長編小説『遠山響子と胡乱の妖妖』2-3 | るこノ巣

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「で、用は何じゃ」
 厳しい表情のままで杏ちゃんが発した声は、その表情通りに冷たく、鋭かった。
「あ、あの、わたし、山科の方から来ました、さ、サツキと言います」
 恐る恐る発せられる声。そんなに怖いのかなあ、杏ちゃんが。
「杏姉様の威厳はね、アレ程度の妖怪には畏怖になるんだ」
「解説ありがとう室井さん。でも頭乗っけるのは止めて重いから」
 茹でてる間で暇だったのだろうけど、人の肩に頭を乗せるのは頂けない。只、お互い小声で話しているので、サツキちゃんとやらには聞こえていないようだ。杏ちゃんは、気付いたようだけど。頷いたので、入って良いって事だろう。お盆持ったままだから、腕が怠かったのよ。室井さんの頭もお鍋に戻ったので、さっさと仕事を済ませることにする。
「粗茶ですが」
 定番コメント。サツキちゃんとやらの前に、そっと湯飲みを置く。ああ、お茶は煎茶ね。
 おや、こっち見た。結構可愛い顔してる。
「な、なんで!」
「え?」
 サツキちゃん、いきなり吃驚顔になる。否、吃驚と言うよりは、
「何で人間がいるんですか」
 拒絶の表情か。弾けたような勢いで立ち上げって、あたしを差す指は震えてる。久し振りの反応ね。最近は好意的な妖ばかりだったから。
「杏様、どうしてココに人間なんかが……」
「煩瑣い。用件を済ませぬか」
 杏ちゃんが睨み付けると、サツキちゃんは瞬時に泣きそうな顔になって、一度此方をきつく睨み付けてから、また泣きそうな顔になって崩れるように座った。
「それじゃ……」
 サツキちゃんの言い方に何となくムカっ腹が立つんだが、此処はさっさと引いた方が良いだろう。が、
「否、そなたもおってくれ。室井、お主も」
 何故だろう、引き留められた。あたし、居ない方が話がスムーズに進むと思うんだけど。うどん食べてても良い、と聞く室井さんに、あんまりずるずる音立てないならな、と返す杏ちゃん。
 ……なんちゅー様だろう。ピリピリした主と、オドオドした来客。それを見守る、緊張感のない管理人とノンビリうどん食ってる住人。
「あ、あの……それで、この間。住んでたアパートが、壊されちゃったんです」
 最初と同じく、恐る恐るの説明が始まった。
 それまで彼女が住んでいたアパートが、先月急に建て替えになったそうだ。それまでの木造二階建てから、エレベーターもオートロックも完備の二十階建てになるそうだ。今は建築中。それまで、建て替えの話なんか微塵も聞いてなかったので物凄く驚いた、とのこと。
 尤も、サツキちゃんは住人として住んでいた訳ではないそうだ。敷地の隅に、こっそり住んでいたらしい。
 ──自分でお金稼げる力のない人はね、力が付くまで、人間の近くでこっそり暮らしてることもあるの。人間の近くの方が、早く力が付くんだって。
 今朝の、室井さんの言ったことを思い出した。彼女も、そのクチな訳だ。
「山科の木造アパートと云えば、確か悠木荘じゃったかな」
「そ、そう、それです。あそこは庭も此処みたいに土だし、建物からも住人の霊気が染み出てて、だから、凄く住み心地が良かったんです。なのに、建物はコンクリートばっかりになるっていうし、庭は全部アスファルトで埋められるし……ううっ」
