長編小説『遠山響子と胡乱の妖妖』3-1 | るこノ巣

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三 日常を壊すもの


「変な人間が彷徨(うろつ)いてたよ」
 教えてくれたのは、今日のお客さん、小川さん。
 見た目は背の低いおばあちゃんで、この近くで農業をしている。時時、収穫した野菜をくれるのが有り難い。吉田さんの好敵手だ。将棋とかオセロとか色色盤ゲームの。
 今日も、お昼前にやってきて今も尚、勝負は続いている。とは言っても、今は一時休戦でお茶の真っ最中。六月も今日で終わり、蒸し蒸しと暑いので今日のおやつは水羊羹。
「変な人間?」
 問うと、小川さんはずずっとお茶を飲んで頷いた。
「来る時に出会ったんだがね、そこの辻のところだよ。作業服だったかなあ、小汚い色のツナギを着た小僧が二匹。私が見遣ったらコソコソと何処かに行きよったがねえ」
「辻のところに、男二人?」
 何だ? この間も居たぞ、そういう奴。服装こそ、まるで違うけど。
「またか。凝りもせぬ輩がおるものじゃ」
 呆れ顔の杏ちゃん。頷く吉田さん。
 妖達にとって此処は、重要なスポットらしい。色んな妖が結構頻繁に訪れる。それこそ、この小川さんのように世間話や将棋で来る者から人生(妖生?)相談まで色色だ。
 然し、人間達の方はと云えば状況が一転する。
 以前彼女が言った通り、時折このコーポを見てヒソヒソと眉を顰める奴や、妖怪屋敷ーとか喚きながら走っていく餓鬼を見ることが時時あった。近くに住んでいる住人達は、基本的に挨拶を交わす程度の付き合いだ。付き合っていないと言った方が早いと思う。これじゃ、本当に幽霊屋敷みたいなものだ。
でも、あたしはそれでも構わない。気楽なのだ、今の状況の方が。人間と関わっていくよりは、杏ちゃん達と一緒に居たい。
 だからこそ、その男達というのが無性に引っ掛かる。
「どうしたね、トーコちゃん。難しい顔して」
「いや……小川さん、そいつらの表情って、どんな感じだった?」
「ん? 他の人間共と大して変わらんように見えたがねえ」
「そういえば、妙な小童二人組なら、儂も先週見たな」
 一番に羊羹を完食した吉田さんが、思い出したように呟いた。
「確かスーツ姿じゃ。やけに真剣なツラで、帳面に何か書き付けておった。未だ若かったな、トーコ殿くらいじゃろうか」
 あたしが見たのとは、随分違う。でも、違和感はあったのか。
 何なんだ? 何か、引っ掛かる……嫌な予感、とても言うべきか……
「まあ、あまり目に余る者がおれば此方もそれなりの対処をすれば良かろう。トーコ、あまり気に病むでないぞ──もし、お主の嫌な予感が当たったとしても、お主一人に抱えさせる気はないから安心しろ」
 前半は笑顔で、後半は真剣に、杏ちゃんは言ってあたしの肩を叩いた。頷く吉田さんと、場合によっちゃ私もお手伝いするよ、と胸を叩く小川さん。
 とても心強いみんなだけど、どうしてかその予感は、あたしの中から剥がれてくれそうになかった。

 ともあれ、京都の夏は冗談抜きに暑い。確乎り栄養を摂っている筈だけどバテてしまいそうだ。
「今年も、お祭りやるんだよね」
 夕食時、ティルカが振ってきた。
 今日は珍しく、みんな揃っている。だから、と云う訳ではないが今日のメニューは焼き肉だ。各各食べたい分を焼くので、焼き係は発生しない。寧ろ、油断していると自分の分の肉を他の奴に奪われるという状況だ。ちょっとした、戦場。
「そりゃあ勿論、決まっておるよ」
 ふふん、と杏ちゃんが笑った。笑ったついでに箸で鈴原さんの肉を強奪に向かう。ぎゃあ、とか呻きながら応戦する鈴原さん。
「お祭り?」
 あたしの南瓜に伸びてきたティルカの箸を払って聞くと、みんなが大なり小なり頷く。
「今月の月末にね、近くの小学校のグラウンドでやるんだよ。毎年恒例のお祭りなの」
「無論、人間共には見えぬようにしてあるから、思う存分騒げるんじゃ」
「そうそう、普段は中中会えない友達とも会えるし、出店もいっぱいあるよ。ああっオレの鶏腿がっ」
「油断したね。トーコちゃんも勿論、一緒に行こうね」
 うわあお、室井さん意外と攻撃的。
「そうなると、浴衣が要るのう。明日にでも、買いに出るか? 甘いっ」
 此方を見ながら、杏ちゃんは吉田さんの箸を阻止した。吉田さんの小さな舌打ちが笑いをそそる。
「じゃあ、アタシの知ってるお店に行こうよ。今なら浴衣の特設売り場出来てるから」
 大きな牛肉をゲットしてご満悦の鈴原さんが声を上げる。何処にあるの、と聞くと河原町だよ、との答え。河原町……好きなところだけど……人が多いからなあ……
「皆で行けば大丈夫であろう? トーコ」
「あ、そーか。大丈夫よトーコ。アタシが側に付いててあげるから」
 拙いな、変に気を遣わせてる。笑って返したものの、自分でも引き攣ってるのが分かるわ。
 苦手なんだ、人間の多いところは。まあ、みんなが居れば良いか……

