いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

しばらく「ペタ」を中止したいと思います。


9割以上宣伝目的で、本来の意味をなさないためです。

多い日は100回以上ペタが押されて、本当の意味で押してくれている人が紛れてしまっています。


よろしくお願いします。

NEW !
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「朝日が出てるよ」




土曜日の朝、まだ寝ていた妻に声をかけた。



いつものように寝室のベットから「お姫様だっこ」をして、リビングのソファーまで妻を運んだ。




平日の出勤時間よりは遅めに起きたので、窓から注ぐ朝日の位置も、少しちいさくなっている。





「ここのほうが、よく朝日が当たるよ」



ソファーの位置だと身体の半分くらいしか朝日が当たらないので、窓際の日差しが良く当たっている箇所を指差した。



妻は顔に日焼け止めを塗って、ブランケットを羽織り、窓際に小さくなってじっと座っていた。



以前にも書いた、うつに効くという健康法をずっと実践していた。


http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11893100144.html





私は朝食を手早く済ませ、部屋掃除と洗濯をし始めた。


休日は早めに家事を済ませて、撮りためた映画を観たい。



リビングを掃除する間は、妻にソファーに移ってもらう。



床掃除が終わってトイレ掃除をしていると、知らないうちに妻が後ろに立っていて、私の掃除している所をじっと観察していた。



「どうして見てるの?」


と私が聞くと


「いつもどんな感じでトイレ掃除しているのかな?と思って」

と言った。



妻は多分トイレ掃除は一度もやっていなかったと思われる。


お風呂掃除も大変そうなので、全部私がやっていた。



たぶん障害のせいで、掃除の体勢がキツいんじゃないかと思う。




「いつもありがとうね。本当に感謝してるよ」


そう言ってくれたので


「大丈夫だよ」

と答えた。





午後からは一緒に部屋で映画をみた。



ジェイソン・ステイサムの「パーカー」っていう映画。


昔、メル・ギブソンが主演してた「ペイバック」という映画のリメイク作品だった。




いつも主演映画では無敵に近いジェイソン・ステイサムが、瀕死まで追い込まれるので結構新鮮で面白かった。


ただ恋愛的な要素は一切ないハードボイルドな復讐劇なので、妻の反応はイマイチだった。



でも一緒にゆっくり映画を観て、ああでもない、こうでもないって感想をいうのも久しぶりで、とても楽しかった。




夕食が終わって妻がお風呂に入っている間に、サプライズのクリスマス料理を何にしようか考えていた。



一緒に楽しめるような食事がいいな。



そうだ!チーズフォンデュがいいや。

妻は食欲が落ちてるけど、チーズフォンデュなら、ちょっとずつ食べられるし、楽しいかもしれないし。


それと鶏の骨付きもも肉を買ってきて、オーブンで焼こう。



そう思って、レシピをプリントアウトしてしまっておいた。






私も風呂上がりにソファーでリラックスしてテレビを見ていた。


妻がソファーの横に静かに座った。


二人並んで、ソファーに座った形になった。




妻が、私の肩に頭をもたれ掛けてきて甘えてきた。




何だか付き合い始めた時のような、懐かしい気持になった。



私は妻の頭を優しくなでた。








その夜、二人は愛しあった。




「yoshiちゃん、大好きだよ。」


最後に抱き合った時、妻がそう言ってくれた言葉は、今も私の頭の中にずっと残っている。




「俺も、あみちゃんの事大好きだ。」




そう言って、以前より痩せてしまった妻の背中を抱きしめた。







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今日からは、妻が亡くなるまでの5日間をブログに書いていこうと思う。


うつの症状が和らいで、本当に穏やかに過ごせた日々でもあり、そこから地獄の底まで突き落とされた日でもある。



いままでブログで断片的に書いた事はあるけど、記録に残すために時系列で書いていく。













子供の話をした日から数日後、、、。



妻が少しずつ元気になっているような感じがした。



スマホは相変わらず触ってばかりいるけど、小刻みな震えはなく、前よりよく会話するようになった。



夕食の後、テレビを見ながら他愛もない会話も出来るようになり、本当に嬉しかった。




これはようやく薬が効いてきたのかな?


