新高塔山伝説!―BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』Ⅱ | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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※「新高塔山伝説!―BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』Ⅰ」からの続き。

 

 

第一部と第二部の間には協賛している専門学校の背骨コンディショニング協会・創始者の挨拶があるなど、“北九州ローカル”がこのイベントらしく、微笑ましくなる。同フェスの協賛には大手企業などではなく、地元の建設業社や商工会議所、医療法人、専門学校、企画会社……などが名を連ねている。大都市の大手イベンターが仕掛け、仕切るものとは、まったく違う。あくまでも地縁、血縁の縁結び、地元のために地元の人達が手作りで盛り上げる、北九州の祭りのようなイベントだ。

 

 

雨は止むことなく、ステージに激しく降りつける。そんな中、第二部のオープニングとして、大江慎也率いるShinya Oe & Mothers Sunshineが登場。メンバーはいうまでもなく、大江慎也(Vo、G)、高木完(G)、渡辺圭一(B)、梶浦雅弘(Dr)というラインナップだ。野外でのライブは久しぶりだが、ライブの回数を重ねる度にルースターズでもソロでもない、Shinya Oe & Mothers Sunshineとしての“CORE”のようなものが現れるつつある。演奏後、大江も言っていたが、演奏の初めはモニターが聞こえず、手探り状態だったそうだ。確かにノイズも多く、キーも外していたが、むしろ、豪雨による幻想空間の出現という自然の演出もあってか、それが「ヴィーナス」などでは“サイケデリックな夢の世界”へと導くかのようだ。そんな幻想的な世界の曖昧な輪郭が終盤へ向かって、焦点が合いだし、鮮明になっていく。豊穣なビートの乱舞、そしてエッジの立った歌と演奏が聞くものの脳天を直撃する。ラストはロックンロールビートの礎とでもいうべき、「I'M A MAN」を放ち、聞くものを音の法悦境へと誘う。まさに大江慎也無双状態、無敵のビートバンドの高塔山での咆哮である。久しぶりに生で見たShinya Oe & Mothers Sunshineはとてつもないバンドに成長していく、そんな予感を抱かせるものがあった。同時に大江がヤマジカズヒデ(G)、KAZI(Dr)と組んだもう一つのバンドであるShinya Oe & Super Birdsも期待せずにいられない。まさに大江慎也の旬はこれからだろう。

 

 

大江に続き、HANADA・IKEHATA・ICHIKAWA・IMAIが登場する。メンバーは花田裕之(Vo、G)、池畑潤二(Dr)、市川勝也(B)、イマイアキノブ(G、Vo)というラインナップ。ROCK'N'ROLL GYPSIESへ下山淳の代わりにイマイアキノブが参加している。一昨年、下山が体調不良で、長期休養した際にイマイはサポートで参加している。今回は体調不良ではなく、スケジュールの都合である。この日、下山は延原達治とのツアーの真っ最中、名古屋でライブをしている。延原とのツアーの前にはイマイとツーマンライブを行っている。

 

 

「Love Hurt」、「ひとつ」、「空っぽの街から」を畳みかける。花田は“チャーリー・ワッツに”と、彼への思い込め、「Under My Thumb」を演奏する。おそらく彼らに限らず、北九州のバンドにとって、ローリング・ストーンズはロックンロールの入り口のような存在ではないだろうか。実は、この日、池畑は出演時間のかなり前に会場に駆けつけ、自らのドラムセットをバックステージに組んでいる。それにはチャーリー・ワッツの死後、キース・リチャーズが自らのSNSに投稿した無人のドラムセットに「CLOSED Please Call Again」のプレートが掛けられたものを模したものだったのだ。

 

イマイのヴォーカルもフィチャーされるが、いい意味で違和感はなく、そのままGYPSIESのメンバーと言ってもいいものがあった。それだけ、彼は馴染むと同時に変な自己主張をしないところが奥ゆかしい。HANADA・IKEHATA・ICHIKAWA・IMAIは痛快に飛ばす。先日、京都「磔磔」での“復活ライブ”を配信し、ROCK'N'ROLL GYPSIESの健在ぶりを見せつけたばかりだが、その好調さを維持し、この4人でしかだせない音をたたきつける。土砂降りにも関わらず、そんなアクシデントをものともしない、圧巻のステージを見せてくれた。

