天上天下唯我ユートピア。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 今夜は晩ごはん製造無用なので出来合いの天丼でも買って妻と分けて食べて済まし、台所部屋と家族部屋の照明に新しく「まどろみモード」を創設しようと考え、いろいろ電気工事をした。というのは、仕事部屋に以前家族部屋においていた二メートル高くらいの三点照明器具があり、今は最下段の一灯しか使っていないのでもったいないから、これをバラして家族部屋に二つの雰囲気を手軽に切り替えてくつろげる夢のような照明デザインを作って遊ぼうと考えたのだった。が、バラすのに意外に手間取り、二時間くらいバラし方に悩んだ。ただ長いパイプにコードが詰め込んであるだけだけど、これがパイプにぎゅうぎゅう詰めされていて、コードを傷つけずに取り出すのに一苦労した。
 ひとつの照明は寝床脇用に温存し、他ふたつを家族部屋に譲り、間接照明にした。これまではLED九ワット×三の天井灯だけだったが、これのスイッチは二連になっていて、上はその点灯消灯を司るようにしていたが、下はなんの役にも立たないダミー状態だったから、そこに間接照明によるまどろみモード照明を接続したのだった。
 工事はたいしたことなく、ぶつ切りしたコードをあれこれとくっつけて半田付けし、絶縁テープでぐるぐる撒きして鴨居の奥に隠しただけで、カモでもできる簡単なことである。重要なのは、「まどろみモード」にしようという発想であり、工事ではない。だいたいこの手の工事にたいした技術など要らず、漏電だのショートだのさせないように配慮する知識だけあれば十二分だろう。交流だから極性なんて気にする必要もないし。けれど、電気工事のようなものは基本的に専門業者に頼むべきであるなんていわれ、割れたコンセントの交換すら業者に頼んだりするらしくびっくりする。ま、ホームセンターでもコンセントパーツが売っているから、自分でやる人も多いのだろうけど、専門家には専門家でないとできないことだけ頼みたいものである。であれば、高額なギャラを支払うことになんの不満も感じないから。今のところ我が家ではその手を外注したことがなく、すべて私がやっているが、絶対に不可能ということが発生すれば専門家に頼る。そして工事が完了すれば、快くギャラをお支払いし、それだけでも足りない気がして抱きついてチューしてしまうかも知れない。専門家には、是非とも、そのくらい客を感動させるテクニックを見せびらかして欲しいものだ。見ていて、おれでもできるじゃんなんてのは寂しいから。
 

 専門家といえば、教育関係の専門家である文科省の役人天下り斡旋問題など騒がしいようで、未だにそんなことやってるのかとびっくりした。役人は昭和の恥知らずな生き霊かな。生活苦で夜の仕事しか選択できないと思い込んでしまうシングルマザーがいれば、己の老後の悦楽を確保すべく必死になって天下りの道を求める役人がある。いずれも、明日の生活のために頑張っているのだろうけど、切実なのはどちらか、なんてアホでもわかるだろう。こんな時代が続けば、やはり日本も大衆が暴れだす時を迎えることになるのだろう。私の体臭が暴れるくらいではすまない事態だと、役人は想像ができないのだろうか。臭いだけではすまないのである。

 

 

 こんなのを解消するのも素人でもできる電気工事レベルではないか。いちばん簡単なのは公務員試験のやり方を変えることかな。たとえば一次審査は無知蒙昧な一般大衆による審査委員会などによる超面接大会にしてしまう。審査員はそこらのおじさんやおばさんが十人くらいで良いか。そのありふれたおじさんやおばさんが、公務員になりたいお子様を面接して、この子は将来私利私欲に溺れてしまわないか否かを判断し、大丈夫となったら、次は公的な公務員試験に進む。これだけで、不適格者はけっこう篩い落とされることだろう。
 が、まだ安心してはいけない。網の目をかいくぐる狡猾なお子様はいくらでもいるのである。
 三次審査では、半年くらいのボランティア活動によって適性を判断したい。その時代もっとも困窮している分野のお手伝いをさせ、同僚たちに評価してもらう。これは経営陣ではダメで、経営陣だといずれ行政から甘い汁を吸わせてもらえるかもなどと考えてインチキするので、平の同僚に限る。そいつらが、おお、こいつはいけてるじゃんと評価したなら、合格という感じが良いだろうか。
 こんくらいやれば、必要な法的知識も人間性もある程度審査できると思うから、面倒臭くてもやれば良いな。
 

