明日(2月14日)はバレンタインデーということで、本日付けの東京新聞では著名人が恋愛観を語る『私がほれた男』なんていう特集が組まれていました。私自身は恋愛体質というのか、常にときめいていないと生きていけない性分です(書きながら赤面)。
ゲイであることを公にしていなかった頃の私は周囲から恋人がいる気配もないし、恋愛とかそういうのは面倒であまり好きじゃない人とか、他人に自分の恋愛を語りたがらない人というように見られていたように思います。
実際にはその真逆で恋愛も“恋バナ”も大好き。ただ限られた異性の友達や妹に一方的に話すくらいしかそれが出来る場がありませんでした。今やいろんな人が面白がって私の話を聴いてくれるし自分のことも話してくれるのでとても楽しいです。
私はどちらかというとピンときたらとにかく接近して間合いを狭め、手中におさめてからゆっくりと育みたいタイプ。肉食系ということになるのでしょうか(笑)。多少強引だろうがカッコ悪かろうが陣地を攻めて奪い取って、その上で後のことは考える。
そんなことで最初のうちこそ、こちらに主導権があるのですが、すっかり私のほうが相手に惚れ込んでしまい、尻に敷かれてしまうケースも一度や二度ではありません。付き合い始めて後々、相手から出会った頃の私のガツガツした感じをからかわれたりして。
年齢のせいもあるのか、最近は生涯を共にできるパートナーというものにあこがれます。以前はそんなことに縛られたくないと考えていたくらいなのに。この人とは一生一緒にいたいと思う人がいたこともあるにはあるけれど。
ただ同性カップルなんかの場合、それを前提とした人生設計などのモデルケースがほとんど周囲にないので難しい面はあるのかなと思います。特に私の場合、対象が同年代や年上ではなくて遊びたい盛りの年下の方だったりするので、本当にそういう話になりにくいです。
異性愛者であれば法的な結婚制度の存在や、自由になったとはいえいずれは結婚をという暗黙の了解もあって、年齢が若くてもタイミング次第でというところもあるのではないでしょうか。
同性婚については、“異性同士でさえ”事実婚や夫婦別姓を認めよという風潮に逆行している、足を引っ張ると見る向きも一部にあるようですがそれは間違っています。
同性愛者には結婚でいえば「制度に縛られる(守られる)自由」さえないわけですから。事実婚や夫婦別姓を認めなさいということは、法律婚やどちらかの姓を名乗りたいと考える二人の自由を奪えという話ではないと考えれば納得がいくでしょう。
私は女性を好きになってもほとんど性の対象としては見られないので、話を面倒にしないために両性愛者ではなく自分を同性愛者だと言うようにしているし、本当にそう思っています。
だけど、性なんていうものはLGBTと異性愛の5つの色があるという話ではなくてグラデーションです。大切なのはどこかにカテゴライズされることではなく、自分を偽らずに生きていけることですよね。
バレンタインデーといえば、20年以上前の出来事で、今でも自分がひどいことをしたことを謝りたいひとがいます。
PHOTO:Kazuyo Kitagawa