春の真贋。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 奥歯無しでは、厳しい時代を生き抜けない。筋張った激安肉を髪切るにも、セロリの繊維を断ち切るにも、奥歯が必要だ。米粒を咀嚼せずには、物事すら咀嚼できない。
 ということで、昨日営業中に歯科医院予約を入れ、今夕、五連結ブリッジ奥歯をガシッと固定してもらった。老歯科医師は「あれ、これ前にも取れませんでした?」と問うたが、これは三十年近く固定されていたはずなので、「いや、初めてですよ」と応えた。
 「はあ、しっかり作られてますねぇ」
 「ええ。なかなかのもんですな」
 「いやいや、大したもんですよ。三十年は保ちませんからね、普通は」
 「でしょうね。でも、確か、これをやったのは左の親知らずを抜いたときで、右は親知らずを抜いてしまうとブリッジの土台になる歯がなくなるから残したんですよ。もう、当時から口内ボロボロでしたから。あれは大久保の女医さんでしたから、三十年は前のことですよ」
 「いや、凄い。気合いの入ったブリッジですから、も一回しっかり付けときましょう」
 かくして、無事に三十年ものの五連結ブリッジ奥歯は元の鞘に収まったのであった。

 病院へ行く前、つまり、歯科医院へ行く六時間以上前、私は冷凍庫から、一昨日拵えて凍らせておいた肉豆腐の豆腐抜きバージョンを取りだし、冷蔵室へ移した。今夜は少し改造して牛丼として胃に収めるためである。肉豆腐というのは便利な料理で、数度は愉しめる。白滝は冷凍に馴染まないものだけど、牛丼くらいなら大丈夫。気になるならば、凍らせる前に白滝を一本残らずつまんで食べれば良い。タマネギもいまいちだから凍らせるのは肉と汁だけにすると良いだろうか。今日は白滝もタマネギも入ったままだったが、より本格的に牛丼を味わいたい場合は、そうするべきかも知れない。
 冷凍豆腐抜き肉豆腐は、まず笊に空けて解凍する。溶ければ汁が滴るから、もちろん、笊の下には鍋を置く。すると、ポッタンポッタンと豆腐抜き肉豆腐の汁が滴り鍋に溜まる。ほぼ完全に汁が滴下したら、笊の具を外し、刻んだタマネギと白滝を鍋に入れて火にかける。たったこれだけのことで、豆腐はおろか白滝もタマネギも失ってしまった豆腐抜き肉豆腐は、白滝も玉葱もある豆腐抜き肉豆腐として再生される。文明の力とは斯くも偉大なものである。
 しかし、そのくらいで驚いてはいけない。
 汁を薄めて沸かし、そこに豆腐を投じて煮てみるべきである。すると、なんと、豆腐抜き肉豆腐が、みごとに豆腐あり肉豆腐として蘇ってしまうのである。今夜は、この技術により、豆腐抜き肉豆腐を豆腐あり肉豆腐へと再生し、また肉豆腐にして食べることに成功した。
 そして、豆腐が消えた後は、ごはんにかけ、立派な牛丼へと転化させるミッションにも挑み、成功を重ねた。
 成功が成功を生んだ、完璧な晩ごはんであった。
 これもひとえに、五連結ブリッジ奥歯を固定する偉業を成し遂げた老歯科医師のおかげと心より感謝申し上げる。

