アルツハイマーのおばあちゃんはごまかすのか? | kyupinの日記 気が向けば更新

アルツハイマーのおばあちゃんはごまかすのか?

ずっと以前、3つの「初老期認知症」などと呼ばれる疾患群があった。それは、

① アルツハイマー病
② ピック病
② クロイツフェルド・ヤコブ病


である。僕が学生時代には既にクロイツフェルド・ヤコブ病はslow virus infectionの1つとして除外されていた。しかし、既にウイルスではなく、少し違ったものであろうとは言われていたような気がする。

現在、クロイツフェルド・ヤコブ病はウイルスにより発病するものではなく、プリオン蛋白により伝播する疾患とされている。プリオン蛋白は言ってみればただのモノであり、ウイルスのように遺伝子情報を持たない。また、加熱したり、簡単に薬品で処理しても感染性が失われないという一風変わった伝染性物質なのである。

このクロイツフェルド・ヤコブ病は、狂牛病騒ぎの際にけっこう一般にも知られるようになった。煮たり焼いたりしても、やはり感染してしまうのは大変な恐怖感がある。こういう点でも、プリオン蛋白はそこらへんに落ちている石ころと変わりがない。感染する点は大きな違いだが、その強靭さとか生物的営みがないと言う点に着目すればそんな感じなのだ。

クロイツフェルド・ヤコブ病が初老期認知症の1つに含められていたのは、伝染性の正体がわかっていなかったのと、初老期に発病していたからだ。潜伏期がとてつもなく長いのである。

また、先日、僕は法律家に関するエントリで「前方型認知症」という疾患を取り上げたが、ピック病はここに含められる。(参考

今回はアルツハイマー型認知症についての話。当時、初老期に発病するものをアルツハイマー病と呼び、老年期に発病した人はアルツハイマー型老年認知症と呼んでいた。区別はするが実質的には同じものとして考えられていたのである。若年発症の場合、進行が早く予後が悪い点で老年期と比べ臨床経過が違っていた。アルツハイマー型認知症にはアリセプトが処方されるが、これは根本的治療薬ではなく、進行を少し遅らせるだけである。

アルツハイマーの初期は「ずぼらになった」というのがわりあい多い。例えば、日記を毎日つけていた人がさっぱりやめてしまったとか、きれい好きの人が風呂に入らなくなったなどである。このような初期のタイミングでアリセプトを処方すると、そういうずぼら症状が改善することがある。アルツハイマーの人は脳血管性認知症の人に比べ相対的に体は健康なので、徘徊がしばしば問題になる。どこかに出かけて帰って来られなくなり、遠くの交番に保護されてしまうこともある。これは空間認知機能の低下によるものだ。

アルツハイマー型認知症は高齢ではわりあいありふれており、老人ホームなどに往診するとその不思議な対人接触性?から典型的な人は様子を見ているだけでわかる。

特に診察をせず、雰囲気だけで言えば、アルツハイマー型認知症の老人は、子供のように屈託がなく、癒し的な存在になっていることが多い。話しているだけで心が和むのであった。

彼女の言葉やその行動のために、病棟や施設内でスタッフから愛されていることが多い。少しくらい迷惑をかけていても憎めないのだ。アルツハイマー型認知症の人は女性が多いので、一言で言えば、「かわいいおばあちゃん」のように見える人がまさにそうなのである。

アルツハイマー型認知症の人を施設のフロアで見かけて、「おばあちゃん、お歳はいくつ?」と聞いてみると、

「あんたが知っとるじゃろ」

などと言ってニコニコしている。これはちょっと面白い切り返しで、思わず笑ってしまう。これを聞いたとき「おばあちゃん、おもろいこと言うなあ・・」と思うのであった。「僕が知っているわけないだろ」と言ったところ。

いったいこの変な答えはなんだろう?

これはかつて僕が研修医くらいの時は、「アルツハイマーの人はごまかすような応対をする」などと漠然と言われていた。ごまかすのはもちろん「物忘れ」である。つまり彼女は、自分の年齢を忘れてしまっているのを、「あんたが知っとるじゃろ」と言い、その場を切り抜けようとしたわけだ。彼女に、深遠な意図はたぶんないのだろうが。

今日では、この精神症状に専門用語が付けられている。アルツハイマーの人のこういう応対は「取り繕い、場合わせ反応」などと呼ばれる。まさにその場を取り繕うのである。

このような言動は脳器質障害の濃淡の差から生じると言われる。つまり後方連合野が障害され外界からの情報を適切に処理、統合できなくなったことへの前方連合野の反応などと言われている。ここで重要なのは、前方連合野も既に健康な状態ではないことであろう。多少、障害はされているものの、そのような取り繕い反応は可能なのであった。こういう点からも、アルツハイマーは後方型認知症とされていることがわかる。

