アスペルガー症候群の人の独特な言葉遣い | kyupinの日記 気が向けば更新

アスペルガー症候群の人の独特な言葉遣い

前回の「広汎性発達障害は真剣に治療しようとすると滅茶苦茶な処方になりやすいという話」は今日のエントリと多少関係があり、前置きとしてアップしている。

アスペルガー症候群の人の一部に「状況に不似合いな丁寧な言葉遣い」が見られることがある。これは古典的には、ハンス・アスペルガーによる「フリッツ・V」の症例で紹介されている。

対照的に話すのは非常に早く覚え、言葉を初めて口にしたのは10ヶ月で、歩けるよりかなり以前でした。文を用いた自己表現をすぐに覚え、たちまち「まるで大人のように」話しました。(フリッツ・Vの症例から)

一般に、アスペルガー症候群では、話すときも書くときも堅苦しい学術的な言葉遣いをする傾向や、一本調子で本を丁寧に読んでいるような機械的な会話などが見られたりする。pédantisme(ペダンチスム)と呼ばれるものである。

ペダンチスム
学問や知識をひけらかすこと。衒学な態度。ペダントリー。

成人のアスペルガー症候群、あるいは広汎性発達障害の人におけるこの独特な言葉使いは、薬物治療により変化が生じる。(もちろん変化が起こらないほど重度の人もいる)

良好な治療経過にある患者さんでは、この奇妙な会話が目立たなくなるか消失することがある。周囲の人に気付かれないほどの自然な会話になるのである。ところが、ストレスなどを契機に病状が悪化すると、この独特な言葉遣いが再現することもある。

ある患者さんの診察の直後、外来婦長に言葉使いの改善を指摘したことがあった。彼女は「言われてみると、本当にそうですね」と驚いていた。その患者さんの場合、特に言葉遣いを指導したわけではなく、自然経過で消失していた。

その患者さんは増悪期に以前の奇妙な言葉遣いが再現し、その後、再度消失する経過になった。

あの独特な言葉遣いの由来の一部は、アルツハイマーの人の独特な言葉遣い(言い回し)と、基本的には同じメカニズムで生じているように思われる。おそらく、脳のどこかの不調、障害のアンバランス(濃淡)さから生じる。つまり代償的に出現しているのである。

他の要因として、あの会話は「強迫」の要素がみられるため、全てが脳機能の濃淡に由来するものではないと思う。(過度に厳密な言い回し、細かい数字にこだわる詳細な話し方など)。

だからこそ、全般の精神症状が改善すると、ほとんど目立たなくなるのである。

アスペルガー症候群であの所見が見られない人も多いが、逆にあの所見がある人は、脳の機能の不均衡が生じている可能性が高い。

成人で顕在化した人では、家族に詳しく病歴を聴取すると、子供の頃はあの言葉遣いはなかったと言うから不思議な話である。

このような症状変化から、成人になり顕在化した広汎性発達障害?は「発達して改善するという道筋ではないのではないか?」という疑問が湧く。子供の場合は、発達と言う言葉でも問題ない。

いったん良くなっていたのに、再び出現したと言うのが大問題である。

過去ログでは発達という言葉をあえて避け、「成熟」という言葉を使っている。

成人で顕在化したアスペルガー症候群の人の場合、おそらく他の器質性精神疾患と同じく、その不調の脳の部分が良くなると言うより、脳の他の部分がその不調を補うように新しい機能を得て全般が回復するという考え方の方が矛盾が少ない。


一般に、脳は使われていない部分が非常に大きいと言われている。また、アスペルガー症候群に限らず、広汎性発達障害の人、また診断未満の正常との間に分布する人たちは、脳の機能のあり方が少し変わっているのである。

これらは、若い人が脳挫傷や脳梗塞のために半身麻痺を起こすが、リハビリの後、奇跡的に普通の生活ができるようになる回復経過に似ている。

大きな事故や脳出血、脳梗塞による脳の損傷により体が動かなくなった際、トランポリンなどの運動療法や、音楽なども治療に取り入れて治療されているのをテレビなどで観ることがある。(つまりプログラムされたレクリエーションは治療的)

たぶんイルカを使った治療も、一緒に泳ぐことによるバランス感覚を改善することを通じ、脳へ好影響を与えているのではないかと思われる。未だ使われていない脳の部分を活性化する要素のある全てのことが治療的なのである。

これらは、アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害は、可能性を秘めた多くの治療法があることを示唆している。

参考
アルツハイマーのおばあちゃんはごまかすのか?
高次脳機能障害とその回復力の謎