加計を歩く~広島県山県郡安芸太田町加計 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

久しぶりに加計を歩いた。気になっていたことがあったので確認するために来た。それにしても暑い。河鹿橋から見る丁川(よろがわ)も沸騰しているようだ。このあたりは蛍の名所で、江戸時代にも蛍見物ん記述があるのだが、この暑さでは蛍の餌であるカワニナも絶滅しているのではないなおかな。

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加計を中心とする太田庄は厳島神社の神領であり、神領衆の有力者栗栖氏の支配下にあった。栗栖氏が合戦で汚れた鎧を洗ったことから、この川は鎧川とよばれていたがいつしか丁川(よろがわ)と呼ばれるようになった。

加計の町は寛永年間、佐々木久盛、正信親子の鉄山開発により急速に発展した。佐々木親子は銀鉱採掘で得た資本で鉄山開発に着手し、加計本郷に町を作り、「隅屋」を屋号として製鉄業を始めた。製鉄業が藩栄となる幕末まで隅屋は続くのだが、加計佐々木家は、地元の文化、経済の発展に尽力した。ただ、鉄山開発による環境破壊は地元に洪水等の負の側面も生じさせたのは事実である。広島のデルタは鉄山開発により、切り崩された土砂が堆積されたことも一因だと言われている。

加計佐々木家は現在24代目になるが、加計の町の中でその豪邸は威容を誇っている。裏木戸には受け継がれている名跡、加計八右衛門の表札が掲げられていた。

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著名な吉水園は16代目が作った。公開は6月と11月だけなので、今回は外から眺めた

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途中、木炭自動車博物館や昭和の歌謡曲のような名前の公衆電話ボックスがあった。何だかいい。
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常禅寺は江戸時代の寺の様式が残されている。境内には天保の大飢饉の犠牲者の墓や寺子屋の跡等、寺が町に果たしてきた役割がよくわかる。

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今回、加計で確かめたかったのは長尾神社の様式だ。本殿のの春日造りは熊の権現に見られるもので県内随一の珍しい形式だ。正面は入母屋造、背面は切妻造りとなっている。今は銅板葺だがかっては杮葺か檜皮葺だったのだろう。正面が三間、向拝一間の規模も大きく、拝殿の様式は厳島神社、吉備津神社などに見られる形式で、厳島神社との関係の深さを知ることができるのだ。


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今回は、後輩が厳島神社のことを書いた文章を見たとき、かって、長尾神社を訪れた時に彼と同様の違和感を感じたので確認に来たのだ。春日造りの神社が県内に存在していたことを確認できた。

加計の町を歩くのは楽しいのだがこの季節はこたえる。だって、外、誰も歩いていない。今度は
吉水園公開の11月に来よう。

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