武系打ち上げ後の苦楽。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 今日が今年最後の審査会だということは知っていたが、その後の打ち上げのことはすっかり忘れていて、参加不参加の連絡をしないままだった。と、朝、館長からメールがあり、どうする?と問われ、ハッと思いだした。私はあまりビールを呑みたくないが、いつもビールしかでないので悩んだが、先頃から今年は余興にプチ・ギターライブでもやろうかと考えていたので、参加とした。
 ヨンクにペコギを乗せて、一時前に会場入りすると、幕開け演武をやることになりびっくりした。替わりにギターでも弾いて誤魔化したかったがそうもいかず、といっていつも同じのもなんなので、審査を受ける人の参考になるように一本基本型をていねいにやり、次はそのバリエーションとして実戦向き護身技をアドリブでやる、というのを三セットだけやった。他の指導員たちはみんないつもと同じ自由技なので、ま、悪くなかっただろう。私の場合ほとんどリハーサルをやらないから、アドリブでも平気なのである。

 午後一時前から四時半ころまでほぼ立ち通しで、だんだん下脚に違和感が出てきて、脚を痙る予感がしてきた。それも、左右同時に。んー、ヤバそうだな、とビビりながら、審査後もオタク仲間たちに請われるまま合気上げを案内して遊んでいたら、いくらかラクになった。
 午後五時には宴会場へ移り、あまり美味しくない唐揚げ弁当を食べた。いつも、これね。食べている間、意外に静かなので、宴会の幹事さん役的な人に、こんな時間にプチ・ライブをやろうかというと、それが良いということになり、ペコギを抱いてXmasイブのカントリーブルースとジャズの夕べを始めたのだった。
 もっとも、十五年のブランクがあるし、人前で弾くのは四十年ぶりなので、二曲だけにしておいた。脚が痙りそうでもあり。始めは手のストレッチのために素朴なアメリカン・カントリーブルースの名も知らない簡単なやつ。これは本当に簡単なCのスリーコードをスリーフィンガーでやるだけだけど、シンプル故に味を出すのが愉しいので毎日のように肉弾く。原曲は二分程度の短いものだけど、勝手に引っ張り、私は四分ものくらいにしている。
 で、手のストレッチができ、温まったところで、本日二段審査に挑戦した老婦人のために捧げて、ジョージア・オン・マイ・マインドをやった。もちろん、大好きなダック・ベイカー版で。
 これが酷い出来で、何度もヘマしたが、みなさんあまり聴いたことがないおかげか、ヘマだとバレなかったらしく、たいそうお喜びいただけ安堵した。

 ご婦人方からは格好いいと褒めそやされ、鼻高々でいたら、思いがけずオヤジ連中の方に受けたらしく、ヘマだらけだったなぁと思いつつ席へ戻ると、興味津々のオヤジたちが寄ってきて、若いころの思い出話大会になった。たいてい五十代くらいだと、中高生のころにギターとかを手にするもので、みんなそれぞれに思い出があるらしかった。で、私が改造したペコギをつくづく眺め、ネックのヘッドのロゴを削っていてメーカーがわからないので、知っている人はたいていサウンドホールを覗き、ギョッとし、頓狂な声を上げた。
 「こッ、これ、フェンダーじゃないっすかッ」
 「そうだよ」というと、マジっすか、という顔をする。私がライブの始めに、これは去年気に食わないから改造したギターだと告げたためだ。
 「フェンダーを改造したんですか」と驚くのだった。そもそもフェンダーの生ギターがあることが驚きのひとつでもあったらしい。みなさんマトモなビジネスマンだから、二十代や三十代は仕事で忙しく、楽器屋を覗くこともなかったのだろうけど、私はフリーでヒマだったからしょっちゅう楽器屋を覗いて遊んでいて、トラベラーズ的モデルが流行ったとき、フェンダーが出したそれを入手したのだった。確か三十一歳くらいだったかな。が、音質など気にもせず、夜中に運指の練習をするちっこいのが欲しかっただけで、いつも弦にスポンジをかませ消音して弾いていた。長女が生まれたころで、狭いマンション生活だったため、夜中にギターなど弾きにくかったから。が、当時はフィンガーピッキングをものにすることに情熱を燃やしていたので、稽古あるのみ。けれど、日中は一応労働していて弾けないから、肉弾き稽古は夜しか出来なかったのである。
 そういう因果な過去を持つペコギだが、今となってはマーチンよりも私の身体に親しい楽器になった。やはり若いころ夢中だった人たちが、ペコギを抱いてネックを握ると、「えー、これ、すごく弾き易いっすね」と驚いた。そう、そのように改造したからである。と告げると、ますます驚愕していた。意外だったのは、私の小さな手に合わせて改造したのに、手が大きく指の長い人にも好評だったこと。人体というのは、外形的なサイズだけでは判断し得ないものなのだろう。
 なんて談義を長々とオヤジたちとやっていたら、またたく間に宴が終わっていた。
 来週土曜も最後の一人稽古ができるだろうと思っていたら、武道場施設はもうお休みらしく、がっかり。今年はほとんど刀を抜けなかった。一年の最後に森とした武道場で、一人ぽつねんと座し、徐に初発刀か稲妻の抜き付けを食らわし邪気を断つのが私的恒例行事なのに、残念である。が、第三セクターなので、休みは役所と同じなのだろう。

 本年の武的生活はこれで終わり、残りは来年の始動へ向けて行けるところまでスキルを高め、お節準備に邁進する主夫として活動するばかりとなった。合気仲間たちの宣伝協力も取り付けたが、ご近所に住まう仲間はないので効果は期待できない。無名のゼロからやりだし、如何に短い時間で認知を上げ得るかが初期的問題なので戦術の練り上げもやらなくちゃ。ギターなんか肉弾いて遊んでいる場合ではないのだけど、今夜あえて敢行したのはギターライブで○○○体をやる企画の検証のひとつといっても良い。これは、間違いなくウケる手応えを得た。しかも、効果も確実にある。ぜひとも、この企画を定期的にやりながら、○○○体をこのエリアに広めたい、という思いがいよいよ強くなってきた。私はこの地域内でしかやる気が無く、隣接する市域くらいまでは請われれば施術提供しなくもないけど、広域を相手にする気はさらさらない。稼ごうという気が無いからで、自分の生活エリアの人たちの役に立って細々と生活できればそれで満足なので。

 宴の後、残飯を集めていた奥様方から、唐揚げ弁当やらポテトサラダやらの残りを持っていくように渡され、嬉々として賜った。これで明日の午くらいまで食いものに困らないッと。
 オヤジ連中とのギター談義は実に愉しく、みんな高校生みたいにお喋りしていたが、ペコギと稽古着と残飯などを手に独り駐車場で待たされていたヨンクの元へ向かっていると、下脚にずんずん響くイヤな感じが甦ってきた。
 ヤベえ、と焦った。
 慌てて家まで制限速度ですっ飛ばし、なんとか持ち堪えたが、換気扇の下で焼酎をやりつつ一服していたら、やはり、両足同時にピキーンッと痙った。
 激烈な痛みにのたうち回ったりはせず、来ちゃうよなぁ、やっぱと思いつつ、身体を左右交互に側臥にして、上腿下腿をクリクリ揉み血行を促した。こむら返りの特効ツボはあるが、痛んでいるときにいきなり弄ると逆効果もあるので、まずはラクに近い状態を探し、やんわり血行を促す方が良い。意外に、脚を上げた方がラクなこともある。その時の状況で違うが、要は、まずはラクを求めて苦しまなくちゃということかな。