いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

しばらく「ペタ」を中止したいと思います。


9割以上宣伝目的で、本来の意味をなさないためです。

多い日は100回以上ペタが押されて、本当の意味で押してくれている人が紛れてしまっています。


よろしくお願いします。

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葬儀が終わって次の日から仕事に出た。


この頃の記憶は曖昧だけど、5年にわたり営業活動していた大手メーカーとの初仕事が決まったので、身体を引きずるようにして仕事をした記憶がある。



年末の休みまでは、毎日会社に行っていたけど何をしていたのか、ほとんど覚えていない。



何もしていなかったのだと思う。



会社に行き一言も話さず、魂の抜けたようにただ机の前に座り、携帯で付き合った時からのメールをずっと見ていたり、写真を見ていたり。

まるで取り付かれたように、携帯ばかり見ていた。



死亡推定時刻が夕方だった事が頭に刷り込まれていて、会社にいても夕方になると言い表せないような不安が全身を襲った。



御骨はお寺の境内の裏に預かってもらっていたので、墓参りだけは一日も欠かさなかった。


会社から2~3分のところにお寺があるので、会社に行くというより墓参りのために出社にているようだ感じだった。



ほとんど昼間に行っていたけど、まれに仕事で遅くなり夜になってしまっても行っていた。


明かり一つない墓場とお寺の境内に一人で行き、手を合わせる。


この時は恐怖感が完全に麻痺していて、夜中の墓場など何とも思わなかった。


真っ暗な墓場で何を願っていたのか、、、。



妻に対する取り返しのつかない思い。止められなかった、気づく事ができなかった事への凄まじい程の自責の念。


全ては俺が招いた事。


俺と結婚したから。いやそうじゃない、そもそも俺と出会ってしまったから彼女は自ら死を選んだ。


許してくれ、、。いや許してくれなんて言えたもんじゃない。


呪い殺してくれ。


俺も連れて行ってくれ。

今すぐそっちの世界へ引っ張って行ってくれ。



真っ暗な墓場で、真剣にそんな事を願っていた。




そんな事を繰り返しているうちに、休みに入った。


年末年始の休みは10連休ある。



誰にも会いたくなかったので、アパートにずっと一人でこもっていた。




アパートで一人でいると、さらに自分を追い込んだ。


何が原因で妻が自死を選んだのか、痕跡をひたすら探し出す。


何も言わず、お別れもなく突然逝ってしまったから。

何を思っていたのか、少しでも知りたい。


だからメールやネットの履歴、押入れの妻の持ち物を探しまくったり、家中を探した。


何も出てこなかった。





妻は数ヶ月うつ病で苦しんでいたけど、それでも自分にとっては幸せな日常だった。

時間は掛かっても、必ず立ち直ると思っていたから。



でもその日常は、なんの前触れもなく突然寸断される。


その日から、自分の世界は終わった。


妻がいなくなった世界に、なんの価値も見出せなかった。

生きている意味が何もない。


食事をしても味がしない。


だから仕事の事なんかも、もうどうでもいいと思えた。






喪失感も大きかった。



妻のパジャマや部屋着の抱いて過ごしたり、そのまま寝たり。


ふと気づいたら遺髪を取っていなかったので、掃除する前に部屋に落ちている妻の髪の毛を、丁寧に一本一本かき集めた。


100本も集まらなかったが、細い髪の束になったのでジッパー付きのビニールで保管した。


目を閉じてゆっくりと髪束に触る。


よく妻の頭を撫でていた情景を思い出し、髪束をゆっくりなでた。


その瞬間は少しだけ気持ちが和らぐが、目を開ければ残酷な現実に戻される。





そのうちにどれほど苦しい思いをして亡くなったのだろうと思うようになった。



自分の手で、自分の首を絞めた。


でも苦しいからすぐ離してしまう。



タオルを持ってきて、首にひと巻きして、両側から手でゆっくり引いた。


あまりの苦しさに、思わず咳き込み手を離した。



どれほど苦しい思いをして逝ってしまったんだ。


ただそれが分かっただけの事で、声を上げて泣いた。




目が覚めてから眠りにつくまで、ひたすら自分を責める。



自分を責める気持ちは、自らの意志で止めることが出来ない。





きっと、前に子供の事できつい事を言ったから、だからそれがショックで死んでしまったんだ。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11897182956.html