医者も効いてくるのに早くても一ヶ月くらいかかると言っていたし。





家事を終え、私がソファーでくつろいでいると、妻が言った。


「なんか、こんな気持ちでクリスマスとか年末年始を迎えたくないなー。」



そう言うと、「う~ん。バタッ!」と言って、私の太ももの上に頭を乗せて甘えてきた。




「まあ、今年はしょうがないね。でもここのところ前より調子いいよね?


整体の先生に借りた本にも載ってたよね。

服用後一ヶ月くらいで効き始めるって。


ようやく薬が効き始めたんじゃない?」


私は妻の柔らかい髪を撫でながら言った。




妻が整体の先生に借りた鬱の本に、「回復を表すグラフ」があって、横軸に経過時間、縦軸に回復度が書いてあった。


そのグラフを見せながら、「今きっとこの辺だよ」といって、回復の第一段階あたりを指で指した。





もう年末か、、、。


妻は嫌だと言っていたけど、私は連休で一緒に過ごせる時間が増えるから、早く休みになってほしいと思っていた。



クリスマスか。



まだ一緒に外食に行くのは難しいかな。




そうだ!家でちょっとパーティーっぽくして、簡単なクリスマスディナーみたいなものを作ろう。


実家に一人暮らししてた時の小さいクリスマスツリーがあったっけ。


あれも持ってこよう。



あみちゃんには内緒で進めよう。

久しぶりのサプライズだ。





「この所ちゃんと寝れてる?」

調子がよさそうだったので、試しに聞いてみた。



「うん、前よりはちゃんと寝れるようになったよ」



「本当!じゃあ、今日から一緒に寝ていい?ダメだったらまた別々に寝ればいいから」


「うん、いいよ」





マジか!やった!

一人で寝るのは寂しかったので、この言葉は本当に嬉しかった。


多分妻も寂しかったんだと思う。



いいよ。と言ったときは妻も嬉しそうだった。




その日は2ヶ月振りくらいに、一緒に眠れた。



妻が隣に寝ていられるって、とても安心できると思った。






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妻と一緒に心療内科に行ってから、一か月とちょっと過ぎた。



ずっと妻を見てきたが、調子の悪い時とそうでもない時が、何となくわかるようになってきた。



調子が「まし」な時は、まだテレビを見ていても時々喋っていられる。



調子が悪い時は、じっと膝を抱えて小刻みに震えている。





3日程前に心療内科から処方される薬が変わった。



今までの薬は、その病院でも妻を含め3人しか処方されていなかったらしい。



一般的に処方されている薬に変わったと言っていた。



薬が変わる時は、副作用で落ち込むことがあるらしい。



妻は今までないほど激しく落ち込んでいた。





私が仕事を終えて帰ってきたら、リビングにじっと座って、毛布にくるまって小刻みに震えていた。


一緒に食事をしていても、一言も喋らず、眉間にしわをよせて溜息ばかりついていた。



家事を全て終えて、私がテレビを見てくつろいでいると妻が話しかけてきた。


「こないだの食事会は楽しかったの?」



3日前に私の実家の食事会に行った時の事を聞かれた。


母から兄弟夫婦がみんな集まって食事会をするから、来るかどうか聞かれていた。



妻の事があるので最初は断ったが、よく考えたら母の誕生日だという事を思い出した。



妻は実家で泊り、私だけ行ってきた。



「うん、楽しかったよ。一番下の弟の子が来ててね。ちょうど一歳になったけど、すごい人懐っこいよ。

全然泣かなくて、顔見るとニコニコ笑ってくれるんだ。可愛いかったよ。」




子供の話題を聞いたからだろうか。


妻はしばらく考え込んだ顔をして、口を開いた。

「yoshiちゃん。ずっと聞くのが怖かったんだけど、私が子供いらないって言ったらどうする?」




この言葉は本当にショックだった。


ずっと妻との子供がほしいと思ってきた。



だから反射的に言葉に出てしまった。

二度と取り消せない言葉を、、、。


「挑戦してダメならしょうがないけど、挑戦もしないなら、その時はどうなるか分からない」



「分からないって、どういう意味?」

妻が聞いた。



しまった!俺何を言ってんだ。

こんな落ち込んだ状態なのに。元気づけなきゃいけないのに、、、。



「もちろん今すぐって意味じゃないよ。今の状態じゃ無理なのはわかってるよ。

でも何年か後には挑戦はしてみたい。

でも今は治る事だけを考えてほしい。」


そういって言葉を濁した。





「もう(子供の事は)大丈夫だよ、って言ってほしかったな、、、。」


妻は悲しそうな顔でそう言った。


消え入りそうな小さな声だったけど、私にははっきり聞こえた。





この言葉は一生忘れない。


そして私が発した言葉も、、。



この私が言った言葉が、彼女を殺してしまったのだと今も考える。



なぜなら、この10日後に妻は自死してしまうのだから、、、、、。







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それからは仕事の合間に手帳を見て、利他の原則・運命についてずっと考えていた。



運命か、、、、。




親父が商売をしている家に生まれたのも運命かもと、あの社長は言ってたな。



親父と弟から頼まれて、11年勤めたサラリーマンを辞めて家業を手伝ったのも運命かな?



