わが家がいちばん。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 やはり、わが家がいちばん。私が退院したわけではないけれど、なぜか、私はそう思った。格別、家にも土地にも愛着はないのに、そう思う。先立つものさえあればいつでも転居してかまわないが、そんな程度の家でも、なんとなく、わが家がいちばん、と感じるとは不思議なものだ。
 営業を終えて深夜に帰宅すると、やはり、いつも感じる。やっぱ、家がいちばん気楽だよなぁと。
 これまででもっとも高額な宿泊料を要する施設に泊まったのは、たぶんホノルルのホテルで一泊数万円くらいだったろうか。広くて南国気分たっぷりの気持ちいい空間だったが、どうも気楽ではなかった記憶がある。若いころは毎年数日は中伊豆の旅館でのんびりしていて、一泊二万五千円くらいだった気がするが、どうも気楽ではなかった気がする。シーザーという長男ができてからはキャンプか一泊一万円くらいのペット同伴化ペンションや民宿ばかり行っていたが、やはり、どうも気楽ではなかった。どこへ旅しても、きっと、そのとき家族が暮らしている町にある家に戻ると、やっと、気楽になれた。旅も嫌いではないけれど、あまり積極的に行きたいとは思わない。どうしても直接接したいなにかがあればのこのこと出向くが、そうでない限り自分から動こうとはしない。積極的に行きたくなるのはキャンプくらいだろうか。これには、せせらぎに包まれて小さな焚き火を眺めつつ酒を呑みぼんやりするという明確な目的と動機がある。居心地の良い施設も豪華な山海の妙味にも、あまりそそられない。野天風呂などには惹かれるけど、建築や空間や味覚という一般的な目的らしいものにはほとんど惹かれない。貧乏性なのだと思うが、たぶん、幼時の栗駒山での記憶が強く影響しているのではないかと感じる。
 そのころわが家では、夏は栗駒山の温泉保養所で何日間か過ごす慣わしだった。冬は鳴子温泉の旅館に行き、雪に埋もれたそこも魅力的だったが、栗駒山ほどではなかった。といって、栗駒山になにがあるというわけではなく、ありふれた温泉と森と渓流くらいしかなかった。植生に興味があったわけではなく、釣りもせず、旅館でだされた食べ物の記憶もないが、たいして美味いものではなく、煮物に川魚の甘露煮とか味の濃い田舎らしいものばかりだった気がする。けれど、当時の悦びめいた感覚は根強くあり、父たちと登った渓の道や、ぺんぺん草すら生えていない山火事後の荒野とか、そこに一本だけ焼け残ったらしいなにかの樹の尖端に停まっていた鷹のような猛禽の姿などが、今でも思い出され、時々、山奥へ行きたくなる。
 けれど、行っても数日もすれば飽きてしまい、さっさと家に帰りたくなる。
 そして、帰宅すると思う。やはり、家がいちばんだな、と。

 妻も今、そんな思いでいるだろう。清潔すぎて殺風景な病院での十日間は、拷問みたいなものだろう。そこの病院もだいぶ快適化を進めたようだったが、雑菌の少ない空間は寒々しく、手入れやサービスが行き届いた監獄みたいなものである。
 病院で会計を済ませると、われわれはちょっと離れたところだったが、美味しいと思える蕎麦屋へ向かった。まだ午前十一時過ぎだったが、妻はやはり天ぷら蕎麦が食べたいと言ったので。開腹痕はまだ完全に再生されたわけではなく、動けば痛みもあり、老人のように緩慢な動作しかできないのに、天ぷら蕎麦が食べたいらしかった。私は九時前に目玉焼きサンドイッチを拵えて食べたばかりで空腹ではなかったが、早い昼餐にすることにした。
 店に入ると、注文に悩んだ。天ぷら蕎麦が美味いことは知っていたし、カツ丼もけっこういける店である。しかし、天ぷら気分ではなかった。先週から掻き揚げ天ぷら蕎麦を何度も口にしていたので、別のものにしたかった。といってカツ丼は胃に収まりきれないと思われた。妻は、カツ丼と蕎麦のセットが良いんじゃないと言ったが、んなものこの腹に収納しきれるわけがなかった。シンプルにかけ蕎麦にしよう、と決めかけたときだった。
 ハッと気がついた。品書きの対向ページの端に、カモ蕎麦と記されているのが目に入ったのである。
 おいおいおいッと思った。なんでもっと早くその存在をおれに知らしめなかったんだ。カモだよ、カモ。おれはカモなんだ。カモ南蛮とは書かれず、カモ蕎麦と書いてあるあたりが、どうにも臭いじゃないか。かつて、あの南青山の長寿庵でいつも口にしていた鴨肉ゴロゴロのあのカモ南蛮と似た臭気がある。あれは、美味かった。毎日、毎午食べても飽きなかった。確か十日間くらい食べ続けたこともあったな。いや、間に一回くらい中華にしたかな。しかしだ、それでも尚、おれはカモ南蛮蕎麦を食べ続けたのではなかったか。ちょっと価格設定が高めだけど、退院祝いだ。涙を呑んで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で行くしかなかろう。カツ丼と蕎麦のセットの方がコストパフォーマンスは高いけれど、祝宴なんだ。カモになってやろうじゃないか。医療費もかなり激安になったから、蕎麦屋さんを喜ばせるのも社会貢献だ。
 そのくらい熟考し、私は天ぷら蕎麦とカモ蕎麦を頼んだ。

