川越style「IMO(アイエムオー)楽団」川越いもの子作業所から生まれたロックバンド | 「小江戸川越STYLE」

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川越は暮らしてこそ楽しい街。
川越の様々なまちづくり活動に従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

小さな風が、街のうねりになっていくまでの道のり。

ふとしたきっかけで目にしたところから始まった物語。

一ヶ月以上見てきて、

このうねりは、熱は、まだほんの一端に触れただけで、

これから川越で拡がっていく、確信のような感覚がありました。

この記事は一つの集大成であり、序章に過ぎない。

彼らの物語は、これから本格的に始まっていくはずです。。。

 

まだ肌寒い日が続いていた頃、2016年2月13日、

この日は寒さも少しばかり緩んで、自然と気持ちが浮き浮きしてくるような気候でした。

川越駅から歩いて5分のところにあるウニクス川越は、

日曜日ということもあり、この日もたくさんの買い物客が行き交っていた。

第二日曜日というと、恒例のにぎわいマルシェが開催される日ですが、

1月31日に一大イベント「小江戸川越農産物と食のまつり」を開催したばかりで、

この日は農産物や飲食の出店はなし。

その代わり、エスカレーター横のスペースには特設舞台が設営され、

スペシャルライブが行われようとしていました。

椅子に座り、今か今かと待ち構えている人たち。

初めて聴く多くの人の脳裏には、いくつもの「?」があったと思う。

いもの子作業所の人たちが演奏?

しかもロックを??

どんな演奏をするのだろう、興味津々の様子でした。

時間になると、メンバーたちがステージに上がる。

固唾を飲んで見守っていた聴衆を前に、

楽器を手にすると簡単な挨拶の後すぐに演奏を始めたのだった。

IMO楽団による、ウニクス川越ライブがスタートしました。




曲が始まると、自然と体が揺れるような楽しい曲調、前向きな歌詞に引き込まれていく。

沸き起こる手拍子、これがこの日三回目のステージでしたが、

開放的な屋外演奏で、なにより演奏しているメンバーたちが楽しそうだった。

そして、ハッと思い至ったのは、ある種の偏見を抱いていたのだということ。

障害者だから落ち着いた曲なのだろうとどこかで思い込んでいて、

ロックという音楽が結びつかなかったのですが、

周りを見れば、観客として来ていたいもの子の人たちが体を動かしてノッていました。

楽しい曲は誰だって楽しい気持ちになる、

障害を持っていたってロックが好きな人はいるし、ロックを演奏したい、歌いたい人ももちろんいるのだ。

「笑顔いっぱいありがとう」

https://www.youtube.com/watch?v=twM5rjaninc

いもの子のバンドという最初の先入観はすぐにどこかで吹き飛び、

楽しい曲に、ただただ音楽の楽しさに、引き込まれていきました。
しかも、全てオリジナル曲というのが凄い。

それだけ、伝えたい思いがあるということでもあり、

メッセージ性のある曲、歌詞が多いのがIMO楽団の特長。

この回も盛況で、惜しみない拍手を送られたIMO楽団。

ここにまた、川越に軌跡を残し、街に少しずつ確実に、風を吹き込んでいきました。

 

川越の「IMO(アイエムオー)楽団」というバンドを知っているでしょうか。

川越いもの子作業所の利用者、職員から成るロックバンドで、

メインで活動するメンバーに加え、演奏者やボーカルはその時によって変わったりし、

いもの子のいろんな人が参加しているバンドです。

オリジナル曲は、人前で演奏するもので15曲ほど、CDもこれまで5枚制作しています。

曲は主に、川越いもの子作業所所長の大畠さんが作っているのだそう。

IMO楽団は、最近では川越のイベントに誘われることも多くなって、

街の中で見かけることも多くなってきました。

この日のライブも、ウニクス川越の支配人たってのオファーがあってのものでした。

演奏を重ねるごとにその楽しい曲が話題になり、

今川越ではちょっとしたIMO楽団旋風が沸き起こっている。

川越いもの子作業所、という名前は、

川越の人ならどこかで目にし、耳にしたことがあるだろうし、馴染みのものだと思います。

川越の笠幡にある社会福祉法人皆の郷が運営する「川越いもの子作業所」は、
障害を持った仲間たちが働く作業所として1987年に生まれました。

『障害の重度、軽度または種別を問わず、埼玉県川越市の地域の中で、
労働・生活・文化・経済、その他あらゆる場面で機会を得て、
障害者も1人の人間として自立していけるよう支援していく」という理念のもと、
各事業の運営を行っています。




