「届け」~2016.7.19 アメンバー記事として投稿していました~ | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

アメンバーのみなさま


こんにちは

いつも ありがとうございます



開業届を出してきました

数年前から 

日記や お願いごとを書いているノートや 新月になるたびに

記してきたこと

「開業する」

具体的に何で開業届を出すのかまでは 自分でもわかっていませんでした

はっきりしてきたのは 今年に入ってからかなぁ


2012年 初夏 

をとおして知り合ったみかさん から

「妙子さんに あう気がする」

と キネシオロジーによる施術の、西条の くりあばらんす  さんをおとずれたのが

2012年 9月21日

ちゆきちゃんの施術が 

たのしくて たのしくて

それまで 身体の奥底にもぐらせていたものを見つけて、ひっこぬいてもらえて

ありがたくて ありがたくて

こんなものがあるんだと 泣いたり笑ったりでした

それからは 広島から西条に 機会あるごとに施術をしてもらいに出かけたり

また カードリーディングするときに リーディングメッセージを受け取りながら

私の身体に反応が感じられるものがあると

こころや魂に繋がるものがあるのでは・・・?

と想ったときは、その意味を

ちゆきちゃんに 教えていただくこともありました

とは言っても、ちゆきちゃんが エネルギー(時間やお金だけでなく)をたくさんかけて

学ばれたことを たびたび 教えていただくことは、どんなものだろう

それでいいわけないよな

と 自分でも キネシオロジーを学びたいような気持が芽生えてきました

・・・まさかね、いや まさかまさか

だって カードがあるし、パートの仕事してるし、子育てしてるし・・・

そのうえ まだ何かを学ぶなんてね

今あるものを 大切にしなきゃね

なんて 打ち消したりもしていました


その後 ○○の病気の発覚、入院があり

心身ともに すべてを閉じてしまったような○○に

何かできないかと レイキの伝授をしてもらいました

自宅にいても 病室や病院を あたたかく包むことができるのではないかと

望みました

退院後 数年が経っても ○○の様子に

胸がふさがれる日々が続きました

病気は治らないかもしれないけれど、病人になったままでなくてもいいじゃないか

(私の、「○○を変えたい」 という気持ちが強すぎたことが

そもそも 苦しみを生み出していたことに気づくのは ずっと後になってからですが)

そんな○○に、ちゆきちゃんの施術を受けないかと 機会をみては声をかけました

そのうち、西条よりも わが家から近い、ちゆきちゃんの先生の施術なら 受けやすいのではないかと

そちらに誘ってみました

○○が ちゆきちゃんの先生の施術を受ける気になり、おとずれたのが

2015年 春

施術の前に 先生による「禅カウンセリング」がありました

施術を受けることで 自分がどうなりたいのか、「目標設定」するのです

自分が抱えている問題が何なのか、クリアにし

どのような状態を自分がのぞんでいるのか 明確にし、アプローチしていくのです

○○の状態・・・というより もともとの性格が、自分の感情や問題を伝えることをよしとしないのか?

カウンセリングは なかなか進まず、数時間に及びました

先生の問いかけに答えるのに、気が遠くなるほどの時間をかけて 答える○○

「こんなに人の話を聴くことに よく我慢できるな」

と 隣りの部屋で待っていた私は

先生のカウンセリングの様子を 壁越しに聴いていて、感動していました

施術が始まると、先生にふれられたところが

痛みやこそばゆさで

○○が うめいたり、笑ったりする様子が聴こえてきました

どのくらいぶりかで聴く、○○の笑い声でした

「この施術、すごいな」

○○の笑い声を聴きながら

隣りの部屋で ひとりで泣いていました


○○が 病院から処方される薬や治療だけでなく

キネシオロジーを併用していくことを期待したのですが

「施術はいいんじゃけど、その前の話がね・・・」

と ○○は 施術に通うことはしませんでした

先生から キネシオロジーの自己調整を学ぶ教室へのお誘いもあったのですが

「・・・どうせ (自分は)そんなことせんし、続かんけえ
行ってきたら?」

と 私にふってきました

・・・えっ?? 私??

その頃 転職と起業に向けての将来を考えていた私は

飲食の仕事をやめたばかりだったので、時間はありました

・・・じゃあ、○○が施術に通えばいいと用意したお金で 私がキネシオロジーを学ぼう

施術前のカウンセリングなしで、○○に施術できるようになれば いいんじゃね?

という流れがあったのか、なかったのか

ただ 私が学びたい、やりたいことの 「方便」 になったのか

キネシオロジーを学び始めました

学び始めた頃は 開業までにいたるとは想っておらず

見慣れない難しい漢字がたくさん出てくるテキストや 筋肉や骨や・・・

焦りと不安で こんがらがりました

こんなことしてて いいんだろうか?

もっとパートの時間を増やして 収入を増やすことをした方がいいんじゃないだろうか

それでも 先生に言われた

「30日続ければ 『気』 が変わる、100日続ければ 『(なんだったっけ?)』 が変わる」

を 励みに、自己調整を続けました

劇的ビフォー・アフター

が あったかなかったか・・・

それでも 何かが 変わるというより、私自身が 静かに落ち着いていくのを 感じました


家族や親戚、ともだち、練習仲間と 施術の練習を繰り返すうち

痛みがやわらぐことや、ストレスが軽くなるようだと 喜んでもらえることも

反応がわからないときは わかるようになりたいと想えることも

ただただ 人の身体にふれることも

おもしろい と感じていました


だからといって 自分が開業するという勇気は なかなか持てませんでした

他の施術者やインストラクターの方々の存在を見ると

怖気づいてしまう


自分がしたい と 想っていることをごまかしていたら

身体に反応が出てくることにも 気づいてしまうようになってきてたし

「それ、ちがうでしょ?」

と あちこち(人ではない)から 言われる気がする


あー、やりたいんだ

怖くても めんどくさくても やりたいんだ

開業したとして

うまくいっても いかなくても

誰にも 何も 関係ない

ただ、私が したいだけ

ただ、私が (今生 ここで これで) 遊びたいだけ

もお いいじゃん

それで いいじゃん

きっと たのしい

それで いいじゃん


長くなっちゃいましたが 

そんなことがあり、開業しました

このブログで キネシオロジーのことを書くことがあるかどうかは わかりませんが

「キネシオロジー たどりみ」  

として 開業しました

身体を たどって、ただ みる

自分も相手も コントロールすることなく、ただ そのままをみる

ということがしたくて、名付けました




どこかで ご縁がありましたら

どうぞ よろしくお願いいたします



妙子