復習日記。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 終日、一昨日仕入れてきた中医学本で学習。朝読みだしたら止まらなくなり、夕方までに三百ページぐらい読了した。こういうものは専門用語というのか、とにかく用語の意味を解するのが面倒で読み難いが、先に鍼灸指圧関係の国家資格試験対応講座のテキストを読んでいたので、意外にスラスラ読めた。前のテキストよりもわかりやすく整理されていて、こちらの方が出来が良い。
 ただやはり言葉が独特で、漢字だから意味は想像できるけれど、どうしても解釈がややこしい。また単純なことだと思うが、やけに難解風に記されていたり、現代人にとっては飛躍としか感じられないことをごく当然のことのように断定していて、いささか惜しいという気がする。ま、中国の伝統的医学ではこうなのだと言えばそれまでだけど。
 しかし飛躍は凄まじいが、理路はけっこう整っていて、何千年も前にこんな理論が構築されていたのかと知れば、その緻密さに何度も驚かされる。解剖学的には現代の西洋医学と変わらない情報を把握していたし、生理学的にもさして変わらないくらいの分析が為されていたらしい。それも理論だけではなく、臨床的データの蓄積の上に整理されてきたはずなので、まあ、驚くより他にない。
 今夜はちょっとだけ復習的日記にしよう。

 いろいろややこしい理屈があるが、西洋との最大の違いは、自然治癒という人体の能力をはっきり理解していて、その上で医術という観念を組み立ててきた、という点だろうか。解剖学的な正確さから考えれば、たぶん外科的手術などもやったのだと思うが、見てきた限りでは東洋ものにはそういう方法論が残されていない。ベースは薬物の処方と鍼灸推拿だろうか。薬物は日本で言う漢方で、鍼灸は言うまでもなく、推拿はいわゆる整体の素で、指圧マッサージというような療術。
 ここにやはり不思議な問題があり、鍼灸も指圧マッサージも日本では国家資格制度があり、有資格者でなければそういう術を施してはならないとされている。が、整体には国家資格はなく、インチキな民間資格だらけだったりする。が、整体の基本は本来、指圧マッサージ的な整圧法と気功のような生体エネルギーによる働きかけである。北村整体のような経絡整圧法が前者で、野口整体が後者だろうか。が、巷間で見分される整体というのは、どうもカイロプラクティックの真似事的に骨格をグキグキやったり、マッサージ的に筋肉をモミモミしたりするものみたいで、なにが整体なのさ?と感じられる。ネットで色々眺めると、黄帝内経がどうだとか陰陽五行理論だとかも目にするが、やっていることはカイロ的だったりする。そもそも、陰陽五行説の理屈も経絡理論もとにかくややこしく、そう簡単に理解できるとは思えない。マクロビオティックもそうだが、本来はもの凄くややこしいものであり、しかも理的ではなく情緒というか感覚的な面が強く、医術を施そうとする個々人によって解釈も判断も変わったりするに違いない。ということは、根本としての理論理念思想体系はあるが、解釈も用法も人それぞれの千差万別と言うことになる。ベースとなる基礎の他には、これが正しい、ということすらないわけだ。
 なので一応私も中医学のベースだけは理解して診断の感覚くらいは知っておこうと学んでいるわけだが、これは並の感覚ではまったく役に立たないと感じる。そのくらい難解といって良いだろう。合気よりも難しい気がする。
 簡単な例を上げれば、気・血・津液というような生理的物質に関する見方で、これらが全身を巡って代謝を担っているといい、血・津液は西洋とたいして変わらないが、気という捉え方が難解だろうか。日本でも良くわからないと思うが、中医学的には物質として把握されている。けれど、どういう物質なのかという点は謎であり、なんら科学的な論考も為されない。気という物質が存在し、身体の中を流れ、大切なものを全身に運んだり排泄させたりしているのです、となる。
 また、その流通路が経絡と呼ばれる脈とされているけれど、なぜその脈なのであるか、という点はなんら証明されない。この系脈が存在し、それはこれこれという臓腑につながる道なのです、というばかり。裏付けも理路もないから、西洋医学では到底理解しがたいことだろう。
 が、どうしたわけか、東洋ではそれが罷り通る。たぶん、歴史という礎があるから信仰のレベルに行けたのだろう。
 各論的な理屈はけっこう科学的なのに、大元の基礎は宗教的、という感じだろうか。
 なんてところが面白く、謎が謎を呼び、読みだしたら止められない止まらない、ということになるわけだ。

 私がやりたいのは医術などではなく、民間健康法としての、いわゆる中医学でいう未病、つまり予防的な方向のことで、けれどそんなことに関心を向けるものは少ないから、対処術から入って介護予防方向へと誘導したいということだが、かなり難しいだろうなとは思う。介護予防というと筋トレとかストレッチ的なことばかりやられているけど、それではかなり不足なはずで、経絡整体の方法論がベストではないか、と私的には思われる。経絡が確かに内臓に働きかけるという科学的根拠はないが、臨床的証明と言えそうな事例は多く、現に私も五十肩と大腸の関係を身を以て実感した一人である。五十肩も完治とは言えないまでも、ほぼ痛みはなくなり、大腸も機嫌が良いらしい。とはいえ大腸経よりも合気道の三カ条の方が奏功した気がしなくもないが。
 先日、腕利き整体師さんとその話をしたとき、彼も三カ条を利用しているそうで、そうそう、そうなんだよねッなんて盛り上がったのだった。肩の筋をある方向へストレッチするには三カ条がもっとも有効だということに気がついたものだけが共有できるお愉しみである。

 人体というのは本当に面白く、人間は誰しもがこの世で最高度に完成された生体システムを持っているといって良いだろうか。しかし完璧ではなく、不具合が生じる。いわゆる健康問題ということだが、何千年も昔から人間は、その不安に苛まれ、なんとか救われたいと希求してきた。この世で最強のニーズのひとつがそれだろう。経済に纏わる金銭欲も根には健康不安があるだろうし、食もそうだろうし、運動もそうだろう。
 生老病死の問題から、まだ人類は脱せないということかな。
 四大宗教の信者数は、もしかすると全人類の数を超えているかも知れないが、まだ解脱できない。人間を為しているのは身体と心だが、そのどちらかだけ健全になるなんてことはあり得ない。身体は健康だけど心がねぇなんてことはないのである。身体は虚弱だけど心は健全だ、なんてことも基本的にはないだろう。強いということはあるだろうけど、それが健全と言うことでもないわけで。
 初めてホーリスティックヘルスという言葉を代筆に使ったのは、三十年前だったかな。某大企業の社長の代筆だった。以後三年くらい専属の代筆をやらされた。あのころから私的関心は全身心的健康にあったが、嗜好が不健康だったので未だに脆弱だけど、生物としての理想郷ではある。
 そろそろ老境に入るから、ボチボチ目指したい気もするわけだ。