【生活介護】
生活介護事業が必要な利用者に対し、
木工作業やリサイクル作業、公園清掃、花販売、製袋作業等を行い、
その人らしく生き生きと楽しく働けるように支援します。
【就労継続B】
就労や生産活動の機会を提供します。木工作業やリサイクル作業、清掃、花販売、製袋作業を通して、生産活動に必要な知識や能力の維持向上を図り、たくましく豊かな人生が築いていけるよう支援します。
【就労移行支援】 (20名)
一般企業への就職を希望する方に対し、必要な知識・能力を養いその人らしく働くことのできる職場への就労・定着を図ります。
給食施設を利用した周辺地域への給食の提供および配食サービス、

また市や大学、入所施設の清掃・メンテナンスなどを行います。

【生活訓練】
障害に関わらず地域生活に移行できるように、段階的に通所、訪問を組み合わせ支援を行います。食事・排泄・更衣などの日常生活動作、洗濯・掃除・炊事などの家事動作、買い物・金銭管理・公共交通機関の利用等、日常生活に必要なスキルの獲得を支援していきます。

【施設入所支援】
【短期入所支援】




 

1985年頃、当時の川越市は障害を持った人たちの働く場がほとんどなく、
特に重度の障害を持った人たちは、学校を卒業してもどこも行き場がありませんでした。
「どんなに障害が重くても働きたい。生まれ育ったこの街で暮らしたい。」という願いのもと
「川越いもの子作業所」は誕生しました。

 

1986年2月川越いもの子作業所をつくる会発足。
1987年4月無認可障害者小規模作業所「川越いもの子作業所」を川越市下松原に開所。

木工作業を開始。「川越いもの子作業所をささえる会」に名称変更。
11月廃品回収、缶プレス作業開始。

第1回チャリティバザー開催。
1988年4月東田町の市有地に移転。
7月第1回チャリティコンサート。
1989年 9月 建設候補地決定 国に認可施設申請書提出。
11月反対運動起こる。
1990年2月住民の同意得られず、建設候補地断念。
7月笠幡に建設地決定 認可の内示おりる。
9月「3千円1万人運動」開始(1991年5月目標達成)。
1991年3月社会福祉法人「皆の郷」認可。
6月 「川越いもの子作業所」開所。

木工作業とアルミ缶のリサイクル作業を始める。

 

川越いもの子作業所は現在、第1、第2、第3作業所まであり、

仕事としては、会社の下請けだけだとノルマに応えられないことも多々あるし、利益も小さい、

自分たちが主となって仕事をしなければと展開して、

設立の場所である笠幡では木工やリサイクルなどの仕事、

今成にある第2作業所は煎餅やうどんなど、

東田町にある第3作業所は手漉き和紙制作など、とそれぞれに特色があります。

ウェスタ川越のパン屋も連日人気で、川越のイベントに出店することも多い。

 

(第4回「福島復興まつり」川越市民会館大ホール

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11999760644.html

 

(第一回「昭和の街の感謝祭」昭和を満喫する一日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11926846372.html

 

いもの子作業所の定番となっているイベントといえば、

「チャリティバザー」や「いもの子夏祭り」がありますが、

忘れてはならないのが、「チャリティコンサート」。

チャリティコンサートは川越いもの子作業所誕生とともに始まり、

以来毎年開催しているもので、28回を数えます。

コンサートでは音楽演奏を通して、

障害を持った人たちの働く場所、暮らす場所が少ないことを訴えてきました。

これまで、上條恒彦さんや夏川りみさんなど、

錚々たる顔触れがいもの子を応援しようとチャリティコンサートの舞台に立ってきました。

実は、IMO楽団を結成する前も、いもの子の利用者と職員は

このチャリティコンサートで音楽演奏を披露していたのです。

毎年のように新曲を作り演奏してきたので、総オリジナル曲数としては28曲にもなる。

つまり、IMO楽団を紐解くと、28年の音楽演奏の歴史があることが分かる。。。

IMO楽団誕生に辿り着くのに大きなきっかけとしてあったのが、

2013年にいもの子作業所内で、

絵や歌やダンスで自分を表現する表現活動の場「Studio IMO(アイエムオー)」を立ち上げたことでした。




Studio IMOはいもの子内で制作するのみならず、外に出ていくことに積極的で、

2015年6月29日から7月5日まで、川越駅前アトレ川越6階武州ガス・ビーポケットにて
「川越いもの子作業所 仲間の絵画展」を開催。
二回目の絵画展は、
2015年9月9日~27日いも膳一乃蔵で「川越いもの子作業所 仲間の絵画展」を開催してきています。

いもの子の利用者の人たちは、ずっと以前から絵を描いたりしていた人はいた、

でも発表する場を外に作ることで、いろんな人の目に触れ、評価され、

描くことがまた楽しくなる。それが社会との接点で、やる気にもなっていくのだという。

Studio IMO発足を契機に、今までバンド名を付けずに演奏していた音楽の集まりに、

正式に、「IMO楽団」という名前が付けられたのでした。

 

