躁状態とパンコースト腫瘍 | kyupinの日記 気が向けば更新

躁状態とパンコースト腫瘍

これも20年以上前の話。

総合病院時代、知り合いの内科のドクターからパンコースト腫瘍の患者さんの治療を頼まれた。もちろん精神病状態の治療である。

パンコースト腫瘍とは肺の上部に発生する肺癌で、縦隔や肋骨などに転移が及び、進行すると脊椎を喰ってしまう。極めて予後不良である。その患者さんは、その肺癌と平行して激しい躁状態を呈しており、内科病棟では治療ができなかった。

精神科病棟でも、ずっと喋り続け、飛び回っているような状態であった。そのかわりと言っては変だけど癌による苦痛が全くなかった。彼は実によく笑っていた。

脳内のいろいろな伝達物質増えると、鎮痛物質も増えるのか、その疾患そのものの疼痛、(癌になったことの)苦悩なども、全て吹っ飛んでしまっているように思われた。

当時、何を使っていたか記憶にないが、たぶんセレネース液だったと思う。そこまで効果的ではなかった。

この躁状態が、いったいパンコースト腫瘍によるものか、あるいは内因性によるものかの診断は非常に難しいと思う。

僕は当時、その患者さんには家族歴がなく、しかもこの年齢まで全くエピソードがなかっため症状精神病と考えていた。(つまり肺癌由来)

もちろん確実な証拠はない。家族からすると、医師からそのように言われる方がずっと気分的には楽と思われる。これはリップサービスでそんな風に言ったわけではなかった。

過去ログでは、肺疾患では症状精神病が生じやすいように見えると記載をしている。一方、糖尿病は全身疾患ながら症状精神病が少ないと思う。(糖尿病の罹患人口を考慮するに、症状精神病が出現しやすいなら世界は大変なことになると思う。)

ある時、いまさらあまり意味がないが、抗癌剤を使ってみましょうという話になった。化学療法などはその内科のドクターが精神科病棟にやってきて行うので、僕は見守っていただけである。

その内科のドクターは、「抗癌剤を始めると、一発でうつになりますよ」と予言していた。

抗癌剤は記憶が曖昧だが、5-FU(フルオロウラシル)だったように思う。併用薬も何かあったかもしれない。この5-FUは歴史のある抗癌剤で、現在でも使用されている。

果たして、5-FUを開始したとたん、あっという間にうつ転したのである。あれはいかなる抗躁剤より鮮やかな効き味であった。こういうのを見ても、5-FUがうつ状態を来たしうるとは言え、肺癌と躁うつが彼のケースでは相当に関係しているようには見える。

今度は、うつ状態が全く持ち上がらないような状況に至った。彼はいつも泣いているような状態になったのである。

更に悪いことに、うつ状態になったとたん、肺癌の勢いが増してしまったのである。過去ログには「うつ状態」自体が免疫を下げ、種々の感染症や一般の疾患に弱くなるといった記載をしている。(参考

この文脈で、徹底して「患者さんに癌の告知をしない方針」には一理あると思う。

実際、彼のパンコースト腫瘍は、脊椎から脊髄におよび、全く感覚、運動とも麻痺する状態になったのである。(全く下肢など動かせない状態)

結果的にだが、あの肺癌は放置していた方が彼は楽だったと思う。彼は癌が更に進行し短い期間で亡くなった。

その後、家族にお願いして剖検まで行っている。彼の脳は組織的には正常であったが、これ自体が内因性の躁うつ病を否定するものではないし、肯定するものでもない。

パンコースト腫瘍のありさまは、マクロでも何これ?といったような状態だった。あれは何か異生物が脊髄に噛み付いているとしか思えなかった。(癌組織が脊椎を破壊し脊髄に融合、一連のものになっていた)

後年、5-FU治療時に同時にうつ状態を治療する機会が何度かあった。この5-FUは厳しい副作用が出現する抗癌剤で、さまざまな苦境下、治療を進めた経験がある。

一般に5-FU治療時に生じるうつ状態は、思うように抗うつ剤が効かない。希死念慮が消えていたような人でも再現する。しかし、何もしないよりはマシ程度には効果があることも多い。どの抗うつ剤を選ぶかは思案のしどころである。

生きるためにきつい抗癌剤を使っているのに、希死念慮が出てくると、いったい自分は何をしているのか?という哲学的疑問が生じる人もいる。(そこまでの余裕すらない人も多い)

5-FUでは、しばしば骨髄機能抑制が生じ白血球減少が起こる。

経験的には、白血球数が500くらいになると、更に向精神薬が効かなくなる。この白血球減少にはグランなどの注射剤を使うが、これで少し白血球数が回復すると、抗うつ効果を持つ向精神薬の効果も少し回復する。毎回、同じような経過になっていたので、こちらも不思議な感覚に陥るものだ。

貴方は抗癌剤の治療が終われば、薬の効果もずっと上がってくるから・・

くらいに言っておくが、これは事実である。(一応、精神療法)

5-FUやその副作用に比べるなら、放射線治療はまだうつ状態への悪影響が少ないと感じる。

参考
症状精神病
統合失調症と痛みの感覚
スターオブベツレヘム
末期癌の症状精神病とジプレキサ