他に理由が思い当たらない。きっとそうだ。


自分の一生をかけて守る。

そう誓ったはずなのに、何もしてやれなかった。

それどころか酷い事を言ってしまって、俺が殺したようなものだ。


最低の男だな、俺は。


こんなクズのような人間が生きてちゃダメだな。


でも自分では死ねない。



だれか俺を殺してくれ。


もし通り魔が目の前に来ても、そのまま胸を差し出すだろうな。


交通事故に巻き込まれて死ねないのかな。



あみちゃん、いつでも迎えに来てくれ。

今日の夜がいい。


もうこのまま目が覚めなくていいよ。

遠慮するな。いつでも来いよ。



そう言って目を閉じても2時間くらいで目が覚めて、俺はまだこの世にいるのかと絶望した。




眠っている時間だけが、この思考から逃れられるのだけど、それもままならない。





ああ、なんだ。


俺、地獄って死んでからの事だと思ってた。


でも生きてる時からあるんだな。


ああ、これを生き地獄っていうのか、、、。


その時はっきりとそう思った。



亡霊というものがもしいるとしたら、その時の自分の事かと思った。





あまりの苦しさと、自分を追い込む感情で、自分の頭がおかしくなったと思った。





そこでネットで同じような人がいるのか探し始めた。



調べていくと、割と簡単に見つかったと思う。



そこで『自死遺族』という言葉を初めて知った。




そうか、俺は自死遺族なのか、、、。




それから、自死遺族の方々のブログをずっと読み続けた。


まだコメントを送るのも恐くて、見ているだけだった。



自分は頭がおかしくなったと思っていたけど、決してそうではなかった。

このブログを書いている人達、俺とほとんど同じ感情ばかりだ。


そう思うと、少しだけ安心することがでした。



そして、連休が終わる少し前から恐る恐るブログを書き始めた。



そうして、本当に薄皮をはぐようにして心が解きほぐされ始めたように思う。









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火葬場から隣の建物に移動すると、お昼になった。



火葬が終わるまでの時間、みんなで用意された弁当を食べる。



私は皆に食事を促す挨拶をした。



弁当はやたら豪華で結構ボリュームもあった。


妻が亡くなって3日ほどは食欲が全くなく、殆ど食べ物を口にしていなかった。


でもこの時は、無言で全て平らげていた。



妻は亡くなって焼かれていると言うのに、弁当を食べている自分にも腹が立ち、罪悪感もあった。




やがて時間が経過して、係員が呼びに来た。



火葬場の部屋に着くと、部屋の真ん中に、火葬炉から出された金属製の台車があった。


その上には、もう生前の妻の姿ではなく、ただの骨になってしまった。



このときの感情は何だろう、、、。




2時間前に火葬炉に入れられる瞬間まで、涙が止まらなかった。


正直骨を見たら、また泣くのかと思っていた。


でも骨になった姿をみても、ただの「物」になってしまったようで、涙など一粒も出なかった。




妻は、ただの物になってしまった、、、。


大好きだったあみちゃんの姿は、完全にこの世からなくなってしまったんだ。



呆然とした頭の中は、そんな思いで埋め尽くされる。




係員が骨上げの方法を説明し、長い箸が手渡された。



お義父さんと骨の端と端を持って、骨壷の中に入れる。




骨は驚くほど軽い。




何だこれは?いったい俺は何をやっているんだ?




妻の骨を入れているという感情はなく、ただ落とさないように気をつけて、指定された物を入れているようなそんな感覚だった。



係員は「ここは〇〇の部分、こちらは〇〇の部分の骨です」と説明をした。




へぇ。そうなんだ、、。




悲しみとかそういった感情ではなく、ただ漠然と聞いていた。


みんな骨上げが一周すると、残りの骨は係員が納めていく。



頭蓋骨は、ウエハースのように簡単にばらけて、まるでパズルでも作っていくように骨壷の中に綺麗に収められていった。



「こちらが喉仏です。仏様が座っているような形をしていることから、そう呼ばれます。」

係員がそう説明して、喉仏だけは他の入れ物に納めた。




本当だ。人が胡坐をかいて座ってるみたいだね、、、。




全てが収められると、私を先頭に骨壷を持ち、初七日の会場まで歩いて行った。





先程弁当を食べた会場が片付けられ、そこに小さな祭壇の上に骨壷と、遺影、位牌が並べられ、お経が始まった。



お経のあいだ、小さな祭壇に置かれた骨壷をぼんやりと眺めていた。



たった2時間でこんなになってしまうんだなぁ、、、。



多分現実に頭がついていっていなかったんだと思う。




お経が終わり、和尚が何か話していたが頭に入ってこなかった。




最後に和尚が退出する時、私を見て、肩に手をかけて小さな声で私に言った。

「辛いだろうが間違い(後追い)だけは、してはならんぞ。」




客観的に見たら、憔悴しきっているように見えたのだろうと思う。


和尚はそんな言葉を残して去っていった。




葬儀の工程は全て終了した。




最後に私が喪主の挨拶をした。


その時、少し不思議な事が起こった。




「皆様、2日間に渡り、妻あみのために本当にありがとうございました。」



そう言い終えて、私がお辞儀をして頭を下げた瞬間だった。


手に持っていた数珠が「パチッ!」という音と共に切れて、バラバラになった。



私の手元を離れて、数珠の玉が四方に転がっていく。



周りがどよめいた。



まるで妻が「ここにいるよ」と教えてくれたようだった。







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皆様、三連休いかがお過ごしでしょうか?

