いったん止めて考える重さ(浜岡原発) 社説を読み比べ。 | 旅するとんぼ玉~まあちゃんの備忘録。

旅するとんぼ玉~まあちゃんの備忘録。

「日記に書いておこう」的事柄を日々記録しています。

菅首相の浜岡原発全原子炉停止要請に関しての各新聞社の社説の中で、
愛媛新聞の社説が一番心に残りました。

転載しますので、是非読んでください。

浜岡原発に首相要請 いったん止めて考える重さ

 日本の原子力史上、画期的な出来事にちがいない。菅直人首相が中部電力に対し、浜岡原発の全原子炉を一時停止するよう要請した。

 首都圏近郊の静岡県御前崎市にある浜岡原発は、近い将来に高確率で発生するとされる東海地震の想定震源域の真上にある。前々から立地の特異性が問題視され、安全性をめぐる論争が絶えない。

 政府が異例の要請に踏み切ったのも、東京電力の福島第1原発事故を踏まえた地震や津波に対する備えが、浜岡原発の現状では不十分だとの判断からだ。中部電側は受け入れる方向とされるが、夏季に向けた供給力確保の問題もあり、結論を出せずにいる。

 突然の要請は原発に絡むこれまでの合意形成の枠組みから外れており、首相自身も法的根拠を欠くことを認める。政治的パフォーマンスだとの批判があるのも事実だ。

 今回の停止要請が脱原発に道を開くと考えるのも早計かもしれない。仮に停止が実現しても、津波への対処が中心の中長期的対策が整うまでの措置にすぎない。原発推進の旗振り役の経済産業省は、国内の原発に「安全宣言」を出す準備を進めてもいる。

 だが、前提だった「安全神話」は崩れた。国民全体が納得できる「安心」は、一部の専門家任せで進める従前の合意形成では保証されない。

 たとえ浜岡原発が種々の対策を計画していても、防護を施す前に大地震が来る可能性はゼロではない。今、ここで「いったん止めて考える」意味は何よりも重い。

 国内の原発が老朽化時代を迎える中、浜岡原発では1、2号機を廃炉にして6号機を新設するリプレース(置き換え)が計画されている。新規立地が難しいからといって、敷地内で増設を繰り返すリスクを背負うことが賢明といえるか。万が一の時には福島原発のように複数の危機と向き合わなければならなくなる。

 東海地震が起きれば、東南海、南海地震が連動する恐れもある。大地震の危機を抱えるのは浜岡原発だけではないということだ。従来の安全審査の下で運転してきた伊方原発をはじめ、全国で稼働するすべての原発の安全性の見直しは避けて通れない。

 原発が国策であるならば、一国の首相が単なる要請しかできないことの方がむしろ不自然ではないか。福島原発事故の直後、ドイツ政府が旧式原発の一時停止を決め、首相の責任で脱原発の政策転換を発表したのとは対照的だ。

 もはや民主主義の根幹にかかわる問題である。この際、首相の関与や権限を明確にしておくべきだ。福島原発事故は、国の安全基準、審査の手続き、規制組織の正統性を含めた原子力行政のあり方そのものの見直しを迫っている。



ちなみに、(クリックすると記事にリンクします) 
朝日新聞社説 浜岡原発―「危ないなら止める」へ

毎日新聞社説 浜岡停止要請 首相の決断を評価する

読売新聞社説 浜岡原発停止へ 地震と津波対策に万全尽くせ

日本経済新聞社説 浜岡原発停止は丁寧な説明が要る

産経新聞 浜岡停止要請 原発否定につながらぬか

でした。

はーは。なるほどね。( ̄ー ̄)

あなたは、どの社説に共感しますか?