主人とお手伝いさんと客 | 統一原理の生活化

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今年になって再認識させられている事がある。

家庭盟誓の「天一国主人…」という言葉。昨年、文先生が聖和され、次第に意識させられていたが、今年になり、強く認識する言葉が「主人」。


これからの歩みは「主人」でなければ乗り越えられない。


家に客を招いて料理を出すとする。主人は、客にどういう料理を出せば喜ばれるか、あれこれと思案する。主人自ら、真心を込めて料理する。そしてそれだけでは間に合わないので、お手伝いさんにも料理を頼む。


主人とお手伝いさんが一緒に料理を作る。

同じように作るのだが、微妙に違う。

主人は客の好みを考え、喜ぶ姿を想像しながら作る。

 

お手伝いさんは、客の事がわからないので、主人から言われたままに作る。しかし喜ばせたいという気持ちより、間違いがあったらいけないという気持ちが強い。だから創意工夫はしない。


さてこの例えにある客とは神様の事。料理とは地上天国。主人とお手伝いさんは天国を創る食口。

私は主人とお手伝いさんのどちらだろうか。


教会から言われるままにやる。言われたことをやる。言われないことはやらない。その通りやっていれば、いつか天国ができると信じて。アベルの言う通りにすれば、天国に入れると信じて。自分の中には、天国の青写真や建設計画はない。


ビル建設の現場で、監督だけが建設内容を把握していて、その他の作業員は何もわからない状態で、その都度、指示されるままに作業する。どれだけ非効率なことか。


何十年とこのような事を続けてきた。


1、天一国とは具体的にどういう世界か?

2、個性完成とは具体的にどういう基準か?

3、天一国は伝道さえすれば出来るのか?


キリスト教がどんなに教勢を拡大しても、キリスト教国家はできなかった。国の壁を越える鍵を握っているのはメシヤ。さてそれを今、知っているのは誰か?


天一国主人は考えなければならない。教会に指示されるままに動くだけ。組織問題を批判するだけ。


どんなに爆発的伝道と言われても、お手伝いさんでは進まない。主人とは氏族メシヤのこと。お手伝いさんとは教会。今は、お手伝いさんの指示に主人が従っている状態。


もうそろそろ、これが逆転しない限り、天一国は7年後にも見えてこないだろう。



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