判断しない=全部肯定する | 自分全肯定!幸せエクササイズ・Luminareo

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スピリチュアルの根本である「幸せ」について考えてみたらこうなった

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瀬野が目指しているのは「今ここで全部OK」ってところです。
今が満足して幸せな感じだったら、願いとか追っかけなくても叶わなくても全然いいんです。

今が満足でも、その後で
あるものごとに対して、嫌と感じたり悲しいと感じたり、
あるいは、いいと感じたり、嬉しくてハイになったり、ってことは起こります。
でもいつでもそれでOKなんです。

嬉しかったら喜べばいいし、悲しかったら泣けばいい。
好きなものは好きだし、ネットや広告見て欲しいと思ったものは欲しいし、
嫌なもの見たら嫌ってなる。
それらを自分で認めていれば、それでOKなんです。

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ちょっと今日の本題からそれるけど、
怒りだとか悲しみだとかの、いわゆる「ネガティブ」って感情について。

瀬野の体感では、「悲しい・泣く=不幸」とは一概には言えなかったです。
表現が難しいけど、「悲しい」と感じることが幸せなことが割とありました。
…なんていうんだろうな。今の自分はみじめで悲しいんだけど、
そういうしみじみとみじめで悲しくいることがその時の幸せ、みたいな感じです。

どっちかというと、「嬉しいこと=幸せ、悲しいこと=不幸」というくくりではなくて
その時感じてる感情をそのまま感じることが幸せっていうのかな。

例えば、瀬野が小学生の時、世間はバブルで「ネアカ至上主義」ってやつでした。
あの頃は、学校もテレビも、嬉しい気分でも何でもなくても、ネアカがいい、
笑うことがいい、ポジティブがいい。だからとにかく笑えって感じでした。
でも瀬野的にはそっちの方がよっぽど不幸でしたよ。

つまり、悲しくなった時っていうのは、本当は自分が悲しくなりたいから悲しいんです。
そういうときは素直に悲しんで泣くのが本当の幸せってことです。

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で、今日の本題。

昨日辺り「判断しない」という文字列にズギュゥゥゥンときた瀬野です。
「判断しない」って、スピ系のうちの開放系ワークやってるとよく目につくフレーズです。

瀬野は最近「全肯定」を心がけているのですが、
「判断しない」って「全肯定」と結果同じことだなと。


あ、全肯定の時に「何とか見方を変えれば嫌じゃなくなるはず」っていうのはNGですよ~。
「嫌だけど、それでいい」ってとらえることですよ。
嫌だと思っててもそれを嫌なまま肯定するんです。
それが今瀬野がやってる「全肯定」です。

嫌だという判断はまず働くけど、でもそれをそのままにしとく訳ですから
結果的としてやってる事は判断しないことなんです。


瀬野は「判断しない」より「全部肯定する」として考える方がやりやすいですね。
自分なりの考えややり方を追っかけてて、一周廻って元にもどりました。

「判断しない」やってるけどうまくいかないよーって方、もしいらっしゃいましたら、
「嫌だと思ったものを、嫌だけど嫌なまんま肯定する」
やってみてください。
セカイの捉え方、変わります。


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