 

この日、最後にステージに上がったのはいうまでもなくシーナ&ロケッツ。 鮎川誠(G、Vo)、 奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)の3人がステージに登場。「Batman Theme」、「ビールスカプセル」、「ホラ吹きイナズマ」と、爆音ビートを高塔山に轟かす。彼らが登場する頃には雨はすっかり止んでいる。なんというお膳立て。そして、「スイート・インスピレーション」で、鮎川とシーナの愛娘、 LUCY MIRROR(Vo、Tamb)がステージに飛び出してくる。彼女にとっては初の高塔山のステージ。その喜びをパフォーマンスで体現する。そして、“シーナの愛した高塔山、ここは皆のハッピーハウス”と叫び、「HAPPY HOUSE」を歌う。自分達の思いがシーナに届けとばかりに熱唱する。

 

鮎川はシーナが見ていると言う。そして一緒にいると発言した。シーナがここでロックをしたいと言った高塔山でのステージは格別ではないだろうか。その場にいた多くのものがシーナの存在を感じていたはずだ。

 

鮎川はこの日が結成43年目の最後のステージで、2日後の11月23日(火・祝)には新宿ロフトで44回目の誕生日ライブ(『新宿LOFT45周年×シーナ&ロケッツ44周年記念公演』)があることを告げる。そして、この数日前、11月19日の国の文化審議会で、北九州市の若戸大橋の重要文化財(建造物)指定が内定したことを告げる。若戸大橋は洞海湾を横断し若松区と戸畑区を結ぶ道路橋。渡船に代わる交通手段として当時の日本道路公団が約51億円で建設し、高度経済成長期の1962年に完成。国内初の海を渡るつり橋である。赤色の外観が特徴で、現在も1日3万台を超える車が通るという。若戸大橋ができたことで、若松と戸畑の行き来はしやすくなり、それがその後の交流に少なからず影響しているのではないだろうか。高塔山伝説には若戸大橋の存在を抜きにしては語れないだろう。まさにロックンロールの鼓動(“BEAT”)を伝える架け橋である。鮎川は“ROCK'N'ROLL GYPSIESがサンハウスの『おいら今まで』をやってくれた。シーナ&ロケッツもサンハウスの曲を1曲聴いてください、『もしも』です」”と語り、同曲を演奏する。何か、円環のようなものを感じさせる。考えてみれば、このフェスが元BOØWYの高橋まことのユニットで始まり、シーナ&ロケッツが締めくくることも何か、因縁めいたものを感じさせる。BOØWYやシナロケ、ザ・ルースターズ、ザ・モッズ、ザ・ロッカーズなどの「存在」や「活躍」がなければ日本にロックンロールのBEATはいまのように繋がっていなかったのではないだろうか。自らがBEATの架け橋となる。ロックンロールの夢と希望をいまに繋ぐ。

 

シーナ&ロケッツは「You May Dream」を歌い終えると、ステージから消える。観客からはアンコールを求める拍手が止まない。彼らがステージに再び登場する。鮎川は“今年の夏(現地時間、8月24日)に俺たちをロックに導いてくれたローリング・ストーンズのドラムのチャーリー・ワッツが天国へ召されました、俺たちはチャーリーのドラムを高校一年からずっと聴きよった。「Route 66」から、大江がやった「Not Fade Away」、「Mona」、「Around & Around」、最初からぶっ飛ばすロックンロール、全部チャーリーのビートで俺は大きくなった。今日は、俺たちの『ピンナップ・ベイビー・ブルース』のアルバムにも入れたけど、「(I Can't Get No) Satisfaction」をチャーリーに捧げます”と告げ、印象的なフレーズを弾きだす。本来であれば、花田や大江など、この日の出演者とともにセッションとなるはずだが、この日に限り、密を避けるため、ごく数人がステージに上がるのみ(元々、バックステージも密を防ぐため、基本的に出演1時間前に会場入り。出演後は会場に留まらず、順次帰るようになっていた)。それも2021年11月21日の“リアル”というもの。

 