 まるで私の退院祝いのようになったが、それは置いといて、今夜はカモ蕎麦批判をしないわけにいかない。
 とにかく声高に訴えたいが、カモ蕎麦あるいはカモ南蛮を標榜するのであるならば、鴨肉のあたかもしゃぶしゃぶ用であるかのような超薄切りを使うべきではないッと。これは実に腹立たしく、ぺらぺらの鴨肉を食む虚しさと言ったらなかった。鴨肉はせめて厚さ七ミリくらいまでにしてもらいたい。特に皮目の脂肪のところはブリッと厚くないと話にならない。鴨肉の核心はそこにある。長寿庵のなんか三センチ厚くらいの塊がゴロゴロしていて、顎が砕けそうだった。しかもリーズナブル価格で、カツ丼を頼むやつの気が知れなかった。ここのおやじが毎朝カモ猟に行ってるんじゃないか、と思うくらい安価だった上に、汁も芳しくカツオの風味が濃くも薄くもなく、返しのバランスがまた絶妙で、甘からず辛からず、蕎麦もカモもそれぞれの個性がしっかり立ち、カモ南蛮蕎麦を食べたという実感に満たされたものだった。ところが、今日のカモ蕎麦という代物は、凶のカモ蕎麦であった。店の名誉のために記せば、出汁の風味はたいへん良く、やや薄味だったが私好みだった。天ぷら蕎麦なら美味かっただろうと思われるが、あのカモはいけない。ネギは質が良かったが、カモが幾ら高いからといって、あれはいけない。カモの名を冠するからには、カモならではの風味がなければ製品として成立しない。製品として成立しない限り、商品にしてはならない。商売の鉄則である。せめて、あと六ミリは厚切りするべきである。また、スライス四切れではなく、五切れにするべきである。縁起が良いから。

 午の復讐をするために、私が今夜拵えたのは、肉豆腐であった。こないだも同じだったけど、あれは独身環境を生き延びるための機能性料理として仕込んだものであり、今夜のは第二祝宴の主菜としてである。ま、内容はほぼ同じだけど、なんとなく目出度い料理なのである。妻も文句を言わず食べた。また大量に仕込んだから、明後日くらいまで再生肉豆腐や牛丼を愉しめる。あ、こないだと同じか。
 ともあれ、晩ごはんも食べ、余は満腹である。午後にはずいぶん久しぶりに映画の大脱走も目にして、あの時代の映画は面白かったなぁと感動したし、なかなか目出度い一日ではあった。
 明日は出動だが、また目出度い日になることを祈りつつ眠ろう。神武天皇の建国ビジョンのごとく、目出度さを積み上げ、喜びを重ね、正しきを養おう。この、本来は幸うはずの国の醜悪な現実は経済カルトの災禍でまだ数百年は如何ともし難い気がするけれど、車夫として接する人々は朗らかで、情味篤く、礼儀も弁えている。現実を憂えて頻繁に政治行政の悪口を言うが、たぶん投票行動は経済カルトなのだろうと思われる。その歪さがこの世の悪臭の根源という感覚は無いようだから厄介だけど、日本人の人品はやはり今でも地球一だろうと感じる。もうちょっと、店じまい近くに「カモノハシ園へ」というものが増えれば未来は明るいのだが、まだまだ遠い日の夢か。
 ま、もう眠いから、今度、自分で超本格カモ蕎麦を作る夢でも鑑賞しながら床入りしよう。
 なにはともあれ、この十日間、わが家に欠けていた構成要素が戻り、ジグソーのワンピースがカチッと嵌まったようで、ちょっぴり安定感が戻った。
 やはり、わが家がいちばんである。