近頃の重さ感覚。 | 境界線型録

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 どうやら蕎麦湯の災禍はHDDまで届いていなかったらしく、今日はPCがダウンしない。ありがたい。
 ちょっと生活時間が不規則でブログをゆっくり読んでいられず、ペタもお返ししてません。今のところ水曜まで不規則生活のため、ご容赦のほど。

 今年も大詰めになり、稽古は残すところわずか2日なので、今夜は和術にしよう。ちょっと深い部分の話になると思うので、和術を知らない人は読んでも時間のムダかもしれないので先にお断りを。

 先月末から体感に大きな変化が起きている。
 最近、私と呼吸法をやった人は気がついたかも知れないが、倒れても掴んだ手が貼りついて離れないことが増えてきた。ここをちょっと解説しておきたい。

 二三年前からその手の現象は出ていて、四方投げで掴まないのに腕がロックされているのも同じだが、それが手が離せなくなる理由だと気がつき、使い方を模索していた。
 なかなか進展しなかったけれど、この一ヶ月ほど急速に変化してきた。
 たぶん、体が「貼りつきの兆候を察知する感覚」を理解してきたのだろうと思う。たいしたことに思えないかもしれないが、これは、たいへんな真理を含んでいるはずだろう。意味がわかる人は注意して欲しい。
 片手掴みでの二カ条も、貼りつきの具合がはっきりしてきた。まだ、関節が緩い相手だと固着が甘く難しいが、硬めの関節の人はすぐ貼りつく。理由はずっと記録している通り「重さ」にあるが、重さを捉える体感を得るのは、かなり困難なことらしい。力みが抜けて数年はかかるようだ。
 片手掴みでの二カ条で手が離せなくなる現象は、塩田剛三先生の真似をしたくて楽体初期から目標にしていたことで、メカニズムはたぶん三四年ほど前から言っている、「くるくる遊び」などと巫山戯た名で呼んできた重さの捉えにあると感じる。これは誰がやっても簡単にできるものだが、ほんとうは小手返し固着がないと技にならない。

 簡単にやり方をもう一度説明しておこう。
 ・仕手受けは対面して立ち、仕手が受けに片手を差しだし、受けはわざと少し前傾するようにして仕手の手首を掴む。
 ・仕手は掴まれた「手」を動かさず、全身を回すようにして、差しだしている手の方向へ小さく回る。
 ・すると、仕手受けの腕にピンと張った感覚が生じる。仕手は、差しだした手にかかる受けの「重さ」の感覚が変化しないように、受けを引っ張りすぎないように、受けの移動速度に合わせて体を回し、徐々に軸足の膝を緩めて体を沈ませていく。
 ・やがて受けは体バランスを崩し前方につんのめるようになるので、その瞬間、仕手は回転に急ブレーキをかけ、掴まれていた腕を払うようにする。型として練習するなら、受けはつんのめって倒れる際、前方回転受身をする。
 名付けて、和術秘技ひっつきくるくる崩し。ま、当たり前の現象だから名前はなくても良いが。
 しかし、例えばこの話を目にして、養神館の終末動作二、つまり四方投げ二の初動は、受けがくっついて動いてしまうものだと直感しない人には、まず理解できないことだろう。あれは、受けの重さが仕手の体を回転させると言って間違いないだろう。ま、動作まで話を広げてしまうとややこしいから、貼りつく現象に絞ろう。

 ここに働いているのは、受けの偏った重さが、仕手の手にひっかかっているという作用。仕手が手を動かしてしまうと相互の関係が切れやすいが、体全体を回転させていくと、「受けが手を離せない」という現象が起こる。質量のある物体を手に乗せれば、手に乗っている、という当たり前の現象に過ぎない。これ以上の説明は不要だろう。なるべく自分で考えたほうが良いし。

 和術でやっている「手がくっつく」「手が離せない」「腕がロックされる」という現象は、すべてここに見られる「重さ」と「肘固着(関節の操作)」と「テコ的作用」によって発生する。横面打ちを片手で捌いて、受けがバランスを失い転倒するというのも遊び的にやっているが、あれはけっして遊びではない。横面打ちと接した瞬間、肘固着させ、前腕のロールで重さを捉えるけっこう高級な「技」といって良い。

