金と八百万神。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 先日、古本屋で国際金融陰謀関係の文庫があり、その系は以前ずいぶん楽しく読んだのでチラッと立ち読みしてみると、安部なんとかさんという方が著したもので、「反ロスチャイルド同盟」というのを立ち上げたと書いてあり驚いた。ホームページもあるので覗いた。確かにあったので、また驚いた。活動しているのかどうか知らないが、これは酷すぎるのではないか。
 世界中にどのくらいのロスチャイルドさんがいらっしゃるのか知らないが、中にはつましく生活しているロスチャイルドさんもいるだろうに。この軽薄、失礼すぎて恥ずかしい。

 この手の話はやりだすと長くなるので避けているけど、ちょっとムズムズするのでたまにはまた素浪人に戻って書き散らそう。かなり長くなると思うので、読まない方が良い。しつこく念を押しておくが、このブログは読んでもらう目的はない、ただの私的覚え書き。私は陰謀オタクではないし政治思想に凝ってもいない。ただ一人、静かに考え記録したいだけ。



 今さら金融の仕組みはロスチャイルド家が作ったなどと告発するまでもなく、その仕組みを考えだした史実は公知だし、イギリス国債の売買で狡い情報操作をしてボロ儲けしたのも知られているし、その資本を元に世界中の国家に貸しを作って影響力を強めてきたし、過去の世界大戦には必ず一枚咬んでいることも事実だろうし、日本も無縁ではなく日露開戦前夜、高橋是清に対して外債を引き受けたシフさんもロス家の一派だし、そもそも日銀の設立もロス家の影響で、日露開戦後は是清さんが日銀総裁に就任した。
 ユダヤを巡ってはイルミナティーだのフリーメーソンだの様々な陰謀神話があるが、ロス家は世界最大とも言える巨大金融財閥なのだから、悪どいことも多々やっただろう。実際、金融の仕組みは、まったくシオン長老の議定書そのものの状況を示している。
 何年か前にW・G・カーの闇の世界史が話題になり、まさにロス家の陰謀を曝くようなものであり、それ以前にも中丸薫さんが神秘主義的に告発したりしている。その系は面白いが、ちょっとイカレタ匂いがつきまとい眉唾な感じがする。もちろん真実もかなりあるだろう。
 現に今日の金融の仕組みはロス家の狙い通り、他人のふんどしで相撲を取るギミック。これが格差拡大の大要因なのは間違いなく、自由市場の最大の病因だろう。グローバル化の危険はここに顕著なので、私はずっと鎖国的考え方をしている。
 実際、これを壊さないことには、格差問題は無くせないだろう。どうやっても、持つものと持たざるものの溝は埋めようがない構造なのだから。

 だからといって、ロスチャイルドと一括りして攻撃するセンスは話にならない。
 攻撃は反撃を生むし、怨嗟だの羞悪だのを生む。勝っても負けてもろくなことはない。
 マルクス主義革命の成れの果てを見ればわかりそうなものだ。ロシアも中国も、内部に不満分子が潜伏して燻っているから、言論統制、情報操作が欠かせない。結局一党独裁の封建的システムでやるしかない。あれのどこが共産主義、社会主義なのか、さっぱりわからない、と言うことになる。