私は明日仕事なので、連休じゃないですが^^;



たまには近況を書いてみようと思います。


先週末ですが妻が亡くなってから通っているボクシングジムで、会長に声を掛けられました。



「yoshiさん、今体重は何キロだっけ?」



「今は58Kgくらいですよ」



そう言うと、会長はちょっと考えるような顔をして言いました。

「そうか、、、。それじゃちょっと厳しいかな。

いや、11月に試合があるんだけど、それにyoshiさんに出てもらおうと思ったんだけど。

相手にちょうどいいと思ったけど、体重差がちょっとね、、、。」



「へぇ~。ちなみにその相手は何キロなんですか?」



「相手は70Kgの選手なんだよ。」




、、、12Kg差か、、、。



「、、、いいですよ。やりましょうよ。試合組んでくださいよ。」



そういうと会長は少し嬉しそうでした。

「そうか!じゃあ来週申込み用紙を用意するから、頼むよ!」



ボクシングの試合でここまでの体重差の試合はあまりない。

どういう試合かも良く分からないけど、少し嬉しかった。




ひょっとして、闘って死ねるかもと思えたからだ。



ちなみに結婚前に通っていたボクシングジムで出ていた試合では、バンタム級で出ていました。

試合前は体重は53Kgくらいまで減量していました。


アマチュアの選手でしたが、戦績は6戦5勝(4RSC)です。



試合、、、。4年ぶりになります。


正直この歳で試合に出る機会を与えられると思いませんでした。




体重差のある戦いは過去何度も経験があります。


ボクシングではなく、空手をやっていた時の頃です。



この写真は私が空手の指導員をしていた時の写真です。

後輩選手のスパーリングの相手をしています。


ちなみに私は右側の小さいほうです^^;




相手は中量級なので、体重差15Kgくらいでしょうか。



私がいた空手の流派は、フルコンタクト(寸止めではなく直積攻撃をあてる)の流派でした。


スーパーセーフという、ボクシングのヘッドギア見たいのをかぶって、顔面へのパンチもOKでした。


大道塾という所と同じルールで、組んで膝蹴り、肘打ちもOK,投げ締め関節技もOKという、結構激しい流派です。



この写真は7~8年位前なので、空手も脂ののっていた時期で、100Kgくらいある相手でも「怖い」と思ったことはなかったです。




今はこの頃の筋肉はすっかりなくなって、スタミナもスピードもこの頃の比ではありません。


昔の自分と闘ったら3分持たないと思います。



次の試合は体重差があるので、減量ではなく増量してビルドアップしなければなりません。


試合まであと2か月あるので、少しでもこの頃に近づけたいと思います。



もし願う事なら、強い選手とあたって、壮絶な打ち合いの末、リングで殴り殺してほしいです。


どうせなら闘って死にたい!






