突然、憲法前文。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


-- 日本国民の主権は、国民に存する。国政の権威は国民に由来し、その権力は正当に選挙され国民の信託を受けた代表者により国会を通じて行使され、“三権を誤ることなく運用し、すべての”国民が「平和」と「福利」を享受できるように努める。
 これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除“し、すべての国民が幸福な人生を全うし得る環境を整えるために法令を整備し多様な支援を”する。
 日本国民は、恒久平和を念願する“精神性を涵養すべくすべての国民に平等に道徳と教育を提供し、”国際社会における平和を愛する国家の主権を侵すことなく認容し、世界平和の実現にともに取り組むことを宣言する。 --



 唐突に憲法の話。各論はつまらないので、たまに根掘り遊びしたい。
 ヒマでやばいが退屈なのでさっき日本国憲法前文をリライトしてみた。あの中から懺悔を取り除いて整理し直し、あった方が良さそうなこと(“”で囲ったところ )を少し加えてみた。その系のことは良く知らないが、理念はそのまま(たぶん)代筆的視点から組み直したもの。
 あれは、けっこう意味不明な文章で書かれているので、私の愚鈍な頭では何を言っているのか理解しがたい。「諸国民の協和による成果って、なんだ?」とか悩む。意味がわかるんだろうか?
 日本国憲法の成り立ちはすでに広く知られていると思うが、起草はGHQで当時の役人たちが米軍のチェックを受けながら翻訳したらしい。発効後さして時が経たない頃、文藝春秋に連載された白洲次郎さんのエッセイにもその経緯が記録されている。リアルタイムに近いので、信頼できるだろう。
 憲法というのは『国を縛るために用意される』気がするが、前文は「国=いわば経営側」の悪意なり不備なりを是正するために機能していない。そもそも書き手の目線が国民に向いていないのは明らかで、護憲派はその辺が読み取れないのだろうか、と不思議でならない。民主政か帝政かは別として立憲国家として、この憲法で良いのだろうか?と、疑問を感じるのが普通の感覚ではないか。

 司法関係の文などは、裁判関係も行政関係も意味不明の文言が大量にある。一読して意味が理解できる人は、ちょっと頭を疑ったほうが良い気がする。特許関係など何が書いてあるのかまったくわからないものもある。
 行政は最近少しずつわかりやすくしようとサービスしだしたが、それでも読み手に理解してもらおうという工夫は程度が低い。別に悪意はないと思うが、読む人たちの言語力や思考力、思考回路などに対する「配慮ができない」せいだろう。同じ日本語を使っているのだけれど、書き手と読み手の間にコミュニケーションが成立していないことが多い。
 その手の文章を作っている人々は、たいていわが国最高とされる学府で教育を受けたと思うが、コミュニケーション能力があまりにもお粗末と言えるだろう。

 ここにかなり根本的な問題があることを考えないのだろうか。といつも不思議でならない。
 「教育」「徳育」から作り直さないと、政治も行政もまともに機能し得ないに決まっている。
 使う言葉を選ぶ人間が、まともと言える倫理観をもたなければ、選択する知識や言葉は歪んだものになる。この一点だけで、政治行政の根本問題は理解できる。なぜ、役所は責任回避システムになっていくのかと考えれば、自分たちがサービスする対象である国民に目が向かないためで、その時点でアンモラルなのだという自覚がもてない、ほんとうの教育が欠けた人間が多いせいだろう。そんな中にまともな人もいると思うと、さぞ辛いことだろうとご苦労が偲ばれ、あまり貶す気にはなれない。
 どんなに方法論を捻ろうと対処策を講じようと改善努力をしようと、語り手と読み手の間に意思の疎通がない限りなにも良くなるわけがない。
 司法も立法も、言葉によって定義され規定され運用される。
 言葉自体が胎んでいる曖昧さはあるけれど、浅はかな格好つけや言い逃れが多いせいで、いよいよわけがわからなくなる。無用な飾り的言い回しをするのは文学だけで充分で、生活に直結する法律や行政などの文章は誰が読んでも言わんとしていることを正確に理解できないといけない。この世のかなりの非効率は、ここから生まれていることに気がつかないのだろうか。
 憲法も法律もすべてリライトしない限り、この世は良くならないのではないか。
 芸術文化の領域などは元々差別的な世界だが、司法、立法、行政などは全国民が共通してひとつの認識を持ち得る言語で語られないと効率が悪く、問題がどんどん深まっていく。
 憲法改正と言うと護憲派は断固反対、九条だ国民の権利だと言うけど、平和憲法であり、国民の権利をしっかり守る理念はそのままに、もっと誰が読んでもすっきりわかる憲法にした方が、よほど平和な時代が作れる気がするが。憲法が不備だから、政治や行政がいい加減し放題なのではないか。


付録:日本国憲法・前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


 これは何度読んでも、もうオイタはしませんから捨てないで的懺悔ステートメントと思うのだが。