 尊皇環境で育ってきたが、なぜか、私はカール・マルクスを尊敬している。
 彼が貧乏だったからではないし、社会主義を実現したからでもないし、有名だからでもないし、資本論に心酔したのでもないし、ユダヤの血統だからでもないし、かっこいいと思うからでもないし、いろんな人がスゲェーと言うからでもない。マルクス主義者ではないし、統一宗教などの礎石なしには共産、社会主義など無茶だと考えている(これは自由、民主主義についても同じだが)。
 経済学的な面はややこしくて嫌いだし、資本論のその辺など読んでも意味がわからないところもあるが、彼が根っから自由を求め、それも自分ひとりの欲求としてではなく、大衆と呼ばれる普通の人々の解放という大目的を見失わず、立脚点のぶれない筋の通った思想家だから。
 資料を探すのは面倒なので引用できないけど、確か彼が子ども的年齢の時に著した「職業選択論」とか言う論文に、--仕事を選ぶ時、自分の意志を誘導してくれるのは「福祉」と「自分の完成」だ--とか--人間は働くことで福祉を実現して初めて自分を完成できる--みたいなことを言ったと記憶している。公が私に優先し福祉を成し、故に私が完成すると言う。
 この視点が資本論にも通底して感じるから、偉い人だと思う。経済学の親鸞のようだ。
 資本論に示される具現化の方法論や共産党宣言にある革命への情熱などは、どうでも良い。そんなものは各論にすぎず、どんな形もとり得る。方法など幾らでもある。
 われわれは目の前に示される認知しやすい具体的なるものに目を奪われるので、いつも各論に拘泥し、しかも情念を揺さぶられればそれこそ正義と信じ、ひとつの方向に突っ走る。これは、右であれ左であれ同じだろう。そして、右は右の方法論を主張し、左は左の方法論を主張し、互いに衝突し闘争し、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ、とやる。議論すらできない。
 それが生みだすものは、「福祉」とはほど遠い、欲得ずくの情念の衝突でしかない。

 ユダヤの金貸しと言えば、ヴェニスの商人がまず思い浮かぶもの。
 借金のカタにアントーニオの肉を寄こせと迫った金貸しシャイロックは、強欲、冷血と言うことで、法律顧問に化けたポーシャにやり込められ財産没収の憂き目をみる。貴族を揶揄的に見て喜劇仕立てしているのを思えばシェークスピアがユダヤを批判的に見たとも思えないが、どうしても金貸しシャイロックはユダヤであることで、あの戯曲は成功しているのだろう。
 けれど、それは1594~7年頃に書かれたとされ、現代ではないし、初代ロスチャイルドが銀行業を始めるずっと以前のこと。日本では文禄、安土桃山時代で関ヶ原の合戦の後。そんな時代の価値観で、現代を見るなんておかしなことだ。

 ロス家のスタートはロートシルトがフランクフルトで開いた古銭商・両替商で、後に長男ネイサンが狡猾な金融取引を開発してボロ儲けするのが1700~1800年代。この時期に信用取引する銀行の仕組みができあがっただろう。銀行という現金決済処理のバーチャルサービスが発明された時点で、今日の金融社会は約束されていただろう。無知な人々はまんまと嵌った。
 それに反旗を翻そうとしたのが、同じユダヤ出のマルクスだった。もちろん彼個人の仕事ではなく、過去の長い歴史が培った思想だが。

 やはりちょっぴり政治にも触れとくと、インターナショナルという組織はしかし、革命の方法論にばかり拘泥して、彼の根源思想となる「福祉」の哲学はあまり重視しなかったようだ。やがて、レーニンがロシア革命を実現しソ連邦が建設され、数々の苦難を民衆に強いて崩壊していく。歴史の細かい事象は憶えていないが、だいたいそういう流れだろう。
 その革命の主目的が、「福祉」の実現により、大衆一人ひとりが「自分を完成する」ことにあり、それを最優先として政治が行われたならば、道は違っていたはずだ。
 ソ連は国家という体裁を保つことに躍起になり国民を困窮させ、呆れた民衆がゴルバチョフに期待を寄せ、いよいよ混乱するとエリツィンが登場し形骸国家は崩壊。今もたいして変わっていないと見えるけれど、これはマルクス思想の破綻ではなく、共産主義というイデオロギーに執着した故の破綻。暑苦しい情熱家のマルクス主義者が、マルクスの人間的な思想哲学をぶち壊したとしか見えない。この世をいつも混乱させて苦しめるのは、暑苦しい情熱家に他ならないが、なぜかそういうやつがカリスマ視され、民衆は夢中になる。
 しかし、福祉思想が破壊されたのではなく、共産主義、社会主義というシステムが壊れただけのこと。国家が壊れても、国民は壊れない。

