新高塔山伝説!―BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』Ⅰ | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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その日、東京の羽田を早朝に出発する。福岡空港へは9時には着いた。地下鉄で博多駅へ。そして、博多から開演に間に合うように戸畑を目指し、JR鹿児島本線快速・小倉行の列車に飛び乗る。戸畑でタクシーを拾い、若松の高塔山を目指す。

 

 

戸畑から若松へは若戸大橋を通って行く。若松行きは3回目、高塔山を上るのは2回目になるが、考えてみたら若戸大橋を渡るのは初めてだ。2年前はフェスの翌日、小倉へ行く際に若松から戸畑へ渡船を利用している。今回は前乗りではなく、当日入り。開演時間に間に合わせ、最速で会場に着くため、主催者の方にルートを提案していただいた。高塔山へは若戸大橋を利用すると、戸畑から20分ほどで着いてしまう。ちなみにタクシーの運転手の方によると、若戸大橋は若松と戸畑を結ぶから若戸大橋と命名されたらしい。

 

若戸大橋そのものは全長627m、路線距離は2.1k。橋を車で渡っている時間は数分(体感としては数十秒)と、あっという間だが、改めてこの橋が北九州の人達にもたらしたものを考えることになるのは数時間後のことだった。

 

 

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2年ぶりの開催である。北九州のロック・シーンにとって、数々の伝説を生んだ“聖地”とでもいうべき場所、北九州市若松区にある高塔山野外音楽堂。この2021年11月21日(日)に同所で『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』が開催された。昨2020年はコロナ禍のため、中止を余儀なくされたが、今年はこの状況下、「ロックフェスと感染症対策の両立」をテーマにどのようにすれば開催できるか――同フェスの主催者であるMeena & The Gryder(ミーナ&グライダー)の倉掛“HIDE”英彰は『晴れた日の高塔山で』というメッセージを同フェスのHPに掲載している。

 

“今できること。今しかできないこと。感染症対策と生音を浴びる場の両立をテーマに、プランニングした新しいフェスのヒントは、テレビショーにありました。60年代に海外から発信されたロックミュージックは、モノクロのテレビの中。新しい音楽、魂を揺さぶるそのヴァイブは、世界中の若者を虜にし、今あるPOPミュージック全ての基礎となるほどに衝撃的だったのです。そんなテレビショーをコンセプトとして、WEB配信用のカメラで囲まれたステージ、距離を保ちながらもヴォルテージを高めてくれる良質のロックミュージック、大声で叫んだり、お酒のハッピーはなくても、野外ならではの解放感、そして自由をあらためて体感いただきたい。そんな観覧方法でご堪能いただく事こそが、私たちが提案する今しかできないこと。それがコロナ禍開催の『高塔山スタイル』です”

 

いわゆる有観客だが、入場者数は限定、そして会場だけでなく、配信でもライブを見てもらうというスタイルである。通常のイベントとは違うもの。HIDE自ら“スピンオフ”と名付け、配信で収録した映像などを含め、記録映像の制作も予定されているという。10月1日に緊急事態宣言の解除やまん延防止等重点措置などはなくなったが、イベントに関しての制限は部分的に緩和されたものの、基本的にはそのまま。いずれにしろ、このコロナ禍の新しいルールに基づいた、新しいスタイルでの開催である。開催日が近づくにつれ、感染者が激減、ライブやイベントの規制や制限も段階的に解除されるなど、状況は良くなりつつあったが、予断は許さない。このイベントの成立過程を忘れてはいけない(開催を告知した時点では新型コロナウイルスの変異株である「オミクロン株」は、日本では感染の確認はなく、その名前を知るものもいなかった)。

 

当然、感染しない、感染させない――そのため、ミュージシャンやスタッフだけでなく、取材関係者も抗原検査が実施された。抗原検査キットを事前に送ってもらい、開催日の前日、検査キットの結果(鼻腔部分に減菌綿棒を挿入し、粘膜表皮を採取。減菌綿棒を検体抽出液に浸しノズルを挿入する。それをテストプレートに3滴滴下し、15分待つ。陰性、陽性はテストプレートの線上に表示されるというもの)を撮影して、事務所へ送たなければならない。陰性であることが証明されないと、その場に足を踏み入れることはできないのだ。それだけ、細心の注意を払い、ことに臨んでいる。

