健全な闇。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 テレビはほとんど観ないが、夕刻のご老公様はわが青少年期のヒーローなので度々拝謁する。宣伝屋のくせにどんなCMが流れているかすらよく知らない落ち零れだが、今日はなんとなくCMタイムも画面を眺めていると、こんな症状にこの医薬品を、こんないきいきした人生のために健康補助食品を、いざという時のために生命保険を、あなたもアンチエイジングを、みたいなもののオンパレード。もちろんターゲットが合致するから当然だが、アドの理屈は別として、どうも妙だ。

 私は生保嫌いで入っていないが、万一のためにも契約した方が良いだろう。保険の基本精神がほんとうに相互扶助にあるのだとしたなら、だが。
 相互扶助の仕組みとしては良いが、金融という目で見ると、どうも不快で入る気になれない。個人事業者は年金くらいでは生きていけないので、個人年金も気にしたいところだが、気にすると気に食わないので入れない。家族にきつい負担を強いては可哀相なので共済だけは掛けたが。



 近頃は先進医療とかいうのが賑やかで、最高1000万円まで補償されるから安心、しかも掛け金は月々たったの何千円だそうだ。生保に入る以上は、生命の危機に瀕してもどうにか生き存えたいのだから、その可能性のある手段があるのなら誰だって受療したいだろう。
 ということで、1000万円支払う力を担保すべく加入する。

 それにしても、1000万円を要する医療というのは、医療なんだろうか?と悩む。
 それが受けられれば、生き存える、かも知れない。
 それが受けられなければ、死んじゃう、かも知れない。
 生き存えるためなら、1000万円ばかりの金は惜しくない。ポンと気前よく支払ってやりたい。
 が、如何せん持ち合わせがないので保険しましょ、となるのか。
 先進医療オプション付きの生保に加入してなくて1000万円持っていない人は、当然気前よく支払えないので、では穏やかにお亡くなりください、ということか。それが医療なのか?

 もしも、あくまでも「もしも」だが、もしも医療というものが人間の生命を救うために存在するのだとしたならば、1000万円所有者と非所有者の間に引かれるこの隔絶した境界線は、なにを意味するのだろうか?

 巨額の金が必要となる医療は、生命保険に加入するモチベーションを提供する。
 ネットセキュリティーソフトが、悪性ウイルスが流行るお陰でニーズを喚起するように。
 医療に疑念を抱いたのは高校生の頃だった。なぜ治療を受けるのに高い金がかかるんだろう?貧乏人は苦しめ死ねと言うことなのかな?と。
 子どもの素朴な疑問。
 普通は成長して大人になると、そういうものであると納得するのかも知れないが、どうしたことか、年を重ねるほどに疑念が深まってきた。

 バブル後だったか、アメリカでは喫煙者と肥満者は出世できない、とまことしやかに囁かれるのを耳にした。私はスレンダーだが重度喫煙中毒者なので、日本人で良かったと喜んだが、間もなく日本にもメタボ恐怖症と嫌煙ブームの潮流が押し寄せた。
 メタボリックなどという言葉は誰も知らなかったのに、ある時を境に健康指向者の合い言葉になった。誰もが痩せなきゃと努力しだし、食品にはカロリー表示がされるようになった。カロリーなど気にして飯を喰うなんて信じがたいが、私の周りでも皆さん気にしている。持病がある人にとっては深刻な問題に決まっているが、とりあえず健康体の人も三度三度気にしたりする。

 メタボ対策が普及していく中で頭に浮かんだのは、モーパッサン小説の登場人物たちだった。娼婦のブール・ド・スイフの愛らしさ、ついに腋の下でひよこを孵した風曲村のでぶトワーヌのふくよかさ。愛すべき肥満がこの世から絶滅してしまうのだろうか、と哀しくなった。

 例えば、先頃のインフルエンザブームの時、WHOがフェーズ6を宣しパンデミックと報じたのは記憶に新しい。あの時、世界中がワクチン不足に大騒ぎし、急速にインフルの脅威が消えてしまうと、今度はワクチンのキャンセルだ転売だと大騒ぎした。今年初頭だったか。
 私はメタボも嫌煙もこの類だと思っているが、インフルとは性質が違うし、「その方がより健康体と言える」という点では間違いないだろうから、世間に定着したのだろう。
 でも、10年後を想像すると、ちょっと怖い。

 ちょっと、気のおけない友人と、10年後の町を散歩してみようか。

 町を闊歩する誰もが、見るからに健全な姿でウォーキングし、食事の際はカロリーを確認し、似たような姿の仲間たちと歓談している。自らの食欲を抑制できなかった落伍者は町を歩けないだろう。元々肥満体質の人もいると思うが、そういう人も自ずから落伍者の烙印を捺されるのだろうか。

 健康体を実現した友人は、関節の劣化を防ぐために当然、コンドロイチンやヒアルロン酸も摂らなければならない。
 友が言う。
 --既存の食材で摂るのは効率が悪いから、もちろん健康補助食品を常備しないとね。梅軒さんは、ちゃんと摂った?エッ?摂ってない!まあ、運動しているから大丈夫か。わたしは運動してる暇もないからさ、やっぱ欠かせないんだよね、栄養補助は。

 けっして裕福ではなくても、長生きはしたいので、先進医療オプション付きの生保加入は常識。加入しないのは落伍者の徴に決まっている。保険料すら払えない人間は、それは早世して当然。自己責任に決まっている。

 四十路にも差しかかれば、女であれ男であれ、そろそろアンチエイジングを気にしなければおかしい。お肌は常に清潔に、五十にもなればリフトアップも意識したい。
 --その手の基礎化粧品やお手入れグッズは少々値が張るけれど、大人のマナーというか常識でしょ。なに?梅軒さんは、アンチエイジングしてないの。うっそぉー、マジィ。

 喫煙なんて、神への冒涜にも等しい。恵まれた生命をなにを好きこのんで悪魔の煙の生け贄になどするのか、わが友人は理解に苦しむ。
 --喫煙者は頭がおかしいんでしょ。どう考えたって、生きる上で煙草なんて要らないんだから。ねっ、そう思うでしょ。あれ?でも、なんか梅軒さん、ヘンな匂いしない?

 もちろん、煙草など吸うよりも、サプリメントを体に入れる方が肉体には悪くない決まっている。

 もちろん、せめて半年に一回は健康診断もしなければ。いつ何時、体に変調があるか、自分ではわからないのだから。信頼できる医師に診断してもらわなくてはならない。危険な病も早期発見されれば一命を取り留める可能性は高いのだ。保険にさえ入っていれば、高額な先進医療も問題なく受けられるのだし。

 --エッ?梅軒さん保険に入ってないの!入りなよ、マジ、ヤバいよ。なに?金がない?マジっすかァ。ならしかたないですね。あなたは、あちら側の住人みたいだから、わたしたちとは居られないのかも。さようなら。

 なんて時代になるような、そんな気がしてならない。
 健全な光に充ち満ちた闇にも見える。

 ほんとうは金融へいきたかったが、長くなったので、またにしよう。