ら抜き言葉による日本語の改良 | tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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 フリーランスの編集者兼ライターです。
 主として日本語関係のことを書いています。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8315268.html

 質問の内容。

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すばらしいことを考えました。日本語の欠点として、尊敬語と かのう表現が同一になります。
具体例:
彼はここで食事を食べられました。
可能性1:彼は急いでいたが、ここで食事を食べることができました。
可能性2:彼はここで食事を食べた、という表現を尊敬語で説明しています。

このように意味が重複するため判断できません。そこで、可能表現を「ら抜き」で表現します。
彼はここで食事を食べられました。→尊敬語
彼はここで食事を食べれました。→可能

こうすることで意味の重複がなくなり、無用な混乱を回避できます。これを広く普及させたいと考えています。この提案に関する賛否、および意見、問題点などがあれば指摘していただきたいと思い、質問させていただきます。よろしく お願い致します。

<よくある質問>
勝手に日本語を変更するのは間違っているのでは?
→いいえ。言葉とは常に変化し改良されていきますので、その一環としての不具合の解決です。むしろ間違いや犯罪を放置するほうが不自然でしょう。

日本人全員の言葉を書き換えるなんて不可能なのでは?
→そういう質問ではありません。たとえるならば「もしもボックスで変更できるなら賛成しますか?」という かていの話です。日本人全員の洗脳の話をしているわけではありません。それが間違いであることくらい知っています。

==============引用終了

No.11

  • 回答者:1311tobi 回答日時:2013/10/22 14:07

 先行コメントに言葉足らずの点がある気がするので、辞書をひいてみました。全文は末尾に。

「れる/られる」には「受身」「可能」「自発」「(軽い)尊敬」の4つの働きがあります。このうち、「可能」だけが「ラ抜き言葉」になります。

 正確には「ラ抜き言葉」ではなく、「ar抜き言葉」でしょう。

 五段動詞が「会う」→「会われる」→「会える」となったのと同様のことが、

  下一段動詞で「食べる」→「食べられる」→「食べれる」

         taberu→taber-ar-eru→tabereru

  上一段動詞で「見る」→「見られる」→「見れる」

 起きていると考えるのがわかりやすいかと思います(諸説あります)。

 下記の416)から抜粋します。

================引用開始

 詳しくは下記参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD% …

 この「可能表現の変化」の考え方は諸説あるらしいが、当方は「ar」が抜けたものと考えている。

  au→aw-ar-eru→a(w)eru

  iku→ik-ar-eru→ikeru

  yasumu→yasum-ar-eru→yasumeru

================引用終了


 こういう考え方をすると、将来的には「食べれる」が一般的になる気もしますが、現段階では「乱れ」と考える人が少なくないようです。

 いつ頃「食べれる」が一般的になるのか?

 専門家の間でも意見が分かれているようなので、どうなるのかは誰にもわからないと思います。

 個人的には使いませんし、書き言葉だと異和感があります。


 ちなみに、こういう話をするときに、「食べる」「見る」を使うのは避けたほうが無難です。尊敬の形は「召し上がる」「ご覧になる」が適切、という話が出てくるからです。

 下記の24)の〈レル・ラレルの前が2音の動詞〉あたりから適切なものを選ぶほうがよいでしょう。「降りる」あたりがよいかもしれません。

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 開けラレル/上げラレル/生きラレル/起きラレル/降りラレル/避けラレル/

  立てラレル/(食べラレル)/つけラレル/詰めラレル/分けラレル

================引用終了

 

  詳しくは下記をご参照ください。

24)【「ラ抜き言葉」を防ぐ方法】(2008年12月23日)

