清廉なお節と贅沢な七草粥。 | 境界線型録

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 お節準備に忙しく走り回った。第一の狙いは有頭海老で、やや遠目の激安スーパーを探りに行ったが、頃合いのものはなかった。たぶん十人前くらい必要なので、可能な限り節約したい。有頭海老五尾千二百八十円くらいからあったが、どうもピンとこない。というか、それは小さくて寂しいが、ワンランク上だとでかすぎて、お重に収まりそうにない。海老はあきらめ肉類をしこたま仕入れた。ガツンと六百グラムくらいの豚バラ塊はもう叉焼にした。五百グラムの豚ロース薄切りは、今晩の生姜焼きにした。ついでに牡蠣フライ十個の投げ売りがあったので誘致し、甘海老のフライと盛り合わせ、アボカドのサラダを添えたのであった。なかなかゴージャスな晩ゴハンになった。生姜焼きにはやはりキャベツの千切りだが、良くやるのはレモン汁と胡麻油でささっと和えて塩胡椒少々を振って付け合わせるやつ。これが、また美味いのである。

 いや、晩ゴハンではなくお節だった。あまりめぼしいものはものはなかったので、適当に蒲鉾と伊達巻きのちっこいセットと生サーモンだけ仕入れた。蒲鉾や伊達巻きなどうちのものは誰も食わないが、一応定番なので形だけ盛る。田作りや栗きんとんも食べないし、数の子も鱠も私以外は食べないので大量に買うわけにいかない。そもそも、もはや昔ながらのお節の時代ではないということだろう。
 昨年も煮海老と酢蛸と叩き牛蒡と鱠は定番として作ったが、蒲鉾も伊達巻きも申し訳程度。鰊の昆布巻きなんて缶詰で間に合わせた。筑前煮みたいなのは用意したが、別になくても気になりはしない。むしろ、冷蔵冷凍しておいた食材で毎日適当になんか作った方が美味い。去年も正月二日以降はいつもと同じライフスタイルになっていた。来年もそうなるに違いないので、二日にはドドーンと大盛り酢豚でも作ろうと、豚ロースの厚切りと塊も連れてきた。これだけあれば、気が変わってトンカツにしたくなってもオッケーだし、カレーでもシチューでもトンテキでも豚汁でもイケる。残りもののお節の重をちまちま突くより、余程豪勢である。来年の一月二日の夜、われわれ一家がなにを食いたくなるかなんて誰も予測不可能なのである。故に冷凍庫にはいつでも豚牛鳥の肉や魚介を凍りつかせてあり、食いたくなったら適宜解凍するのである。冷蔵庫ひとつあれば、もうお節など無用なのだけど、未だに正月といえばお節となる。伝統文化を継承する意味では、私も積極的にお節を作る方だけど、毎年、要らねぇよな、と思いながら仕込んでいる。新たな年に寄せる古人の思いを追懐する点でお節は価値あるツールだけど、どうも宣伝など目にすると違う気がしてならない。

 年に一度だから豪華にしたいのはわかるけど、第二次世界大戦が終わるまで日本人のほとんどは百姓で、たぶん八割くらいは小作だったのではないか。それは荘園時代辺りから延々続いてきたのではないかと思う。ということは、人口の八割くらいはずっと貧乏だったわけで、現代も貧富格差が騒がれ、私も腹立たしいからたまに口汚く悪口したりするが、日本に格差があまりなかった時代というのは、弥生の前期までの他は、昭和四・五十年代くらいでは無かったかなんて思う。弥生あたりから政治的ないかがわしさが胎動しだし、欲ボケで殺し合いする時代へと向かった。ようやく徳川の治世で穏やかになったけれど、格差はたいして変わらなかったろう。そんな時代の水呑百姓たちは、どんなお節料理を食べていたのだろうか?ゴージャスな伊勢海老付きの何段重か。
 と考えれば、そんなことあり得るわけがなく、基本的には豪華さよりも、保存食として扱われただろう。ただ、せっかくの新年なのだから、いくらか目出度い感じに演出したいという女将さん方の創意工夫が盛られていたのが、本来のお節ではなかったか。と、私は思う。和のこの系には甘い菓子のような味付けが多いが、昔は甘さが美味さだったから、当然だろう。私の田舎でも、美味いといえば、たいてい甘いもので、私はまったく美味く感じなかったものだった。栗きんとんなんて嘗めたいとも思わない。

 とか思うと、そろそろ正月料理も様変わりして良いころではないかと感じる。昔ながらのお節は残し大切な文化として継承すれば良いが、やたら豪華何段重なんてバカバカしいものは払拭してしまいたい。そんなものを食うより、冷凍しておいた牛肉で牛丼でも作って食った方が美味いのだから。だいたい和食の味付けは似たようなもので、素材の個性によって多彩を担保しているが、甘味が立つと、みんな似たような佃煮みたいな味になる。作り置き的に牛牛蒡を作っておき、飽きたら出汁を足して味付けし直し肉豆腐になんて手口はよく使うけど、やはり肉豆腐は肉豆腐として作った方が美味い。調味が濃ければすき焼きだし、もうちょっと薄くなれば牛丼だし。が、保存系だと調味料の働きを活かすために濃い味にせざるを得ない。で、お節にはそういう味が増えたのだろう。
 もはや濃い味で保存を利かせる必要などない時代なのに、まだやっているのだから、日本人は律儀なものである。

