女性性の抑圧と性的虐待 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

女性性の抑圧と性的虐待


目次 index(ここからすべての記事に行けます)

コルトレーン、ヘロインを断つ 目次



コータ単独トーク会&デュオ・ライヴ<その2>


<その1>「コータ姐、自身を語る」 のつづき



ジョン・コルトレーン John Coltrane-客席後方から02
来場者は女性が多かった。
写真は Reimiさん によるもの。
前回はアートディレクターから球界に身を投じたところまで。
トークは中盤にさしかかる。



野球界での最初の仕事はアメリカへ野球留学する2軍選手たちの引率だった。高校を出たてで野球しか知らない日本の若者をカリフォルニアの田舎町で面倒を見る。


全く畑違いの仕事に戸惑い、何度か辞めてニューヨークに帰ってデザインの仕事に戻ろうと思うこともあったが、結局その後、福岡ダイエーから西武ライオンズ、そしてニューヨーク・ヤンキース、ニューヨーク・メッツ、で最後には読売ジャイアンツと、20年間も野球界に席を置くことになった。


その間の華々しいキャリアは『WBCの内幕』 に詳しいのでそちらを参照していただくとして、最後の読売時代の業績だけ簡単に振り返っておきましょう。MLBの日本招聘・開幕戦、ヤンキースとジャイアンツの業務提携、某選手のヤンキース入り等々、MLBとの関わりにおいて日本のプロ野球に画期を成すようなプロジェクトに携わり、2000年からはWBC、ワールド・ベースボール・クラシックの企画立案、実施に関わる。


まあ、一般人からするとちょっと溜め息の出るような、大きな仕事でばかりす。並大抵ではない。事実1日20時間働き、家族も誰も見返ることもできずに、取り憑かれるように仕事に没頭したそうです。しかし一方で、何かが違う、自分が求めるものからは逸れているのではないかという意識・疑問が絶えずあった。


「どれだけ大きな移籍を手がけようとも、どれだけ大きなプロジェクトを成し遂げようとも、私は満たされることがなかった。」(『WBCの内幕』p.179)


そして当時、一体何に駆り立てられてそのようなかたちで仕事に没頭するのかを、コータ姐さん自身、全く掴めていなかったといいます。ということでトークはすでに中盤に差し掛かり、いよいよ「コータ」形成ファクターの残る2つが語られます。



それが、WBC第1回大会、サンディエゴで日本の優勝が決まった夜に、自身が女性であることについての洞察が、言語による分節が不可能なかたちでコータ姐さんに訪れ、満たされなさ、「渇き」の原因が明らかになる。


この後同じことを続けて年収何千万も稼ぐことができる。しかしこれ以外に自分の存在価値は見出せないという有無を言わせぬ強度で感情が溢れ出てきた。最早自分の中の「性」の問題をやり過ごすことはできない。自身の性への違和(性同一性障害)というもう一つの重要なファクターです。


そしてさらに、『WBCの内幕』では語られることのなかった性的虐待に言及される。トラウマティックな体験を語るにあたり、コータ姐さんの声のトーン、口調はやや重くなり、瞬時途切れることもあったがその都度意を決するように語を次いでいました。


渡英前の3歳の頃に性的虐待を受け、大きな傷を負って10時間に及ぶ手術を施された後、特別なメンタル・ケアも無しに他の病気や怪我の子供たちと一緒の大部屋に入れられたこと。そして心的・身体的外傷を負った「息子」を気遣う以前に、自身が混乱してしまってヒステリックになった母親に「お前がおかまだったからこうなったんだよ」と言われたこと。この言葉は、他のファクターと絡まりつつ言い回しを変えたいくつかのヴァリアントと共に以後強迫観念として後々まで残ることになる。


問題が深刻だったのは性的虐待がこれだけではなく、以後頻繁に繰り返されたということで、インドでは大使館の職員から受け、士官学校でもギャング・レイプが長いこと続いた。そしてその度に「結局自分が至らないからこういうことになったんだ。」「自分がおかまだからこういうことになったんだ。」「自分が絶えずアウト・サイダーだったからこういう目に遭ったんだ。」という具合に人には決して打ち明けることのできない悩みとして蓄積していった。



したがって、「部外者 outsider」であることはコータ姐さんの場合、幾重にも増幅されている。異文化間で揺れ動き帰属意識が希薄であるという点、自身の性への違和、そして性的虐待。それらが分かち難く絡まり合い絶えずコータ姐さんの内部に蹲っていたということになる。しかしまあ、よくこれが精神の病として発現しなかったものです。


結局それらの抑圧が反動となって「石島浩太」を猛烈に仕事へと駆り立てていたわけです。しかし野球界で20年間、「これではない、これではない」といくつもの球団を巡って移籍し、真の充足を求めてきたが、真実は自分自身の中にあった。そのことにWBCの第1回大会での日本の優勝が達成された時、つまりコータ姐さんにとって本来のゴールではない仮託されたゴールが崩れ去った時に、初めて自身の心の中の真実に気付いたということです。


とすると、アートディレクターに昇り詰め、しかもその地位をあっさり捨てて球界へ身を投じたということも今や容易に理解できるのではないかと思います。それは何より自身が女性であること及び性的虐待、ひいては「部外者であること」を抑圧するかたちで得られた地位であり、真の自己実現からは逸れていたからなのでしょう。


無論、電通での仕事も、球界での業績も、対社会的には十分に適応的な「昇華」といっていいと思います。しかしコータ姐さんの心の真実・真理にとってはある意味で「症状」「徴候」だった。


だが何と華麗な「症状」、何と華々しい迂回であることか。なんとはなしに必然、過去の性において課せられたもの、といった印象をも抱かせます。もし電通Y&Rの4年目にコータ姐さんが既にトランスジェンダーだったとしたら、果たしてダイエーの中内氏からオファーがあっただろうか、と、今になってQ&Aのコーナーで質問しておけばよかったようなことが思い浮かびます。



「アイ・オープナー~今日に至るまで」 につづく




コルトレーン、ヘロインを断つ 目次

目次 index(ここからすべての記事に行けます)





--------| ・人気blogランキング | ・ブログセンター | ・音楽ブログ ジャズ・フュージョン |-------

--------| ・くつろぐ ブログランキング | ・ブログの 殿堂 | ・テクノラティプロフィール |---------