                   *

 翌日、本当にあたし達は河原町までやってきた。尤も、実際の面子は杏ちゃん、ロジー、鈴原さん、あたしの四人だけど。あとは仕事だったり人見知りだったり。
 流石、と言うべきか、人が多いのなんの。今日は平日の筈なんだけど、どの通りも人がごった返してて歩くのが大変だわ。特に錦小路の市場は、入る気も起きないほどの人混み。帰りに何か食材を、と思ったが諦めた方が良さそうだ。
 で、鈴原さんお奨めのお店は、姉小路通にあった。こぢんまりしたお店ではあるが、品揃えはとても良い……と、思う。いや、生まれてこの方こういうお店に入ったことがないものだから、品揃えとか善し悪しが分からないんだよね正直。まあ、杏ちゃんも良い品揃えじゃ、って言ったから、そうなんだろうけど。
「これなんてどうじゃ? トーコ」
 似合うと思うぞ、と渡されたのは濃紺の浴衣。裾に入った曼珠沙華の模様が美しい。でも、似合うのか? あたしに。
「わあ、いいですねトーコ。きっと似合うでスよ」
「試着してみて」
 ロジーも鈴原さんもベタ褒め。杏ちゃんはご満悦。そうかなあ、と返してみたが、顔が苦笑いになってるのが分かる。絶対似合うわよホラ早く、と鈴原さんに背中を押されて、試着室に入った。
「……どう?」
 適当に着てみた。ちゃんとした着方は分かんないので、今着てる服の上に羽織っただけなんだが。
 暫しの沈黙の後、誰からともなくおおおお、と感嘆らしき声。
「うむ、見立てに狂いはなかったな」
「矢っ張りお似合いですネー」
「……似合うわあ」
 杏ちゃんとロジーは分かるが、何で鈴原さん、鼻摘んでんの?
「鼻血出そう」
「阿呆」
 ジト目で鈴原さんを見上げる杏ちゃん。苦笑いのロジー。あたしはと云えば、ちょっと凍った。ああ、鈴原さんの好みだけは理解しきれない。
  
結局、みんな一着ずつお買い上げだ。杏ちゃんは黒地に牡丹、鈴原さんは薄いピンクに向日葵、ロジーは紺地に蜻蛉、と云った具合。及び、それぞれに合う帯とか草履とか細細と。
 で、何が吃驚ってこの会計全部を、ロジーが出してしまったこと。すげーとしか、コメントしようがないわ……
 そして、お茶をして帰ることに。場所は、タ○ーズだ。杏ちゃんと、自分もとロジーがブラッドオレンジジュース、鈴原さんはアイスラテ、あたしは念の為ハニーミルクティー。期間限定品だ。別に趣味じゃないけど。
「ふふふ、テレビで観た通りじゃ。美しい色じゃな」
 とっても嬉しそうにコップを眺める杏ちゃん。そして、ストローを突っ込んで一口……その笑顔が凍り付いた。あまりの変貌ぶりに鈴原さんもロジーも注目。
 杏ちゃんはそのまま、小刻みに震えながらテーブルに突っ伏した。
「杏様、すっぱいモノ苦手じゃなかったノ?」
「……よねえ……」
 苦笑いの二人。甘いの頼んでおいて良かった。
「言っておいても良かったんだけどね、多分直に経験しないと納得してくれないと思ったのよ」
 未だ小刻みに震えてる肩を軽く叩いて釈明するあたしに、杏ちゃんは小さな声で替えてくれ、と呻いた。