あべこう一(阿部浩一)のBlog

Singer songwriter/Radio personality。脱原発/平和。ゲイです。山口市出身。東京を中心に活動。

【お知らせ】


現在、資格試験の勉強等々のため、音楽(ライブ)活動を休止しています。例外は発生するかもしれませんが、年内の出演のご依頼につきましては、基本的に辞退させていただいております。来年は再開したいと考えていますが、まだ未定です。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。(2016/4/4)


【ライブ情報】


【イベント情報】


【ラジオオンエア情報】

「東京ラブレター」終了のお知らせと所感


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私は中学生だった1990年頃から歌づくりを始めました。そして93年、二度目の高校2年生(笑)のときにメディアを通じて結党以来38年間政権の座にあった自民党が下野し、細川連立政権が誕生したのを目の当たりにしたことをきっかけに、政治や社会のことについて興味を持つようになりました。とは言うものの、その頃は政局にかかわる人間模様がヘタなドラマより面白いと感じていただけで、そんなに何もわかっていませんでした。

それから「サンデー毎日」の政治記事や自民党や旧社会党のことを扱った本などをせっせと読みました。

その後、私は故郷の山口から東京へ出て、労組系の運動団体であるNGOに勤め、脱原発や平和運動にかかわっていくわけですが、そういう“政治的”な側面と音楽をやっている自分はいつも別だと考えていました。田舎のゲイで偏屈な少年だった私が妄想する、理想的であこがれの青春物語を描いてみせることや中二病的な世界観が売りだと考えていた私の音楽スタイルに、あまりリアルな政治性や社会性は馴染まないと思ってきたのです。

また、自分が好む音楽で描かれるバブルの香り漂うきらびやかな世界は、あまり深刻に考えたことはないものの自分の政治信条とは少し矛盾しています。例えるなら、「ボズ・スキャッグス」を聴きながら夜景のきれいな場所をドライブするのだけど、家では「蟹工船」を読んでいるようなちぐはぐさ。

思ったことや考えを発言もするし行動もするけれど、自分の音楽制作にそれは持ち込まない。それが自分自身の流儀でした。だけど、最近は少し考え方が変わってきました。考え方が変わったくらいで、傑作がすぐに書けるほど簡単ではありませんが、大上段に構えず日常につながるそれらしいものを歌にできたらいいのかなと考えています。




あべこう一_消えそうなあの瞬きと銀色の空(ピアノ・デモ音源)


消えそうなあの瞬きと銀色の空
(作詞・作曲:あべこう一)

卒業式が終わった後に みんなで撮った記念写真
色の剥げた扉 背に君が まぶしそうに笑っている
ふざけて僕に寄りかかる 君に言いたい気持ちがあった
反発し合う磁石のようで 自分のことを責めながら過ごした

今でも君を 今でも君を あの頃の君を思い出す
東京で音楽をやるからと言っていた君
今はどうしているのかな どこにいるのかな

校舎の外で 僕を呼ぶ気がした 消えそうなあの瞬きと銀色の空

こんな田舎じゃ恋もできないと 僕もあれから東京へ出た
一夜のぬくもりが欲しくて 自分のこともお金に換えた
みすぼらしいのは嫌だからと 服や靴にもこだわりを持った
だけどぽっかり空いた穴から いつも故郷の声が聴こえたよ

今でも君を 今でも君を あの頃の君を思い出す
学園祭のバンドでベースを弾いていた君
軽音部の引退の日 みんなで泣いたね

人ごみの中で 君を見た気がした 消えそうなあの瞬きと銀色の空

短い恋が終わったときは いつも君を思い出した
君と彼女と3人で 電車に乗って海を見に行った日のこととか……

今でも君を 今でも君を あの頃の君を思い出す
東京で音楽をやるからと言っていた君
今はどうしているのかな どこにいるのかな

校舎の外で 僕を呼ぶ気がした 消えそうなあの瞬きと銀色の空

<2015 あべこう一>
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梅雨らしくうっとうしい天気が続いた関東地方。雨の日はすべての外出を控えて、家でじっとしているに限ります。窓越しに空や雨粒を眺めたり、本を読んで疲れたら寝転んだり。晴耕雨読を徹底的に実践できればよいのですが、自分自身が持っている他の欲求との兼ね合いから、なかなかそういうわけにもいきません。