昔付き合った彼女がうつになり、今は妻がうつになった。


これは、俺にうつになったパートナーを救えという事なのか?




利他の原則か。


純粋に私心がなく、人の為にできる事業や仕事なんてあるのか、、、、。





運命か、、、。


待てよ、、、。




妻はなぜ身体に障害があるのに、さらに鬱にもなって苦しまなきゃならないんだろう、、。


根底には障害があるんじゃないか?





妻と付き合ってから、俺は何をしてきたっけ?


障害を持った妻を喜ばせたいと思って、一人じゃいけない所に色々二人で行ったよな。


身体に障害があったら見れない景色や、体験したかった事、二人でいろいろ挑戦した。



そこに私心なんてあったか?


そんなの無かった。



ただ彼女の喜ぶ姿を見たかっただけだ。




障害による不便や苦労を少しでも楽にできるものを提供できれば。


また出来なかったことを、できるようにしてあげられたら。



そんな仕事ができたら、自分も嬉しいと思う。



それに不便な事、できなかったことは妻が一番分かってる。


今の会社には妻の居場所はない。




だけど、それを仕事にできたら妻と一緒にやっていける。




できれば同じか、類似した障害を持った方達を従業員として、仕事をしたい。


ボランティアではダメだ。



そうすることにより、色々なニーズを吸収し、彼らと利益を共有することができ皆が幸せになれる。

この考えには私心は無い。

純粋にそうしたいとも思う。


幸い今の仕事は製造業だ。


試作開発の仕事なので、すんなりと入っていけるのではないか?





妻の居場所を作るんだ。






私の中の「利他の原則」の答えが見つかった。



それからすぐ図書館に行って、補装具や福祉機器、福祉医療関係の本を借りて勉強し始めた。



福祉機器大手の会社の人の講演会にも申込みをした。




これまで家業とは言え、生活のために仕事をしてきた。


これからは違う。

考え抜いた末、出した答えも業務の一つとしてやっていく。

自分のためじゃない。障害を持った方の喜ぶ顔が見たい。


なにより妻と作り上げたい。一緒に幸せを作り上げる。



そう思うと、とても前向きになれた。






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会社を毎日定時で帰り、家事一切を自分で回していた頃。


前期は大幅な黒字決算だったものの、今期は大幅な赤字を計上した。


リーマンショックの流れで、売上の5割を占めていた親会社から取引を打ち切られ、必死に営業活動をして大手取引を再開して売り上げは回復していた。


ただ仕事の単価が大きな案件のため、仕事が取れた年と、取れない年の差がとてつもなく開きがある。



ほとんどマグロの一本釣りに近いような経営で、かつての安定とは程遠い。


これを解消すべく、新規営業のほかに成功している同業他社の会社を訪問して勉強をしようと思った。



父である社長は「今さら」という感じなので、私一人ですることにした。



うちの会社と全くの同業というのはあまりないので、近いと思われる会社を調べて電話をする。


その会社の社長に電話を繋いでもらい「勉強させてほしい」と伝え、話を聞きに行く。




友人であるコンサルには「そういう時はフルチ○でいったほうがいい」

と言われていた。


ここでいう「フルチ○」とは、経営的な数字、社員や自分の給料まで洗いざらい見せるという事だった。


全てをさらけ出せば、初対面の向こうも話に乗ってくれるというわけだ。




そうやって何件かの会社とアポを取り、商圏が重ならないように県外の会社に出かけ、色々な会社の社長達の話を聞いた。


こちらも全てを見せるが、聞くことはずけずけ聞いた。

何かヒントになりそうなことを聞き出すために、、、。


それで真似できそうなことは、すぐに取り入れた。




でも他の会社の回れば回るほど、自分の会社は一体何のために仕事をしているのか?

