最後の営業「子豚のクチバシ」。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 前回隔日記したとき、ラストランという言葉にピキッときて、もの凄く悩んだ。
 代筆屋だったならこういうのは見逃さず、お題は、「レストランから、ラストラン。」みたいにするはずだが、もう代筆屋ではないのでそういう考えが起こらなくなった。そこで、車夫としてはどんな風な思考というか感じ方が為されるものか、と考えつつ、今夜の日記をすることになった。

 昨夜はツキが私を見放し、カモノハシ園、オタマジャクシ池と口にするものは、誰一人いなかった。深夜十一時前、もはや、これまで。と店じまいしようとすると、例のごとく、なんだか嫌味な無線が舞いこんだ。
 つくしを知ってるか。そいつが一本も生えていないのに、その名が組みこまれたちっこい駅の傍の食いものやで酔っぱらいが待っているから運びに行けっ、との指令だった。もちろん、こういう文面ではない。
 不吉だった。ツキに見放された夜のこと、月も見えない暗夜を、私はつくしが一本も生えていないそんな感じの名がついているちっこい駅の方へ走らざるを得なかった。まさか、そこからカモノハシ園やオタマジャクシ池はないよなぁと項垂れていた。シンプルに想像すれば、隣県の方へ行く可能性が九割だった。
 店に着くと、三匹の子豚が乗ってきた。あまり酔ってないようだったが、子供のころからの仲良しらしく、昔話をブーブーしていた。どんな話しかというと、家を建てるならどんな素材が良いかみたいな議論であった。
 一匹の子豚は藁が良いと言ったので、二匹に笑われ、ちょっと走ったところの山中の闇の中で下ろされた。そこに巣があるらしかった。二匹目の子豚は、やっぱ木材じゃねと言ったが、もう一匹は石が良いに決まってるじゃんと言い張り鼻息を掛けあった。石豚はかなりの巨体だったので、木材豚は重さに負けて、途中の高級そうな住宅街で車から弾き落とされた。

 石豚と私だけになり、閑静な住宅街の中央通りをドライブした。二匹の豚を排除してしまった豚は初め満足そうだったが、間もなく退屈したようで、「暗い夜ですね」と私に話しかけてきた。
 「暗いですか。そうですね、暗いな」
 「でも、ここを通らないと、ぼくの家に戻れないんだ」
 「そうですか。この町はかなり整理されているようで、建築にも街区の切り方もしっかりデザインされたようですけど、ずっと感じてますけど、街灯が暗いんですよ。間隔が空きすぎなのか、少ないのか、光量が不足しているせいかわかりませんけど、大型開発地にしては暗すぎますね」
 「あ、そうか、そういえば街灯が弱いですね。十年前くらいに大々的に売り出された町ですけど」
 「十年とは驚いたな。そんなに新しい町なんですか。ということは構想時よりだいぶコストを削ったんでしょうね。この暗さはちょっと酷いですよ。この車のライトも暗いけど、こういう街路の暗さはミスですね。たぶん、人が集まる場所だけ明るくして、街灯をケチったんでしょ。でも、人間に安心感を与える明かりは、街路灯の方ですよ。人が集まる場所なんて暗くても問題ないですからね」
 「はあ、なるほど、それもそうですね。人がたくさんいるなら、暗くても怖くないですもんね」
 「ええ、むしろ人があまり通らない道だからこそ、明るくして欲しいもんでしょ。人間というのは、なぜか人寄せのためには血眼でキラキラさせるけど、ほんとうに明かりを必要としているところをキラキラさせようとはしないんですよね」
 そんなような話しをしばらく交わしていた。
 そのうち、石豚は、なにか考えてるように黙り込んだ。

 程なく、石豚の巣がある隣県の少しだけ大きめの駅が近づき、石豚は「ブヒッ」と言って車を停め、させ、クレジットカードで支払った。
 三匹の子豚たちは、会話を盗み聞きした限りでは、わが国最高峰の理系国立大卒らしかった。それぞれ異なる職場にいるようだったが仕事の話しはほとんどなく、誰と誰が付き合っていたらしい、とか学生時代のチープなことを話して笑っていた。家の建材の話しなど、もちろんせず、それは私の捏造である。
 エリートであろう石豚は、カードで支払いを済ませると、ニコーッと笑った。笑うなッと怒りたくなるくらい、朗らかな笑顔だった。
 「運転手さん、ありがとうございました。すごく助かったし、なんか楽しかったです。また、よろしくお願いします」
 「またなんて、いつ来るかわかりませんけど、ぜひ、またどうぞ。今度は、カモノハシ園の方に引っ越してから来てくださいな」
 「ええッ、ちょっと豚じゃ、カモノハシになれないでしょ」
 「いや、クチバシでも付ければ大丈夫。最近は皆さんマスクをしてるから、あれのカモノハシ型があれば良いのにねぇ。そうすれば、豚でも犬でも、あっという間にカモノハシですからね。カモノハシ園に紛れこんでもバレませんよ、きっと」
 ブヒヒヒ、と笑い、石豚は去って行った。

 最近、最後の営業が気になっているので、ひとつそういうお題でシリーズ化しようかなと思ったのだった。これ一回で終わりのような気がしなくもないが。
 昨日は子豚たちのせいで帰宅が午前二時過ぎになってしまい、眠くてならない。
 明日は午前のうちに妻を病院から救出してこなければならず、もうそろそろ床入りしたい。
 まだ妻は食べられないと言っていたが、とても空腹で、明日病院を脱出したら、ぜひ、天ぷら蕎麦を食べたいと訴えた。食べられないくせになぜか、というと、病院の食事がまずくて食べられなかったからだそうだ。美味しいものは、手術をしたって食いたいのである。明日の昼は、どこかの蕎麦屋かな。私は天ぷら蕎麦よりも、かけ蕎麦が良いかな。学生のころ、パチンコ屋へ行く前や間に啜っていた、立ち食いのかけ蕎麦が、なんだか無性に食べたくなってきた。体のために、若布くらいはトッピングしようか。ほうれん草みたいな青菜も欲しいかなぁ。