幸運とユンボ。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 新たな指令を受けて洗い立てのパジャマ一組とバスタオル二枚を手に病室に入ると、病床の背を起こし準あぐらをかいて鎮座する女がいた。眉間に皺を寄せ、じろりと私を睨んだ様は牢名主でもあるかのようであった。
 「あ」と言った。
 私も「あ」と言い、持参した物を差しだした。
 まだ痛みがあるらしいな、と思った。

 面会中、老母とその友人の不意打ちを食らい、病室がやけに騒々しかったが、一行が去り静寂が戻ると、今度は手術を執刀した医師が駈けこんできた。
 「て、て、てぇへんだぁ」
 「どうした、医師の八」
 「どうもこうもありますかい、けッ、けッ、けけけ。じゃなくて、け、検査の結果が出やがったんでさぁ」
 「なんだ、騒ぐほどのことじゃないだろ」
 「なにをほざいてやがるんです、落ち着いてる場合じゃねぇんですぜ。な、なんと、べらぼうにラッキーな結果が来ちまったんでさあ」
 というような感じではなかったが、そんな内容だった。
 ある方向に陽性だったならステージがガンッと跳ね上がることになっていたが、完全な陰性で、ⅠのaでGも限りなく1に近い2との評価になったそうで、ほぼ一ヶ月ほどの療養で社会復帰可能らしい。やはり、本物の春は近いらしい。

 最近、私の運も上向いているらしく、前々回も前回(昨日)も何度も幸運に恵まれた。前々回は売り上げを救われ、昨日は売り上げは最低ノルマギリギリだったが、非常に面白い結末だった。日曜日はたいてい営業不振になるのでノルマに達しただけで儲けもので、日中はカモにありつくだけで一苦労で、大きな駅の長い車列に加わると一時間待ちなどざらである。そういうざらは嫌いなので私は適当に徘徊し、落ち穂拾いをする。これがまんざらムダではなく、待ちぼうけ車夫たちより成績が上だろう。いや、売り上げは変わらないとしても、たぶん私は三時間くらい早く店じまいしていると思われる。昨日は午後十一時前に店じまいした。
 けれど自分の意志でそうしたのではなく、時の流れがそうさせた。
 朝から先日の、最後の客が口にした「カモノハシ園の方へ」という言葉が頭に浮かび、今日も表れないかな、と思っていた。いっそ、隔日ごとにそういう客がいてくれると良いな、と。
 そろそろ店じまいが近くなると、どこかでふらりと客が乗りこんできて、こう言うのだ。
 「カモノハシ園の方へ」
 そこから営業基地までは五分もかからない。最高に効率的な店じまいができる。
 今日もそんな客が最後に乗らないだろうか、と思っていた。カモノハシ園でなくても良いから、そちらの方のどこかへ向かうやつなら誰でも良い。私のスキルをフルに使って歓待し、安全確実快適に運んであげる。小さな駅の方で乗れば、十キロくらいあるから、程よい距離でもある。疲れることなく、道もわかりきっている。売り上げも悪くはない。ちくしょうめ、毎日来やがれッと思った。
 先月度は成績が酷く、まだ尾を引いているようで、昨日も売り上げ低迷だった。今日もノルマに達せず終わるか、と午後十時過ぎに思った。割り増しの時間帯になると小さな駅ではワンメーターが増えてしまい、一時間に四回運んでも三千円くらいにしかならない。一回千円だったとしても四千円。とうてい最低ノルマに届かないと思われた。もう眠かったし、翌日(今日)は洗濯もやりたいから諦めてさっさと帰ろう、と考えていた。
 そろそろ無線を切って店じまいしようとした矢先、指令が飛びこんだ。
 おいおい、また近所の酔っ払いの配達かよ、とゲンナリした。が、指令を読むと、近所の店だったが、呑み屋ではなく、フレンチ・レストランだった。レストランならさほど酔ってないだろう、と指令を受けて迎車ボタンを押した。
 店に着くとすぐに一人の男が小走りしてきた。
 「すみません、オタマジャクシ池の方なんですけど。わかりますか」
 おっ、と驚愕した。
 「あなた、わかるもなにも、オタマジャクシ池なら私の庭みたいなもんですよ。カモノハシ園の先でしょ」
 「そうです、そうです。オタマジャクシ池のちょっと奥なんです。お願いします」
 「オッケー、ジェントルマン、オタマジャクシ池までうたた寝していてくださいな。次に目覚めたときは、もうあなたの家は目と鼻の先だ。行きますぜ、覚悟は良いですか」

 朝から思い描いていたビジョンを超えるほど、望ましいラストランだった。しかも想定以上に距離があり、軽々と最低ノルマも超えた。客は酔っ払いではなく、やや文化人系でそれなりに会話もできた。さほど面白くはなかったが、善良な人だった。上出来すぎて怖いくらいだった。
 どうも先日から運気が変化した感覚があり、この手の幸運が多い。大した幸運ではないけれど、兆候と見れば希望が持てる。車夫としての幸運に恵まれるのが希望ではないが、不運よりはありがたい。もっとも懸念されていた妻の病もかなり幸運に恵まれたらしい。しかも、五連結ブリッジ奥歯もガッシリ復旧し、堅焼き煎餅にもビクともしない。
 幸運な星の下に生まれて良かった、と思う。恵まれた星ではないけれど、幸運ではある。星の王子様ほどではないが、魂の苦悶も静穏もある。
 病室で、老母が「仕事はどうなんだい」と問い、私は「もうベテラン面してやってるよ。さっさと止めたいけどな」と応えた。老母は「おまえはコックさんとかが良いんだけどねぇ。美味しいからねぇ。店をやったらどうなの」と言った。相変わらず、わかってないなと思った。
 今、私は意外に幸福で、イヤイヤやっているけれど車夫は面白く、かつて味わったことのない経験を毎日味わっている。これは贅沢なことで、普通はなかなか味わえないだろう。今年は還暦で、この後はいよいよ味わいにくくなると想像される。
 今日病院の駐輪場にポンコを駐めると、向かい側の歩道でアスファルト舗装の工事をやっていた。中型のユンボでダンプの荷台に積まれたアスファルトを救い、路面に落とすと、三人の人足たちがシャベルで広げて平らに慣らし、その後を舗装面をバシバシ叩く機械を操作する人足が固めていた。面白いので一服して眺めた。
 ユンボの操作がけっこう円滑で、操舵する人の手を見ていると、小刻みに震わせるように動かしたり細かな技術があるらしかった。操舵者の手の動きが鋼鉄の重そうなショベルの先端に伝わっていた。良い感じだな、と思った。
 あんな現場でやってみたいな、とも思い、ユンボの免許でも取ろうかな、と思った。数日程度でいけるだろう。そのうち車夫業の隙を見て考えてみよう。あれの操作は、興味深い身体技術に展開できるかも知れない。大型を取るのは面倒なので、中型までにすれば、たぶん民間の資格だけで良いだろう。後で調べようっと。

 それは別として、春の訪れが近い実感が嬉しく、今夜はお祝いに好物の豚肉アスパラ巻きカツ天つゆ仕立てを拵えてつまみにした。これは日本ならではの料理であり、たぶん世界に通用する逸品だろう。これほど大胆不敵なのに繊細な味わいの料理は、世界のどこを探してもないのではないか。元よりパクりの料理だが、天つゆでやるあたりがエレガンスである。ポルトガルのグルメも思わず呻るのではないか。
 まったく異なるようだけど、なんとなくユンボ操舵の手さばきに、微妙絶妙の味を見てしまい、興味津々になったのであった。幸運なら、そのうち民間資格が取得できるかも。