2年前、私はもう誰の子分にもならない。自分の人生は自分でコントロールするのだと意気込んで8年間勤めたNGOを退職しました。その後の2年間はいろいろなことがありました。そして、何らかの軌道修正を模索していたところ、縁あって現在かかわっている福祉関係のファンドレイジング職に就き、再び組織の一員となったのでした。

そうはいうものの、身分こそ団体職員ではありますが、一人事務所で常に誰かの目があるというわけではありません。仕事のための諸々は自己管理が基本です。私のようなどちらかというと、みんなで同じことを行うことが苦手な者にとっては恵まれた環境ですが、やはりプレッシャーを感じる部分もあります。

ある程度、人生を重ねてきた人にとっては当たり前のことでしょうが、理想は理想として、現状と折り合いをつけることを妥協とは言いません。根の部分まで腐らせてしまえば妥協ですが、花や葉っぱ、実の部分は季節や天候などに合わせてどんどん変化してもよいのではないでしょうか。

「ぶれない生き方」なんていうとかっこいいですし、沈みゆく船からの脱出を試みない身の処し方というのも長い目でみればアリだというケースもあるでしょう。とはいうものの、一度花弁を閉じることを選んだ花も根がある限り、きっと次の季節にはさらに大きな花を咲かせたり、鮮やかな色彩を発したりすることを信じて、変化を恐れずいま与えられた環境に感謝する気持ちを忘れずにいたいものです。

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大きな公益財団である「日本財団」について調べることがあって、
前身の「日本船舶振興会」創立者の「笹川良一」にたどりつきました。

そこですぐに脱線する私は、
笹川が自ら出演していたあの「戸締り用心 火の用心」のCMが観たくなって、
動画サイトで探してみたのですが、
やはりありました。

70年代後半~80年代に子どもだったわれわれ世代には懐かしいCMです。

当時このCMを他の子どもたちの間で話題にしていたとき、
一人の子が「ばあちゃんがあの人(笹川)のことを悪い人だと言っていた」と言いました。

あの頃小学生だった私は、
その子の発言の真意をはりかねて少し困惑したことを覚えています。

子どもたちの中で楽しそうに「一日一善!」と叫ぶおじいさんが、
何で悪い人なのだろうと。

大人になってから、
笹川良一という人の経歴などを知って、
その子のばあちゃんがどんな歴史観というのか、
どんな思想信条の下に孫にそう言ったのかということが理解できたわけですが。

ただ一つ言えることは、
夜中にまだやることがあるのに、
それを横に置いてこのCM動画をみて笑っている私はどうなのよ、
ということだと思うのです。

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かの「山口組」の田岡一雄三代目組長は戦後すぐに組長を継承して、構成員たちに博打や用心棒代の徴収などといった伝統的なシノギ(仕事)ではなく、「合法的な正業を持て」と勧めたといいます。今とは時代背景も違うとはいえ、田岡組長自身も港湾荷役業や芸能事務所を営む社長でもあったことはよく知られています。

そうした中で神戸にある数十人の組織だった山口組は、構成員と準構成員を合わせて万単位のほぼ全国組織に拡大していきます。いわゆる「ヤクザ」「暴力団」と呼ばれる存在についての議論や肯定、否定等はともかく、田岡組長に先見の明や時代に合ったカリスマ性があった点に疑いの余地はないでしょう。

ここで何も田岡組長を通じてリーダー論などの私見を述べたいわけではありません。私が注目したいのは、構成員たちに対して「合法的な正業を持つこと」を勧めた点です。

その必要性は今日、ミュージシャンなど表現活動を行う人たち(以下、総称してアーティストと呼ぶ)にも当てはまるのではないかと思います。活動環境やスタンスはそれぞれで一概には言えませんし、そもそも「アーティスト」と「ヤクザ」とを同列に語ることに眉をひそめる向きもあるかもしれません。「ヤクザな商売」などという言葉はあるけれど。