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火葬場は葬儀場のすぐ隣にある。


斎場から渡り廊下を、私を先頭に親族達と歩いて行く。




祖父や親族で経験しているが、火葬場の雰囲気は何とも言えない雰囲気だ。



生きていた時の姿と、本当に最後のお別れの場所だから。


今までの沢山の花に囲まれていた斎場とはガラリと変わって、コンクリートに囲まれた部屋に無機質な火葬炉が並ぶ。



これから焼かれるという、現実が突きつけられる。




部屋の真ん中にお棺が運ばれ、蓋が外される。



最後のお別れだ。



私から先頭に、小さな花を入れる。


妻の頭をなでる。


ずっとなでていたいが、後がつかえるので仕方なく順番を譲った。



親族が皆順番にお別れをしている間、片時もお棺の横に立ってずっと妻の姿を目に焼き付けた。


最後の人がお別れをした後、たまらずもう一度妻の前に行った。




眠るようにお棺に横たわる妻の頭を、ずっとなでる。


僕らが付き合ってから、彼女は頭をなでられることが好きだったのに、もうできなくなる。



私がボーッとテレビを見ていると、私の手をつかんで、妻は自分の頭に手を持っていって私の手を使って頭をなでるしぐさもよくしていた。


そんな時は妻を横に抱き寄せて、頭をなでてあげながら一緒にテレビを見ていたものだ。




もう、本当に最後だ、、、。


出来る事なら、持って帰りたいくらいだった。


結構長い時間なでていたと思うが、そろそろ終わらないと、、、。



断腸の想いで、頭をなでる手を離した。


妻の顔をじっと見つめた。




「また、いつか会おうな。」




そう妻に語り掛け、頭をポンポンと優しく2回タッチした。




私が妻から離れると、係員は待っていたかのようにお棺の蓋を閉じた。




そのまま火葬炉にゆっくりと入れていく。



そしてボタンが押されると、ゆっくりと火葬炉の扉が下に降りていく。




「ああっ、あみちゃんが焼かれてしまう。」

心の中は、そんな言葉で一杯になった。



ずっとまばたきもせず、扉が下に降りるまでお棺をみていた。


それと同時に、係員から「最後のお見送りです」と言うような事をいった。



私は手を合わせて呟いていた。




「俺と出会ってくれて、ありがとう。

俺と結婚してくれて、ありがとう。

俺を愛してくれて、本当にありがとう」



泣きながら何度もつぶやいた。



完全に扉が降り切ると、ボイラーがお棺を焼く「ゴーッ」という音が聞こえた。







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通夜が終わり、皆帰っていった。



その日の夜は、父と二人で交代で斎場で寝泊りする事になった。



前日までは妻は布団に寝かされていたので、横に寝て髪や頬に触る事ができたけど、もうお棺に入れられている。


会場から僕らが寝泊りする控え室にお棺ごと運ばれていた。



仕方がないので、父が奥で寝ている間にお棺の小窓をあけて髪をなでたり、小声で語りかけたりしていた。






朝が来て、控え室にも親族達が続々と集まってきた。



葬儀社から告別式の流れの説明を受けたり、親族へ挨拶やお願い事をしたり、、、。



悲しんでいる時間などあまりない。




甥っ子達もまだ小さいので、あまり理解をしていないようで控え室を走りまわる。


遺影をひっくり返しそうな勢いだ。


甥っ子達は人懐っこいので、親族や義両親の前でおどけたり、遊んだりして場を和ませてくれた。




妻の親族達も大阪から駆けつけてくれた。



義父が末っ子だけど68歳なので、大阪の親族は70代~80代で皆高齢だ。



ちょうど一年前に披露宴に来てもらった時でも「遠いし高齢だから、私の親族がこれだけ集まるのは最初で最後かな。」と妻が言っていた。





たった一年後に、再びみんな集まる事になってしまった。


顔ぶれを見て、披露宴の事を思い出した。

http://secret.ameba.jp/loveemichan/amemberentry-11846810442.html



80代の妻の叔父は、妻の死をいったいどういう気持ちで見送っただろうか。


たった一年でこんな事になってしまって、向こうの親族に顔向けができなかった。






私の親族にも80代後半の大叔父がいて、披露宴のときは来てくれたが今回は「辛すぎて来れない」と言っていた。




通夜と同じく、沢山の人達が来てくれた。



妻の親友で、付き合っている頃は一緒にWデートした友達は、会社を休んで2日とも参加してくれた。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11763415415.html

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11769369276.html



お経が始まっても、この状況は到底受け入れる事ができなかった。



この状況が全て夢であってほしいと思った。


和尚さんは妻の戒名を決めてくれた。



戒名には、よく生前の名前が一文字入るのだけれど、妻の戒名は珍しく名前がそのまま入っている。



妻の戒名は気に入っている。


名前の前に「清らか」の『清』という字と、後ろに「純粋」の『純』の文字が入っている。




お経が終わり、和尚が言った。


「あみんさんの生涯はあまりに短く、そして純粋すぎた。」





和尚たちが退出し、妻にお別れの挨拶をする



お棺は祭壇から部屋の中央に運ばれ蓋が取り外される。




皆、妻に別れの言葉をかけながら、順番に花や思い出の品、手紙などを入れていく。



私の順番が回ってきた。



妻は目が悪かったので、家で使っていた縁の赤いメガネと、誕生日にプレゼントしたポーチを入れた。



「あみちゃん、生まれかわったら、また俺と出会ってくれよ。また俺と結婚してくれよ。」


そう妻に語り掛けた。




言葉を発したとたんに、涙が止まらなくなった。



お通夜では耐えられたが、告別式では無理だった。



人前で泣いたのは、大人になって初めてだ。





最後に弔問客に挨拶をしなければならないが、セリフは全て吹っ飛んでしまった。



仕方なく、書いてある紙を取り出して読んだ。




そのままの流れで、火葬場に移動した。







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ほとんど眠れなかったが、昼近くになっていたのでアパートから安置所に移動した。




安置所に戻ると義両親がちょうど出かけようとしていた。



一旦家に帰って、着替えてくると言う事だった。




部屋に妻と二人だけになった。




「あみちゃん、何あれ?!何であんなサイトなんか見てたんだよ!