 あらら、泣き出しちゃった。でも、杏ちゃんは眉一つ動かさないでいる。それにしても杏ちゃん、よく知ってるのねえ。
「コンクリートやアスファルトみたいなものは、霊気を全然通してくれないからね。彼女みたいに成長中の妖怪には辛い環境になる訳ね。付喪神達が分かり易いかな」
「へええ。そうなんだ。分かり易いわ」
 只長生きするだけじゃ立派な妖怪にはなれないのね。確かに、付喪神は人間に長い間使われ続けて生まれる妖怪だって聞いたことあるし。
「だから、だからわたしっ、もう、行くところがなくって……それで、それで……」
 ごしごしと涙を拭いて、サツキちゃんは杏ちゃんを真っ直ぐに見た。途端、肩が震えた訳なのだが。それでも、彼女は言葉を続けた。
「だから、あの、わたし何でもします! どうかここに住ませてください!」
 土下座までしたサツキちゃんだが、最後はまた、あの甲高い声。ああ、杏ちゃんの眉間が……
「組、町内会、群、党、呼び名は様様じゃ。人間のそれとは随分違うことも多いが、妖怪にもコミュニティというものが存在する。余程の暴徒かろくでなしでない限り、妖怪達はコミュニティに入っている。山科とて、例外ではない」
 静かな口調でそこまで言って、杏ちゃんはまたサツキちゃんを睨み付けた。縮み上がるサツキちゃん。しかし、随分と唐突な話だな……
「お主は入っておらぬのか」
 質問、なんだろうけど。口調は命令以外何にも聞こえないよ。
「は、入ってるけど……でも、いないのと一緒です!」
 今度は、サツキちゃんも語気が荒くなった。
「だって、あいつら、わたしをバカにするんだもん。わたしがまだ力がないからって、無視したりきついこと言ったり……わたし、なんにも悪いことやってないのにっ。だから、いてもいなくても変わらないもん!」
 泣きながらも、叫ぶようにサツキちゃんは主張し続けた。
 けど、さあ……何か、苛苛してきたなあ。
「ねえ室井さ……あれ?」
 頭が居ない。胴体だけが、隣に座ってる。うどんは、食い終わったようだ。水でも飲みに行ったのかな?
「つまりお主は、自身のコミュニティを無視して、此処に来たのだな」
「あんなところ、もういたくないもん! お願いです! 何でもしますから、ここに住ませてください! 庭でも全然いいので!」
 ああ、そういう言い方嫌い。何だよ、全然いいって、訳分かんねーし。
 再び土下座に入るサツキちゃん。その、多分頭の辺りを見ているのだろう杏ちゃんの表情は、最初と殆ど変わっていない、厳しいものだ。
「断る」 
「ええっ!?」
 即決。静かな声音で、一瞬の迷いもなく杏ちゃんは切り捨てた。悲鳴にも近い声がサツキちゃんの口から飛び出す。
「お主のような甘ったれは要らぬ。さっさと己のコミュニティへ帰れ」
「そ、そんなっ!」
 がば、と立ち上がるサツキちゃん。もう泣きまくってて声が上擦ってる。どうして、と叫びながら再び、あたしを指差した。むかつくなあ。おいおい、髭が出てきてんぞ。術が揺らいでるようだな。
「じゃあ何で、こんな人間を置いてるんですか!? 人間なんかを置いておくより、わたしの方がよっぽど役に立ちますよ!?」
「お主を住まわせるくらいなら、便所虫でも飼っていた方がマシじゃ」
 ばっさり。しかし杏ちゃん、便所虫って……あんまりだろうよ……
 でもサツキちゃんは認めないようだ。嘘だ嘘だ、と泣きわめく。おい、そろそろいい加減にしとけよ? 