そう言う考えに陥った。


父はその昔、食べていくために当時給料の良かった木型職人に弟子入りして自分の会社を興した。


バブル崩壊で一度倒産してからは、不況に強い商社スタイルで会社を新たに興し今に至る。



元々は食べていくため。

それ故に、言われれば何でも引き受ける。

仕事の幅が広すぎて、「これ」といった強みが感じられない。


今の会社を一言でいうと、そんな感じ。


うちみたいな10人足らずの零細企業こそ、ブランディングに力を入れないと、価格競争に巻き込まれるのではないか?


そう言う思いが強くなった。




そして、ある社長に会いに行った時、、、、。


その会社は100人くらいの規模だけど、日経ア○シエにも「成長企業」として業種別ナンバー1として掲載されている元気のある会社だった。



いつもの通りこちらの腹をすべて見せ、その社長の経営に対する考えを聞いた。


社長はこう言った。

「私は創業してしばらく、会社を大きくすることしか頭になかったです。でもいつしか、それでいいのか?という考えに至りました。


でもその時読んだ稲盛和夫氏の「生き方」という本を読み、深い感銘を受けました。

利他の原則というのがあり、己の利益ばかり考えず、その仕事は他の人達の利益を考えているか?

そういう考え方です。


また少し宗教じみているけど、宇宙の真理や運命を感じながら仕事の意味を考えます。これも稲盛さんがおっしゃっていることです。


yoshiさんは何のために仕事をしていますか?お父様が社長という事。それも何かの運命かもしれませんね。」



そう言われて何も言えなかった。

でも心の中に何か熱いものを感じた。



その社長は盛和塾という経営者の会に入っていて、今度稲盛和夫さんの前で発表を行うと言っていた。

もし興味があって入会したければ、言ってください。とおっしゃってくれた。


稲盛さんは経営者として既に伝説の人で知ってはいたが、著書は読んだことがなかった。



その時の私は、72時間ルールというのを自分に課していた。

思い立って72時間以内に一歩を踏み出さなければ、それは多分一生することはない。


なのでその社長と面談した帰りに本屋に立ち寄り、すぐ本を買い求めた。



家に帰ってすぐ本を読んだ。


妻はそれを見て「よくそんな分厚い本が読めるね」と言っていた。


本は二日で読み終えた。




社長が言っていた利他の原則を手帳の裏に貼って、暇さえあれば読み返した。



『動機善なりや、私心なかりしか』

 

「自分がその事業や仕事に乗り出そうとするのは、本当にそこに携わる人達の為を思っての事か?

会社や自分の利益を図ろうとする私心がそこに混じっているのではないか?


または、世間からよく見られたいというスタンドプレーではないのか?