 

改めて“高塔山伝説”とは何か、2年前に高塔山ロックフェスを紹介した際に書いている。繰り返しになるが、HPから改めて引用しておく。何故、高塔山で開催されることに意味があるのか、わかるだろう。

 

“1962年、東洋一の吊り橋『若戸大橋』の開通記念で開催された『若戸博』。その会場となる事で整備された『高塔山公園』、そして『高塔山野外音楽堂』。まるでゴールデンゲートブリッジとハリウッドボウルのカップリングともいえる当時のモダンなランドマークが、シーナさんの故郷『若松』には存在する。『ロックな街』北九州若松から、やがて You May Dream!『シーナ&ロケッツ』が旅立ち、高塔山で産まれた『ルースターズ』のサウンドが日本のロックに革命をもたらした。その後もアップビート、ゼロスペクター等、次々とシーンへ駒を進める中、プロデューサー倉掛“HIDE”英彰『ex.NEW DOBB』もメジャーデビュー。東京へと向かった。『シーナ』の想いが詰まった1つの場所、『鮎川 誠』という1人の存在が街を変えた。忘れられない1976年の冬、HIDEが大江慎也、池畑潤二 両氏と共に『バラ族』としてステージに立ったその日こそが、鮎川夫妻との出会い『未来を予感した日』だった。そんな体験、当時の空気感こそ、次世代へと語り継がれてほしい。シーナさんが残してくれた『高塔山伝説』のリアルだ。”

 

 

そんな伝説を抱く場所である高塔山で行われた2年ぶりのロックフェス。『晴れた日の高塔山で』というテーマ通り、当初、荒天が予想されていたが、幸いなことに天気予報が外れ、秋晴れになる。緑に囲まれた会場は、遠くに洞海湾、若戸大橋を望む。心地よい環境での開演になる。

 

午後1時過ぎに司会者の挨拶と共にMakoto & kazのライブがスタートする。元BOØWYのドラマーにして、“ミスターエイトビート”、“原子のドラム”の異名を持つ高橋まことと北九州出身の“soul guitar”を合言葉に魂を込めギターを掻き鳴らすギタリストのkazのユニットである。二人は心地良いビートを叩き、弾き出す。そして、kazが開口一番、“ライブハウス高塔山へようこそ”と告げる。いうまでもなく、かのBOØWYの初の武道館で氷室京介が言い放った言葉へのオマージュである。それは“ライブハウス高塔山”のオープニングに相応しいものだろう。彼らのステージでは「Bad Feeling」や「Dremin!」など、BOØWYのナンバーもカヴァーされた。

 

 

続いて登場したのは横道坊主の中村義人。前回、2019年はバンドとして出演したが、今回はソロとして出演。長崎出身の彼らは高塔山の常連でもある。中村はこのコロナ禍によって、バンドとしての活動が制限されたため、ソロとして各地を巡っていた。そうした活動の中からソロ・アルバム『1964 -Nineteen Sixtyfour-』(中村は1964年2月5日生まれ。横道坊主のHPによると長崎への感謝の気持ちを込めた「1964 -Nineteen Sixtyfour-」を筆頭にアコースティックソロのライブで育てられた4曲に加え、新型コロナを題材に新たに制作された楽曲をボーナストラッックとして収録されているという)を2020年11月にリリースしている。ハードな横道坊主から一転、メロウなアコースティックギターの弾き語りながら心地良いビートを紡いでいく。特にソロ・アルバムのタイトルトラックは感謝と祈りの歌でもあり、生まれ故郷や家族への無垢な愛が歌われ、バンドとは、また、一味違う魅力を放つ。この日も披露したが、歌やギターだけでなく、むせび泣くようなハープも琴線に触れるものがある。ちなみに彼の演奏後、会場の物販エリアで同アルバムを買い求めている。いまも繰り返し聞いている。機会があれば、聞いてもらいたい。

 

 