 なんて悪口しつつも私も毎年お節を作るのは、当然、ご先祖方の思いの追懐であり、盛り付けのデザイン遊びが愉しいからである。日本人の優れているひとつが、こういうことにまでデザインを求めて止まない偏執狂的な文化性といって良い。これは世界に誇り得る性質だろう。そのデザインセンスは抜群で、お節のお重はいまいちだけど、懐石とか和の膳となると、ひとつの芸術世界を描出していて、竜安寺の庭を眺めているような気分になることすらある。盛り付けの基本に日本庭園の不等辺三角の法則が共通採用されているからだけど、こういう拘りは海外にはあまりないだろう。派手な賑やかしの盛り付けは大量にあるが、和食みたいに静謐でとりたてて目を惹く強さなどないのに、ただひたすら美しいなんてのはほとんど無いだろう。
 和の深みが、そんな世界にも見える。
 描出される世界観が、その全体像が、その概念が、清廉である故に、美しいわけだ。
 それが、和ではないか、なんて感じる。

 清廉という言葉は、正に日本人の性質を表現するにふさわしいはずだけど、もはや似つかわしくない時代になった。精錬なんかには必死になるが、清廉は忘れてしまっていたり。言葉すら知らない生きものも増えているのかも知れないが。清廉潔白とかいうが、日本人は昔々から別に潔白などではなかっただろう。後ろ暗いことだらけなんだから。か゜、清廉が優っていたのは間違いない。潔白なんてほとんど無いと思うけど、多くの日本人はつい数十年前までは、清廉だった気がする。無知故という見方もあるが、たぶん自然に歴史の中で醸成されてきた性質だろう。
 清廉な日本人は、世界のどこにも見あたらないほど、美しい生物だったろうと思う。
 私は腹黒くて潔白な生き方なんてできないけれど、清廉ではありたいと願い続けてきた。
 今のところまだ辛うじて清廉系ではある気がするが、潔白ではない。後ろ暗いことだらけで、とても日記できないことだらけ。なのに清廉なんておかしいだろッと思うアホもいそうだけど、潔白でなくても清廉であることは可能なのである。そもそも、こんな時代になにからなにまで遵法で生きていけるやつなんているわけ無いじゃんと思うし。ちょっと道路をヨンクやポンコと走ればわかる。交通違反していないやつなんて誰もいないだろう。歩いていてもわかるだろう。もっとも過剰なルールやマナー遵守意識が高い生きものは不気味だが、潔白なやつなんて皆無に等しいのではないか。
 ただ、清廉なやつは、まだ日本人の趨勢だろうと想像している。潔白よりも、清廉の方が価値があると思うから、まだまだ捨てたものではないだろう。
 とはいっても、やはり言葉は生ものなので、清廉という言葉の認識もどうなっているのかわからない。廉とは理由として取りあげる事柄などと説明されて良くわからないが、清は済んだ感じでわかりやすい。廉に竹冠が付けば、簾であり、簾は日除けの冷房措置っぽいが、暖簾となるとなんとなく保温っぽい感じがする。冷暖という感覚的境界に垂らしたのが簾であり、その元となったのがたぶん廉なのだろう。

 ま、長くなるからこのくらいにしておこう。
 毎年今ごろに思うのは、清廉なお節料理を作りたい、というだけ。
 豪奢無用だけれど美しく、水呑百姓が希望と幸せを噛みしめていたのかも知れないような、味わいのある清廉なお節を。
 けれど、クリスマス商戦が終わると、一気にお節系が並ぶが、やたら高額なのでうんざりする。年が明ければ、七草粥だけど、そこらに生えている雑草を粥に混ぜて食ったものだろうに、やたら値が張り、とても口にする気になれない。昔々の水呑百姓の方がわれわれ現代人よりも贅沢な食生活をしていたということなのだろうか?七草粥がセレブリティーっぽいなんて、アホなのではないか、日本人は、と思わざるを得ないわけで。お殿様方はたぶん七草粥なんて口にしなかったのではないか。野菜が食えない貧しい百姓衆が、なんとかビタミン補給しようと工夫したのが七草粥じゃなかったのだろうか、とか思うが。
 まあ、アホも窮まれば新たな文化が生まれるだろうから、七草粥もさらに高級品にしてしまえば良いのかも知れないけど。ご先祖方の切実な文化を平然と拉げてしまう現代人の商魂には、ほとほと呆れる、いつも通りの年の暮れである。