この世の一不思議。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 昨年から仕事部屋掃除を続けているが、まだ終わらない。果てしない戦いだと感じる。基本的には、物を捨てるか否かという判断の連続だが、やはりケチなのでなかなか捨てられない。かなり捨ててきたが、未だに残存物は大量で、どうにも始末しがたい。
 この後数年はまず使わないと断定できる物はあらかた捨てたけれど、もう入手しにくそうな物とか、もしかすると一年後に出番があるかもなどと思うと、捨てられない。よって、あまり片付かない。
 吝嗇家の宿痾だろう。

 

 しかし、そろそろ片付けないと春の商戦に乗れなくなりそうだから、ひとまずケリをつけるべく、今日は稽古をサボって屋内清掃活動に集中した。今日は近くの高校の武道場で暖房がないから、足袋を履いていこうと用意したが、ちょっと熱っぽくもありサボろうと意志決定したのだった。
 おかげで仕事部屋の環境整備の大枠はほぼ完了となった。まだこれから書物などの選別やプチッとした内装工事などやる予定だけど、どうにか労働に集中できるようになった。しかも、足の踏み場が画期的に増大した。入り口から寝床まで、床の段差の他にはなにひとつ踏みつけることなく移動できるなんて、ここに移って以来だろうか。ぜひ、子瓶にもこの開放感を味合わせてやりたかった。いつもがらくたや本の山を恐る恐る踏んでアクセスしてきていたので、可哀想だったなと。

 

 だいぶ快適になり、もう余所様を招じ入れても恥じることのない空間になったが、まだまだ掃除活動は終わらない、途中PCの動作不安のせいで設備入れ替えなどもして時間がかかったが、空間リニューアルはこれからが本番になる。それも仕事部屋という狭隘な世界のことではない。もっと広大な、台所部屋から家族部屋、洗面、そして浴室二まで展開する希有壮大な空間弄り大スペクタクル構想が繰り広げられる予定なのである。
 もっとも、仕掛けの目玉は、人間が動くと行く先々の照明が勝手にポッと点灯するようにすることだったけど、どうしたわけか、これはもう実現してしまった。我が家の電灯スイッチはもはや無用の長物で、人が動けば、行こうとする空間の電灯が点る。妻子は未だに意味がわからず、スイッチをプチプチするので「やめれッ」と叱りつけるが、長らく身に染みついていた習性はなかなか抜けるものでもない。まあ、あと十年もたてば、スイッチに手を伸ばさなくなることだろう。
 階段ホールも人感センサー電灯にしてスイッチ無用にしたが、これにした理由は、十数年前、玄関灯をこれに替えようと思い、ホームセンターの見切り処分品(確か千百円くらいだったかな)を購入してあったが、がらくたの山に埋もれてずっと忘れられていて、先頃発掘され、玄関灯にするとダサそうだから階段ホールに付けようと考えたのだった。が、これにもけっこう苦労があった。問題は複雑でいちいち書くとたいへんなので端折るが、センサーの感知エリアの制約のせいで、天井への取り付け位置が限定されざるを得なかったことである。こういうセンサーはかなり遠方の変化も感知する敏感なものだけど、感知範囲が意外に狭い。階段ホールの場合、二階の人間の動きも、一階の人間の動きも感知して正確に作用しないと意味がないから、センサーの設置状態こそが最重要になる。階段ホールは二階まで吹き抜けだから、その天井に電灯機を取り付けるだけでも危険を伴う労働で、ましてセンサーに最適な取り付け位置に付けるとなると、困難を伴う。何度も仮止めしてはテストを繰り返し、ようやく最適位置を特定した時には、天井がねじ穴だらけになっていたのである。もっとも、そういうところに注目する人はあまりいないので、どうでも良いのだけと。

 

