診察中に泣いたことがないこと | kyupinの日記 気が向けば更新

診察中に泣いたことがないこと

研修医の頃、大学病院でかなり高齢の患者さんが亡くなった。その患者さんはとりわけ珍しい疾患で、精神科と言うより神経内科の範疇に入るような人だった。次第に衰弱し肺炎か何かの内科的疾患で亡くなったので、いわゆる自然死に近いものだったと記憶している。

その亡くなった日、主治医の卒後8年目くらいの女医さんが泣いておられた。泣いておられたと言うのもちょっと変な表現だが、少し驚きの光景である。普通、患者さんが亡くなったからと言って、主治医が泣いてはいけないわけではないが・・

話が変わるが、

僕は父親から、男は親が死んだ時しか泣いてはならないと教えられた。

実際、父親が亡くなった時は確かに泣いたが、それ以外には、あまり泣かないようにはしていたと言える。だから映画を観て心を揺り動かされて泣いたことも滅多にない。しかし、ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープが演じた「クレイマー・クレイマー」は泣いた。あれを泣かずに観るのはやや難しいと思った。

ダスティン・ホフマンはともかく、メリル・ストリープはそこまでの名女優とは思ってなかったが、なんとある雑誌のアンケートで、オードリー・ヘプバーンに次ぐ第2位にランキングされていた。これもちょっと驚きである(参考1参考2)。

よく考えるとテリ造の日記で泣いた話も過去ログにある(参考1参考2)。もうダメ、涙腺がやや緩み気味になっていると思った。

結婚式の直前、嫁さんには式中に決して泣かないように言っておいた。その理由だが、化粧が落ちるのと出席者が貰い泣きしてしまうので、良くないと思ったからである(家族ならともかく、友人や恩師が泣く理由はあまりないと思う)。

あと、おめでたい日に泣くのはちょっと、と言うのも相当にある。嫁さんは笑顔で結婚式を終えたので良かった。

精神科医は、いくら悲惨なことを患者さんから告白されても、それで泣けないものだ。だから診察中にはよほどのことがない限り、泣けない。

最初に書いた女医さんが泣いた事件は、女性だったからまだ変には見えないように思う。むしろ、美談のように見える人もいるような気がする。

そういえばいつだったか、サッカーの羽生直剛選手が試合に負けて泣いていた。それも普通の公式戦である(ジェフ千葉時代)。優勝が決まったとか、降格や昇格の決定試合、あるいは入れ替え戦の直後に泣く選手はけっこういる。しかし、普通の公式戦の後に負けたからと言って泣く選手は滅多にいない。

スカパー、アフターゲームショーの野々村氏によると、高校時代のサッカー選手が試合で泣くのはよくあるが、大学の試合ではほとんどなくなるらしい。高校から大学に入った時に「ああ、負けても泣かないんだ・・」と少し感心することで、つまりは次の試合があるから、という話であった。プロの試合と同じく1試合終わったからといって、何も終わっていないのである。その点で、高校生のトーナメントの試合と1試合の重さが全然違っている。

だから羽生選手が泣いたのは、ちょっと新鮮だし、なかなか良いものを見せてもらったと好意的であった。

羽生選手が泣いたのは、負けて悔しかったからに他ならない。あるいは、自分の力が及ばなかったというか、悔やむ場面があったのかもしれないと思う。多分、彼は個々の試合にかけているものが少し他の選手より重いのであろう。

彼はプロサッカー選手としては非常に小柄である。ポジションはMFで2008年にジェフから移籍し、現在FC東京に在籍している(昨年まではキャプテン)。彼は一定の時間に走れる距離が一般のプロサッカー選手より長く、いわゆる走るサッカーに向いている。イビチャ・オシムは彼を高くかっており日本の監督時代はA代表にも選んでいる。メンタルなものも含めてであろう。

精神科医が診察中に泣けないのは、もし泣いてしまうと、診察が全く違ったものになることが1つ。また、まだ何も終わっていないということもあるような気がする。

しかし、患者さんが亡くなった場合はこれとはかなり状況が違う。(亡くなり方にもよるが・・)

亡くなった時でも、やはり泣けないものである。これは泣いたら、周囲に失敗したような感じに見えるなんて思わないが、なぜか泣けない。その理由は、やはり医療は特殊な環境だからと思う。

たぶん、外科医は手術が順調にいかず、そのまま亡くなってしまっても泣きはしないような気がする(外科医ではないからわからないが・・)。

しかし、泣かないでも、心の中ではいろいろなことを思うものだ。

だんだんオカルトに流れていくが、例えば自殺による死亡でも、真に自殺した場合と、そうでない事故的な死亡があるのである。僕は本人がそこまで死ぬとは思っておらず、事故で死亡した人がわかる時がある。

その理由は、事故で死ぬ人は知らせに来ないからである。(参考

大量服薬などを時々する人は、次第に大量服薬をしてもそこまで危険ではないことを体験する。それは救急に運ばれても翌日には家に帰れる人が結構多いからである。次第に、大量服薬がリストカット的なものになり、自殺的な色彩が薄れていく。

しかしながら、大量服薬は意識障害を来たすため、やはり危険なのである。そこまで死ぬつもりはなくても、大量服薬時に嘔吐して窒息したり、たまたま吸っていたタバコのため火事になり逃げ遅れて死ぬことがある。また、奇妙なことをしながら亡くなっていて、自殺なのか事故死なのか容易に判別できないケースもある。

その点で、長く精神科医をしていて、患者さんの自殺経験がない人は尊敬する(参考)。それは技術以外の何らかの能力が備わっていたとしか思えないから。