独があなたを蝕み、ネガティブな思いが爆発寸前まで来たとき、そして事件と発狂を身近に感じる瞬間が刻一刻と迫りつつある時、その時こそがあなたが本当のあなたを見つけるときなのだ。そこまで自分を追い込んだあなたは間違いなく現代の修行者といえる。それは秘儀参入の資格であり、幽体離脱することを求められている。そのときあなたはプレアデス宇宙の最底辺である枢(クルル)を通してオリオンコスモスへと反転するのだ。あなたの魂に刻印されている五芒星はそのとき六芒星へと転じる。

大乗仏教のマスター達によって邪道と呼ばれる幽体離脱はアセンション・宇宙の大進化が始まった現代には大きな意味を持っている。今こそそれが求められているのだ。 ネガティブこそが幽体離脱の鍵なのだ。明るく楽しく満たされて生きている人々、笑スピに笑ヘミは幽体離脱する理由も必要もない。しかしこのような人々もお戯れの体脱をする。 

それはマンガ幽体離脱みたいなもので、何も学ばずただ宇宙を旅して遊びまわり、そして楽しむ。 人生を変えることもなく、それを望むこともせず、典型的な古典的幽体離脱、つまり享楽を追求し、アストラル界にハーレムを創りあげた古の堕ちた修行者の体脱であり、それはマスター方が邪道と呼んだものと同じなのだ。

このような人々、ルシファーのタマゴはリタイア後の人生を楽しんでいる長者でありすぐれた覚者ともいえる。このような邪道に耽るタマゴにとって宇宙は庭か公園みたいなものであり、本人の自覚がたとえ無くともアストラル界でガイドとして活躍し、多くの人々をトカゲ蛇の道へと導いているのだ。それは枢の底を這いずり回って生きている人達が目指す真実の幽体離脱とは本質的にちがったものだ。

モンロー氏は著作においてたった一行、心に深い苦悩があったとだけ書いている。 そしてこの後、モンロー氏の魂の旅、究極の旅が始まるのだ。深い苦悩の中身について彼はすでに富豪としてやり手のビジネスマンとして地位も名誉も得た有名人であり、モンロー氏はそれに関して書くわけにはいかなかったのだ。蛇道ではなく真実の幽体離脱に向かった秘儀参入者はモンロー氏と同じこの問題、深い心の闇をかかえ、暗黒の深淵を彷徨い、枢を這いずりまわったのだ。

この当時のモンロー氏の苦悩がどのような性質のものであったかわかる人にはわかるだろう。ネガティブな思いの内容を逐一書き連ねる人は幸いにもいない。そんなものは誰も読みたいとは思わないだろう。それは狂気の世界であり経験者なら立ちどころにわかることだがその狂気、苦悩、ネガティブこそが幽体離脱の鍵なのだ。夜の深まりとともにあなたのクンダリニーが振動し、怪奇現象に苛まされ、白昼でさえそれが暴れまわるとき、あなたは幽体離脱することを求められているのだ。

私の体脱のワークはブログのテーマ《幽体離脱》に280件ほど載せている。
《記事一覧》http://ameblo.jp/masato356/themeentrylist-10026786663.html

(続く)
マサト