 ま、それは良いとして、触れたかったのは夕刊で目にした、日本の自殺者が減り続けているという朗報のことだった。減るのはけっこうだけど、二万何千人だとか目にして唖然とした。そうか、減っているのか、と。
 確か朝刊で犯罪の検挙率も減ったとか目にしたが、いろいろな防犯活動の成果らしいとか語られていた。面白いのは防犯カメラや地域の監視活動で、いずれも、監視されているから犯行が減少したのだと信じて疑わないようだけど、それは可視界から姿を隠すようになったというだけのことで、不可視の世界ではたぶん着々と増加しているのではないか。粗暴犯が減って詐欺などが増えているというのが、その一面の証拠だろう。
 自殺も他殺も減るのはけっこうなことなのでどんどん減ってもらいたいものだけど、そういう事件が発生する因縁には怨恨や経済の問題というのが多く、自殺の原因として健康問題が多いとされているけど、それすら、経済とか心理的な抑圧と無縁ではないことだろう。この世は何事もぐちゃぐちゃとこんがらがって成立しているのだから、単一視点で物事を眺めても真相など見えるわけがなく、問題解決の方向性すら判然とするわけがない。
 トランプ関係に触れる人が今夜は多いだろうけど、興味ないのであまり触れないが、ああいうのが、この世をどんどんダメにしていくのだろうなとは思う。経済が良くなったところで、人間が良くなるわけではないから。安倍くんも同じかな。
 

 教育の重要性とは、過去にこれが知識の基礎であるとされてきた叡智を修得することなのか?あるいは未だ知られない不可視の問題に対処し得る自在の思索能力を育むことなのか?みたいな問題は、文科省などよくよく考察するべきだろう。少なくとも、文科省の役割は、雇われた役人の老後生活を豊かに保つことではなく、そういうところは無縁の庶民大衆の生活を豊かに保つために文部科学行政にはなにがし得るかをひたすら考えて実践することにあるのだから。
 そういう本来やるべきことができない無能ばかり採用してきたから、今回の文科省のような問題が起こるわけで、省庁全体に共通しているだろうことくらい庶民大衆は知っているに違いない。
 個に拘泥し腐った政府と腐った役所がやることは、どういうことだろうか。
 格差とか差別とかメディアに喧しく書かれるが、その発端がそういうところにあるだろう。
 公的サービスに奉仕するところが、個のために頑張るために目指す場になっているのだから、当たり前だろうとしか思えないが。
 でも、個のために必死に頑張っている公人というのは、公職を失えばなにもできないやつだらけだろうから、しがみつくのに必死にならざるを得ないのだろう。そういう気持ちはわからなくもないけど、そんなやつはそもそも不適格なのだから、公職に就いた時点で生き方を間違えたといわざるを得ない。可哀想ではある。不適な職に就いてしまい、必死にやってきて、けれど最後は公より私しかないという無様さはいかばかりだろう。昔の武士なら、恥じ入り、腹を切っただろうか。
 が、今は切るわけがない。切らないで欲しいし、気持ち悪いから。
 

 行政を操舵するのは、政府なので、今回の問題は当然、内閣府の責任といえる気がするけど、安倍くんは他の省庁でもそんなことをやっていると怪しからんから徹底的に調べるように誰かに命じたらしい。んなこと知っているに決まっているのに。
 学芸会政治行政は、いつまで続きのだろうか。
 トランプ効果で、さらに延命するのだろうか。
 アメリカは勝手にどこへでも行けば良いけど、日本は故郷に立ち返って欲しい。
 昭和の、まだ、異常なまでに経済成長していなかった時代、私が触れていた日本に。
 きっと、世界中の人々が憧れてしまう。ユートピアのような一面があったのではないかと思う。
 そこを明確に認識し、それを核心として未来ビジョンを描けるものが登場すれば、日本ほど凄い国はないということになるのだろう。