長編小説『遠山響子と胡乱の妖妖』3-2 | るこノ巣

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隙間の創作集団、ルナティカ商會のブログでございます。

「いいなあ、楽しそうで」
 鈴原さんのお土産話に、ティルカが物凄く残念そうに項垂れた。
 今日の夕飯は流し素麺。ロジーがアキバで買ってきたものの一つで、楕円形に麺がぐるぐる回る代物だ。因みに、室井さんは本日夕飯パス。大事な案件で忙しいらしい。何の、か聞いてはみたけど理解は出来なかった。株って分からなすぎるわ。
「楽しかったわよ? ねえ、杏姉様?」
「……喧しい」
 にやりと杏ちゃんを見遣る鈴原さん。当の杏ちゃんは藪睨みで答える。あのジュースが、よっぽど辛かったんだろう。念の為に甘い物を頼んでおいて良かったわ。
「そ、それより、吉田さんとティルカは浴衣、どうするの?」
 へらりと話の矛先を変える鈴原さん。儂は法被を着るから構わんと吉田さん。オレはいつもの格好の方が良いよとティルカ。正直、浴衣着た妖精ってのは一寸見てみたかったのだが……
「ところでトーコ」
 問いかけてから麺をすするなよロジー。
「もし、気に障ったラ怒ってくれてイーのだけど」
 妙に前置きしてくる。自然と、みんな不思議そうに首を傾げて着目する。
「トーコは、人間が沢山いるトころ嫌いなの?」
 ──お主、真逆妖気が分からんのか?
 杏ちゃんに聞かれたことを思い出した。確か、あの子狐……サツキちゃんだったか、をぶん殴った後で聞かれたんだったっけ。 
 何で思い出したか、は簡単だ。どうせ原因、つーか根本は同じだから。
「嫌い、じゃあないのよ」
 苦手なの、と続ける。
 ハタと見渡せば、みんなキョトン顔。杏ちゃんだけは、分かってるからだろうけど飄飄とした顔つき。ああ、さっき投入した素麺を独り占めした。いいけどね、まだ沢山あるから。
「苦手? そういえばトーコ姉ちゃん、買い物行くと機嫌悪くなるよね。てっきりオレがお菓子買いまくるのが原因だと思ってたけど」
 首を傾げるティルカ。お金があるならお菓子くらい買いまくっても問題ねーの、と前置きしたところで杏ちゃんが、お主は限度というモノがないがな、と付け足す。バツ悪そうな顔で杏ちゃんを一瞥して、再びあたしに注目した。
「あたしはねえ、区別が付かないのよ」
 あの日、杏ちゃんに聞かれた時も、確かそう答えたと思う。よく覚えてないけど。
「区別が付かない、とは?」
「誰が妖で誰が人間か分からないって事」
 吉田さんの問いに、実に単刀直入に答える。杏ちゃん以外が、目を見開く。意味が分からないんだろう、無理もない。
「例えを出そう。ティルカの羽だけど、外にいる時はどうしてるの?」
「お、オレ? えっとね、人間に見えたら面倒だから隠してるよ。妖気で軽くコーティングしておけば、見えないし触ることもできない……そういえば!」
 思い出したのだろう、急に語気が荒くなった。最初に会った時、彼はあたしを只の人間として見ていた。だから、羽は隠していた筈なのだ。
「あたしには、見えてるんだ。鈴原さんの耳と尻尾もそう。今日の買い物の間も確乎り見えてた」
 嘘おっ、と叫んで、鈴原さんは耳や尻尾をぱたぱた触った。今は出しておろうが、と吉田さんに突っ込まれてそーだったわと赤面。
「そりゃあ、元の猫の姿としては見えないけど、最低限元の姿が分かるように見えるのよ」
 何だか回り諄い表現だが、これ以上の説明はあたし自身にも思いつかない。仕方なく杏ちゃんの方を見ると、頷いて杏ちゃんは箸を置いた。
「お主ら、【狐窓(こそう)の目】というものを知っておるか?」
「こそう? 古いお坊さン?」
「狐の窓、じゃ」
 ロジーの問いに杏ちゃんは少し呆れ顔でカタカナに直した。
「世界は、変わるモノ、変わる事象で成り立っておる訳だ。有機無機関係なく、生と死、破壊と創造も全てそう。そして、【狐窓の目】には、その変わる境目が見えるのだ。それ以上の理屈は分からぬ。何がどうなれば、そんな事が可能になるのか未だに解明されておらんのだが、その目の力によって我我妖が使う力が、物理的に害を及ぼすモノ以外、つまり殆ど全てじゃな、それが通用しないのじゃ。そこには妖力も霊感も関係ない。純然たる事実として、存在しているモノや事象なのだ」
 一同、押し並べてポカン。無理もない。説明してる本人が理屈が分からないと言ってるんだから。あたしだってこの間聞かされて、吃驚したもん。何か納得出来たけど。
「……杏殿は、始めからご存じだったのか?」
 ややあって口を開いた吉田さんに、杏ちゃんはいいや、と首を振った。
「先だって訪ねてきた愚かな虚け者が、逆ギレした挙げ句トーコに説教されて帰ったことがあったな。あの時も、あの虚けは剥き出しの殺気を、殺意に充ち満ちた妖気を撒き散らしたのだが、トーコだけは至って平常心じゃった。私達妖であれば、又は僅かでも霊感というモノを持つ人間であれば近づくことを躊躇うような妖気だった訳だが、トーコは全く怯まぬ。それで、気になって聞いてみればその答えじゃ」
 どうやら、そうだったらしい。事実サッパリ分からなかったけどね。
「で、でもでも、トーコ姉ちゃん幽霊見えるんだよね? 霊感が関係ないんだったら、何で見えるの?」
 慌てたようにティルカが問うてくるが、それも目の力じゃと杏ちゃんは即答した。
「生者と死者を分けるのは、精精が肉体の有無くらいじゃろう。その境がなくなれば、其れ等は同じモノとして見える訳じゃ」
 そんなもんだろう。
「じゃあ、何か便利そうね」
 自覚のないまま、自分には強い霊感があると思って霊能者をやり出す者が、時として居るらしい。
「そうでもないな」
 じゃろう、と杏ちゃんはあたしに返してきた。
「……妖は大抵、喜んでくれるのよ。自分と接することができる人間だって。偶に、人間の癖に、とかイチャモン付けてくる奴もいるけどさ。けどね、人間は、そうはいかない」
 一同の顔が、揃って神妙なものに変わる。
 人間の、そういう存在への態度は非常に露骨だ。悲しくなるほどに。
「あたしは、今自分の目の前にいるのが人間なのか違うのか、生きているのかどうかが分からないの。だから、人混みは苦手なのよ。
 まあ幽霊によっては、いる場所や周りの雰囲気から幽霊だと分かることもあるけどね」
 さらりと言ってみたが、みんなの神妙さが取れない。言い出しっぺのロジーなんか、俯いてしまっている。
 流し素麺機のモーターと、流水の音だけが耳に転がり込んでくること暫し。
「……あのねえ」
 だからって、そんな神妙に考えないで欲しいなあ。
「だから、此処で生きてるのが楽しいのよ? みんなして暗い顔されちゃ、楽しくなくなるじゃない」
「そ、そっか」
 最初に、ティルカが笑った。そうだよね、と鈴原さんも続いて、何項垂れてんのよ、とロジーの背中を引っぱたく。ふぎゃああとか悲鳴を上げるロジーに、だらしないのう、と笑う吉田さん。
「そういう事じゃ。化けられる力、占う力、そういったものと同じようにトーコに【狐窓の目】という力がある。それだけの事じゃ。深く思い悩むことはない」
 何処か自信に満ちた笑みでそう言うと、杏ちゃんはごちそうさまと言って席を立った。あらら、何時の間に麺がこんなに減ってたんだ?
「うわ、杏姉様ずるい!」
「いつ食べたのよ!」
「ぬかった……」
「まだ腹一杯違うのニ!」
 悔しがるみんなに、杏ちゃんは仁王立ちで呵呵大笑。
 満腹にはいまいち至らないあたしも、何故か妙に笑いたくなって杏ちゃんに混ざった。
 笑いたい時には、笑っておこう。此処でなら、笑えるのだから。

