四十三年ぶりのシャウト。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 明日は、壊れたマッサージ椅子とお別れする日である。手切れ金は二千円分の粗大ゴミシール。なんだか、哀しい。八時半までに玄関先に連れて行かなくてはならない。
 そろそろ施術室改造も大詰めとなり、今日は不要物のかなり最終に近い分別作業をやった。面倒臭くて放っておいたカセットテープの分別にも、ようやく着手した。なにしろ、中学生のころから放置してあるのとか、仕事で取材に使ったものとかが何百本もスーパーのビニル袋に放りこまれてあるので、手を付ける気になれなかったのである。が、やらないことには終わらないので覚悟を決めてやった。
 成果は絶大で、五十くらいに減少させられた。しかも、なによりも大きかったのは、私が高校二年生のときにやったライブの録音が発掘されたことだった。
 二三年前に米子の同級生が上京して、あのライブの音源を持ってたんじゃないか?あったら送ってくれ、と頼まれていたので探していたが、ずっと見つからなかった。それが、ついに発見されたわけだ。十六歳の時だから、かれこれ四十三年前になるのかな。
 恐る恐る小型ラジカセに突っこみ再生すると、なんと、悪くない音で残されていた。前半は米子の友の下手くそなボーカルで、後半は私の超絶シャウト。これは小っ恥ずかしいなッと感動した。
 しかし、私の場合、恥ずかしいことは進んでやるべしという信念があるので、晩飯のとき家族にも聴かせてやった。妻子は唖然としていた。その意味は解さずにおこう。ただ、唖然としていたのである。
 再生した小型ラジカセは数年前にビックカメラで購入したモノラルものだが、デジタル化できるので、近々ヒマになったらデジタル音源にして当時のバンド仲間たちに送ってやろうと思う。みんな感動して呆れ返ることだろう。

 四十三年前の声と今と、自分ではなにも変わらない気がするが、妻子はまったく違うという。それはそうで、普段からシャウトなんかするわけもなく、平素の私は小声でボソボソくちぼそみたいに呟くだけなので同じわけがない。朝っぱらからシャウトしてたりしたら身が保たないし。
 基本的には憂歌団のコピーバンドで、前半はサウストゥサウスものやダークなブルースになぜかシュガーベイブが混じっていたりして意味不明だが、後半は憂歌一辺倒。いきなり憂歌団のテーマのパクリが始まり、お政治オバちゃんにドドッと雪崩れこみ、十ドルの恋にしんみり変わって、いやんなったで絞め、アンコールでなんかやったはずだが、録音はいやんなったの途中で切れていた。後半の狂気的盛り上がりは今聴いても笑ってしまうが、当時あんなことをやるやつはほとんどいなかっただろうと思われる。バックはジャズ研の友人たちが支えてくれていて演奏は本格的で格好良く、ボーカルはメチャクチャ泥臭くがなり立て、正に阿鼻叫喚の青春地獄。ああ、こういう時代があったか、と思うと、とても恥ずかしいけど誇らしい。
 そうだ、青春というのは、恥ずかしくも誇らしいものなのである。

 普通、恥ずかしいことは誇らしくないものだけど、そういう対立することが共存するのが若さである。今でもやろうと思えばできると思うが、まずやる気にはならない。当時はサービス精神が旺盛だったからできただけで、枯れてしまった今ではそんな精神はない。ただ渋いだけのブルースならやりたいけど、下手なのでなかなかできない。が、死ぬまでに一曲で良いから、渋いブルースを作曲したいという願望が未だにある。
 そんな話を晩ゴハンを食べながら家族とした。
 「作ってどうするの」と娘が問うた。
 「カセットテープに録音しとくんだよ」
 「なんで」
 「おれが死んだら、それをラジカセで流すんだ」
 「あ、それ良い」と妻が言った。
 「七十くらいになったら、もしかするとストリートライブをやりだすかも知れないぞ。好きだからな」
 「ふーん。別に良いんじゃない。ウケそうだし」と妻子。
 んー、こいつらは恥を知らないな、と呆れたが、よりいっそう恥知らずなのは自分だからまあ良いかぁと思うのだった。

 四十三年という時の長さを思うと、若々しい自分の歌声が懐かしく感じられるけれど、今でもたぶんたいして変わりはしないだろうとも思う。シャウトなんてする必要がないからしないまま四十三年生きてきたが、やればたいして変わらないだろう。変声期は終わっていたし。ただ、やる必要がないから、やらないと言うだけに過ぎない。
 私は平素は小声で、ボソボソ喋る。会議でもボソボソ、家でもボソボソ、道場でもボソボソ、町でもボソボソ。大声を出すのも聞くのも好きではないので、叫んだりしない。怒鳴ることはあっても、声は大きくない。ガシッと硬質になるだけで大きくはない。大声が嫌いだから。
 が、歌のシャウトというのはただの大声ではなく、詩情としての必然なので不快はなく、大好きな部類である。
 録音テープのシャウトが絶頂になったとき、妻が「乗っちゃってるのね」といった。が、私は「乗ってるわけじゃない。おれはいつでも醒めてるからな」と応えた。
 実際エキサイトなどしてはいなくて、醒めていた。ここは盛り上げとこうと思って意図的にテンションを上げた記憶がはっきりある。ただの演技演出なわけだ。
 その善し悪しはどうでも良いが、可能ならば自分で一曲作り、なんら演技も演出もなく、ただ自己満足できるだけの世界をひとつ拵えたいと思うのである。
 ただただ、自己満足だけのために。
 自己満足ほど、心地良いことはないから。

 や、今夜は夕刻の老母との電話会談について記すつもりだったが、昔のカセットテープに感動して忘れてしまった。明日にしよう。憶えていれば、だけど。