黒人奴隷貿易が影響についてシリーズ化してブログに書いています。
 
 今回は経済バブルの語源と会計監査制度の誕生について説明したいと思います。
 
 
黒人奴隷貿易が経済バブルの発生・語源と会計監査制度の誕生にどのような影響を与えたのでしょうか?
 
 イギリスの18世紀初めの話です。
 
 当時、イギリスはスペイン継承戦争の時期に生じた政府債務が大きな問題になっていました。
 
 その状況下で、イギリス政府は黒人奴隷貿易を中心とした三角貿易に目をつけ、英国債の引き受けるなら、奴隷貿易の独占権をもつ株式会社(勅許会社、特許会社と呼ばれています)をつくってもよいことにしたのです。
 
 1711年、イギリスでトーリー党の指導者であるロバート・ハーリー伯爵により南海株式会社(または南洋株式会社)が設立されました。
 (こんな大物政治家が国家の権力を傘に独占的に私的商売するってやばすぎです・・・)
  
 当時、東インド会社が目覚しい利益をあげていたこともあり、国から独占権を認められた南海株式会社の株に人気が集まり、イギリス国家強大化に伴う富裕層になった人々も投資したことで株価は急騰しました。
 
 株価が急騰することによって、突然、多くの人が金持ちになり、それを見た他の人々も”我も我も”とこのブームにのっかり、ますます株価を押し上げ、1720年の1月には128ポンドだった株価が、6月には1050ポンドにもなりました。
 
 南海株式会社の株暴騰によって、他にも多くの同じ株式会社をつくる経営者が増えましたが、その中には水銀を可搬性の純金属へ変換する会社とか、海水から金を取得する会社などの悪徳会社が多くあり、世間は株式会社を疑問視する見方もでてきました。
 
 政府は、これでは株価が頭落ちの南海株式会社株価を維持されるため、また悪徳会社の取り締まりのため、1720年7月には泡沫会社禁止法(バブル法)なる法律が制定され、南海株式会社以外の「株式会社」を禁じる処置を打ったのです。
 
 政府が奴隷貿易で政府債務を解消しようとして、最後には経済を停滞させるバブル法という法律までつくってしまうとは驚きです。
 
 このバブル法により、1825年の廃止までの100年以上の間、企業が新規に株式を公開することを正式に禁止のため、株式市場は開店休業状態に陥り、流通する株式そのものの絶対数がほとんど皆無の状態に陥りました。

(よからぬことを考えるとちゃんとしっぺ返しがきますね)
 
 株式市場は低迷していましたが、黒人奴隷貿易でイギリス市場は活発になり、その奴隷貿易で得た資金が産業革命の発明につかわれ、イギリスは黒人奴隷貿易で救われ、産業革命以降、資本主義社会に大きく変革していく中、世界の覇者「大英帝国」として大繁栄をとげるのでした。
 
 話は戻りまして、バブル法が施行され、奴隷貿易独占権があっても密貿易が横行し、スペインとの関係悪化、海難事故などで年に一隻分しか利益があがらず、国債を引き受けるどころか、会社経営そのものが危うくなりつつありました。
 
 政府のバックアップも空しく、1000ポンドほどあった株価は8月に頭打ちになり、同年12月には124ポンドにまで暴落しました。
 
 その結果、多くの人が破産し、イギリス経済は大混乱となり、責任の追求が始まり、南海株式会社に関与した政権を率いていたスタンホープ伯ジェームズ・スタンホープが脳卒中で急死して政権は崩壊し、他にも自殺したり、財産を没収されたり、刑務所に入れられたのでした。


 この事件を「南海泡沫株事件」とよび、今、私たちがいう「バブル」「バブル経済」という語源にもなりました。
 
 黒人奴隷貿易で政府が市場介入し、政府債務はなくそうという甘い考えはおおつきなつけとしてかえってきました。
  

【豆知識】 
 ちなみにこの南海バブルで投資した有名人がいます。
 
 それは万有引力で有名な科学者アイザック・ニュートンやクラシック音楽作曲家で有名なゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルです。
   
 ニュートンは最初7000ポンド儲けたものの、その後の暴落で結果として20,000ポンドの損害を出してしまいました。
 
 あの超天才でもバブルにのっかっちゃったんですね(^^)
   
 大損害をこうむったニュートンは『天体の動きなら計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった』と面白い逸話が伝えられています。
 
 「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」ニュートンですが、落ちるものには思いついても上がるもの(株価)には思いつかないんですね(笑)
 