その動機は一点の曇りもない純粋なものか?」



以上の言葉を手帳に貼り、繰り返し読み、自分にとって利他の原則・そして運命って何だろうか、、。


毎日真剣に考えた。





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妻はうつになってから、朝全く起きてこれなくなった。



それでも病院の薬による治療以外もしたいと言った。



前にも書いたが、朝日を浴びながらのリズム運動が、体内からセロトニンを分泌しうつに聞くという説があり、それを実践したいと言っていた。



朝日ともに起きて、外を歩くのは今の妻の状態では中々難しい。


寝室には部屋の向きの関係で、朝日が入ってこない。



だから私が出勤前に、リビングのソファーまで運び、朝日を浴びさせることにした。



結婚してから家具は二人で選んで揃えたが、ソファーだけは私が独身時代の頃から使っているものを持ち込んだ。



二人掛けのラブソファー。





白と黒のデザインが気に入っていたこともある。



でもそれ以上に妻とつきあっていた頃の思い出が詰まっていた。





私はアパートで一人暮らしをしていた時には、一部屋をシアタールーム兼勉強部屋にしていた。



妻と付き合っていた頃は、この部屋でソファーに座ってよく映画を観た。



昔のアパートの写真↓




初めて部屋で二人で映画を観たときは、まだ付き合う前だったので隣に座っていても指一本触れなかった。


付き合ってからは、このソファーに座って二人で寄り添って映画を観た。


二人とも映画好きなので、何度観たかわからない。





その思い出のソファーの場所には、いい感じで朝日があたる。


だから出勤前に妻をベットルームから、『お姫様だっこ』で抱きかかえてリビングまで運んでソファーに寝かせていた。



朝出勤前に寝室に行き、ベットで寝ている妻のふとんをめくる。


眠そうな妻を抱きかかえる。


「落ちると危ないから、首に手をかけてね」


そう言うと「うん」言ってうなずいて、私の首に手をかける。



「何か介護されてるみたいだね」

妻がそう言った。


うつになる前だったら「私、お姫様みたいだね」

冗談っぽくそう言っただろうな。


「軽くなちゃったな、、。」

妻を運んでいて、いつもそう思っていた。


そこからキッチンを抜けて、リビングのソファーに寝かせる。

もう冬だったので、ブランケットを渡す。


「日焼けするのが嫌だから」と言って、私が外を走る時に使う日焼け止めを顔に塗っていた。



「それ、俺のなんですけど、、。自分の使えばいいじゃん。」


と言うと

「いいの。」

といってかすかに笑う。


朝のそんなやり取りが好きだった。




昼は昼食を食べに妻は実家に行く。


昼食を食べ終わると、妻はお義父さんと一緒に散歩に出かける。

リズム運動だ。


お義父さんも娘とのひと時を気に入っていたらしい。

後からそう言っていた。



ある時、夕食を食べていたら妻が言った。

「ねえyoshiちゃん。yoshiちゃんの会社に私も行っちゃだめかな?

ただ会社で座ってるだけでもいいんだけど。

実家に行ってもお母さんはパートでいないし、お父さんは散歩以外は寝てるだけだから。」



そう言われたけど、この頃の私は会社にいることは少なく外回りばかりしていいた。

だから会社に来ても、親や社員が「??」と思うだけで余計孤立してしまうのではないか?


会社に妻の居場所はないかもしれない。


そう思っていたので、「それはちょっとね、、。」と言って断った。


妻は実家にいても、寂しさを感じていたのかもしれない。

今思えば、会社に連れて行った方が良かったかもと思う。

そんな風に思える。






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心療内科で診てもらってからは、妻には休息に専念してもらうように考えた。




