松島国際都市からバスで移動して、仁川市街へ。
なぜに??仁川市に日本近代建築があるのか??不思議に思いつつ。。。
到着して最初の説明「仁川港開港当時は、この標識を基準として、左側(現在道)は海、そして右側からが土地でした。」で、歴史好きの血がイッキに動き出して。。。テンションあがりました。。。だって、100年前は今立ってる場所が、海辺だったなんて。。。おもしろい。。。
そして、この標識の右側には、煉瓦倉庫が立ち並んでて。。。
イメージは、横浜、神戸、函館の感じかなぁ。。。韓国の人は神戸、横浜が好きなのは、韓国に旧居留地がないからなかなぁーと思ってたら、インチョン市にあったぁ。。。ちょっと驚き。
説明で「日本を開港させたのは、アメリカのペリーですが、韓国を開港させたのは??」・・・全然知らない。近いからペリーさんが韓国もついでに開港させたのかと思ってたら。。。韓国を開港させたのは、日本だったんだって。。。あぁー。。。なるほどー。。。古代ローマ帝国のことについては知っててもお隣の国のことは知らないとはちょっと考えさせられる。。。
開港を迫られて、横浜・神戸と同じで、都市部から近いちょっと離れた港ってことで、仁川港が開港に選ばれたみたい。
なので、1900年代初頭から、仁川港が外国船が往来していて、港すぐそばの最高立地には、写真の倉庫。日本の倉庫があって、今もそのまま残っていて中をリノベーションして、ギャラリーになってたり、素敵に使われてた。。。
倉庫の横の道は、100年前の開港時に、境界線で左が中国人街、右側が日本人街だったんだって。。。確かに家の作りや街の雰囲気が道を挟んで全然違う。。。ほんと不思議な感じ。。。
当時は、西洋人は丘の上を好んだから前方の階段をどんどん上がっていった丘の上の方に居留して、右側の平坦なよい土地に日本人、左側の坂の多い土地に中国人が住んでいたそうなぁ。。。
この道を進むと。。。
これも当時の日本人街の建物。。。日本近代建築って感じかよくわかんないけど。。。大学とか公園で見かける建物とそっくり。。。当時は郵便局??(違うかも。。。説明受けてもう忘れた)
大物ホテル跡地。韓国最初のホテルは、日本人が建てたので仁川の日本人街にあって、今はただの空き地。。。仁川・ソウル間の鉄道が開通するまではにぎわってたみたいだけど。。。鉄道が開通すると、仁川は通過点になってしまって、ホテルも廃業してしまったみたい。
大物ホテル跡地をぬけると、「日本近代建築物通り」とい言われる通り。当時は銀行通りだったんだって。港→倉庫→ホテル→銀行。確かに。。。
当時の銀行の建物がそのまま残っていて、こちらも中をリノベーションして今は博物館。
当時は、日本第一銀行。。。
内部も当時のままらしい。。
展示物は、当時の契約書や注文書とか、とにかくいろいろ。
当時の郵便ポスト。日本と一緒だぁ。。。
韓国初の鉄道。仁川~ソウルが韓国初の鉄道で、今も地下鉄1号線と利用されてる。
日本語もたくさん。。。
韓国にはよくある・・・この景色の真ん中に立つと当時の街並みで写真が撮れる。。。場所もあり。
銀行だったから、金庫もあり。金庫もギャラリーに。
なんか日本っぽい建物。中は、お店だったり、事務所みたい。。。
内部の煉瓦は当時のまま。
補強され保存されてます。
朝鮮戦争で焼失してしまった当時の模型たち。。
丘の上に建っていた赤いお屋根の洋館。当時のランドマークだったけれど、朝鮮戦争で焼失。。。
街並みは日本っぽいけど、中は全然普通のお店やcafe。
仁川市中区の区役所の写真がない。。。中区役所は、旧日本領事館だったんだけど。。。大事な写真がないなぁ。。。
日本と仁川って100年以上前から深い関係があるってことを今回初めて知って結構な驚きだったぁ。。。
青い線が、中国人街と日本人街の境界線。黄色い線が、当時の海辺。オレンジ線が、日本近代建築通り。赤い線周辺が中華街。
今回は、雨が急に降り出して、急遽スタッフの方がレインコートを買いに行ってくださって、20人ぐらいが白いレインコートを着込んでの観光だったし、行きたかった自由公園(1%の奇跡のロケ地)にも行けてないので、駅からも近いので、天気のいい日に是非再訪してみたいなぁ。