 一方、作曲家ヘンデルは500ポンドで買った南海株をうまく売り抜け、その利益を元に王立音楽アカデミーを設立しました。
 
 話を戻し、この事件後、急死したスタンホープと共に政権を担っていたサンダーランド伯チャールズ・スペンサーでもこの事態を解決出来ず、経済恐慌のみならず政治においても破局が訪れようとしていました。
 
 事態の収拾にあたったのは財政の専門家として名をあげていたロバート・ウォルポールでした。
 
 バブル崩壊翌年の1721年までには、南海泡沫事件の事務的な処理方針を確定させ、再び経済も回復軌道にむかいました。
 
 彼が成功した大きな要因として、政治責任を問うことで混乱していたため、その政治責任を問われるはずの人々に対して責任追及せず、この事件を煙に巻く形で終わらせ、経済の回復に注力した点です。
 
 特に責任追及に当たり、政府・王室要人の関与を示す決定的証拠とされる「緑の帳簿」を持って、重要な証人である南海会社会計主任ロバート・ナイトは失踪しましたが、ほどなく彼はベルギーで逮捕されました。
 
 しかし、ウォルポールは、ロバート・ナイトが送還され証言台に立たされれば大臣のみならず王室にまで責任が及ぶことは明白であったため、深追いせず、送還させることもしませんでした。
 
 王室を救い、経済を早期回復させた手腕は、国王ジョージ1世の大きな信頼を勝ち取ることとなり、これ以後、ウォルポールは第一大蔵卿として、1742年まで政権を担当し、「国王は君臨すれども統治せず」と形容される、イギリス議院内閣制の基礎を築くことになりました。
 
 現代ではウォルポールはイギリスの初代首相とみなされています。

 
 一方、ウォルポール事後処理以前には、創業者の一人であるジョン・ブラントと南海会社の幹部の責任追及のための委員会が議会に設けられ、調査がすすめられました。
 
 ここでチャールズ・スネルは南海会社の会計記録を詳しく調べ、幹部の一人だったジャコブ・E・ソウルブリッジの経営するソウルブリッジ商会の帳簿を調査した結果を『ソウルブリッジ商会の帳簿に関する所見』という報告書にまとめ、この報告書が公式に認められた世界で最初の会計監査報告書となりました。
 
 このように、東インド会社の成立から始まる株式会社制度の発達は「南海バブル」という危機を表面化し、一般大衆からの資金調達による事業形態には公正な第三者による会計記録の評価が不可欠であることを示し、公認会計士制度及び会計監査制度を誕生させたのです。
 
 これ以降も、会計制度、監査制度の歴史は必ず大きな事件と密接に関わっていきます。それは、常に株式会社という制度の危機を乗り越えるためものであり、会社を第3者の公正な立場から見つめる「監査人」という存在の成立と成熟の歴史です。
 
 このスネルの会計監査報告書は、その最初の一歩だったのです。
 
今回の内容をまとてみると黒人奴隷貿易によって以下のことに影響したと思います。
1.奴隷貿易の利益が産業革命の資本に活用
 ⇒資本主義社会の発展とともにイギリスが世界の覇権をにぎる。
 
2.奴隷貿易の独占権をもつ南海株式会社を設立
 ⇒ヘンデルは株の利益でバブル王立音楽アカデミー設立し、音楽後進国だったイギリスに音楽発展に貢献
 
3.バブル経済発生
 ⇒①バブルの語源となる
  ②バブル処理の過程からイギリス議院内閣制の基礎ができる
    →イギリス初代首相の誕生
  ③世界で最初の会計監査報告書の作成

  ④報告書公認会計士制度及び会計監査制度の誕生
    →株式会社制度の発展に寄与


◎つづきを見られたい方は下記をクリックしてください。

 http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11723792253.html


◎奴隷貿易の最初(奴隷貿易その1)から見られたい方は下記をクリックしてください。

 http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11613793711.html


◎奴隷貿易が世界に与えた影響の最初(奴隷貿易その4)から見られたい方は下記をクリックしてください。

 http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11644847378.html



■本ブログ全体の目次は次から見てください。
 (世界遺産、海外ドラマなどあります)

 http://ameblo.jp/la-luna-sarah/entry-11076468738.html


ブログ村でランクアップ挑戦中!!

下記クリックで応援して下さい<m(__)m> ブログを書く励みになりますニコニコ


最後まで読んでいただきありがとうございました。