「Studio IMO」と「IMO楽団」はお互いにリンクしていて、

リンクすることで、IMO楽団のCDジャケットのイラストをStudio IMOのアーティストが描いたりして、

そこにも仕事が発生するようにしている。

IMO楽団は発足から月日を経るごとに各地に呼ばれることが多くなって、

今では月に一、二度は出演しているそう。

市内のみならず、例えば、忍町に行われている「忍町アートギャラリー」での演奏も毎回恒例です。

最近では特に大舞台だったのが、

2015年12月5日、彩の国さいたま芸術劇場での

第6回「埼玉県障害者アートフェスティバル」出演だった。

近藤良平と障害者によるダンス公演
構成・振付 近藤良平(コンドルズ)
出演 ハンドルズ
ゲスト出演 IMO楽団

 

12月の公演の後、IMO楽団が次に意識し、そこに向けて一致団結していたのが、
2016年3月19日(土)に開催する

「川越いもの子作業所 春一番コンサート おかん×IMO楽団」でした。

会場:川越市やまぶき会館

OPEN 12:00 / START 13:00

IMO楽団と共演するのは、

大阪城ホールの単独ライブに7000人を動員した関西の人気ロックバンド、おかん。

「家族で聴いてもらえる唄でありたい。人と人を繋ぐバンドでありたい。」をモットーに、

全国で活動する男性4名のグループです。

彼らの楽曲から発せられるメッセージは聴く人々の気持ちをつかんで離さず、
世代を超えて多くの人々の”人間賛歌”となっています。

■おかん 「あなたは、あなたで大丈夫。」(大阪城ホール単独ライブ)
http://youtu.be/j4Te-pptO5Q
■ロックバンドおかん公式サイト 

http://www.rockband-okan.com/

 

川越いもの子作業所の春一番コンサートは、災害弱者である障害のある人たちの地域理解と連携を深めるコンサートとして、毎年春の火災予防週間に川越いもの子作業所で行ってきました。

昨年2015年3月7日の春一番コンサートは、「カイマナふぁみりー」さんを迎えての開催。
今回はおかんの力を借り、やまぶき会館にて

IMO楽団との二部構成のコンサートを開催することになったのです。
春一番コンサートは、出演するのみならず、いもの子の人たちが運営も支えています。

なぜ、関西の人気ロックバンドが川越に??

そこには、いもの子と深く関係ある人が、

群馬県で行われたおかんのライブに偶然参加したことから始まったのだという。
その人は自閉症の息子さんのことで思い悩んでいた時で、
おかんのDAIさんの心に響く歌声、特に「あなたは、あなたで大丈夫。」という曲に涙していた。
息子さんも揺れながら穏やかに聴いていたそう。
「こんなバンドがいる事をひとりでも多くの方へ伝えたい・・・」
様々な悩みで苦しんでいる人たちにも、

おかんのライブを生で聴いてもらい、元気になってもらいたいと願い、

おかんに川越に来てもらおうと動いていきました。

おかんもいもの子のことを知り、IMO楽団と同じステージに立つことを楽しみにしていた。


IMO楽団のメンバーたちの本番に向けた練習は熱を帯びていく。

やまぶき会館の舞台をあと一週間後に控え、

練習は週に2回、一度の練習が6時間にも及ぶものになっていった。

まだ肌寒さを感じるこの日、

入間川が流れる初雁橋の袂にある川越市のさわやか活動館に集まった面々は、

3月19日の演奏を意識して、本番さながらの段取りで練習を重ねていました。

IMO楽団の曲は、何度聴いてもいい。

覚えやすいメロディーに、ストレートな歌詞、

その歌詞というのが、心の底から出てきた言葉たちで、

伝えたい、訴えたいという気持ちから生まれた言葉たちは、

耳で聴く、頭で聴くよりも、心の内側にストンと入ってくる感覚になる。

歌詞にメロディーに声に、全てがストレート、

聴いていると時折ぐっと込み上げてくることがありました。











熱気溢れる練習が繰り広げられ、最終確認を行ったIMO楽団。

 

この練習の二日後には、3月13日、ウェスタ川越多目的ホールで行われた

Peaceやまぶき主催「福島復興まつり」で、IMO楽団はゲスト出演していました。





この時、外のウニクス川越の広場で開催されていたのが、にぎわいマルシェ。

 

マルシェには第2いもの子作業所のうどんカーが出店していました。


今や、自然な形で川越の街のあちこちに溶け込んでいる川越いもの子作業所。

いろんな展開はなにより、働く場を創るということ、この街で暮らすということ、

表現することで生きがいを見出すこと、貫かれた信念で突き進んできた30年近くです。

 