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-96.html

135)【「ラ抜き言葉」に関するメモ】

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1094. …

416)【休まれない 休めない 休める 休まる】Yahoo!知恵袋

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1801. …


http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%82%8C%E3%82% …

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れる

[助動][れ|れ|れる|れる|れれ|れろ(れよ)]五段動詞の未然形・サ変動詞の未然形「さ」に付く。


1 受け身の意を表す。「満員電車で足を踏まれた」「彼はみんなに好かれている」

2 可能の意を表す。…することができる。「わかりやすい道だから子供でも行かれるだろう」

3 自発の意を表す。自然と…られる。つい…られてくる。「故郷に残した両親のことが思い出される」

4 軽い尊敬の意を表す。「先生も山に行かれたそうですね」→られる →らる →る


◆234の用法には命令形はない。1のうち、「犬にほえられて困った」のように、他からの動作により不本意とか迷惑の感情が加わるものを「迷惑の受け身」、無生物が受け身の主語となるものを「非情の受け身」とよぶことがある。後者は明治以降、翻訳文の影響などによって急速に増加した。また、現代語では、可能動詞や「することができる」という表現などがあるため、2の表現はあまり用いられない。

================引用終了


http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%82%89%E3%82% …

================引用開始

られる

[助動][られ|られ|られる|られる|られれ|られろ(られよ)]上一段・下一段・カ変動詞の未然形、サ変動詞の未然形「せ」、使役の助動詞「せる」「させる」の未然形に付く。


1 受け身の意を表す。「乗客が次々と助けられた」「花壇の中にごみを捨てられて困った」

2 可能の意を表す。「僕でも組み立てられる模型」「彼が落第するとは、とても考えられなかった」

3 自発の意を表す。自然に…となる。「性格が性格だから将来が案じられる」

4 軽い尊敬の意を表す。「先生が入って来られた」→らる →る →れる


◆サ変動詞には、未然形「さ」に「れる」が付き、「される」と用いることが多い。234の用法には命令形はない。1のうち、他からの動作により不本意・不満足な感情が加わるものを「迷惑の受け身」、無生物が受け身の主語となるものを「非情の受け身」とよぶことがある。後者の表現は明治以後、翻訳文の影響などによって急速に増加した。

================引用終了


No.12

  • 回答者:1311tobi 回答日時:2013/10/22 21:47

 No.11でコメントした者です。

「この回答へのお礼」に対して。


「ラ抜き言葉」に関しては、mixiのコミュなどでもいろいろ話し合ってきました。

 数年前なら、「誤用だから」で片づけていたと思います。

 いまはもう少し柔軟に「現在の標準語においては規範的でない」と考えるようになりました。

 自分で管理しているコミュでは下記のような発言もしています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51419670

================引用開始

 かつて五段活用の動詞が、受動、尊敬、可能がすべて「書かれる(kak-ar-er-u)」だったのに、しだいに可能だけがarが抜けて「書ける(kak-er-u)」になったのと同じことだと思います。 


 ただし、少し考え方をかえてもいいかもしれません。もう何十年も「ら抜き」は乱れだ、乱れではないと論争が続き、こういうのはだいたい「進化」していくはずなにのに、いまだに「乱れ」だといわれる。それだけ、「ら抜き言葉」には拒絶反応を呼ぶ何かがあるような気がします。 

 そう考えると、まだ当分の間は「乱れ」という主張が主流を占めるのでは。 


 個人的には、「ら抜き言葉」は使えません。他者が言っているのは「もうしかたがない」とあきらめますが(ただし、年配者には使ってほしくない)、書いているのにはかなり抵抗があります。 


※いかんなあ。受動、尊敬、可能のほかに「自発」がある。 

================引用終了


>どうして違和感があるのかを教えてほしいです

 

 当方は文章を書くことを職業にしています。

 いままでに「ラ抜き言葉」の使ったことはありません。そういう人間が「ラ抜き言葉」に「異和感」をもつことがそんなにおかしいですか?

 現代の出版業界では、「ラ抜き言葉」は誤用とされています。しかるべき著者が、確固たる思想を持って使うなら別ですが。

 ただ、小説のセリフなどだと、若い登場人物なら「ラ抜き言葉」を使うのはむしろ自然かなと思い、悩ましいところです。

 多少ラフな言葉でもチェックする人がいないネット上では「ラ抜き言葉」もフツーなのでしょう。どちらかと言うと、書き言葉より話し言葉に近い気がします。別にそのことに口を挟む気はありませんし、「誤用だ」などとメクジラを立てる気もありません。


 しかし、出版の現状は別です。

 三大新聞でも大手出版社でも、「わが社はラ抜き言葉を基本にしている」という会社があるなら是非教えてください。




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