 もしも銀行というシステムがベースとなり、金融という化けものが育ちすぎ、大衆を苦しめるのなら、銀行を破壊すれば良いだけのことだろう。そんなことは簡単なことだ。企業も国民も預金をすべて引きだせばいいのだから。銀行は他人のふんどしで相撲を取るだけなのだから、手持ち資金がなければ簡単に潰れる。既存の金融論理と隔絶した資本の受け皿ができてしまえば、それまで。その可能性はなくもないだろう。

 千四百兆という塩漬けの個人資産に誰もが目をつけるのは、力が金融に偏っているからだろう。産業はどうにかしてそれを市場に流出させたい。でも、預金者はどうしても金を動かしたくない。将来が不安だから、とっておきたいのだろう。とっておいて損することもない。
 ここに見られるのも極単純な問題で、塩漬けする預金者は、将来に不安があるから金を保有したいのだから、保有する意味を無くせば、つまり将来不安を軽減すれば、黙っていても塩漬け資産は市場に流れだす。
 単純なわかりきったことなのにそうならないのは、後期高齢者医療制度だの介護保険制度だの年金制度だので次から次と将来不安を煽り、政治行政に対する大衆の不安を絶大にしてしまったから。
 ここを解決する手立ても幾らでもあるだろう。だがあれこれやってもきっとヘマするのは、その根幹に「福祉」がないから。高齢者関連の福祉制度は、すべからく老後の不安を払拭して、誰もが高齢期を心穏やかに楽しく過ごせることを最低条件として設計すれば良いだけのこと。
 高齢者の負担を重くして公平になどという馬鹿げたことを考えるからヘマをする。現役世代だって二・三十年後には高齢期になるのだから、今の高齢者の苦しみを目にしていれば、これは将来に備えて金を貯めこまなきゃ、と思って当然。預貯金は凝固する。

 マルクスが考えた原点は、人間の精神にある。彼はそれを達成するシステムを設計したが、そこに拘泥してしまえば、諸々問題が発生して対処に右往左往しやがて破綻するなんて当たり前ではないか。マルクスは神ではない。ただ人が良い、頭の切れる人間に過ぎない。

 哀しいかな日本には彼ほどの思想家は出なかった。
 けれど、どうしたことか、日本にはマルクスの精神を誰が唱えるともなく自然発生していて、貧困がもたらした姥捨てなどはあったけれど、概ね親孝行であり、年寄りを大切にし、年寄りに学び従い、少なくとも精神的には温和に生活できていた時代があった。これは孔子の影響が大きいと思うけれど、神道という不思議な存在があった故だろう。

 やっと、着地点に辿りついた。
 書き出しとガラッと変わるが、八百万神信仰。

 それは宗教と言われるが、宗教ではない。単なる信仰。
 イスラム、キリスト、仏、ユダヤのような教義も戒律も持たない、自然発生の原始信仰。
 感謝の精神論が徹底される、不思議な信仰。畏れ敬う、アニミズム。

 この世のありとあらゆる存在に神を認め、畏れ敬い感謝して、謙虚に生きよ。
 唯一のメッセージがそれだろう。
 こんなすごい信仰を持ち得た国に生まれたことが誇らしい。
 神のメッセージとしてああしろこうしろ、ああするなこうするななどと瑣末な方法論は言わない。
 ただひとつ、絶対に外してはならないことだけ信じることが求められる。
 八百万の存在を、畏れ、敬い、感謝して生きること。

 その意が理解されているならば、他人のふんどしで相撲など取れない。
 感謝の対象を傷つけよう、瞞そう、困らせようなどとは思えない。
 畏れの対象を嘲ろう、見下そう、配下に置こうなどとは思えない。
 敬いの対象を貶めよう、吊し上げようなどとは思えない。

 奪えない、搾取できない、詐取できない、傍目にはデクノボウのような信仰。

 そんな信仰の前では、イデオロギーも金融も無価値に等しい。
 という以上に、そんなもの思いつく術もない。
 ただ自分を生かしてくれる存在を、畏れ、敬い、感謝して生きるのだから。
 神道は一面、タオに通じて思える。