2月のウニクス川越のライブから一ヶ月。

IMO楽団を知ってからまだわずかな月日ですが、

曲を聴くごとに、これは川越で広がっていくはず、という確信が深まっていった日々でした。
ついに迎えた2016年3月19日、やまぶき会館。

IMO楽団のこれまでの集大成となる演奏を魅せる時が来た。

 




12時の開場から続々と人が入場する。

IMO楽団のファンのみならず、おかんのファンが各地から駆け付けていました。

やまぶき会館の500席は見事にソールドアウト。

ロビーではいもの子の人たちが作った木工作品や煎餅などが販売され、

開演を待つ間人だかりがずっとできていました。

その時楽屋裏や舞台上では、リハーサルを終え、そわそわしながら

「いよいよだね」と本番を待ついもの子の人たち。





13時、開演のブザーが鳴る。

「川越いもの子作業所春一番コンサート おかん×IMO楽団」の幕が上がりました。

先に登場したのが、IMO楽団。
・「18の春」は、学校を卒業したけど、行き場がなかった、

でも社会の中で働きたい、暮らしたい、純粋な気持ちが詰まった曲。

・「働いているんだ!うれしいよ」

働くことの嬉しさをストレートに歌った曲で、

川越いもの子作業所で毎朝みんなで歌っている社歌のような曲。

・「この街で暮らしたい」は、

『働く場が欲しい』『わが子の暮らす場が欲しい』『わが子の幸せな姿を見たい』『それが親の願い』

障害を持つ子の親目線の歌詞が散りばめられた曲。

・「Say Ya!」

『彼はいもの子で働いていた。唯一動く右手でドリルのレバーをひいて木に穴をあけた。

彼は、生き生きと作業所に通った。

その母は喜んだ。

彼の生活を支えていたのは母と父だった。そんな時母は亡くなった。後を追うように父も亡くなった。』

・「青い屋根の家」

・「君の夢、君の思い」

『学校を卒業して長く家にいた仲間がいもの子に入ります。

働きたい。この街で暮らしたい。彼女が欲しい。結婚したい。そんな願いや夢が、語られるようになってきました。』

・「20歳の胴上げ」

『知的障害と全盲の障害を持っていた彼は児童施設に入所していました。

18歳になって生まれた川越に戻りました。そして彼の20歳の成人式をみんなでお祝いしました。』

・「うつむかないよ!僕たちは」

・「笑顔いっぱいありがとう」

・「たくましく、のびらかに」

・「雨ニモマケズ」
・「君の声が聞きたくてどんなときも」

・「ありのままに、夢を歌にのせて」

ラストソング・「川越ここがわたしの街」




 











 







1時間のステージを無事に終えたIMO楽団に満場の拍手喝采でした。。。!

 

続いて、IMO楽団からバトンを引き継いだおかんが登場。

IMO楽団の演奏を舞台袖で見ていたおかんのDAIさんは、その演奏に感極まっていた。

演奏が終わって袖に帰ってきたいもの子の面々と握手を交わし、

「幸せな気持ちになりました」と声をかけていました。

その思いをしっかりと受け取り、おかんのメンバーが舞台上に現れ魂のライブが始まりました。




 

「川越いもの子作業所春一番コンサート おかん×IMO楽団」、

 

川越ではいろんな音楽のいろんなコンサートが行われていますが、

その中でもこんなに熱気に溢れたコンサートはなかなかない、

二つのバンドが見事に融合し、調和し、今までにないコンサート空間を創り上げました。

障害云々ではなく、ロックバンドとしてIMO楽団は世に知られていくはず、

その物語の始まりの瞬間がこの舞台だったのかもしれない。。。

川越いもの子作業所所長の大畠さんは言いました。
「障害のあるなしに関わらず、表現するというのは、

自分の気持ちを出すということができるということで、

発表する場があることはみんな嬉しくて仕方ないんですよ」
全身を思い切り使って表現する姿、

表現すればするほど元気になっていく、まさにその通りの舞台でした。。。


精一杯歌い、踊ったコンサートが終われば、

また、日常の生活に戻っていく。

 

今日も、回収してきた空き缶などのリサイクルの仕事などに精を出すいもの子の人たち。

 



 

StudioIMO、IMO楽団、そしていもの子の人たちの大事な日常が始まっていく。

 

仕事があること、働くということ、この街で、暮らすということ。

社会福祉法人 皆の郷
「川越いもの子作業所」
〒350-1175
埼玉県川越市笠幡後口4063-1
TEL:049-233-2940 FAX:049-234-2940
http://www.imonoko-1.jp/index.html