惑星ソラリス | kyupinの日記 気が向けば更新

惑星ソラリス


Ich ruf zu Dir, Herr Jesu Christ (BWV 639)

昔、友人と一緒に「惑星ソラリス」というソ連映画を観た。その日の映画館は特別に7本程度まとめて上映されており、その中の1本であった。

名画ばかりのはずだが、印象に残った映画はこの「惑星ソラリス」だけだった。そのSF映画は、それらしい華やかさはなく、かかっているクラッシック(バッハのコラール前奏曲(BWV639))も、むしろ陰鬱な感じであった。

友人はこの映画が終わった後、

なんじゃ~この映画は・・

と言ったほどである。僕の感想も、あまりにも暗く、難解で面白いとは程遠いと言ったところであった。少なくとも、アミューズメントはしていなかったと思う。

「惑星ソラリス」は、アンドレイ・タルコフスキーというソ連の映画監督により製作されている。元々、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムにより発表されたSF小説「ソラリスの陽のもとに」が原作であるが、この2つはストーリーや作者の意図、哲学の相違があり、後にアンドレイ・タルコフスキーとスタニスワフ・レムが喧嘩になったという。

このソラリスの遥か上空には有人宇宙ステーションがあり、そこに滞在していた人たちが次々に精神に異常を来たすのである。そして地球との連絡を絶ってしまう。そこに調査に訪れたのが、主人公のクリス・ケルヴィンという心理学者であった。このタイプの古いSF映画にはよく心理学者が出てくると思う。

クリスが宇宙ステーション内で見たものは、既に自殺してしまった友人や、いないはずの人の声、また彼らが宇宙ステーション内で生活した痕跡である。最初は、クリスも何が起こっているのか理解できなかった。

ところが、次第にクリスの周囲でも彼らと同じような奇妙な現象が起こり始める。

ソラリスの海は、それ自体、知性を持つ有機体であり、ヒトの過去の記憶に働きかけて、過去の人物や光景を現実化する。また、地球人はソラリスの知性と交信することを長年試みていたが、ずっとソラリスは心を閉ざしたままであった。ソラリスの美しい海は謎のままだったのである。

ソラリスはクリスの記憶から「自殺した妻」を再合成し、宇宙ステーション内の彼の前に出現させる。タルコフスキーの映画は、この人工的な妻とクリス本人の心理描写の部分が長く、小説との大きな相違の1つである。

この映画で特に興味深かったのは、その再合成された妻が、再び液体窒素を服用し自殺を図る場面。

液体窒素で口や体が焼けるが、元々宇宙の素粒子のようなもので合成されているので生命体ではない。再び意識を取り戻し、元に戻ってしまう。死のうとしても死ねないのである。

その前後、どこだったか忘れたが、クリスは脱出用カプセルに彼女を載せて、宇宙に放り出すことも行なっている。ところが、ステーション内の自分の部屋に戻ると、また彼女が座っているのであった。記憶から合成されている以上、そのような方法では消せないのである。

ソラリスの上空を戦闘機のようなもので調査に行ったパイロットが精神に異常を来たし、地球に戻った時、調査官により色々と質問される場面が出てくる。パイロットによると、ソラリスの海の上空で、目前に突然、身長3mほどの赤ちゃんが現われたという。それは友人のところで見た赤ちゃんに似ている、と言ったものである。

もう1つは、ソ連の未来都市の場面が日本で撮影されていること。映画の中で、日本の高速道路の標識が次々に出てくるのには驚いた。当時、まだソ連ではそういう光景を撮影できるようなインフラが完成していなかったからであろう(と思った。)

ソラリスの映画は極めて単調に物語が流れ、とても退屈である。しかし、それこそアンドレイ・タルコフスキーの意図だったようである。2002年にアメリカ映画として、ソラリスが再製作されているが、ソ連映画の方がずっと出来が良いと思う。

後年、1998年に製作された「スフィア 」というアメリカのSF映画を観たが、肝というか主題の部分はソラリスと似ていることに気付いた。この映画では、いったんスフィアに飲み込まれると、その人の夢の中の出来事が現実化する。この映画は難解で、よく観ていると最初からの流れがやっとわかる。これは1987年に出版されたマイケル・クライトンによるSF小説「スフィア ・球体」が原作である。(「ソラリスの陽のもとに」は1961年に発表されている)

また、楳図かずおのSF漫画作品「漂流教室」でも同じような発想の恐怖場面が見られる。ある子供の夢の中に出てくる怪物が本当に現われて子供を喰うのである。漂流教室はその怪物に襲われるが、もし何も考えず心を空にしておけば、その怪物に喰われずに済むという設定であった。(確かそういうストーリーだったと思う)。漂流教室は1972年から少年サンデーに連載されている。

こういう風に見ていくと、SFの基本となる発想(ネタ)は有限と言うか、ある程度、大きな主題は繰り返し使われているのかもしれないと思った。

ちょっと似ているものとして、SF映画「未来惑星ザルドス」の中で出てくるエターナルの人々の思想管理がある。

エターナルの人々は「死」はないが、「老い」はあるのである。例えば反逆的な発想をした瞬間に、それがクリスタルに感知され、老いが与えられる。従って、老いで苦しむばかりで死ぬことすらできない多くの人々が老人ホームにいる。それどころか、エターナルの住むボルテックスを作った科学者本人もその老人ホームで苦しんでいるのである。(エターナルの人々は不死のために出生もない。だから、死のある獣人(下界の人々)の人口がなぜ増えるのか理解できずにいた)

不死の世界は、幸福な世界ではなかったのである。

エターナルの人々は生きる拠りどころを失い、昏迷状態のようになり、馬小屋のような建物の中で終日、呆然としていると言った場面も出てくる。そこに主人公のゼッド(ショーン・コネリー)が訪れると、その昏迷状態の女性はゼッドの汗を舐めることで生気を取り戻すのであった。

この「未来惑星ザルドス」は少し大人向けの映画ではあるが、SF的面白さだけでなく、精神科医から観ても非常に興味深い作品である。この映画は1974年に英国単独で製作されている。

普通、人間は自分の考えていることが他人に知られないからこそ、心の平穏が保たれる。

それが簡単に外部に漏れることは大きな恐怖なのである。統合失調症の人たちの自我障害症状はこのような精神所見も含まれている。

これらの映画は、少し形を変えて、統合失調症の人たちの膨大な恐怖感のほんの一部を表現していると思う。

参考
強烈な印象の夢(2009年1月31日)
死生命あり、富貴天にあり
ハメルンチャルメラ
火の鳥