あべこう一(阿部浩一)のBlog

Singer songwriter / NPOアクティビスト。脱原発/平和。ゲイです。山口市出身。東京を中心に活動。

【お知らせ】


現在、資格試験の勉強等々のため、音楽(ライブ)活動を休止しています。例外は発生するかもしれませんが、年内の出演のご依頼につきましては、基本的に辞退させていただいております。来年は再開したいと考えていますが、まだ未定です。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。(2016/4/4)


【ライブ情報】


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【ラジオオンエア情報】

「東京ラブレター」終了のお知らせと所感


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 今から25年前、45歳で亡くなった私の父。職業はバーテンダーで料理の腕も一級品でした。和食に洋食、懐石料理からパーティーのオードブルまで、ありとあらゆる料理の名人。釣りが趣味で自分が釣ってきた魚がよく食卓に上りました。よくいろんなものをつくって食べさせてくれました。

 

 当時は当たり前のように感じていましたが、今となっては本当にぜいたくでした。私が今でも食いしん坊で、何があっても食事の時間だけはゆるがせにしたくないと考えるのは、きっと父の教育(?)の賜物だと思います。

 

 父は私が子どもの頃、地元の国立大学にあった釣り同好会の名誉顧問を務めていました。当時の釣りが好きな学生たちが父の勤務していたクラブ(接待飲食店)でアルバイトしていて、意気投合して請われての就任だったようです。私は釣りのことはよくわかりませんが、父は大きなチヌを釣り上げて、その魚拓とともに釣り雑誌の誌面を飾ったこともあります。

 

 父は1946(昭和21)年12月31日生まれで、戸籍上は翌日の元旦が誕生日。ほぼいわゆる“団塊の世代”。戦争から帰ってきて酒浸りとなっていた父親の下、貧しい家庭に育ちました。息子の私と違って子どもの頃から小柄だったようですが、やんちゃでケンカが強かったそうです。

 

 中卒で集団就職の列車で大阪へ。就職先はすぐに辞めてヤクザの構成員になります。銃刀法違反(日本刀の不法所持)で検挙されるなどした後に組織を離れ自衛隊へ。自衛隊を辞めた理由を父は生前、体を壊したからだと言い張っていましたが、亡くなった後に母が笑いながら、本当は上官を殴って辞めたのだと教えてくれました。その上官が昭和天皇を冒涜するような発言をしたことが許せなかったのだそうです。私の父はそういう人でした。

 

 その後、バーテンダーに。検定試験にも合格した本格派で、その筋のエライ方から組への“転職”の勧誘もあったようですが断って、亡くなるまでバーテンダーを全うしました。

 

 私が物心ついたとき、もう父は堅気のバーテンダーでしたが、博打好きで私の家には花札やサイコロ、甲子園のシーズンには賭博が開帳されるのは春夏の風物詩でした(笑)。父親としてはいたって真面目なパパでしたが、周囲にはいろんな方がいました。私も「ぼん」などと呼ばれてかわいがってもらったものです。

 

 今でこそ普通の若者がタトゥーを入れるのも珍しくありませんが、子どもの頃に父と一緒にお風呂へ入ったとき、彫り物に刃物か何かで傷つけたミミズ腫れの後があったのを思い出します。

 

 昨年末に68歳の母と電話で、父が生きていたら70歳だねと話しました。父が亡くなったとき、私はまだ16歳でしたが、いま父子でコラボレーションして父の料理の腕前が活かせるようなお店を地元の山口で開いたら面白かっただろうねと言うと、母も同じようなことを考えていたそうです。

 

 「まだ70歳になった俺を働かせる気か!」と文句を言われるかもしれませんが。オーナーの私にこき使われてどちらかといえば右翼思想の持ち主だった父がユニオンに駆け込んで、左翼の私を糾弾して、団交を申し込んできたら笑えるなぁと、くだらないことを思いました。

 

夜泣きする私(3ヵ月)を深夜に帰宅してあやす父(29歳)

 

私(数日後に1歳)、父(30歳)のお正月。この年(1977年)の7月に妹が誕生

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大晦日は24年前に亡くなった父の誕生日でもあります。存命なら70歳。


昔の写真を整理していたら、私の高校時代に作文(文集)が出てきて読んでいると、もうすっかり忘れていた父とのエピソードを自分が書いた文章の中に見つけました。


高校一年生のとき、私は校内で盗難に遭いアルバイト代3万円を失うという出来事がありました。この出来事と父から私の不用心をきつく叱られたことまでは覚えていました。


ところが作文を読み進めると、その翌日に朝起きて自分の財布を開けると、父がいくらかお金を入れてくれていたとありました。そして一言「ありがとう」と言おうと思ったけれど、父は息子である私から礼を言われることに照れて、私が出かけるまで起きてこようとしなかったと。きっとそれは後で母から聞いたことなのでしょう。


この翌年に父は突然この世を去りました。


母や妹は父の夢を良く見るそうですが、私のところにはあまり出てきてくれません。ところがこの2ヵ月、体調を崩して仕事にも支障をきたして悩んでいましたが、何度も父が夢に出てきたのです。父の死後、これまでも人生のピンチはたくさんありましたが、今回は何だったのだろうと考えています。


今年は叔母である父の妹、そして先日に2歳になった私の妹の娘、父にとっては孫も参加して法事も行いました。


私自身も父が亡くなったときの年齢とほとんど変わらない歳になりましたが、こうして存在を感じさせる父は、今も“生きている”のだなぁと思っています。

 

ピースをする小学生のときの私と父
 

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今年前半に私にいる社会福祉法人福田会で取り組んだクラウドファンディングプロジェクト「養護施設の子どもたちとポーランドとの絆~オブジェを修復したい」のお礼品の発送作業を行いました。

 

修復お披露目セレモニーには遠方から支援してくださった方も参加してくださり感激しました。その方はポーランドがお好きで、以前から何かポーランドと日本の友好にかかわりたいと考えておられたところ、私がネットメディアに投稿した記事を読んで本プロジェクトを知ったとのこと。

 

すばらしいご縁に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

https://readyfor.jp/projects/Keep-it-up/announcements/48086

 

 

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少し無理してワンランク上の事務机を購入。先月からすっかり調子を崩してしまったけれど来年に向けて自分に投資しました。

まだ届いてないけど必要に迫られて机のスペース確保のための模様替えをしたら、おかげさまですっかり年末の大掃除になりました。到着がとても楽しみです。

みなさま素敵なクリスマスを。誰かと笑いながらごはんでも食べたらよさそうだけど。一人でどう過ごすか考え中です。

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私がミュージシャンだということを忘れられそうなので新曲つくりました。御茶ノ水の街並画像で動画をつくってみました。

 

フロアスタンド
作詞:あべこう一 作曲:水上耕平

 

秋の空 来月の資格試験が終わったら
海を見に行こうねと指切りしたあの日

 

あれからいくつも時を重ねたよ
契約不履行 待たせたままだったから
忘れ物を早く取りに走らなければ

 

予備校の帰り道 電車を降りたらいつも
夕暮れの改札にあなたがいたあの日

 

「さよなら」 そういや言ってなかったね
狭い部屋に不似合いなフロアスタンドが
二つの影を映写してにじんで消した

 

裂けそうな心ごと あなたを抱きしめながら
夢見ていた もう一度 あの日に戻りたい

Ⓒ2016 Kohichi Abe

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