「生物はなぜ死ぬのか」(小林武彦)
いくら地球に環境が整っていたとはいえ、生命が誕生するということは想像を絶するような奇跡であり、さらにはそこから何百万種という生物が進化し、こうやってインターネットを使って情報をシェアするような知的生命体が存在するなんて言うのは、適切な言葉が見つからないくらい信じられないことだと思いました。
地球上の生命の歴史38億年という時間軸からすると、人の一生は一瞬。38億年間に膨大な数の生物の死があり、そのたびにより優れた種に生まれ変わった。1回1回はほんのわずかの進化だが、気が遠くなるような「生まれ変わり(ターンオーバー)」の積み重ねで現在に至る。
この先、人類はどこまで進化するのか、それとも自ら招いた環境破壊で絶滅するのか。。
いずれにしろ、地球の歴史から見れば自分の人生も一瞬なので、あまり考えても仕方がなく、この世に生を受けたことに感謝しつつ、生きている間をいかに楽しむか、ということだけ考えようかな。
以下、備忘
生命が地球に誕生する確率のたとえ。
「25メートルプールにバラバラに分解した腕時計の部品を沈め、ぐるぐるかき混ぜていたら自然に腕時計が完成し、しかも動き出す確率に等しい」 ――― そのくらい低い確率だが、ゼロではなかった。
野生の生物は、食べられるなどのアクシデントで死ぬか、寿命になると死ぬようにプログラムされていてひっそり死ぬ。基本の死に方は”ピンピンコロリ”。長い老化期間があるのは人間だけ。
人間の平均寿命が延びているのは病気で死ななくなったため(特に幼児期に)。昔から長生きする人はいて、最長の寿命はあまり変化していない(105歳程度)。人間の最大寿命の限界は115歳くらいで、逆にこの年齢までは生きられる能力がある。
生物は、常に多様性を生み出すことで生き残ってきた。種に「変化」をもたらし、その中で環境により適した優れた種が「選択」されてきた。親は子よりも多様性の点で劣っているので、子より先に死ぬようにプログラムされている。
生き物にとって死とは、進化、つまり「変化」と「選択」を実現するためにある。