 冷凍豆腐抜き肉豆腐が自然解凍する間、私は妻の着替えを手に病院へ駈け、洗濯物を手に帰宅し、タマネギを刻んでから歯科医院へ駈けた。けっこう慌ただしい一日であった。
 病室へ入ると、妻の顔が苦痛に歪んでいた。痛み止めが切れ、痛んでいたらしい。腹を割いたのだから、かなり痛いのだろう。私が到着したとき、ちょうど看護師が駈けつけて緊急痛み止めの措置をするところだった。一時面会謝絶にされ、私は婦人科病棟の廊下に一人、ぽつねんと取り残された。
 他に見える男の姿は、廊下を清掃している業者くらいしかなかった。清掃業者はナースセンターの周りをブラシ掛けする機械をゆっくり押して彷徨いていた。ナースセンターの西に延びる廊下の方が病室で、西に向かって左手が病室、右手は複数の婦人用トイレと清掃などに使う水場や用具入れになっている。妻の病室は婦人用トイレの前にあり、私は婦人用トイレの横にぼんやり立ち尽くして待つことになった。
 病院内の時の流れはゆっくりしているが、数分に一度ほど、点滴のスタンドを供にしたご婦人がどこかの病室からふらりと現れ、私の前をふらりと通過し、婦人用トイレに吸いこまれていった。
 私は居たたまれなかった。十数分堪えていたが、どうにも辛抱できず、廊下の西の外れの窓の方へ逃れた。
 窓外に広がっていたのは、思いがけない景色だった。
 家から駅へ歩く際に通る尾根道からの眺望が、視界遙かに広がっていた。もっとも、尾根道から眺める景色は遠い山容が主役で美しいが、その窓からは下の住宅地や大きな駅に近いビル群が強調されて美しさが損なわれていたが、婦人用トイレの傍らで天井や床を凝視しているよりは心地良かった。
 二十分ほど後に鎮痛処置が終わり、病室に入れた。まだ痛そうだったが、いくらか落ち着いたようだった。特に交わす言葉も無いので、持っていった冷凍豆腐抜き肉豆腐を冷蔵室に移してから書いた第二孫の命名書を見せた。
 「これが第一候補だ。豆助という字は、なかなか難しくて上手くいかなかったが、これはいくらかマシだろう」
 「うん、良いと思う。豆という感じがする」
 「そうだな、助という感じもあるだろう」
 「ええ、豆で、助ね。ああ、ほんと、豆助らしいわ」
 「うん。ちょっと、肉と書きそうになったが、堪えて豆にしたんだ」
 「えッ?」
 「いや、なんでもない。まだ痛むか」
 「痛い。でも、ちょっと治まってきたみたい」
 そんな感じで面会し、歯科医院へ行く時間が近づき、私は洗濯物を受け取り、病院を後にした。
 ただ病院へ行くのではもったいないので、家から最短のルートを試して行った。これが最短というルートを特定し、普通に行けば二十分はかかる道程を十五分弱に縮めた。このルートは配達関係の業者でなければ知らないだろう。
 帰宅し、数服して歯磨きし、外れた五連結ブリッジ奥歯をティッシュにくるみ、再びポンコに跨がり、私は歯科医院へ向かったのだった。あ、その前に刻んであったタマネギと白滝を軽く煮たかな。

 復元された歯列を何度もカチカチ言わせて風呂に漬かり身を清め、再生肉豆腐をつまみに焼酎を呑み、牛丼で締め、音楽もかけずに短い夜を過ごした。町に音はなく、わずかに強まってきた風がどこかの家の雨戸を鳴らす音だけが聞こえた。
 門脇の枝垂れ梅の紅と白加賀の澄んだ白が脳裏に浮かんだ。花びらが瞬く間に無数の塵のように湧きだし、風が奏でる雨戸のパーカッションに乗って世界を埋め尽くした。春が近いのだな、と感じた。が、嬉しくはなかった。悲しくも厭でもなく、喜ばしく感じたが、嬉しくはなかった。
 嬉しくはない春が、快いけれど嬉しくはない春が、すぐそこまで来ている。馬車に乗ってきたのではなく、裸足で雨戸を叩きながら歩いてきた。
 しかし、それは偽物の春だ、と思った。
 本物の春は、やはり、嬉しいものだから。
 きっと、もうすぐ、偽物の春を吹き飛ばし、本物の春が来るのだろう、と今思う。
 願うと言うべきか。
 いや、思う、で良いか。願うのではなく、思うのだ。