" THE KILLING FIELDS "
ピューリッツァ賞を受賞した
シドニー・シャンバーグの取材を元にした映画
監督 ローランド・ジョフィ
原作 シドニー・シャンバーグ
音楽 マイク・オールドフィールド
編集 ジム・クラーク
撮影 クリス・メンゲス
出演 サム・ウォーターストン
ハイン・S・ニョール
ジョン・マルコヴィッチ
ジュリアン・サンズ
1884年
フランスがカンボジアを支配
1941年
日本軍がカンボジアに進駐
1945年 3月
日本軍がフランスを駆逐
日本軍の支援でシアヌーク王が独立宣言
1945年 8月
日本敗戦
1945年 10月
ふたたびフランス勢力が復活
1953年
フランスが全権を王国政府に移譲
1960年
ポル・ポトらが"クメール・ルージュ"を結集
1967年
中国の指導でクメール・ルージュが武装闘争開始
ベトナムの戦争は国境を超え カンボジアに広がった
ニューヨーク・タイムズの特派員シドニーが
プノンペンを訪れたのは1973年 8月7日
政府軍とクメール・ルージュの戦いの激化により
ブノンペンは孤立していた
シドニーは二人のアメリカ人記者仲間と
現地の記者兼通訳のディス・プランとで
取材を続ける
1975年 3月
クメール・ルージュの優勢は揺るぎないものとなり
アメリカ軍が撤退を開始
民間アメリカ人も軍のヘリで国外へ脱出
シドニーはプランの家族の亡命の手はずを整える
しかしプラン本人はシドニー等と
取材のためプノンベンに残る
1975年 4月17日
プノンペン陥落
政府軍はクメール・ルージュを歓迎
プノンペンに平和が訪れた
かに思われたが
クメール・ルージュは残虐だった
政府側への処刑が始まり
処刑は知識人、報道関係者にも及んだ
市民は郊外へ逃げ出した
シドニーらはブランの機転により
その当時中立の立場を取っていたフランス大使館に逃げ込む
そしてシドニーら外国人は帰国のめどが立ったが
ブランはカンポジア人であるが為に・・・
ベトナム戦争は有名だが
カンボジアに於いてもほぼ同じ時期に
ほぼ同じ事が起っていた
さらに1975年に政権をとったポル・ポトが
残忍な独裁政治を行なった事が
カンボジアの悲劇だった
ボル・ポト政権が処刑を行なった場所は
キリング・フィールドと呼ばれる
尚、
ポル・ポトが反ソ連政策をとった事を理由に
アメリカはポル・ポトを支持していた
カンボジア人通訳のハイン・S・ニョールは
この映画で助演男優賞を受賞したが
彼は助演と言うよりが主役というべき
音楽は「 エクソシスト 」で有名な
マイク・オールドフィールド
「エクソシスト」では
マイクに無許可で曲を使用したため
彼を激怒させたが
こちらは書き下ろしのオリジナル
1984年 UK映画 135分 製作費1,440万ドル
アカデミー賞 助演男優賞、編集賞、撮影賞受賞
NY批評家協会賞 撮影賞受賞
LA批評家協会賞 撮影賞受賞
ゴールデン・グローブ 助演男優賞受賞
1985年 日本公開