俺と一緒に幸せになるんじゃなかったのかよ!」

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11886754909.html



昨日の夜発見した、自殺サイトの事を妻に向かって怒りの言葉を投げつけた。



何の反応もなく布団に横たわる妻を見て、悲しくなるだけだった。

妻のかおおみていたら、もう怒りも消えていた。


何でもいい。何か言い返してくれよ、、、。





手を繋ぎたい。


不意にそう思って、布団をめくって手を触ってみた。


ゾクッとした。


もう病院のストレッチャーに横たわっていたときの2日前とは全然違っていた。



妻の手は氷のように冷たくて、もう弾力もなく完全に固まっていた。


ドライアイスのせいだろう。

指ではなく、細い『つらら』を触っているようだった。



当たり前だが、もう生きている人間のものじゃなかった。


すぐ手をひいて布団も元に戻した。




それでもまだ頬は柔らかくて、髪をなでたり頬を触ったりしていた。


その後、私の両親も義両親も揃い、葬儀社の人が来て妻に化粧をしてくれた。



少し紫色になっていた顔色も、化粧できれいになった。


口紅をして、髪をとかした。




「いつもの可愛いあみになったな。」

父が言った。


私もそう思った。



安置室に使っていた家族葬の会場から、葬儀の本会場へと移動する。


本会場は私の地元で、車で40分くらいの所にある。



会場に着くとすぐに打ち合わせが始まり、1時間もしないうちにお通夜の開場時間になった。



祭壇は沢山の花で覆われていた。


妻は若くして亡くなったから、年寄り臭くなく、綺麗な花で沢山飾り付けるものをお願いした。


遺影も額縁の色を妻の好きなピンクのものにしてもらった。




義両親もお棺が置かれる前に、祭壇を写真て撮っていた。

気に入ってくれたみたいで良かった。




時間になると、続々と弔問客が来てくれた。



「私はyoshiちゃんみたいに、沢山友達がいないから、、、。」


私もそれほど友達が多いわけでもないが、妻は生前そう言っていた。



弔問客はもちろん私の友人なども来てくれたが、妻の友人や結婚で退職した市役所の人達も本当に沢山来てくれた。


会場に入りきれず、2/3はロビーから見てもらったほどだった。





あみちゃん、友達が少ないだって?

全然そんなことないじゃん。


君ははみんなに愛されていたんだよ。


もう一つ、大きな会場にすれば良かったね。




心の中で、妻にそう語りかけていた。





私は見送りに来てくれた人々をみて、そう確信していた。




私は月一くらいでBBQや飲み会をしている仲間がいる。


その仲間もお通夜に来てくれた。


仕事関係や、私が知らない妻の知り合いが挨拶に来ても大丈夫だけど、心許せる仲間や一緒に遊んだ妻の友達などが挨拶にくると、思い出が瞬時に蘇って泣けてくる。




仲間の中の女性から写真を手渡された。

「yoshiちゃん、これもっと早く渡したかったんだけどゴメンね。遅くなったけど今日渡すよ。」


私は「ありがとう」と言って、懐にしまった。


仲間が会場に入ったので、ふと写真を取り出して見てみた。



それは妻と一緒に参加したBBQの時の写真だった。

http://secret.ameba.jp/loveemichan/amemberentry-11788442882.html


妻と私が幸せそうに2ショットで写っている写真だった。



どうしてこれを、お通夜にもってくるんだよ。


声をあげて泣きそうになったけど、すぐ写真をしまってどうにかこらえた。




お坊さんが5人も来て、お経を読んでくれた。

お経を聞きながらも、自分が何でこんな事をしているのか、現実感がなかった。






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妻は実行する前に、自殺サイトを見ていた。





「何でこんなサイト見たんだ!何でだ!!チクショウ!チクショウ!、、、、。」


発狂しそうだった。



サイトの内容も見れたものではなかった。


履歴は全て消去した。




この時の感覚は、どういったらよいのか。


裏切られたような気分。

悲しみに怒りが混じったような感覚だった。




ふと、本が目に入った。


妻と仕事をしたいと思って、読んでいた「福祉機器」の本。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11896190676.html