家事一切は私がすることに決めたので、日頃の段取りが必要だった。



一番手間なのは食事だけど、朝はシリアルやバナナ、昼は妻は実家で食べるので、作るのは夕食だけで大丈夫だった。



二人で暮らし始めてから、ヨシ〇イやショ〇ブン系の宅配サービスを使っている。



それを一日ずつずらしで、夕食を食べ終えたら、そのまま次の日の夕食を作って、冷蔵庫などに保管する。



そして次の日帰ってきたら、温めてすぐ食べる。


というのを繰り返した。



洗濯は毎日だけど、帰って来てから基本部屋干し。


お風呂掃除も毎日手早く。



掃除は基本週一だけど、時々ルンバの手を借りる。



最初はどうかと思ったけど、慣れてくれば要領は良くなるもので、数日で帰宅後に家事をこなしながら映画やドラマを観る余裕さえ出来た。



妻は私が家事をしてる間も、ずっとスマホをいじっている。


眉間にシワをよせて、薬の副作用ばかり調べている。



「眉間にシワ寄ってるよ」

と私が言うと

「えっ?」

と言って一瞬は良くなる。


でも数秒後にはまた眉間にシワが、、。


「眉間、眉間」

とまた言うと

一瞬直る。

でもまたシワが。


その繰り返しだった。



夕食の時間が一番リラックスできる時間だった。


妻はうつの症状が出てしまったが、以前の吐き気はおさまっていた。


もともと痩せていたのに、あれから更に痩せてしまったので、出来るだけ食べるようにチェックしていた。




妻の身長は155cmくらいだけど、一番体重が多かった時でも40kgだったと言っていた。


私と付き合っていたときは多分37~38kgくらい。



この時は35kgしかなかった。


妻の調子を見ながら

「はい、この肉も食べて、こっちももう少し食べてね。体重を少し戻さなきゃだめだよ」


そう言って、少しずつ食べさせた。




夕食後は一緒にテレビを見る。


ドラマやアニメなんかが多かったけど、うつの症状が出てからは、大分興味を失っていた。



それでも気に入っていたドラマがある。


「私、うつになっちゃったけど、このドラマだけは先が気になるんだよね。」



『リベンジ』っていう海外ドラマは好んで見ていた。



幼い頃、父を陰謀によって殺された女の子が、黒幕のセレブ一家に入り込んで、関係者に復讐をはたすという話だった。


サスペンスあり、恋愛要素ありで結構面白くて、夫婦でハマッていた。



だから週一回このドラマを見て、ああだこうだ話すのがとても楽しかった。





テレビを見ている妻の髪に触れつつ、肩に触れてみる。


びっくりするほど肩がこっていて、カチカチだった。


「肩がカチカチだよ!」



うつになると肩がこるものなのか、それとも毎日取りつかれた様にスマホを見ているからだろうか、、。


肩から背中にかけて、触るとコリの塊がわかる。


そのコリを手でほぐしていく。


ほぐしていると、以前よりも背中の肉まで少なくなって、痩せてしまったように思えた。



何だか切なくなった。



でもほぐしていると、気持ちよさそうだった。





夕食を終えて、お風呂から上がって寝るまでの1~2時間。


「この時間が一番気持ちが落ち着くよ。」


妻がそう言っていたのを思い出す。





家事を私がすべて行うようになってから、妻は自分の事が「無能だと思える」と言った。



「それは違うよ。うつ病は外からは分からないけど怪我を負ってると同じなんだよ。

両腕を骨折した人に、家事をやってくれなんて言わないよね?


だから、怪我を治すんだと思って、ゆっくりしてくれればいいよ。

それに無能なんかじゃないよ。つい先月まで働きながら、家事やってたじゃん。


調子がよければちゃんとできるんだから。


それに俺一人暮らしの時、全部自分でやってたから、一人も二人もほぼ手間は変わらないから。

全然気にする必要ないからね。」


本心でそう思っていた。


そういって、妻が自分を追い込もうとすることをなだめた。







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その日は午前中仕事を休んで、妻の通院している心療内科に同行した。



待合室には数人の患者さんがいる。


みな女性ばかりだった。



「次の方、どうぞ」


そう呼ばれて、妻と診察室に入った。



中には50がらみの、めがねをかけた男の先生が椅子に座っていた。



この人が3年も妻を見てきた先生か、、。



私が一緒に入ってきたのを初めて気づいたのか、こちらを見て「おやっ!?」という顔をした。



「初めまして、妻がいつもお世話になっております。

実は先日から妻が「鬱ではないか」と訴え、その後も以前と人が分かってしまったように元気がありません。

いつもどういう診察をているのか、一度私も知りたいと思い、同行しました。」


先生は、そうですか。と言い、妻と話し始めた。




「先生、私は○○っていう薬はあまり飲みたくないんです。

ネットで調べると、副作用ばかり載っていて。サプリや漢方薬ではダメなんですか?」


先生は、妻の言ったことをPCに入力しながら喋った。


「サプリや漢方薬など、料理にかけるスパイスのようなものですよ。

そんなに効きません。本質的な解決にはなりませんよ。」




「でも、調べるとやっぱり副作用が気になって、、。」



「あまりそういったものは見ない方がいいですね。気になるばかりですよ。

それにあなたには、一般の通常の量より少ない量を処方しているのです。

少なすぎて、効果も薄かったのではと思っていますよ。」




「先生、まずはどうすればいいんですか?」

私がそう聞くと、先生が答えた。


「まずはしっかり眠ることです。脳を休めなくてはいけません。

ひたすら何もせず、眠るのです。なんなら入院しても良いかもしれません。

もっと薬に身を任せるのです。」




「でも、そんなに寝てばかりいたら、私は歩けなくなってしまいます。

入院なんて絶対イヤ!歩けなくなる。

ジムに行って、弱らないように運動しないと、、、。」

妻が納得いかないように答えた。




「そんな寝てるくらいで歩けなくならないですよ。

あなたはうつの中では軽いほうなんですよ。

もっとひどくなると、ジムなんか行きたいとは言わないし、ここに来ることすらできなくなるのです。」


先生は続けて答えた。


「それとやはり根底には障害があるかもしれませんね。

あなたは昔は杖もなしで歩いていたし、走ることもできたと言うじゃないですか。

でも成長と共に段々できなくなってきた。

そういった、後ろから追われるような不安感が大きいかもしれない。

二分脊椎の協会にも行かなくなって、相談する相手も少なないのではないですか?

あとは結婚して妊娠の事を考えていますよね。これもプレッシャーになっているのではないですか?」



妻は黙って聞いていた。


私も考えこんでしまった。


子供の事か、、、、。今は無理だとしても、うつが改善してからでも無理なのか?

