60.病院 | いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

どれくらい突っ伏して泣いていただろう。


多分5分~10分だったと思う。



(あみちゃんに会いに行かなきゃ)



不意にそう思って、体を起こした。



お義母さんに電話を掛けた。



救急車で運ばれて、みんな近くの大学病院にいるとの事だった。



アパートから車で10分くらい。



頭の中は半分パニックになりながら、車を運転して病院に向かった。



(どうして?何で?何で死んじゃったの?

こんなの信じたくない!あみちゃんが死ぬ理由がない!)


頭の中で、ずっとこの考えが頭を駆け巡っていた。


泣きじゃくりながら車を運転した。



今考えたら、あの状態でよく運転できたと思った。



大学病院の駐車場に車を停めて、お義母さんに教えてもらった場所に走った。



足がフワフワして現実味がない。


それでも心のどこかで、あみちゃんが死んだことが信じられずに、まだ蘇生処置をしてくれているんじゃないかと願っていた。



大学病院はとても広い。


教えられた場所までの道のりは、とても長く感じた。


(まだ、きっと処置をしてくれてるに違いない。きっとそうだ。

お義母さんはパニックになってあんな事をいったに違いない。

そうに決まっている!)


病院の長い廊下を走り抜け、ようやく目的の場所に着いた。


受付の人に名前を言うと、すぐとなりの控室を案内された。




控室のドアを思い切って開けた。




部屋の中には、お義母さんとお義父さんが3人掛けの長いソファーに座っている。


机を挟んで向かい側の椅子には警察官が座っていた。




みんな一斉に私の方を見た。



「yoshiちゃん!」


そうお義母さんが言った。



「yoshiちゃん、ここに座って。」


お義父さんが言った。


私はお義父さんとお義母さんの間に、一緒にソファーに掛けた。



「yoshiちゃん、ダメだった。助けてやれんかった。

俺は家にいたのに。俺のせいだ。

気付かなかった。

気付いてやれんかった、、、。」


お義父さんが言った。



私はそれを聞いて、今度こそ確信した。


本当に死んでしまったんだ。



もう泣くことを堪えようがなかった。



私はお義父さんとお義母さんの間で、子供のように泣いた。



「私が、、。私が悪かったの。

今日、パートだったから。

私がパートなんか行かなかったら、、、。家にいたらこんな事にはならなかったのに。」


お義母さんは泣きながら言った。



「yoshiちゃん、ごめんな、、、。本当にごめんな、、、。

yoshiちゃんみたいな良い人とせっかく結婚できたのに、、。

せっかく一緒になれたのに、、、。

yoshiちゃん、本当にごめんな。

許してくれ、、、。」


お義父さんはそう言って、頭を抱えて泣いている私の肩をさすってくれた。



みんなが泣いていた。




しばらくすると正面に座っていた警察官が口を開いた。


「この度は誠にご愁傷さまでした。お悔やみを申し上げます。

お疲れの所、大変申し訳ないですが、これから一緒に現場に行ってもらいます」



病院以外で亡くなった時には、警察が動くことになる。



私は早く妻と対面したかった。



でもすぐに現場検証をしなければならないらしかった。





現場である妻の実家に移動することになった。


お義父さんは案内がてら、警察とパトカーで行った。


私は自分の車で妻の実家へ向かう事になった。


「大変でしょうが、事故に気を付けてゆっくり来て下さい」



車で移動する途中も(どうして?なんで死んじゃったんだ?)という感情がずっと頭を占めていた。

一人になると涙がとめどなく流れる。


実家に向かう時もずっと泣いていた。



妻の実家に着いた。


家の前にパトカーが3台も並んだ。


近所の人は絶対に何かあったと思うだろう。



部屋の明かりや外灯がついていないので、妻の実家の雰囲気もいつもと雰囲気が全く違って見えた。



お義父さんが玄関のドアを開ける。


警官5~6人と一緒に家に入って行った。





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