「彼女は大事な管理人じゃ。そしてそれ以上に……」
「管理なんて、人間なんかのすることじゃないでしょう!? 奴隷とかペットとかならともかく!」
「おいテメエ……」
 ああ、もう我慢できないわ。思わず声上げちゃった。
 直ぐさま、サツキちゃんは睨み付けてきた。おお、愈愈人化が取れてきてる。大した力を持ってないみたいだ。
「お前が、お前がいるから」
 両手を顔の前にやって、力を込めたようだ。でも、何で爪が伸びるかなあ。猫じゃあるまいし。でも、怒りに充ち満ちているのは何となく分かる。仕方ない。片膝を付いて、あたしも立ち上がることにした。
「おい、お主──」
「お前がいるからああああああっ!!」 
 制止しようと杏ちゃんが手を伸ばす前に、サツキちゃんはすうと腰を落とすと──一気に床を蹴った。
「てっ!」
 うん、速いね。瞬きする間もなくサツキちゃんはあたしの側を駆け抜けた。もう少し避けるのが遅かったら、切れていたのは頬じゃなくて首だったかな。
 ああ、避ける、なんて格好のいいことを言ったけど、実際はその場にしゃがみ込んだだけなんだけどね。
 ダイニングの方まで駆けて漸く止まったサツキちゃん。振り返ったその顔は、正に憤怒の塊だ。まるっきり、あたしを殺す気だ。
 オーケー。そっちがその気ならこっちも応えようじゃないか。
「お前さえいなければ、わたしが……」
 再び駆け出すのだろう。腰を落とした。
「歯ぁ食い縛れよ?」
 一応宣言して、右手を強く握り締める。宣言しとくのは大事だと思う。
 サツキちゃんが駆け出し、あたしは右手を、握った拳を突き出し──
「ぶぎゃあっ!?」
 素っ頓狂な声を上げて、サツキちゃんはすっ飛んだ。階段の側に背中から着地。また、小さく悲鳴を上げた。
「な、なな……」
 わたわたと、半身を起こすサツキちゃん。その左側の頬が思い切り腫れている。久久だけど好調だな、あたしの右ストレート。
「調子乗ってんじゃねーぞ糞餓鬼!」
 放ったばかりの拳を握り締めたまま、サツキちゃんを怒鳴りつける。
「黙って聞いてりゃテメエ、大した努力もせずに他のヤツ貶してばっかじゃねーか。それで我が儘抜かして受け入れられなきゃ逆ギレか!? 何様のつもりだ!!」
 怒鳴りながら、サツキちゃんの真ん前まで詰め寄る。あと一歩で、その足を踏めるほど詰め寄っても、サツキちゃんはすっかり縮み上がってるのか小刻みに震えるばかりであたしを見上げている。
「初対面のヤツに罵倒されるのも大概癪に障るけどな、お前の言い方は杏ちゃんを、室井さんや他の【胡乱】のみんなを、あたしをここに呼んでくれたみんなを罵倒したことになるんだ! テメエの不幸だか能なしだかを論(あげつら)ってぴーぴー喚いてる暇があったら、もう少し空気読めってんだ!!」
 びしっと、サツキちゃんを指差す。否、散散指差された仕返しって訳じゃないけどさ、こういう場合はこの方が様になるかなって。
 と、どうも人化を維持出来なくなってしまったのだろう、サツキちゃんは狐の姿になった。
「分かったか? 分かったら返事!」
「は、はいっ」
 狐の姿のまま、へたり込んだままでサツキちゃんは大きく頷いた。ははは、と杏ちゃんの笑う声が響く。
「流石トーコだな。私の言いたいことをすっかり言ってしまうとは」
「思ったことを言っただけなんだけどね」
 そう答えると、杏ちゃんは実に快活に笑った。本当に、杏ちゃんの笑い方は格好いいなあ。
「分かったのなら、早めに戻るが良い子狐」
「で、でも……戻っても……」
 そういや、そのコミュニティが嫌で此処まで来たんだっけ。戻りたくはないか。
「迎えに来てくれる人がいるって」
 おや、室井さんの頭が戻ってきた。玄関先で待ってろってメールがあったよ、と付け加える。何だ、部屋に戻ってたのか。