それほどプレッシャーになってしまっているのか?

でも彼女は、私の子供を産みたいといってくれたし、、。




私は沈黙を破るように尋ねた。

「私にできることは何かありますか?」



「そうですね、彼女の負担になることを取り除いてあげられれば、してあげた方がいいですね。」



そうなったら、することは一つだ。私は即答した。

「分かりました。では、今日から全ての家事を私がすることにします。

それに彼女の実家はとても近いので、私がいない時は実家でゆっくりしてもらえばいいですね。」




「理解のあるご主人でよかったですね。

薬は今日から適量を出します。まずはしっかり寝て下さい。そして薬もちゃんと飲んでください」



二人で治療院を後にした。



「今日はついてきてくれてありがとうね。」


妻が車の中で言った。


「いいよ。俺も話が聞けて良かったよ。

まずは医者の言う通りやってみようか?

家事は心配しなくていいから、まず良くなることを優先してしっかり休んでくれれば良いからね。」



妻は全力で休息して、私はすべてサポートする。


二人で絶対に乗り越える。



病院から帰る時は、そんな気持ちで満ちていた。





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治療院の2回目の診察日になった。


言われた通り1週間、冷え取り健康法の「半身浴」と「靴下重ね履き」を半信半疑ながら続けた。



「すいません、今診察が終わったばかりなので、椅子に座ってお待ちください」


そう言われて、机の目の前にある椅子に案内された。




机の真ん中には手帳が開かれた状態で放置してある。


今週のスケジュールのようなものが、書かれていた。




普通、患者に見える場所に置くかね?

前から感じていたけど、この院長は少し管理がだらしないところがあると思った。



「すみません、お待たせしました」


診察台を片付け終わって、院長が戻ってきた。


院長は慌てて手帳を伏せた。




「その後、何か変化はありましたでしょうか?」


そう聞かれた。


妻は特に変化はなさそうで、何も言わなかった。


私から見ると、それが冷え取りの効果かどうかは分からないが、以前のように夜中に起きてくることがなくなったので「前よりは眠れているみたいですよ。」と伝えた。



院長はこちらをじっと見る。


「やはり、治療は止めましょう。おそらくうちでは合わないと思います。」



唐突に言われた為、少しの間言葉を失った。


妻も絶句している。


「、、、、。一体どういう事でしょうか?」

重苦しい空気の中、私はそう聞いた。



「先日の治療の時もそうですが、私が氣を送っても、奥様は何も感じないと言っていました。

先ほどの質問でも何の返答もなく、おそらく私とでは合わないと判断しました」



説明を聞いても理解ができない。


氣とやらを、感じ取れないとダメなのか?


「そうおっしゃらずに、何とかなりませんか?」



「うちでは難しいですね。

先ほど私がいない間、私の手帳を見てましたよね、、、、。

そういうところなんですよ。」



、、、、、。はぁ!?

なんだそりゃ!!


自分で開いておいて何を言ってんだコイツは?

目の前に置いてあれば、嫌でも目に入る。


100歩譲ってこちらが手帳を開いてみたのなら仕方がない。


だったら、最初からしまっとけや!




、、、、、。ああ、分かった。



この人は自分の治療に何か反応しないと続けないんだ。

うそでもいいから「効いた」とか言わないと。


妻は正直だから、感じないものは感じないと言うけどな。



そう気づいたら、一秒たりともここには居たくなかった。


こっちこそ願い下げだ。


帰ろうか、と妻に言おうとした。





「先生、お願いします。せっかく来たんです。どうか治療して下さい。お願いします。」


妻が院長に懇願していた。


「だから、そういう事ではないですよ」

院長は冷たく言った。



「私が悪かったのなら謝ります。私は治りたいんです。だからどうかお願いします」



「そういう事じゃないですよ。私にはほかにも患者がいる。うちよりももっと合う所があると思いますよ」



「あれから冷え取りも毎日やってます。だからどうか、どうか治療して下さい。」

妻は何度も懇願した。



その姿を見て、いたたまれなくなった。


もういいよ。あみちゃん。ここから出よう。




そう思った時、院長が言い放った。



「はっきり言いましょう。あなた達はここへ来たらすぐ治ると思ってませんか?

