発想と筋と吝嗇。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 今日もかなり忙しなく活動した。兼業主夫はとにかく多忙で、たぶん今度こそ最後の本業になるはずの簡単な業務を片づけると、すぐさま業務スーパーへ走った。目的はもちろん晩ゴハン用の仕入れだが、もうひとつの主役は芋焼酎購入にあった。先日、たまたま千円未満の本格芋焼酎というのが売られていたので試しに買ったら、これが、呑めるッ。銘は菊川、なんと、あの菊川怜ちゃんの姓と同じなのである。これは不味いわけがない、と買ってみたら、実際悪くなく、近頃はこればかりになった。そこらの高級芋焼酎に負けないくらいンマイからぜひお試しを。
 で、サブの目的が晩ゴハンのおかず漁りで、今夜は久しぶりに洋物にすべく主食は海老グラタンに決めていて、酒のつまみ的なおかずをどうしようかと悩みに行ったのだった。もっともあえて業務スーパーへ行った時点で方向性は決まっていたわけで、揚げ物をいろいろマゼコゼしたミックスフライにしようと考えていたわけである。すでにタラのフライやコロッケ系は冷凍物がゴロゴロしているのでそれだけでも足りるが、なにかもうひとつ、ピンと来るものを混ぜこみたい、と。
 なんてのも、ほぼ狙いは定まっていて、イカリングかエビフライだろうと読んでいた。要は、どっちか安い方を買おうというだけのことではある。
 けれど、業務スーパーへ行ってしまうと物欲の権化となるため、要らないものも大量に仕入れてしまった。冷凍庫がパンクしそうなくらい冷凍食材を運びこんでしまった。主夫業務は今日までで、明日から二日間は休みだというのに、大人買いしてしまったのであった。

 買いものを午前のうちに済ませ、午後は相変わらずリフォーム作業。というか、掃除というか、無用物の分別作業というべきか。
 これがとにかく捗らず、遅々として進まない。なにかを目にすると、今後数年は無用と思うが、もしかすると五年後に欲しくなるかもなどと考えると、どうにも捨てがたい。ケチの辛さである。まだ、さすがに余所様のゴミを拾ってくるまでにはなっていないが、この吝嗇ぶりではいずれ為りかねないと強烈に思う。
 とにかく物を捨てられない。さして執着しているわけではないけれど、いつか使えるかもと思うと捨てられない。四十年前に買って数ページだけ書いたノートなんてのもある。四十年もののノートなんて価値が出そうな気がするが、誰も買わないだろう。三十年ものなどざらにある。十数冊くらいはあるかな。たいてい残り数ページだったりするが、この数ページが埋まらない限り処分する気になれない。が、実際は、フルに書きこまれたノートになると、なおさら捨てがたかったりする。なんてのが、また十数冊あるだろうか。
 仕事のメモ類が多いが、眺めるといろいろ思いだされて愉しい。自分がそのオリエンを聞きなにを考えていたか、どのように発想を飛躍させたかなどが記録されている一種の着想地図みたいなものなので、なかなか捨てにくい。他人が見てもなんだかわからないだろうけど、自分ではわかるので面白くてならない。いわば、私の半生の自分史のようなものでもある。十数年前まで日記など記さなかったから、そのようなノートだけが私の歴史といえる。
 が、こういう仕事の場合、一点ごとにオーダーメイドなので、ストーリー性はない。単発の極長短編発想物語りがプツプツと断片的に記されているだけなので、やはり大した価値はないだろう。しかも、発想は飛躍こそが生命だったりするから、論理的展開なんてありはしない。思いつきのメモが、いきなりポンッと記されてあり、それで仕事が終わっていたり。
 ま、惜しいが、捨てるしかないだろう。邪魔だから。

 妻は今日、雇われ先の店長会議だったそうで、夕方早く帰宅すると興奮気味に語りかけた。
 「昨日教えてもらった企画を言ったら、ワーッてみんな驚いて、すぐ採用になっちゃった」
 「ん、当たり前だろ。だいたいその程度のことすら思いつかないやつらが経営なんかしても無意味なんだよ。社長に、君は能無しだからあたしを社長にすればッとか言えよ」
 という具合に私はいつも厳しいことを告げる。
 妻は毎週のようにその手の相談を持ちかけるので、私は数秒で答える。今のところ、すべてその会社で採用され、売り上げに貢献しているらしい。バカバカしいことだが、妻が店長手当の増額をしたいというので仕方なくサービスしている。そろそろ損な気がしてきたので、もう止めようかと思うが、妻ではアイデアなど出せないので迷うところではある。
 私の発想力は並ではなく、たいていの場合は数秒で問題を解決する。もちろん本業はそれで終わりにはできず、そこからいろいろ検証をするわけだけど、アイデアなど数秒で湧きだす。今日も十数通りのアイデアを妻に教えてやった。どれをやってもそれなりに成功することは間違いない。物販系のプロモーションはさほど難しいことはなく、要は客にいかに感動を提供するかくらいのことが重要なだけで、簡単といって良い。私は失敗したことがないから断言できる。
 が、難しいのは自分がこの後やろうとしている仕事のようなことにあり、ロジックは同じで、客にいかに感動を提供するかだけだが、ここの読みは困難を極める。本質的な満足を追究するにしても、それはかなりわかりにくいもののはずだから、どうしてもわかりやすい、可視的な面での満足を利用しないとダメなんだろうと思う。けれど、そんなことに終始したくないから、わかりにくいことをやって、わからないやつは来なくて良いよ、という方向へ行きそうな気がする。
 先日、合気仲間たちとの宴会のときも、第二の弟弟子に次の仕事の話をしたら、良くわからないというので、今の説明でわからないやつは来なくて良いんですよ、というと首を傾げていた。合気技と同じスタンスだが、まだおわかりいただけていないらしい。

 というか、私は本業でも同じようなスタンスでやってきたので、かなり筋が徹った生き方といっても良い気がする。自分のやり方が気に食わない相手と仕事をしたくないんですよ、とずっと伝え続けてきたから。自分より相手が格段に上とわかれば進んで教えを請うけれど、そういうことはこれまでほとんど無かった。師匠から離れて後、そのような存在を求め続けていたような気がするが、ほぼ皆無だった。よって、今でも私が頼るのは、二十代のころに弟子にしてもらった師匠だけ。寂しい気がするけれど、そのように優れた師匠に最初に巡り会えたのは最高の幸運といっても良いだろう。

 まて、もう長いかな。ついつい、思いつくまま書いてしまうので、毎夜だらだらと長くなる。
 今夜はまだ眠くないが、このくらいで許してやろうかな。
 明日明後日は脱主夫して、いろいろできるから、その計画でも練りながら、ゆっくり睡魔の餌食になっていこう。冷たいベランダで煙草を燻らしたりしながら。