ただ、この考え方(濃淡の差)はひょっとしたら間違っているかも?と個人的には思っている。話があまりにもできすぎているからだ。僕は、出来すぎの話には疑いを持つ。出来すぎの話が往々にしてハズしているのはおそらく医学の世界だけには限らないと思う。あらゆるものは、それほど単純には出来ていない。

僕はある時、クリプトコッカス脳炎の症例を経験した。クリプトコッカス脳炎なんて珍しい病気は容易にはならない。海外ではエイズによる日和見感染からこの脳炎はまだよく診られるという。

そのオッサンはどうみても既に発病していたのにもかかわらず、車も運転していた。あちこちぶつけてはいたけど。この人はきれいな「取り繕い、場合わせ反応」が見られたが、ほんのごく軽度の意識障害も伴っていた。車が運転できるほどの意識障害もこの世には存在するのである。というか、泥酔して運転するのはまさにその世界だ。

彼はアルツハイマー型認知症と誤診されていた。特に発熱もないこともあったように思う。診察時、肩~上腕の辺りに突然、ミクローヌスが出現した。その時、ある種の謎の変性疾患を疑ったのである。その時、クロイツフェルド・ヤコブ病も鑑別診断に入ってくるため、自分の病院での治療は難しいと思った(感染症対策が必要なため)。このオッサンはその後、専門病院に転院したが、なかなか診断がつかなかった。そりゃそうだ。クリプトコッカス脳炎は正体をなかなか掴めず、治療も難しい難病なのである。

ある種の脳炎のようなものに「取り繕い、場合わせ反応」が見られることが、あの理論を否定するものではない。しかし、アルツハイマーにみられる障害の濃淡が、クリプトコッカス脳炎でもきれいに生じるものかね?とは思う。

余談だが、クリプトコッカスは鳩と関係が深い(鳩の糞)。家族によれば彼の玄関先のすぐ上の軒下にツバメが巣を作っていたそうだ。僕はツバメが最初の原因だと思った。もちろん感染しやすい生物学的背景もあったのだが。

また、僕は「取り繕い、場合わせ反応」について、アルツハイマーのある種の障害といった考え方に、なんだかな~と思ってしまう。

物忘れに限らず、人間と言うものは何か自分に不都合があると、なんとかごまかして切り抜けようとするものだ。そのアルツハイマーのおばあちゃんがとった行動は人間が普通に行うようなものだ。そういう風に考えると、あの「取り繕い、場合わせ反応」こそ、彼女に残されている健康な部分とも言える。その精神症状をプラスに捉える方がいい。

精神科医的には、あの反応をそんな風に診た方が、彼女のレベルに合わせているというか、つまりは治療的姿勢だと思ったりする。ついつい、精神科医は精神症状をマイナスに見てしまうところがあるから。つまり患者さんに波長を合わせるというか、治療的目線の話である。

ただ、彼女のような認知症の場合、それが際立ってしまうのは、あれほどの物忘れがありボロボロになっているのに、そういう機能が残遺していることに驚きを感じるからであろう。

アルツハイマーの場合、会話をするとこのような反応が生じるため、活発な人はそれなりに会話が弾む。だから、この人との会話のおかしさは、例えば日本語がnativeでない人たちには認知症の判断が難しいと思われる。それは僕たちが英語の落語が笑えないのに似ている。

しかし外人でもタレントのデーブ・スペクター氏クラスなら、おそらく可能であろう。お笑い物まね番組で、デーブスペクター氏が森 進一「おふくろさん」を歌っていたのには驚いた。彼によれば、歌詞の「傘になれよと教えてくれた~」という部分がよくわからないと言っていた(日本人は傘にならなくちゃいけないんですか?とか)が、日本人にはよくわかる。人の傘になるのが美徳とされるのは、日本文化のようなものなので、彼でもわかりにくかったのかもしれない。

脳血管性認知症の場合、部分的に脳障害を受けている感じなので、いわゆる「まだら認知症」というか、その人らしさがまだ残されている。だから、このタイプの認知症の人は若い頃どんな仕事をしていたのか、なんとなくわかってしまう。この人はたぶん学校の先生だったんだろうとか。

しかしアルツハイマーはそうではない。アルツハイマーは、車で言えば、少しブレーキが効かないとか、足回りが悪いとかそのような部分的障害ではないのである。まさに全体がやられている感じ。だから、典型的で症状が進んでしまった人は、若い頃どんな仕事をしていたのかさっぱりわからない。屈託がなく、子供化しているので、どんな経歴であってもみんな同じように見えるのが不思議だ。

しかし、このような思考パターンも、治療的目線でないよなぁ・・。
患者さんにチューニングを合わせていろいろ考えていくというのは大切と思ったり。このような老人への考え方や姿勢は、治療、介護には重要な点だと思うのであった。

お前もいつかは 世の中のぉ~
傘になれよと 教えてくれたぁ~
あなたの あなたの 真実ぅ~
忘れはしないぃ~ ♪


(物忘れにかけてみた。おわり。)