「なんだ、こんなもの!」


本をつかんで投げ捨てた。




クリスマスの時、サプライズをしようと思って印刷しておいた料理のレシピ。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11897590957.html



「クソッ!クソッ!」

泣きながらビリビリに破って、ゴミ箱の上から思いきり投げ捨てた。




ビデオのレコーダーに入っていた、妻が録っていた番組も順番に次々に消していった。



そして妻が「一緒に見たいから録っておいてね。」と言っていた映画にさし掛かった。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11900746857.html



指が止まった。

どうしても動かなかった。



これだけは消すことが出来なかった。




もう、何もかもがどうでもよかった。




ベットに横になる前に、シャワーを浴びた。


髪を洗う時、目をつむることが出来なかった。


なぜか、目をつむることが恐ろしかった。




そして、ベットで横になった。


電気を消して、いつも通り真っ暗にした。



すぐ電気を付けた。




真っ暗にすると闇に取り込まれそうな気分になって恐ろしくなり、電気を消すことが出来なかった。



その日は横になっても寝ることはできなかった。


その後もしばらくは、蛍光灯を付けないと安心して眠れなかった。




今は保安灯で何とかなるようになったが、付けていないとたちまち不安が襲って来て眠ることができない。






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朝を迎えたが、全く眠くならなかった。




ときおり葬儀社に言われたように、葉っぱに水滴を取って口から飲ます動作をしたり、妻の髪を撫でたり。


その場から離れず、ずっと横にいた。



妻の穏やかな表情を見ては、思い出があふれてきて泣けてくる。

頭の中は「何で?どうして?」



この感情が繰り返される。




時間は朝の9時になっていた。


もう会社が始まっている時間だ。



会社に電話をして、簡単な指示を出して電話を切った。


次はお客さんに電話をしないと、、、。




うちの会社の一番大口のメーカーのお客さんだけに電話をした。


ちょうど直近の仕事を抱えていたので、連絡が取れないと迷惑をかけるから。


他のお客さんは沢山いるが、いまだに妻が亡くなったことは言っていない。



きっと幸せに新婚生活を送っていると思っているだろう。





しばらくすると、葬儀社から電話がかかってきた。


会葬礼状に載せるエピソードを聞く電話だった。



昨日の夜、妻に語り掛けたエピソードを話した。


「奥様の印象や好きな物、思い出に残っているエピソードなどお話し下さい。」



「そうですね、、。

私の妻はいつも笑顔の印象がありました。思い出すといつもニコニコしてる思い出ばかりです。

海外ドラマが好きで、よく二人で見てました。

思い出のエピソードですか、、、。


妻は生まれつき足に障害があって杖で歩いていたんですが、私も景色が見せたくてデートで張り切ってしまって、急な坂道を手を引っ張って登って行きました。

岐阜の養老の滝です。


それと、毎年花火をとても楽しみにしていたんですが、初めて浴衣を着て喜んだ日に限って雨が土砂降りりで、、。

後では笑い話なんですが、とても思い出に残っていて、、、。」



ここまで電話越しに話していると、当時の情景が鮮明に思い出されてきた。

この状況で元気だった頃の思い出話は、かなり酷だった。


「すみません。ちょっと待って下さい。」


泣きそうになって、言葉に詰まった。



「大丈夫ですよ。落ち着いてからゆっくり話して下さればいいですから。」



そう言われて、言葉に詰まりながらもエピソードを話した。





昼過ぎになると、義両親が交代で来てくれた。


一度会社に言って、引き継ぎをしないといけないので、一旦家族葬の施設を後にした。



アパートに戻ってシャワーだけ浴びて、車で会社に向かった。




運転していても、景色がいつもと違って見えた。


年の瀬のせわしない中、自分だけ世の中からはじき出されてしまったような感覚だった。




会社に着くと、みんなぎょっとした顔をしていた。


弟には言ってあったが、まさか会社に来るとは思っていなかったのだろう。



弟に引き継ぎの資料を渡し説明を手短にして、30分くらいで会社を後にした。



夕方、家族葬の施設に戻って、義両親と一緒に葬儀の打ち合わせをした。



朝話した会葬礼状の原文がもう出来上がっていた。

「この内容が良いかどうか見て頂けますでしょうか。」


渡された原稿に目を通した。





「きれいにまとめるもんだねぇ」


お義母さんが言った。



私は当時の思い出が一瞬に蘇って、部屋を出て隠れて泣いた。


だがすぐ部屋に戻って、その内容で進めてくれるようにお願いした。




「yoshiちゃん、昨日は一晩ここにいて疲れたでしょう。

今夜は私たちが泊まるから、yoshiちゃんはアパートに戻って休んでね」


本当はまだ一緒に妻と痛かったけど、義両親も一緒にいたいはずなのでアパートへ一旦帰ることにした。




アパートに戻った。



もう妻のいないアパート、、、。



帰って来ても、何もできなかった。


ただ椅子に座って、嘆き悲しむしかなかった。



ふいに妻のスマホが目に入る。



