鬼面仏心録~つけあげ~ | 熊本城おもてなし武将隊武録ー雲外蒼天ー

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皆の衆…


わしが!
故郷の薩摩への遠征を終えて肥後へと戻った、熊本城!



!!!!!!!!



………



…おもてなし武将隊、薩摩島津家第十七代当主、島津義弘である!!


………


なんじゃ!?
この無駄に長い名乗りは!!


…本日の城彩苑演舞を始めから見ておった者にはわかるであろう?


何故あそこで「熊本城」と言うてしもうたのか…


…真に失礼致した!!


なんとか誤魔化したと思うたのに、すかさず清正殿がほじくり返してきよる…


…セントレアでの「心理てすと」のことをまだ怒っておるのか?


あまりの失態に、自分で自分を「チェスト」したくなった…





………





はい、この話は終わり!次!!






本日も昨日に続いて全員出陣、全員演舞!!


photo:01



梟鳴虎舞は久方ぶりであったが、いかがであったかのう!?


…よし、演舞については他の武将が書くであろう。

次!次ーーー!!




次は…そうじゃ、森本殿から「つけあげ」について語ってほしいと頼まれておったな。


…ではこのわし、じーてぃーおー(ぐれーと・てぃーちゃー・鬼島津)が教えてしんぜよう!!





つけあげ(つきあげ、ちきあげとも言う)とは…そう、「薩摩揚げ」のことであり、地元の薩摩ではこう呼ばれておるのじゃ。


実は、薩摩揚げの由来はまだよくわかっておらんのじゃが、主に二つの説がある。


一つは、江戸時代の後期、琉球料理「チキアーギ」という魚のすり身の料理が薩摩に伝わり、訛って「つけあげ」になったという説。

確かに薩摩と琉球はわしらの時代から交易が盛んであったからな。




もう一つは、わしの子孫である第二十八代当主、島津斉彬が紀伊の国のはんぺん等を参考にして考案したという説。


薩摩は魚が豊富に獲れる地であった故、稚魚や骨の多い魚の使い道としてもうってつけだったのが薩摩揚げだったのであろう。



いずれにしても、江戸時代の後期から続く伝統の料理であり、今でも薩摩の民に愛される料理である。




ではその食べ方じゃが…




小細工はいらぬ!

そのまま口へ放り込めい!!



当世では生姜醤油につけるという食べ方もあるそうじゃが…


つけあげはすり身を作る際に薩摩の地酒を練りこんであり、これが甘味をもたらす。
故に何も付けずとも十分に美味い!!


皆の衆、男なら…いや、おなごであっても、そのまま豪快に食らうのじゃ!!

薩摩に参りし時には…ぜひ土産に。




さて、明日は暇のわし。
そして明日で九月も終わりじゃが…


皆の衆、このまま拳を「つきあげ」、来月も元気に参ろう!!




では本日はこれにて、皆の衆、また会おう!!




島津義弘