組織につまずく? | 統一原理の生活化

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昔、献身者の修練会を担当していた。新しく献身してきた兄弟に、その動機を聞くと、意外と多かったのが、「周囲の人が献身するから」「責任者から薦められたから」など。


そして献身とはどういう意味かと聞くと、「仕事を辞めて教会の活動に専念すること」という返事が多かった。


確かに、現実的にはそういう事になる。しかし献身はあくまでも、神の前に身も心も人生も全て捧げる事である。


神の前に献身せずに、教会に献身する。神から召命されるのではなく、人から薦められる。

(もちろん神が召命した事は間違いないが)


こういう考えと動機でいいのだろうかと、思った。


今、盛んに組織論が論じられたり、組織につまずいて別の活動をする人がいる。組織に問題がある事は事実。しかしそれ故につまずいたり、分かれる事は、悪神のみが喜ぶことであって、神の願いとは違う。


一人ひとりは組織に属しているが、組織に支配されているわけではない。あくまでも組織は、み旨成就のための手段に過ぎない。組織のために、信仰までも影響を与えることほど、残念なことはない。


私も教会に来たときから、組織には??が多くあった。しかしつまずいたり、離れようとしたことはない。


あくまでも私という個人は、神から召命された者であり、教会に献身したわけではない。神から託された使命を果たすために、教会という組織と力を合わせて活動するのみである。


氏族メシヤとして教会を活用をするだけ。活用できなければ、活用しなければいいだけだ。


組織に依存したり、人に依存してしまうと、神を見失ってしまう。これは組織側の人にも、反組織側の人にも言える。


もうそろそろ、神への信仰を出発したらどうだろうか?


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