「これ見て」
 寝る前のこと。室井さんに呼ばれて部屋に行ったあたしに、室井さんはデジカメを見せた。
 因みに、今も部屋には、パソコンからの音楽が流れている。これは確か、上海ア○ス幻樂団ね。ティルカに影響されたのかしら。
 ともあれ、これは門の前、だな。可成り日は落ちてるけど夜には至っていない。部屋の明かりが庭に伸びているからカーテンを閉める前、夕飯の少し前くらいかな。
 男が三人、立っている。一人はカメラらしき物を構えていて、もう一人は手帳のような物に何か書き込んでいる。そしてもう一人は、携帯で喋っているようだ。三人とも、真っ黒なスーツ姿。尤も、表情まではよく分からないのだけど。
「よく、こんな鮮明に撮れたね。しかもバレずに」
「色色、改造してるからね」
 そう言って、室井さんは嬉しそうに小さく笑った。褒めて良いのか?
 にしても、引っ掛かる連中だな。
「お仕事終わって一休みしてたのね、それで外を見た時に気付いたの……どう思う?」
「……気になるね、物凄く」
 人数こそ違う。けど、何か気になる。前に見た二人組と、小川さんの話と、この写真の此奴等……共通点は男、くらいの筈なんだけど。 
 この写真を撮って程なく、三人組は姿を消したそうだ。室井さんは、本当はみんなに知らせようかとも思ったけど、杏ちゃんを始め此処の面子は誰も、例の男達を気にしていないから、あたしだけ別途呼んだのだそうだ。
「調べてみようか、余裕があったら。今ちょっと、大きな山場が来てるから遅くなるかも知れないけど」
「うん……無理しないでね」
 何となく、知りたかった。だから、ほぼ即答。
 知っておいた方がいい気がするのだ。
 此処に居る時は笑っていたい、 
 笑えなくなる?
 そんな気がしてならない。
 そんな嫌な予感を、拭い去りたい。

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