奪われる怒りを愛国心で排外主義・レイシズムへ流し込む醜悪な連鎖-大日本帝国を取り戻す安倍政権 | すくらむ

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 昨日、安倍政権が、来週(17日)閣議決定する「国家安全保障戦略」に「愛国心」を盛り込み、あわせて武器輸出三原則の見直しも明記することを決めました。


秘密保護法施行(国民の目、耳、口をふさぎ、政府にたてつく国民は弾圧)
→武器輸出(「死の商人軍需産業大儲け→政治献金で安倍政権支える政治家も大儲け→軍事国家肥大)
→集団的自衛権行使(秘密保護法で理由も秘密で戦争開始→「死の商人」ますます儲かる)
→「愛国心」強制
→憲法9条改悪はじめ憲法の全面改悪
→国防軍創設、戦争に行かない人間は死刑
→大日本帝国を取り戻す=「日本を取り戻す」


 こんなざっくりした安倍政権の「日本を取り戻す」流れが強まっていますが、そもそも国家権力が「愛国心」を国民に強制することは、戦前の日本やナチスドイツのファシズム、北朝鮮のような全体主義につながるものです。その兆候はすでに大阪の学校における君が代斉唱の口元チェックなどの強行にあらわれています。


 そして、安倍首相の求める「愛国心」が国家の安全保障を逆に危機的なものとすることは、すでに昨年12月15日の秋葉原でリアルに繰り広げられています。


 昨年の衆議院選挙投票日の前日、安倍首相は選挙運動で最後の演説を秋葉原で行いました。日の丸を掲げて参加した多くの聴衆は、「朝日新聞、NHKをぶっつぶせ!」「朝鮮人を追放して、日本を守れ!」「朝鮮人は全員、日本から出て行けー!」「天皇陛下、万歳!」「大日本帝国憲法、万歳!」と絶叫したのです。これが、いま最も「愛国心」を持つ人々の現実です。こうした「愛国心」を持つ人々の排外主義・レイシズムと、国内にも向けられている憎しみと蔑みが、本当に国家の安全保障をもたらすのでしょうか? このような「愛国心」を国民に強制することが、国家の安全保障戦略になるものなのでしょうか?


 『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)を書かれたジャーナリストの安田浩一さんの講演を何度か聴いたことがありますが、安田浩一さんは要旨次のように指摘されていました。(by文責ノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)


 「シナ人、朝鮮人を殺せ」と言う在特会の方を取材しました。在特会の方は「シナ人、朝鮮人」に奪われた日本を取り戻すために自分はたたかっているのだと主張します。在日が日本を支配していて、自分たちの雇用も社会保障も含めた日本の社会基盤が奪われてしまっていると言うのです。今の日本では、在日が特権を享受していて、差別されているのは日本人の方だという理屈です。日本人の雇用も社会保障も在日に「ただ乗り」されているがために、自分たちの経済的苦境があるという強烈な被害者意識が在特会の方の根底にあるのです。


 そうすると、今の自分を取り巻くあらゆる理不尽――経済的苦境もアイデンティティの喪失も――は、支配し奪い取っている在日の責任にすべてあることになるので、自分を取り戻すためにも日本を取り戻すためには敵である「在日、シナ人、朝鮮人を殺せ」というわけです。


 在特会の取材の中で、この「取り戻す」という言葉を何度も耳にしました。「取り戻す」対象は、福祉、領土、メディアなどです。「日本人のための福祉が在日によって奪われている。生活保護から在日を追い出せ」ということです。


 いま日本社会では、多くの人たちが奪われたものを取り戻したいという感情が強まらざるをえない状況に追い込まれています。在特会やネット右翼に限らず、日本に暮らす私たちは、雇用の機会や社会保障などいろいろなものを奪われ続けています。本当ならば事実として奪っているものに対し怒りを燃やす必要があるのに、在特会の人たちの奪われたことに対する怒りは、差別意識とナショナルなものに回収されてしまっているのです。


 在特会の人たちの差別意識、レイシズムは、歴史や伝統を縦軸とする「上から見下す差別」と、「下から見上げる差別」が混ざり合っています。「下から見上げる差別」は、「在日が日本の権力機関を牛耳っている」とか「在日によって日本のメディアが支配されている」などの主張にあらわれています。何かを「奪われた」と感じる彼らにとって、手厚く守られていると彼らが思い込んでいるメディアなどは単なる権威としか考えられなくなっているのです。奪われ続け、ヒリヒリするような痛みを抱えた人たちが、受けた側もヒリヒリするような言葉を投げつけるという醜悪な連鎖に回収されてしまっています。


 領土問題などで「愛国心」、ナショナリズムをあおって、奪われ続ける怒りを、差別、排外主義、レイシズムへ流し込む醜悪な連なりを断ち切れる日本社会をつくっていく必要があります。