 来週やるつもりなのは、一階全体の電装系の再整備。家電の校正も配置もがらっと変えてしまったため、電源系にも無理が生じ、いまは無理矢理接続しているが、これをこの後十年くらい放置できる状態にやり直す。ついでに台所部屋と家族部屋の照明デザインも再設計して遊ぼうと思っている。それが終わったら、仕事部屋の照明計画に移る。いや、その前に娘部屋の照明交換計画と便所と洗面所もやることになるかな。電工関係はお手の物なので心配はないけど、もうひとつ懸念されているのが、洗面所の壁に組み込もうと考えている棚の敷設。これがちょっと悩ましい。昔、私が遊び半分に殴りつけたらペコッと穴が開いてしまった壁で、いまは妻が貼った白いテープで誤魔化されているが、やはりこの十数年、修繕しなくちゃと思い続けていたのである。そもそもすでに脆いと知っていた壁で、修繕して棚を作り付ける理由を明確化するために殴りつけたのだけど、思っていたよりもでかい穴が開いてしまい対処に苦慮したまま放置したのだった。壁を調べると、間柱は縦の四十五センチスパンらしく、となると、幅四十五センチ以上の棚にしなくてはならず、壁組み込みとしては意外に大きな縦六十センチくらいにする必要もありそうで、作業の面倒臭さを思うと手を付ける気になりにくかった。が、昨年は小細工にも使える電動ノコギリを入手したから、そろそろやらざるを得ないだろう。さすがに二十年も放置しておくわけにはいかないし、私も後数年で還暦と考えると、やはり五十代のうちに始末しておきたい。
 

 昨日、老母から初めて聞かされたが、私が死ぬと七百万円支払われる保険に入っていたそうで、いまは自分の名義になっているから、早いうちに○○子の名義に替えたいとかいった。んなこと私は死んでいるからどうでも良いが、老母も死んでいる可能性があるので、妻の名義に替えるのは良いことだろう。私が死ねば後始末にかかりそうな金額には充分くらいの金が入るのだから、妻もありがたいことだろう。
 でも、私でなくても、人間が死ぬと、なんやかやと金がかかる。
 私はこの十年くらい、喪主を筆頭としてさまざまな体験を繰り返してきた。
 人が死ぬ。始末に金がかかる。が、なんとか、現世において恥ずかしくない葬儀的な体裁を整えなければならない。となれば、やはり、金が要る。
 老母は最初に勤めたのが生保だったからその系に詳しいので、亡父のときも姉のときもさほど金銭的な問題はなかった。というか、老母のせいで必要以上に壮麗な式典にされてしまったが、私の企みでご予算は少々に抑えた。そのお陰でいままだ自分は楽だということを老母は知らないらしく、葬儀には数百万かかって当たり前だと信じている。別に金を払って成仏させてもらうなどとは思っていないと思うが、そうするのが当然なのだと信じ込んでいて疑うことがない。私などは疑いだらけなので、毎度対立せざるを得ない。
 葬儀もそうだったし、墓もそうだった。骨なんかそこらに埋めて、位牌のひとつもあれば良いじゃんか、と私はいったが、老母は頑として建墓でなければ駄目だと言い張った。ならば、墓石なんて俺がどこかの河原で拾ってきたやつで良いというと、いいや、立派な誰が見ても墓石というものでないと駄目だと言い張った。
 ま、どうせ、俺より先に死んでしまうのだから、信じることを全うさせた方が安逸だろう、と考えて、老母の言う通りにした。いや、だいぶアレンジしたが、基本軸は老母が望む通りになるように操縦した。
 けれど、私の内心は老母的な価値観を小馬鹿にしたままだった。いつまで、迷信の世界で生き続ける気なんだろう?と。
 

 自分にとって墓とか、遺骨とか、位牌とか、卒塔婆とか、いや、さらに言えば、ある宗教への信仰とか、菩提寺とか檀家とか、葬儀とか法要とかは、いわば先日まで私の足下を脅かしていたがらくたの山と同等の存在としか感じられない。そんなものに、なんの意味があるのだろう。
 なんて気分で大掃除を継続しているのだけど、はり、なかなか、捨てられない。自分の世代では、まだ無理なのだろうか、と悩ましい。
 が、先送りはあまりしたくない。なんとか、自分の世代で片を付け、娘たちには楽させてやりたい。先祖の記憶を背負って生きていくのは悪くないことだし、当然その方が良いが、無用な風習をいついつまでも背負わせるのでは、子々孫々に申し訳ないではないか。
 そうは、思わないのだろうか、日本人は。
 もっと子孫を身軽にさせたい、と思わないのだろうか?
 実に不思議でならないのがこういう点である。
 未来というのは常に子々孫々のためにあるのに、なぜ、いま、この現実の中での損得だの沽券だの見栄だののために、子々孫々に先送りする負債を残したがるのだろう?
 ただただ、不思議でならない。