長編小説『遠山響子と胡乱の妖妖』2-2 | るこノ巣

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隙間の創作集団、ルナティカ商會のブログでございます。

 今日の昼ご飯は、カレーうどんとおにぎり。杏ちゃんと、ティルカが一緒だ。吉田さんはお仕事に出たし、室井さんは朝以外がとても不規則。だから、大概の昼食はこのメンバーだ。
 尤も、室井さんに関しては時折ひょこっと降りてきて食事を摂ったり頼んできたりするので、みんなが好物の麺類だけは、いつも買い置きしてある。

「じゃ、行ってきまーす」
 小さなポーチ一つ持って、ティルカが出勤だ。今日はゲームセンターで、夜まで勤務らしい。もう一つのバイト先が同人ショップ(で、良いのかな)なのだから分かり易い。そう云うバイトなら、あたしもちょっと、したいかも。
「あれ?」
 見れば、見送った玄関口に折りたたみ傘が転がってる。
「ちょっと、ティルカ!」
 思わず声を上げて、あたしは飛び出す。天気予報で今日は昼過ぎから雨だと言ってたのだ。
 幸い、ティルカは未だ門の前に居た。
「トーコ姉ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃねーわよ。傘、忘れてんじゃない」
 さっさと追いついたので傘を手渡すと、ティルカは嫌そうに顔を蹙(しか)めた。
「やだよ、オレ傘嫌いなんだよー」
 天気予報なんて当てにならないしさあ、と面倒臭い気分全開の声で続ける。確かに、彼は折りたたみ傘を仕舞うのがへたくそだ。けど、八〇パーセントなんだよねえ降水確率。
「分かった。じゃあ、今日の晩飯は濡れ鼠で食うんだな? 冷やし中華を予定してんだけど」
「えええええっ?」
 うわあ、絶望的な表情になった。傘一つで、こうも変わるのかアンタは……
「分かったよう。その代わり、錦糸玉子多目にしてね」
「その理屈は分かんねーわ。いってらっしゃい」
「あうう。行ってきまーす」
 最初より、幾分トーンダウンで改めて走り出すティルカ。
 どうなんだろう、多目にしてやるべきか、敢えて無視するべきか……
「ん?」
 変な男が居る。
 斜向かいの、辻の所に二人。
 全体的にだらりとした服装の、二十代前半くらいか。あたしに気付いて、逸らしはしたものの、その視線は、矢っ張りあたしの周辺にあり続けている。
 何て言えばいいのか、二人とも妙な表情だ。真剣そうで、でも些かの嫌悪感を持っているような、それとも困っているような。或いは呆れているような。
「気にせぬ方がいいぞ」
「杏ちゃん」
 何時の間に出てきたのだろうか、杏ちゃんは呆れたような表情をしている。
「トーコほどでなくとも、幾分か霊感のある人間なら、私達や竹林のことに僅かでも勘づく。建物自体や竹林自体を、面白がって肝試しの舞台にする馬鹿者も、毎年僅かながらおる。
 だから、此処を奇異の目で見る者は必ずおるのだ。気分を害してしまうかも知れんが、無視してくれトーコ」
 淡淡とした口調の杏ちゃんだけど──片手は、あたしのエプロンをぎゅう、と握っている。
「平気よ、杏ちゃん」
 その小さな肩を叩いて、あたしはにいと笑ってみせる。杏ちゃんも、笑い返してくれた。可愛いなあ。
「そうそう、テレビが面白い番組を始めたのだ。それを言いに来たのじゃ忘れとった」
「ほう、そりゃあ楽しみだわ」
 そそくさと戻ることにした。
 けど、違うわ。
 あの視線は、そんなんじゃない。
 あたしの知ってる奇異な視線は、もっと、ずっと──不快だ。