しかしながら、暴力団対策法の影響などに伴うヤクザ社会の変質、本音と建前の使い分けなどはあっても任侠映画などに描かれる義侠心や暴力性などが彼らの表現であり、売りであるとするならば人を楽しませたり、非日常性やある種の“毒”を提供したりするアーティストも本質は変わらないように思えるのです。

本人が表現活動だけでどの程度食えているか、食えていないかに関係なく、アーティストもそれとは別に“正業”を持つべきです。

ただ、アーティストが正業を持つということは雇用形態がどうかとかいうような個別具体的なその人の立場だけを意味するのではなく、発想やマインド(意識)の問題を多く含みます。これを単に精神論の話だととらえてほしくないのですが。

たとえば会社員としての顔を持つアーティストでも博徒や用心棒的な人もいれば、いわゆる社会的には無職状態で他者のヒモになりながら表現活動をしていても、諸々あって周囲からもその生き方を支持されているという人だっているでしょう。

以前、どこかのインタビューでミュージシャンの大槻ケンヂさんが「バイトしながら音楽をやっている人はみんな起業しなさい」みたいな発言をされていて、シンプルで言い得て妙だと思ったものです。

大槻さんの意図は違うのかもしれませんが、それはみんなが会社を興したりカフェでも始めたりしたらいいというような表面的な意味ではなくて、夢や表現する自分に酔って欲深な社会から搾取されて本末転倒に陥るな。現実と取っ組み合いながら、自身の表現の精度をより高めよというふうに解釈していいのではないでしょうか。

蛇足。今はヤクザが大っぴらに正業を営むのは難しい社会ですが、その分、カタギであるはずの企業社会がかつてのヤクザの正業と化している感がありますね。

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荷物が運び出されて、生活感がなく広々とした部屋でその日の前夜は眠りました。実家があるわけでもない私は東京で住むところが決まるまでという約束で、友達の親戚宅で家財道具一切を預かってもらったのでした。

生まれて30年間を暮らした故郷山口を旅立ったあの日。

2年余り暮らした一戸建ての借家。朝を迎えて大家さんに鍵を引き渡し、愛車を売却した中古車販売店へ行って、この日までの足として借りていた車を返却。ここからは妹に車を出してもらい、夕方の新幹線の時間までの残務整理に付き合ってもらいました。

とてもお世話になった喫茶店の経営者、Yさんを訪ねてこれから上京しますと報告。もともとは母の友達で、私が幼い頃からよく知っているYさん。そのYさんも私の上京後に病気が見つかり他界。本当にたくさん心配もかけたので、上京後の私のことをいっぱい聞いてほしかったです。

ホームまで見送ってくれた妹と笑顔で別れ、新幹線に乗り込んで1時間くらい経った頃、親友Mからメールが届きました。「あべちゃんの今後の人生に幸多かれ!がんばれよ!」。Mは飲んでバカ話ができる相手がいなくなることが嫌だったのか、頼りない私を心配していたのか、私が上京することをあまり歓迎していませんでした。この日までやることが多くて、故郷を離れる感傷に浸る暇もなかったのですが、メールを読んで一人泣きました。

その後、帰省するたびに会っていたMが、山口から東京よりも遥かに遠いところへ旅立ってしまったのは2012年のことでした。

20時頃にJR品川駅へ降り立ち、友達が迎えてくれました。住む場所が決まるまでと、図々しく友達宅へ転がり込んだ私。その日の夜は、当時その友達が住んでいたマンションの一階にあったお店でプチ歓迎会を開いてもらいました。

2006年6月15日、ちょうど10年前の出来事です。

コネも人脈も仕事も何もないところから始まった私の東京生活。その後もつくづく行き当たりばったりで主体性のない日々だったと感じています。だけどやっぱり来てよかったです。

“あきらめる、降参する、逃げる、断る”

残りの時間は他人や社会から奪われた、あるいはこちらから引き渡した自分の人生をどれだけこの手に取り戻せるかがテーマだと思っています。

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