この治療は1~2回来たら治るようなものではありません。

一年くらいたった時、後から振り返って初めて『あの頃よりはずいぶん良くなった』

そういう根気のいる治療なのです。」




これだ。これがこの人の本心だろう。


うたい文句の、数回で効果がでる。数か月で治るはすべて嘘だろう。


ましてや、過去にうつを経験しているという人間が、苦しんでいる相手にここまで冷たくできる訳がない。



私は妻の肩に手を置き、目をみつめて、笑みを浮かべながら静かに語り掛けた。

「あみちゃん、もういいよ。大丈夫。ここから帰ろう。」



治療院を後にした。




帰りの車の中、一言も話さない時間が続いた。



ひどい場所に連れてっちゃったな。


見捨てられた、とだけは思わせちゃいけない。



私はわざと明るい声で言った。


「あみちゃん、あんなの全然気にしなくていいよ。

あれは、治せないんじゃなくて、あの人と俺たちが「性格的」に合わなかっただけだよ。

氣とか、そういう問題じゃない。

けっきょく自分の言いなりになる人を診てるだけだろ、多分。

相性が悪かっただけだから。かえって良かったかもしれないよ。

だから大丈夫!忘れよう!あんな所。

またほかを探そうよ。」


「うん、そうだよね。相性だよね。」




それでも次の日、また冷え取りの靴下を履いていた。


「だってyoshiちゃんがせっかく買ってくれたんだし。それにこの靴下高いしね。

冷え取り自体は効果ありそうだから、続けてみるよ。」




「そうか。分かった。

ところで今度心療内科はいつ行くの?俺も一緒に行くからね。

俺が何をすれば回復の手助けになるのか、直接聞きたいから。」



この目で確かめておかないと。


次は心療内科に同行することにした。





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今週は、なぜか週初めからずっと気持ちが落ち気味でした。


仕事に行っても、家に帰っても何もしたくなかったです。


ここまで気落ちしたのは久々でした。


ご心配のコメントやメッセージをくれた方々、ありがとうございました。

すみませんでした。もう大丈夫です。




家に帰って、酒飲んで、ブログを書く。


これだけです。




週末、家から一歩も出ず読んだ本が、気持ちをとても落ち込ませたようです。

気持ちを癒す本だと思いましたが、私には逆効果でした。



こういう時はブログのコメントも、自分を責めるような内容になりがちです。



最近は週に1~2回、ボクシングジムに通ってますが、今週は何もしたくなかったので行きませんでした。



今日、久しぶりに「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」を読みました。


妻が亡くなって、1~2か月くらいによく読んでいました。


少し気持ちが軽くなりました。




まだ若干無気力でしたが、仕事帰りにボクシングジムへ行ってきました。


練習をしていると会長が「スパーリングするか?」と聞いてきました。




何かヤケクソ気味の気分だったので、願ってもないです。

ただ暴れたい気分でした。

快諾して、リングに上がりました。



以前は若干の緊張感をもって相手の様子を見ながら、パンチを打って様子を見てどう攻めて行こうか考えながら攻めたものです。


最近というか、今日はとくに違います。


もう緊張感とか、そんなものはないです。


殴られても別に恐怖感というか、そういったものが麻痺していて、、。



ゴングがなっても感覚的には『やあ、こんにちは』ぐらいの感覚で、相手の間合いに入り殴り合います。

作戦も何もない。考えるのが面倒です。


パンチが来たら、ディフェンスするのか、攻撃するのか、身体の反射だけで反応して打ち合うのみ。



恐怖感に対して鈍感になった、自死遺族ボクサーです。




1ラウンド目は、フットワークでかき乱して、相手にパンチを当て続けました。


でも2ラウンド目で、練習不足のためスタミナが切れ、もうフットワークを使うのも面倒になってきました。



なので足を止めて打ち合いです。


今日の相手は、打ち合いに乗ってきました。


リング中央で、フットワークを止め、ガードの隙間をぬって、ショートパンチの連打を互いの顔面に打ち合いました。



スパーリングが終わったら、会長が笑っていました。


「あっはっは!見てて楽しいスパーだったな。

今日は二人ともムキになってないか?普段のスパーでそこまでやらなくていいぞ」



その後はサンドバックにコンビネーションと、ひたすらラッシュ(連打)を打ち続けました。

なにも考えず、体力が空っぽになるまで打ち続ける。


練習というか、憂さ晴らしを終えて、今はすっきりしています。




回復は薄皮を剥ぐように遅いのに、簡単なことですぐ落ち込む。


まだまだ道のりは長いですね。





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