私はスマホは持っていないので、実際に妻のスマホを触りながら操作を覚えていった。



妻がなぜ死んだのか。

何か痕跡は残っていないのか、探した。



LINEの操作もこの時初めて覚えた。



メッセージを見て、痕跡をずっと探す。


最後にメッセージをしていたのはお義母さんで、亡くなった前日には短時間でとても多くメッセージを送っていた。



新しく見つけたうつのカウンセラーに行こうか相談している内容。

妻と同じ障害の二分脊椎で3人も子供を産んでいる人の事。

身体に良さそうな、サプリの内容。

身体の不調の悩み。

時々自分が無能に思えるという内容。



6~7通一度に送っていた。



これは今思うと、躁状態に入っていたのかもしれない。

話していた感じでは、ただ穏やかになったような感じだったが、、。



よくスマホでネット情報を見ていたので、履歴が見たくなった。



どうやって見るのかな?


適当に操作していると、履歴らしきものが出てきた。


履歴は前日の内容だけ残っていた。



それを見て思わず「うわっ!」っと声を上げた。


それは自殺サイトだった。


http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11763985232.html





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病院スタッフについて行き、地下の長い廊下をみんなで歩いた。


照明はほとんど消えていて、地下の長い廊下は不気味な感じがした。



「こちらです。」


案内された場所は霊安室のようだった。


ストレッチャーに横たわる妻と、簡単な祭壇みたいなものがあった。


そこにはもう葬儀社の人が待っていた。



霊安室で簡単にお経を唱えられ、すぐ霊柩車に妻は乗せられた。



そこからは、葬儀社が提携している家族葬の斎場に、まずは妻を移動することになった。



その斎場はエンピツみたいに細い建物だった。


しかも場所は僕らのアパートからでも歩いてでも来れるような場所に合った。


今までもそこに建っていたのだけど、こういう事でもないと見過ごすような建物だった。




らせん階段で2階に上がると和室になっていた。


そこに布団をひき、妻は寝かされた。




「明日はあいにく友引となっておりました、葬儀場は休みとなっております。

まずはこの場所で奥様を安置させて頂きます。よろしくお願い致します。」



それからは葬儀社の社長に、葬儀のプランや今後の流れなどを説明されたけど、ほとんど頭に入って来なかった。


後で段取りの容姿を渡されたので、それを何度も見てようやく理解できた。



その日は私一人が妻と夜を明かすことになった。


線香やろうそくを絶やさないように。




みんなが帰って行き、静まり返った部屋に妻と二人きりになった。


布団に寝かされた妻は、本当に眠っているようだった。



布団の横に、座布団を並べて、妻の横で私も横たわった。



昨日の同じ時間には、ベットの横で一緒に寝ていたのに、、、。


そう思うと、たまらなくなった。



「あみちゃん、どうして?、、、、、。一体何があったんだよ?」

私は妻の頭をなでながら、問いかけるように妻に語り掛けた。


突然私の携帯が鳴った。



葬儀社の人からだった。



話を聞くと、葬儀の時にお返しの品に同封する挨拶状?に載せる内容を聞きたいとの事だった。


故人生前の思い出のエピソードを、明日までに教えてほしいとの事だった。



思い出か、、、。


そんなの沢山あるよ。



私は携帯に入っている写真を見ながら、妻に語り掛けた。


携帯には、まだ付き合う前からのデートの写真やプロポーズした後の写真まで沢山入っている。



「あみちゃん、、。思い出のエピソードだって。何が思い出に残ってる?」


古い写真から見ていく。




「これは3回目のデートの時だったね。あみちゃんが足が悪いのに、綺麗な景色を見せたくて養老公園で山に登ったね。俺もあの時分からなかったからずいぶん無理させちゃったね。」


http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11745705732.html



「でも、しんどいからもう帰ろうって俺が言っても、まだこっちの公園も回りたいって言って二人で行ったっけ。

あの養老天命反転地はきつかったよね。健常者の俺でも根を上げたいくらいだったよ。

二人で汗びっしょりになったね。」




「このデートが今まで一番疲れたって笑ったよね」





そうやって携帯にある写真を順番に見ながら、妻に語り掛けていった。


花火の思い出、プロポーズにまた山を登らせたこと、結婚式で指輪が中々はまらずに親族に笑われた事、、、。




指輪、、、。



さっき病院スタッフに渡された、無造作にポリ袋に入れられた指輪を取り出した。


「この指輪はめる時、全然はまらなくてみんなに笑われたね。あみちゃんも笑って俺も笑っちゃって、、。

楽しかったなぁ。」


http://secret.ameba.jp/loveemichan/amemberentry-11797707107.html



その思いでの指輪が妻の指から外され、無造作に袋に入れられている。



指輪は結婚した証だし、二人を繋げるものだし、指輪をかざして喜んでいる妻の姿がよみがえった。


死が二人を別つまでって言うけど、そんなの嫌だ!



