「ローマ人の物語 ハンニバル戦記 下」★★★☆☆ | Jiro's memorandum

Jiro's memorandum

泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

「ローマ人の物語 ハンニバル戦記 下」(塩野七生)
 
ローマにとっては悪夢のようなハンニバルの侵攻。
 
しかし、ハンニバルとの闘争を経て、ローマの軍事力は鍛えられ、その結果として、覇権の範囲を地中海一帯にまで広げることになる。
 
 
しかし、成功者には、成功したがゆえの代償がつきものである。ローマ人も、例外ではなかった。
 
 
続きは次巻へ。
 
 
以下、備忘
 
 
それまでのローマの武将は、フェア・プレイをもっぱらとする人々だった。フェア・プレイによって勝つことが、彼らの誇りでもあった。そのローマ人に、ハンニバルは、策略によって勝つのも勝利であることを教える。フェア・プレイで通しても、負けたのでは何にもならないことを教えたのである。そして、それを最も率直に吸収したのは、スキピオの世代のローマ人たちであった。
 
 
 
人なつこく開放的で、会った人は敵でさえも魅了せずにはおかなかったというスキピオとは反対に、ハンニバルには、打ちとけた感じは少しも見られない。兵士たちの輪の中に入るなどということは、彼にはまったくなかった。
それでいて兵士たちは、追いつめられても孤高を崩さないハンニバルに、従いつづけたのである。なぜだろう。
マキアヴェッリの評するように、その原因は彼の厳しい態度への畏怖の念にもよったろうが、それと同時に、天才的な才能をもちながら困難を乗りきれないでいる男に対しての、優しい感情にもよったのではないだろうか。
優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方関係では、持続は望めない。
 
 
スキピオ(丁寧に)「あなたは、われわれの時代で最も優れた武将は誰だとお考えですか?」
ハンニバル(即座に)「マケドニア王のアレクサンドロス。小規模の軍勢しか率いられない身で、大軍を動員したペルシア軍を破っただけでなく、人間の考えうる境界をはるかに越えた地方まで征服した業績は、偉大としか評しようがない」
スキピオ「ならば、二番目に優れた武将は?」
ハンニバル(即座に)「エピロスの王ピュロス。まず、戦術家として一級だ」
スキピオ「それならば、三番目に優れた武将は誰だとお考えですか?」
ハンニバル(即座に)「問題なく、このわたし自身」
スキピオ(これには思わず微笑して)「もしもあなたが、ザマでわたしに勝っていたとしたら?」
ハンニバル(いかにも当然という感じで)「それならばわたしの順位は、ピュロスを越しアレクサンドロスを越して一番目にくる」
 
誤ってはいないと私には思える(塩野七生)
 
 
 
ローマ社会に根強い基盤を持ちつづけた、保護する者と保護される者の関係。「パトローネス」と「クリエンテス」。
覇権国家となったローマ(パトローネス)は、その下での独立と自治を享受する同盟国(クリエンテス)を守る責務がある。
ローマと同盟国との関係を結ぶ絆は、搾取でも利用でもなく、信義でなければならなかった。それゆえに、後世の歴史研究家たちは、この時期のローマの対外戦略を、「穏やかな帝国主義」とするのである。
 
 
 
ハンニバル以後のローマ軍は、効率の良い精巧な戦争機械そのものだった。
 
 
ローマの指導者たちは、他民族への寛大なやり方が反対の結果にしか結びつかないことに苛立ち、そのやり方を変えるべきではないかと思いはじめていた。これに、軍事面での自信が加わる。
 
 
紀元前164年は、ローマ人が、「穏やかな帝国主義」から「厳しい帝国主義」に方針を転換した年として記憶されることになる。