続いて元すかんちのROLLYとのコラボレーションで知られる北九州発のグラマラスでグリッターなバンド、NEO FANTASTICが登場。音楽的にも人脈的にもサンハウスや南浩二の遺伝子を持つバンドである(ヴォーカルのHURRICANEは南浩二のTHE CONSTRICTORSのメンバーだった)。彼らも“高塔山”の常連である。その華やかで艶やかな音の間に覗く人懐いポップさが聞くものを虜にしていく。「恋はHで」や「恋は決心」などを聞くと、“GS”っぽいというと誤解を招くかもしれないが、いい意味での下世話さがアングラな音楽性と共存する。不思議な魅力を持つバンドだ。彼らの演奏中に晴れていた空が暗転。雨が降って来る。その時は、まだ、熱くなった心と身体をクールダウンさせるお湿り程度。激しい雨は高塔山に打ち付けるのは、数十分後のこと。

 

 

NEO FANTASTICのステージの後、ステージには雨を防ぐため、赤いテントが設置される。そして北九州の首領、福嶋伊玖磨率いている190Rが登場。会長こと、九州音楽業界のBOSS(いまなら“BIG BOSS”か)福嶋は約45年前、福岡県筑豊で「エレクトリックファミリー」を設立。イベンターとして多くのコンサートやイベントの企画・制作を手がけ、北九州市黒崎にあるライブハウス「マーカス」の運営にも携わる。「九州から音楽を発進!」をコンセプトに「EFコーポレーション」を設立し、2003年に175R をメジャーデビューさせている。昨2020年2月25日(火)、東京・下北沢「GARDEN」で開催された~KAICHO"69"BIRTHDAY SPECIAL LIVE~『九州音楽業界のBOSS福嶋会長を慕うミュージシャンが一同に集まりスペシャルバンドを結成し祝う夜』には横道坊主、鮎川誠、延原達治、百々和宏、ウエノコウジ、宮田和弥、三宅伸治、穴井仁吉、梶浦雅弘、花田裕之、下山淳、市川勝也、池畑潤二……など、錚々たるメンバーが集結している。一昨年の高塔山にも出演、強面の風貌とは裏腹にはっぴいえんどやPYGのナンバーを味わい深いヴォーカルでカヴァー。この日もPYGの「花・太陽・雨 」、 「自由に歩いて愛して」など、滋味溢れる歌と演奏で会場を沸かす。博多弁で歌ったオリジナル「クラスゾキサン」(“くらす”は博多弁で、“殴る”こと、“キサン”も同じく博多弁で“貴様”のこと。“殴るぞ、貴様”という意味になる)、そして若松を歌い込んだエディ潘の「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」などを披露する。

 

 

第一部の締めはこのフェスを主催者として仕切る倉掛“HIDE”英彰率いるMeena & The Gryder。HIDEは1986年にNEW DOBBでメジャーデビューを果たし、沢田研二などへの楽曲提供でも知られ、現在は地元、北九州を拠点に福岡の様々なイベントやセレモニー、キャンペーンのテーマソング(北九州市長を始め、多くの観光大使が参加した動画「HAPPY KITAKYU」のエンディングテーマや飯塚オートレース公式イメージソング「AUTO RACE」)を手掛けるなど、北九州のレジェンドとリアルを伝えるアーティストである。その彼が愛妻、ミーナと結成したのが同バンドだ。2015年には若戸大橋をイメージした1stシングル「赤く塗れ!」をリリースしている。HIDEは”RAINY DAY SPECIAL”と自嘲気味に語ったが、彼らの出演時になると雨は一段と強く降る。今回は裏方に専念し、あまり表に出ないHIDEだが、このときばかりは思い切り、弾け、生きのいい音を聞かせてくれる。「BLACK WOLF」や「Distant Lover」など、NEW DOBB時代のナンバーも披露されたが、これはミーナの要望だという。まさに伝説の高塔山で、東京進出の契機となったバンドのナンバーをいま、歌う。何か、必然のようなものを感じさせる。

 

※「新高塔山伝説!―BEATの橋を架ける『高塔山ロックフェス SUNNY DAY SPECIAL』Ⅱ」に続く。