 うそ、と呟いてまた泣き出しそうな顔になるサツキちゃんに室井さんは、嘘だと思ったら出てみれば、と返す。直後、玄関の呼び鈴が鳴った。
「開いておるぞ」
「失礼致します」
 杏ちゃんの声に応え、戸が静かに開いた。その間に、急いで立ち上がり人化するサツキちゃん。さっきより化け方が荒いようにも見えるが。またしても髭が出てんぞ。
 現れたのは、美人なお姉さんだ。雰囲気的には鈴原さんに近い感じ。でも衣装はバリッとしたスーツだ。このお姉さんも、どうやら狐のよう。
「サツキ……捜したのよ」
 困ったような、でも嬉しそうな顔でお姉さんは言った。サツキちゃんは、驚いた顔で、とても小さな声で何か呟いたようだけど、何て言ったのかは全く聞き取れなかった。
「杏様、皆様にも、大変ご迷惑をお掛け致しました」
 そう言って、深深と頭を下げるお姉さん。
「まあ、そう気にするな。大事ではないよ」
 余裕の表情で杏ちゃんが返す。室井さんはと云うと──あたしの背中にくっついてる。人見知り発動か? サツキちゃんはスルーだったのに。
「ほら、早く行きなよ」
「ひゃあっ」
 ピクリとも動かないサツキちゃんの、肩を軽く押す。悲鳴を上げて蹌踉(よろ)めいて、それでも転びそうな勢いでサツキちゃんはお姉さんの元へ駆けた。そのまま、お姉さんに抱きつく。
「なんじゃ、ハブられとる訳でもなかったんじゃないか」
 笑みを浮かべたまま、小さく杏ちゃんが呟いた。同感だわ。これじゃまるで、ベクトルを間違えた反抗期ね。
「あ、あの……」
 お姉さんにしがみついたまま、サツキちゃんは振り向く。ん? あたし? 目ががっつり合うよ?
「ごめんなさい、人間のおねえちゃん。ありがとうね」
「あ? あたしは何もしてないけど? 早く帰って休みな」
 やめてくれ、そういうのは。照れるだろうが。ふいと視線を逸らして手だけ振る。
 視界の端の方でサツキちゃんが、手を振りながらお姉さんに連れられて出て行くのが見えた。戸が閉まる直前に、もう一度サツキちゃんのありがとう、が聞こえた。
「……何よ、杏ちゃん」
 ああ、視界のメインはニヤニヤしてる杏ちゃんだ。くっそう、読まれてるか。
「ふふふ、いやなに……あ」
 何か言おうとした杏ちゃんの目が、何か捕らえたのだろうか他所へ動く。室井さんの手が離れた。ん? その視線は、あたしの、後ろ?
「トーコかっこいー!」
「ぎゃあああっ!?」
 ああ、またしても間抜けな声。
 鈴原さんが後ろから抱きついてきたのよ。未だ寝てる時間の筈の鈴原さんが。そりゃあもう、階段途中から飛び降りてきたんじゃないかって勢いで。その勢いでダイニングの方へと蹌踉けていくあたし。てか、重いっ! あと揉むな!
「ふにゃ~、かっこよすぎぃ。頬の傷もかっこいー萌えるぅ」
「暑い! 離れてよ鈴原さんっ、つーか揉むな!」
 あっさり嫌だと言われた。しかも……萌えるとか、サラッとろくでもないこと言いやがった。で、何が悔しいって、見た目よりずっと力あるんだよ鈴原さん。ぎっちり抱きすくめられたら抵抗出来ないっての……
「鈴原、起きておったのか?」
「あれだけ金切り声上げるバカがいたら起きるわよお。でも、お陰で素敵なものを拝めたわ」
「ぎゃあっ」
 首筋がぞわっとした。何をされたのか、見えてないけど、想像は出来るけど、だが断る!
「ホントに格好良かったわトーコ。益益惚れちゃう」
「わたし達じゃ、ああはできないものね。それを平然とやってのけるんだから、そこにシビレる、憧れるぅ」
 室井さん、ノリが良すぎ。でもテンションは静か。その台詞回しに違和感を覚えざるを得ない。
「本当に、トーコを迎えて良かったな」
 そう言って、杏ちゃんはそろそろ止めておけ、と鈴原さんの頭を叩いた。あうう、と呟いて漸く、鈴原さんは解放してくれた。あー、暑かった。でも、良かったって、どういうこと?