脊椎カリエス | kyupinの日記 気が向けば更新

脊椎カリエス

今日のエントリは昨日の続き。ひとことで言うと暗い話だ。

中学の頃、社会の先生が「君のお父さんは○○君ではないか?」と尋ねた。実は、その社会の先生は親父と同じ国立療養所で長期入院していたのである。自分の名前と顔を見て、思い出したのかもしれない。

その日、自宅に帰り、父親にその先生の名前を知っているかと聞くと、「彼は脊椎カリエスだった」と答えた。僕は、「脊椎カリエスは結核の一種なんだろうが、随分恐ろしい名前だなぁ」と漠然と思った。

脊椎カリエスとは、結核菌が血行性に脊椎に感染する結核性脊椎炎のことである。その先生が、どのくらい療養を要し、どのような経過だったのかまで詳しくないが、少なくともすぐにわかるような後遺症はなかった。

当時、今ほど交通機関も発達しておらず、お見舞いに行くとなると、丸1日がかりになる場所にその国立療養所があった。

母親からすると、結婚していきなり夫が大病を患い、働くこともできず、ひょっとしたら夫はそのまま死ぬかもしれない。しかも、遠すぎていつも近くにいることもできないのである。母親の友人には、「このままでは貴方も不幸になるので、離婚して帰郷した方が良いのでは?」と助言した人もいた。しかし母親によると、

夫が病気療養中なのに、夫を見捨てて離婚なんてできない。

と思っていたという。確かに心情的にも道義的?にもそうである。まして当時は2人とも若かったので、病気から快復すればまだまだ時間はあると言えた。

ある日、母親が桃の缶詰を買ってお見舞いに行った。ところが、親父は手術後まだ十分な期間が経っておらず、痛がって食欲もなく食べられないのである。親父は、その時、母親に「お前が食べてくれ」と言ったという。

ところが、到底、怖くて食べられなかった。それだけ一般の人に、結核と言う疾患は、伝染性がある恐ろしい病気と思われていたのである。

同時に母親は、なぜあのように美味しいものが食べられないのだろうか?と思ったらしい。

後年、「となりのトトロ」と言うジブリアニメを見る機会があった。このアニメは公開されたのは1988年であるが、僕が初めてテレビで観たのは2年くらい前である。あれほどの傑作だとは知らなかった。

僕はジブリアニメは全ては観ておらず、観たことのあるアニメを挙げたほうが早い。ナウシカ、魔女の宅急便、となりのトトロ、ラピュタ、もののけ姫の5つ以外は観たことがない。

となりのトトロは昭和30年代の日本の田舎を舞台にしたファンタジーアニメである。あのアニメは少し短い映画であるが、それでも、子供が観て夢を膨らませるには十分な内容を持っていると思った。

このアニメの後半、メイという4歳の女の子が病気療養中の母親を1人でお見舞いに行く場面が出てくる。メイの母親の療養している病院は、状況的にも明らかに結核療養所であった。

当時の結核療養所は、悲惨というわけでもなかろうが、少なくとも明るい未来が開けているような状況ではなかったと思われる。その理由は、ほとんどの人が一度は社会に出た人ばかりだったからである。

しかし、あのアニメでは、メイの無邪気な明るさやトトロやネコバスたちの不思議な世界が、それらの暗さをかき消している。一掃していると言っても良い。あれはひょっとしたら製作者により計算されているのかもしれないが、実は暗さを持つ物語をうまく中和しているようなアニメになっていると思う。

なお、あのアニメでは、母親の疾患がわからないようになっている。

ある時、まだ若い女性患者さんを保護室に入れて治療していたことがあった。保護室に入れたのは本人を保護するためであった。ある日、彼女がぼんやり窓の外を観ていたら、

ネコバスが通っていた。

と言うのである。本人は「なぜ、ネコバスが通っているんだろう」と不思議に思ったらしい。

実は、本人は実際に電車が通っている光景を、ネコバスと理解したようである。若い子には若い子らしいファンタジーの世界がある。しかし、当時、僕にはネコバスなるものがどのようなものなのか知らなかった。もう15年くらい前の話で、あのアニメは観ていなかったから。

僕にとって、ジブリのあのトトロのアニメは、上の2つの出来事を思い出せてくれたのである。僕は映画を観てあまり泣かないが、あのトトロには涙が出た。

なお、ネコバスの女の子は長い経過を辿り完治している。忘れられない患者さんの1人である。

参考
天空の城ラピュタ
風の谷のナウシカ