 本当に雲行きが怪しくなってきた。とっとと洗濯物の回収に向かう。ハンガーごと、廊下に掛けておこうかな。鈴原さんが未だ寝てるから、なるべく静かにな。
「暑い……」
 それだけの作業だというのに、もう汗が出てきた。京都はゴールデンウイークを過ぎたら夏、と云う表現を小説で読んだことがあるけど、本当ね。そろそろ六月が近いんだけど。
 なので、さっさと冷蔵庫へ。冷やしてある麦茶の美味いこと。
「矢っ張り、髪は切った方が良いのかなあ」
「そのままの方が似合うておるぞ」
 一息ついたところで、杏ちゃんがやってきた。似合ってるなんて言われたことがなかったので、正直照れる。そうかなあ、と呟いた声も顔も、にやけてるのが何となく分かって余計気恥ずかしい。でも杏ちゃんは大きく頷いてくれた。
「ところでトーコ、飲んでみたいものがあるんだが」
 唐突だ。お茶をこよなく愛する杏ちゃんにしては、とても珍しい発言。
「珍しいね、何?」
「ぶらっどおれんじじゅーす」
「へ?」
 ちょっと照れ臭そうに杏ちゃんは言った。ジュースご所望なんてホントに珍しいわ。言い方が何か、カタコトみたいだったけど。
「さっき、テレビでやっておったのだ。飲んだことはあるか? 色が綺麗でな、とても美味そうだったのじゃ」
 何やら弁解みたいな言い回しだけど、本当に飲んでみたいのね。凄く嬉しそうだわ。でも、ブラッドオレンジって確か……
「分かったよ。でも、普通のオレンジジュースみたいにスーパーに売ってたかなあ」
 某喫茶店で飲んだことはあるけど、スーパーで見かけた記憶はないのよね。
 そしたら杏ちゃん、目に見えてシュンとなってしまった。あらら。
「だからさ、喫茶店に行こうよ。確実に置いてるところ、知ってるから」
「本当か?」
 ぱああっと笑顔が戻る。こういうところは、座敷は別としても子どもらしい感じで可愛い。
「ならば早速……」
「杏様あああああっ!」
 割り込んできた、甲高い声。びしいっと杏ちゃんの眉間に皺が寄る。
 更に鳴り響く音。玄関の戸を叩いているのだろう。呼び鈴、あるのに。
「杏様ああっ! いらっしゃいませんかああっ!」
 耳を突く声と止まらないノック音。戸の方を見れば、上半分に当たる磨り硝子の部分に人影がない。それだけ小さいのか。ならまあ、呼び鈴届かないかも。
「何だろ……」
 それでもまあ、来客なんだろう。来客の応対もあたしの仕事だ。今回は何だか、面倒の予感がするんだけどなあ。
 と、思ったら杏ちゃんが手を伸ばしてきた。行くな、てことだろうけど……?
「構わぬ、私が行こう」
 お主はお茶の支度を頼む、そう言う頃にはもう、玄関へと歩き出している杏ちゃん。
「杏姉様がお出迎えする時は、決まって怒ってる時なのよ」
「あれ、室井さん」
 何時、降りてきたのだろう。室井さんが眠たげな表情のまま教えてくれた。ああ、お昼を用意しに来たのかな。
 どうやらそうらしい、一緒に台所に入ってきた。きつねうどんが食べたくて、と冷蔵庫からお目当てのものを取り出していく。
 その間にあたしはお茶の用意。さて、何にしよう。
「普段は杏姉様、居間でお客様を待つでしょう? でも、ああやって周りのこと考えないような輩は大嫌いだからね、杏姉様自身が応対するの」
 場合によっては追い返すんだよ、と湯を沸かしながら室井さんは教えてくれた。だから、初めて此処に来た時にティルカに対して怒ってたのね。あの子、すっげー大声出してたから。
 その間にも、来客らしき誰かは杏ちゃんに連れられて居間へ入ったようだ。一応、追い返しはされなかったんだ。
 ちら、と障子戸の陰から様子を窺(うかが)う。お茶を出すタイミングというのは、ちょいと難しいと思う。
 上座に杏ちゃん。下座に座っているのは、小さな女の子だ。肩を落として、項垂れている。そして、その耳と尻尾の形からして、どうやら彼女は狐らしい。明瞭(ハツキリ)見えてるってことは、隠す必要がないと思ってるのか、隠しきれるだけの力がないのか。