 呼吸法の浮きもほぼ同じロジックによって実現する。
 接触した瞬間に肘固着させ、重さを捉え、重さを巻き取るように落下させる。と、受けの後背の筋が引き上げられ、腰が浮く。この腰の浮きは手にかかる「重さ」の微妙な変化で明快にわかる。
 この重さを捉えたら離さないように、仕手は仙骨を内側(体前方)へ絞めるようにして背骨を立ち上がらせると、受けはあっさり吊り上げられる。
 これは見ていると私が相手を突き上げていると勘違いするようだが、突き上げているのではない。むしろこちらの体は落下させる。釣瓶を引き上げるのと同じこと。
 吊り上がりの限界を把握する感覚も重要で、限界に達する瞬間、受けの肩がロックするところまで間を詰める。これは互いの間合いによって違うが、だいたい数センチ程度が多い。さらにロックする刹那、肩胛骨を働かせて左右前後いずれかに受けの体(体重)が偏るようにする。
 ここで攻めて押し倒す人が多いが、闇雲に押せばせっかくのロックが解除されてしまうので、押してはいけない。もちろん引いてもいけない。固着が切れないようにわずかに間を詰めるか体を移動させればそれだけで受けは倒れていく。
 受けの重さを捉えていれば、受けが倒れる力によって、こちらの体は動かされることになる。
 ここもよく考えて欲しい点だが、私が呼吸法をやると、受けが倒れた時、ほぼ同時に私の体は受けに密着する位置にいるのを見落としてはいけない。この理由は、『受けがこちらの体にしがみつき、こちらの体を引っ張っていく』ため。だから、二人の間合いはほとんど変化せず、倒れた時には仕手が常に受けに寄り添う状態になる。和術としてはきわめて重要な術理なのでしつこく記録しておこう。

 一般には、呼吸法は受けの体を仕手が突き上げたり押し倒していると思われているようだが、そんなものは技でもなんでもない。ただの衝突に過ぎず、力が強かったり図体の大きい方が有利になる。そこには技などない。技というのは、もっと精妙なものだ。
 和術の場合、受けは後背の筋を吊り上げられてしまうことで、なんとか体均衡を崩すまいと自分の力で起き上がる。仕手は、受けの体の自然な反応を引きだすだけ。この意味は体験していないとわからないだろうが、だからこそ、仕手には過分な重さの負担がかかることなく、また腕の筋肉をさして力ませることなく、するると受けが浮き上がるのだと言って良い。浮き上がった状態でも、受けの体重はお互いに分け合っていて、仕手は、偏らせた分のほんのちょっとだけ負担が増えているに過ぎないので重くない。故に、腕の筋力はほとんど使わない。

 私的には、呼吸法と呼ばれている「型」に見られる「技」は、ほぼ解明したと思う。あとは、ひたすら繰り返し精度を上げるだけ。それを構成する基本技術は、やはり楽体で仮説を立てた「固着」と「重さ」の操作だと、そろそろ言い切っても良い気がする。

 現段階での当面の課題は、立った状態で浮き上がらせた刹那の「肩固着」の強化と、肩関節が緩い人への対応。他はもうだいたい見えたし、体現した。が、いきなり和術レベルは真似してもムリで、やはり楽体で説明したことから順に積み重ねないとダメな気がする。どうしても時間はかなり必要だろう。体軸感覚の良い人なら三年くらい、体重すらわからないならどうしても八年とか十年は要るだろう。私はそろそろ十年くらいかかっている。もっとも完全暗中模索でやって来たので、解説をよく考えれば私よりは早く実現すると思うが。
 今後当面は、重さ感覚と自分の重心感覚の精度をさらに高めることに時間を費やす。来年前半の目標もできていて、まずは片手掴みで浮き上がらせこちらの腕に貼りつけたままの呼吸投げを、本物として体現させること。私は本物しか身につける気はない。見ても違いはわからないかも知れないが、受けがキョトンとする技を練るのが楽しい。たぶん、重さ感覚さえもう少し鋭敏になれば、これはそんなに時間がかからない気もする。来年は稽古に時間を費やす余裕ができると良いのだが、仕事環境はさらに悪化しそうなのでちょっと心配ではある。さっさと仕事環境が改善してくれないと、楽しく遊んでもいられないのでまったく困る。