鮎川は“ありがとう、高塔山”という言葉を残し、ステージから消える。時計は午後7時37分を指していた。約6時間にも及ぶ、“SUNNY DAY SPECIAL”は終わった。

 

 

“SUNNY DAY”とは名ばかり、“RAINY DAY”だったが、最初から最後まで“完走”したものは誰もが満足そうな顔をしている。フェスをお祭りとするならば、その場にいるものの誰もがフェスを盛り上げる主役だった。ミュージシャンは言うに及ばず、ステージ制作や配信のスタッフ、オーディエンス、メディア……など、誰一人欠けてもこの日のイベントは成り立たなかっただろう。

 

そして、それをまるごと記録しようとしている。この記憶に残る一瞬を記録に留める、それが“SUNNY DAY SPECIAL”である。そのため、ドローンやワイヤーカメラ等を可動、ステージ前に固定カメラを設置、撮影クルーがステージに上がるなど、観客の方の中には見にくく、カメラマンがいることで興を削ぐと感じるところもあったかもしれないが、しかし、それを含めてこの日の出来事である。

 

豪雨の中、スタッフは粛々と献身的に仕事をこなす。配信や報道のカメラマンはレインギアを纏い、ひるむことなく、ステージに挑み、カメラを向ける。また、音響チームは雨による機材トラブルもあってか、モニターが聞こえないということもあったが、それを見事に克服し、修復させている。北九州人の仕事に対する誠実さや矜持を見る思いだ。

 

なかにはボランティで手伝った方もいるかもしれないが、手抜きなど一切なし、遊び気分などではなく、真剣に取り組む。それはステージや客席だけでなく、入場口から客席へと至る受付や物販エリア、飲食エリアなどにも貫かれていた。入場時の検温や手指の消毒、防寒対策として使い捨てカイロの配布、清掃やゴミの分別、消毒液やウェットティシュの常備なども徹底していた。また、足の悪い高齢の男性が手すりを伝わり、降りてくると、それをみつけた会場案内のスタッフがすぐにかけ寄り、その手伝いをする。その男性は手間をかけたくないのか、足が悪いのを悟られないようにしていたらしいが、係員に見つかってしまったことで、ばつの悪さを感じつつも、そのスタッフのサポートを素直に受け入れる。そのやりとりに気遣いや思いやりがある。そんなところも北九州人らしさかもしれない。

 

また、オーディエンスも悪天候の中、様々な制約や制限があってもその場を退かず、ステージを見続ける。そんな我慢強さも北九州人ならではだろう(勘違いなら、申し訳ない!?)。

 

ここにいる誰もがドラマの主人公である。皆で作り上げるロックフェスだ。とりあえず、11月21日(日)のイベントは幕を閉じた。高塔山伝説に新たな章が加わった。しかし、それは始まりである。新たな伝説の終わりではない。HIDEが告知している通り、ドキュメンタリーが完成した時点で完結するものだろう。公開はいつになるかわからないが、その場にいれなかった方、配信を見れなかった方を含め、もっと多くの方に高塔山で起こったことを見てもらいたい。同時に来年こそは、入場者数限定や配信など、スピンオフではなく、普通の形で開催されることを切に願う。北九州のロッカー達が新たな橋を架けるところを体験してもらいたい。

 

 

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高塔山から若松へ、知り合いの車に相乗りさせてもらい、高塔山を下る。車窓には眩いばかりに赤い輝きを纏った若戸大橋が見える。橋を架ける。それは単なる交通の利便性を向上させるだけでなく、人や物の交流を促進していく。そんな中から生まれるものもある。高塔山のフェスが新しい章を加える数日前に高度成長期に完成した若戸大橋が国の重要文化財(建造物)指定が内定する。偶然でしかないが、必然であると言いたくなる。私にとって、そこで生まれた音楽こそ、重要文化財である。勿論、それは遺跡などではなく、いまも生きている。現在進行形だ。

 

 

なお、以下のHP「福岡BEAT革命」でも記事を公開している。本ブログに掲載されていない写真なども紹介しています。よろしかったら、ご覧ください。

 

新高塔山伝説!――BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』 (fukuokabeatrevolution.com)

 

 

☆高塔山ロックフェス - SUNNY DAY SPECIAL 2021 - MOVIE ARCHIVE