「あみちゃん、俺指輪外したくないよ。ようやく一緒になれて指輪できたのに、、、。

俺、嫌だよ!指輪外したくねえよ!

俺、これからどうやって一人で生きてきゃいいんだよ。

俺を一人にしないでくれよ。頼むよあみちゃん、頼むよぉぉっ!!」



そう言って妻に覆いかぶさって泣きじゃくった。


それからは、妻の頭をずっとなでながら、妻に話しかけていた。


頬や唇はまだ柔らかいまま。


ほっぺを撫ぜたり、キスしたりした。



途中、ドライアイスが溶ける音が呼吸している音に聞こえたり、動いた音に聞こえたりして、本当に死んでしまったのか、耳を口に近づけて確かめたりもした。



途中、わずかにまどろんだような気がしたが、ほぼ眠れずに朝を迎えた。





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遺書のメモ書きが見つかったことが分かると、先ほど帰った警察がすぐ戻ってきた。



「こちらのメモがそうですか。」


警察官はそういうと、遺書のメモ書きをテーブルの上に置き、写真を撮った。



写真を撮り終えると、警官は足早に去って行った。




しばらくすると、病院スタッフが控室に入ってきた。


葬儀社が来るまで、別室であみちゃんと一緒にいて下さいという事だった。



みんなで病院スタッフの後について行く。



急患用の手術室だろうか?


大きな搬送口から直接入れるような部屋に案内された。


そこには先程と同じく、ストレッチャーに乗せられた妻が横たわっていた。



ただ先程と違って、首元を隠していたタオルはもう完全に取り払われていた。



妻の首筋には、くっきりと紐の跡が残っていた。


その跡は真っ赤な色をしていて、はっきりと食い込んだ跡が見える。


食い込み跡というより、紐の形にへこんだ、真っ赤な血の色をした跡といってもいいくらいだった。



ドラマや映画なんかで見る、あんな生やさしいものと違い、もっと痛々しく、深々と食い込んだ跡だった。





まるで眠っているようだった、さきっまでの感想とは違った。


これは生きていられるわけがないよ。


なんでこんな恐ろしいことを、、、。


痛かっただろうな、、、、。苦しかっただろうな、、、。





義両親と私の両親、それと末弟と、ぐるっと妻の周りを取り囲んだ。



お義母さんが、あみちゃんを見て、ストレッチャーのすぐ横にしゃがんで泣き崩れた。



「お義母さん、、、。手を、、、。手を握ってあげて下さい、、、。

俺、さっきまで握っていたから、、、。まだ、、柔らかいから、、、、。」


私は絞り出すように、そう話しかけた。



お義母さんはあみちゃんの手を、指を優しくなでて、そして握った。



お義父さんは呟くように語り掛けていた。


「あみちゃん、、、。さみしいよ、、、、。ずっと一緒に散歩してくれてたよね、、、。

お父さん、すごくうれしかったよ、、、、。

一緒に散歩したいよ、、、。


親より、、、。親より先に死んだらいかんよ、、、、。」



妻はうつに効くと言う『日光を浴びてリズム運動』をするために、日中にお義父さんと一緒に散歩をしたいた。


その時の事を言っているんだと思った。


娘と水いらずの二人きりの散歩は、お義父さんにとっても心休まる時だったんだろうな。



でも2か月で終わってしまった。







お義父さんは、また呟くように語り掛けていた。


「もともと健康な身体に産んでやれんかった俺たちのせいだ、、、。

でも、あみちゃんは恵まれていたんだよ、、、。

親より先に逝ったらいかんよ、、、。


ごめんなyoshiちゃん、こんなことになって、、、。ごめんな、、、。」




私はそれを聞きながら、泣きながらずっと妻の頭をなでていた。



みんなが静かに泣いていた。




一時間くらいがたったと思う。



病院スタッフが呼びに来た。


「葬儀屋さんが到着しました。皆さんで下の階まで移動をして下さい。

あみさんも先に移動させますので。」




そう言われ、皆で下の階まで歩いて行った。






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